夜はやさし
フィッツジェラルド/谷口陸男・訳/角川文庫(全二巻)
F・スコット・フィッツジェラルドの長編第四作『夜はやさし』を再読。
この小説を前回読んだのは大学生のときらしい。──らしい、なんていうのは、そのときの記憶がまるっきりないからで、同じ角川文庫の古い版──確か名作復刊フェアとか銘打って刊行された金色の表紙のもので、今回の再刊では表紙がカッコよくなっていたので(ビバ、エドワード・ホッパー)、同じ翻訳なのに思わず買い直してしまった──の奥付が平成元年になっていたから、その頃に読んだものと思われる。つまり、かれこれ二十四年も前の話。
当時の僕は二十代前半で、いまは四十代後半。これだけ年が離れていると、感じ方もずいぶんと違う。──ってまぁ、先に書いたとおり、その頃の僕がこの本を読んでどう感じたかは、とんと覚えていないんだけれど。少なくても今回のような感じ方はしなかっただろうと、自信を持っていえる。
なんたって当時の僕にとっては、主人公のディック・ダイヴァー(三十七歳)よりもローズマリーのほうが年が近かったわけで。十七歳の新人女優に思いを寄せられておきながら、あえて一度は身を引く三十男の気持ちなんてわかるわけがないのだった。
でもいまならば、彼の気持ちもわかる。自分と倍も年がちがう少女との関係を必死に自制する彼の気持ちが理解できる。しかも彼には心を病んだ美しい妻がいる。そして彼女に対する愛情はその時点では決して失われてはいない。
結局、新しい恋と妻への愛との葛藤から、彼は酒に溺れて、徐々に身を持ち崩してゆく。将来有望な知的な青年が、愛ゆえに人生を誤ってしまうというこの小説のテーマは、夏目漱石に通じると思う。
まぁ、本筋に関係のないような通俗的な描写が多くて散漫な印象はあるし、個々のキャラクターの人物造形もいまいち描き込みが足りない気がしないでもないけれど、それでもフィッツジェラルド自身に重なるディック・ダイヴァーの哀れな人生の末路には、十分に感じ入るものがあった。いずれ村上春樹氏の訳で再読できる日が来るのを楽しみに待とう。
(Dec 09, 2012)