小石川近況
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2025-01-22 | 本 | 『マルドゥック・アノニマス2』 New! |
2025-01-20 | 本 | 『クリスマスの殺人』 |
2025-01-18 | 映 | 『デューン 砂の惑星 PART2』 |
2025-01-16 | 音 | エレファントカシマシ@日本武道館(DAY2) |
2025-01-13 | 音 | エレファントカシマシ@日本武道館(DAY1) |
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マルドゥック・アノニマス2
冲方丁/ハヤカワ文庫JA/Kindle
前作を読んでから半年以上あいだがあいてしまったのが敗因。クインテットのメンバーがハンターとラスティしか記憶にない。さらにはこの本も読み終えてから一か月近く放置してしまったせいで、ディテールの記憶が……。
前作の最後にクインテットと対決したライバルチームの面々がクインテットの仲間となり、クインテット――増員したらもう「クインテット」ではないのではないかと思うんだけれど――はハンターの指揮のもと、マルドゥックの裏社会の覇権を得るべく、既存勢力の四大組織の牙城を崩しにかかる。
ということで、今回はほぼすべてクインテットの立身出世の話。途中でウフコックがパロットとつかのま憩いのときを過ごすシーンこそあるけれど、あとはずっとクインテットがいかにして新興勢力としてマルドゥックの裏社会でその存在を知らしめてゆくかが描かれてゆく。
ハンターは自分たちに異能――ヒロアカの「個性」みたいにこの作品特有の呼び方があったはずだけれど忘れた――を授けた謎の権力者の正体を突き止め、彼らの能力のメンテナンスを担う「ホスピタル」を手中に収めてと、着々とその歩みを進めてゆく。
いやしかし。ただでさえ登場人物が多い作品なのに、新たな敵対組織が四つも出てきたことで、二巻目にしてすでにもう誰が誰だかって感じになりつつある。この作品はあまりあいだを置かずに、さっさとつづきを読まないと駄目みたいだ。
今年は二ヵ月に一冊くらいのペースで読み進めていきたい。
(Jan. 22, 2025)
クリスマスの殺人
アガサ・クリスティー/深町眞理子・他訳/早川書房
クリスティー完読プロジェクト締めの一冊。
もともとは2020年にアメリカで刊行された企画ものの短編集で、日本では翌年に箱入りの特製単行本として刊行された。
Kindle版も出ているけれど、買うならここはやっぱ箱入りの特装版でしょう?――ということで、クリスティーの全作品を電子書籍のKindle版で読んできたので、最後にこれを紙で読んで企画を締めることにした。
刊行から一年後の2022年には『アガサ・クリスティー完全攻略』の霜月蒼氏による解説が追加された改訂版が出ているのだけれど、そちらは箱のデザインが赤に変更されている。僕は青いほうが好みだったので、あえて古いほうを買った。解説がないのは残念だけれど、でもわざわざ紙の本を買うのだから、悩みつつも装丁を重視した。
日本では『クリスマスの殺人』というタイトルだけれど、原題は『Midwinter Murder』(真冬の殺人)で、その名の通り、冬やバカンスシーズンを舞台にした短編を集めたもの。ポアロ、ミス・マープル、トミーとタペンス、パーカー・パインにミスター・クインと、クリスティーの生み出した主要キャラが勢揃いした楽しい一冊だ。調べてみたら、アメリカではその後、春・夏・秋をテーマにした続編も刊行されている。残念ながら日本ではそれらの刊行予定はないらしい。
各短編はそれぞれが収録された短編集からの転載で、新訳ではないから、つまりすべて再読になる。それなのに大半の話をすでに忘れていたので、けっこう新鮮な気分で読めてしまった。記憶力がない人生も意外と楽しいかも。
本当は去年のうちに感想を書いて終えるつもりだったのに、年末に体調を崩したせいで、不覚にも年をまたいでしまったけれども、これにてクリスティー完読プロジェクトも本当に終了。
(Jan. 20, 2025)
デューン 砂の惑星 PART2
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督/ティモシー・シャラメ、デンゼイヤ/2024年/アメリカ/Amazon Prime
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督(いまだに名前が覚えられない)による『デューン/砂の惑星』リメイク版の後半。
砂漠の民フレメンに受け入れられ、その指導者となるまでに成長したムアッティブことポール・アトレイデス(ティモシー・シャラメ)。自らが参戦することにより数多の犠牲者が生まれるという未来予知に苦しみ、帝国との対決を逡巡していた彼が、わずかな可能性にかけて立ち上がり、皇帝およびハルコンネン家との最終決戦へと赴くまでの過程をこの映画は丁寧に描いてゆく。
まぁ、おかげで主人公のうじうじがドライブ感を損ない、痛快さに欠ける嫌いはあるし、最後のハルコンネン男爵との決着もあまりにあっけなくて、なにそれって感じだったりする。サンドワームによるクライマックスの突撃シーンも期待していたほどの迫力ではなかった。全体的に出来が悪いとは思わないけれど、おかげで個人的にはいまいち盛りあがり切れなかった。
続編の『デューン/砂漠の救世主』も映画化が決まっているようなので、どちらかというとそちらに期待したい。物語的にアクションシーンが少なくなるはずだから、ポールの内面に迫る演出はそちらのほうが映えそうな気がする。
あと、どうでもいいような話だけれど、前編のタイトルは『DUNE/デューン 砂の惑星』と英語表記つきだったのに、この後編では「DUNE」が落ちている。インデックスで作品が並ばなくなるので、そういうのはマジやめて欲しい。
前作の邦題から『PART1』が抜け落ちてているのも、おそらく完結していないとわかると興行成績に影響するからなんだろうし、ほんと日本の配給会社の仕事は商業主義の臭みが強くて嫌だ。
(Jan. 13, 2025)
エレファントカシマシ
新春ライブ2025/2025年1月4日(土)/日本武道館
エレカシ新年ライブ二日目。
開演が前日よりも一時間早かったので、まだ明るいうちに武道館に着いた。
この日の席はアリーナ一列目!――とはいっても、左手の隅のほうで、真正面にあるのは左のスクリーンとスピーカーだったので、特等席とまではいえなかった。
前日はステージと左右のスクリーンが均等に視界に入る席だったのに対して、この日はステージを見るにはほぼ横を向く形になって、目の前にあるスクリーンは否応なく視野から外れる。
要するにステージを見るか、スクリーンを見るか、二者択一を迫られる席だった。僕の右となりにいた女性(ステージを見ようと思うとどうしても視界に入る)は、ステージよりもスクリーンを観ているほうが多かった。
まぁ、宮本のファンだと、近いといっても表情まではわからない距離のステージを見るより、スクリーンにどーんとアップで映し出される宮本の表情を追っていたほうが幸せだったりするんだろうなと思った。
あと、すぐ目の前にスーツ姿の警備員のバイト君がいたのも残念ポイント。邪魔にならないようにライブ中にはしゃがんでいたけれど、ライブの熱狂には無関心な人が常に視野の片隅にいるというのが、どうにも気にかかった。最前列だから最高ってもんでもないのねと思いました。
メンバーでいちばん近かったのはキーボードの奥野真哉で、そのうしろにいた金原ストリングスチームの皆さまは機材に視野をさえぎられて半分しか見えなかった。コジローくんも宮本の陰にかくれて見えない時間帯が多かった。
でもまぁ、ひさしぶりに見るエレカシのオリジナル・メンバー四人の姿はちゃんと拝めたし、宮本が何度かすぐ近くにきてくれたりもしたし、それだけでも十分ラッキーだったとは思う。
それによりなにより、スピーカーが目の前にあるから前日とは違って音がよかった。これがなにより大事。奥野のオルガン、コジロー君アコギ、金原チームのストリングの音色がしっかりと聴きとれる。この音のよさと、肉眼でステージが見えるからこそのライブならではの臨場感。これがこの二日目の醍醐味だった。
セットリストは前日とまったく一緒。『男は行く』や『待つ男』をこの音響のよい最前列で聴けるというのは、どれほどの至福だろうと思っていたのだけれど、意外やそれほどでもない。
――というのも、この日の演奏は前日よりも安定感を欠いていたから。
前日はこれといったミスのない、エレカシ史上初ではというくらいに安定した内容だったのに、この日は「いつものエレカシ」に戻ってしまった感じだった。宮本が渡されたアコギのチューニングをやり直したり(なんで出てきたばかりのアコギのチューニングが狂っているんだか)、トミのほうを再三振り返って指示を出したり、『珍奇男』での即興部分での掛けあいがぐだぐだったったり。そんな昔ながらのまとまりの悪さを感じさせるステージに戻っていた。なぜ?
単に席の違いで印象が違っただけかとも思ったけれど、コジローくんがSNSで「同じセトリなのに、全く雰囲気も内容も変わる曲達」なんてコメントを残しているので、やっぱり当事者にとっても違ったんだろう。
いちばん笑った(というか宮本ひでーと思った)のは『シャララ』で、宮本が冒頭の数小節を歌ったあとで演奏を中断して、アリーナの観客に向かって「そこの人、リズム感悪いから動かないでくれる?」とかいって演奏をやり直したシーン。
宮本のソロでも観客の手拍子が気に入らなくて演奏を中断したことがあったけれど、あのときは不特定多数が相手だった。それにに対して、この日はある一部のファンだけを特定しての否定だもん。宮本、さすがにそれは駄目だと思うよ。指さされたファンの人たちの心境を思うと心が痛む。この新春ライブを心から楽しみにしてきたんだろうに……。
まぁ、そんな風に「それはどうなん?」と思うシーンもありはしたけれど、前述したとおり前日とは視界も音響も違ったことで、この日もじゅうぶん新鮮な気分でライブを楽しめた。二日同じセトリでライブを観ても、まったく飽きさせないところがさすがエレカシ。
そういや、前日はステージの中頃でしていたメンバー紹介もこの日はなし。アンコールの『待つ男』が終わったあとで、おざなりに全員(たぶん全員)の名前を呼んだだけで済ませてしまった。昨日やったから今日はいいでしょうといわんばかりの宮本の姿勢がすごい。昔から礼儀正しいようでいてけっこう無礼なんだよなぁ……。
そういや前日はスクリーン越しに宮本の顔だけが真っ赤に浮かび上がるのを見ていた『待つ男』は、近くで見てもステージは真っ暗で、宮本の赤い顔しか見えなかった。おかげで宮本の怒号とともに曲が終わるのとともに、ライトがぱっとついて明るくなった瞬間の解放感がすごいこと……。
ソロではまったくギターを弾いていない宮本のヘタウマなギターを存分に楽しめるという意味でも貴重な体験だったし、やはりエレカシのほうが好きだなぁと思った正月明けの2デイズでした。幸せな新年の幕開け。
(Jan. 16, 2025)
エレファントカシマシ
新春ライブ2025/2025年1月3日(金)/日本武道館
2025年は三箇日が明けないうちに、エレカシの新春ライブ2デイズ@日本武道館でスタート!
このところ宮本のソロばかりで、エレカシを最後に観たのは2023年三月の有明アリーナだから、じつに二年ぶり近くになる。こりゃ絶対に観逃すわけにはいかないと、二公演とも申し込んだら、両方とも取れてしまった。でもって、取れたのは二公演ともアリーナ席だった。しかも二日目はなんと最前列。
ん、もしかしてエレカシそれほど人気がない?――と思ったりしたのだけれど、うちの奥さんの友人は同じように二公演申し込んだのに片方外れたというし、取れたのも二階席だという話なので、単に僕らのチケット運があいかわずいいという話らしい。
ということで、正月早々観てきました、ひさしぶりのエレファントカシマシ。新春武道館ライブの一日目。
この日の席はアリーナとはいってもうしろのほうで、ステージ向かってななめ左寄り。ステージはよく見えたものの、音の分離が悪く、音響はいまいちだった。
武道館というと客席を三百六十度解放して行われた三年前の公演のアングラ感が強烈な印象で残っているけれど、今回はあのときよりは良心的だった。
なんたって、ステージの左右にスクリーンがある。映像演出とかはなく、宮本を中心としたメンバーの姿を映し出すだけだけれども、それだけでもう印象が段違い。ちゃんと遠くの席のお客さんにも自分と仲間たちの姿を見せようという姿勢に、宮本がソロ活動を経て身につけたサービス精神が表れている気がした。
その辺の変化はセットリストにも表れていた。だってオープニングが『大地のシンフォニー』ですもん。こんなメローな曲でエレカシのライブが始まることがあるなんて、想像もしなかった。
エレカシって一曲目が比較的固定され気味で、いつもだと「今日はこれかぁ」って感じなので――僕が予想(というか期待)していた曲は『俺の道』――オープニングにこの曲を持ってきた意外性は過去一だった。
まぁ、今回のライブには金原千恵子ストリング楽団の四名様が参加していて、はやくもこの一曲目で登場して、以降も過半数の曲に参加していたので、金原さんたちの存在が少なからず選曲に影響していた気はする。
【SET LIST】
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『大地のシンフォニー』のあとは『新しい季節へキミと』に『悲しみの果て』と、僕個人にとっては愛着のない曲が並んだので、今回はもしかして期待外れかと思ったら、そこから先が振るっていた。
「とっておきのバラードをお届けします」みたいなズレたコメントのついた『デーデ』、そして『星の砂』というお馴染みのメドレーを聴かせたあとに、いきなり飛び出したのが『珍奇男』!
――この曲がこんな序盤に演奏されたことってあったっけ?
この曲ではいつになく「おっとっと」を連発していた宮本が、次に聞かせてくれたのが「後楽園からの帰り道を歌った」みたいな紹介で始まった『月と歩いた』! この『浮世の夢』メドレーはレアすぎた。基本弾き語りで途中一度だけバンドアレンジになる「ドライブたのしブブッブー!」のところもおもしろすぎた。
嬉しいことに、さらにもう一曲、エピック時代のナンバーがつづく。それもストリングスつきの深みのあるアレンジで味わいの増した『シャララ』! この曲が僕にとってのこの日のクライマックスだった(一度目の)。いやぁ、最高でした。
そのあと『今宵の月のように』からは再び売れて以降の路線へ戻る。金原楽団がゲストのときの定番『リッスントゥザミュージック』に、日本の名曲『翳りゆく部屋』ときて、爆発的な歌いだしが最高にカッコいい『RAINBOW』、そして『ガストロンジャー』という怒涛の攻めで第一部が終了。
ここまでわずか十二曲ながら、メローでポップなオープニングから、エピック期のやんちゃな楽曲を挟んで、最大のヒット曲や珠玉のカバー曲を聴かせた上で、圧巻のアッパーチューンで締めるという構成が見事。エレファントカシマシというバンドの懐の広さを見せつける、バラエティ豊かで濃厚な第一部だった。これだけで終わっても文句ないかもって充実度だった。
この日のサポートはキーボードがソウル・フラワー・ユニオンの奥野真哉で、ギターが最近ずとまよでの活動が激減した佐々木“コジロー”貴之。
この二人の演奏をエレカシで聴けるってのも、僕としてはポイントが高かった。ソウル・フラワーとずとまよでお馴染みのプレーヤーをエレカシのステージで一緒に観れるなんて。この会場で二人の共演をいちばん喜んでいるのはおそらく俺だろうなって思った。
奥野真哉はソウル・フラワーだとシンセの音作りが人工的な気がして、絶対的に好きとはいいきれないのだけれど、エレカシではオルガンとピアノを中心としたオーソドックスな音作りが中心なのが好印象だった。まぁ『so many poeple』のピコピコしたイントロがいつになく目立っていたのには、なるほど奥野っぽいかもって思ったりしたけれど。
そういや、『リッスントゥザミュージック』では、後半にバンドアレンジで盛り上がるまでの演奏が、奥野氏のオルガンとコジローくんのアコギ、そして金原四重奏のストリングスだけで、エレカシのオリジナル・メンバーがずっとお休みってのもおかしかった。エレカシの正規メンバーなのに仕事が少ない。
つづく第二部は『桜の花、舞い上がる道を』から始まる、エレカシのベストヒットメドレー的な構成。
振り返ってみると、ここでの十一曲がほぼすべてシングル曲というのがすごい。唯一『ファイティングマン』だけが例外で――シングルじゃなかったのか!――あとはすべてシングル曲。ほかはともかく、ラストの『男は行く』までがシングルというのが普通じゃない(あれをシングルに切る宮本は常軌を逸している)。エレファントカシマシのキャリアを総括するような、そのバラエティの豊かさとポップさに感心せずにはいられない。
第二部の最後のほうで演奏された『Destiny』と『愛すべき今日』――後者は不覚にもタイトルを思い出せなかった――がシングルなのにもかかわらずレア曲な印象を受けてしまうあたりも、エレカシのキャリアの長さを物語っていると思った。あまり好きな曲ではないんだけれど、構成の妙もあって今回のこの二曲はちょっといい感じだった。
その二曲のあとの『ファイティングマン』もよかった。もったいつけずにあっさりと始まったのには「え、もう終わり?」という意外性があったし、演奏もいつもよりソリッドでクールな感じがしてカッコよかった。
で、それで終わりかと思ったら、そのあとにもう一曲ある。それが『男が行く』!
いやぁ、この選曲はこたえられない。そうそう、武道館だもんね。この曲やんなきゃだよな、やってくれてありがとー!――って思った。ほんと、この曲の演奏の迫力と宮本のボーカルの破格さときたら……。
この曲で本編を終了したあと、ほとんど待ち時間なしで再登場してラストのアンコールはもちろん『待つ男』!!
『男は行く』ではライティングがただ明るいだけでノーギミックだったのに対して、この曲は対照的に真っ暗。ただ宮本の顔だけが赤いライトに浮かび上がるところに鬼気迫るものがあった。この最後の二曲『男は行く』と『待つ男』には、宮本浩次というボーカリストの尋常ならぬ凄さが凝縮されていた。
チケットが取れなかった人には申し訳ないけれど、ライブ前には「なにも新年早々同じライブを二回も観なくてもいいんだけれどな……」とか思っていたくせに、この日のライヴを観たあとは、翌日もう一度このステージを観られる俺って本当に幸せもんだよなぁと思っていたりして……。
現金なことこの上なしの新年三日目だった。
(Jan. 13, 2025)