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  2. ビートルジュース
  3. 海の上のピアニスト
  4. ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
  5. 秒速5センチメートル
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ビートルジュース ビートルジュース

ティム・バートン監督/マイケル・キートン、ウィノナ・ライダー、ジェナ・オルテガ/2024年/アメリカ/WOWOW録画

ビートルジュース ビートルジュース

 前作から三十六年もたってから制作された『ビートルジュース』の続編。

 なにゆえこんなに間をあけて続編を作ろうと思ったのか知らないけれど、この映画はこの三十六年という時間の経過が意外と重要だ。

 前作では十代のヒロインを演じていたウィノナ・ライダーはすでに五十代。彼女の義母役のキャサリン・オハラにいたっては七十歳。

 このふたりが前回の役どころのまんまで共演しているのがいい。加えてもうひとり、ビートルジュース役のマイケル・キートンも当然続投。この人の場合はもともとメイクで年齢不詳なので、年月の経過をまったく感じさせない。あのうんざりするような悪魔的うっとうしさも健在(お近づきになりたくない)。

 前作からつながるこの三人に加え、『ウェンズデー』のジェナ・オルテガとボンド・ガールのモニカ・ベルッチが出演して、作品に華を添えている。

 ジェナ・オルテガはウィノナ・ライダーの娘役で、『ウェンズデー』同様に男運に恵まれないところがおかしいし、モニカ・ベルッチはそれほど出番が多くないけれど、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のサリーの実写版ともいうべきビジュアル・イメージが、これぞティム・バートンという感じでインパクト大だった。

 作品自体はは完全に前作を踏襲した内容で、物語的にはたいしたことがないのだけれど、今回はそんな美女がふたり加わったおかげで断然印象が華やかだ。

 前作の笑わせどころだった音楽の使い方もいい。作品のテーマ曲的な『バナナ・ボート』が葬儀の場面で厳かにかかったり、『ソウル・トレイン』が三途の河の渡し船的な意味合いで使われているのが好きだった。

 ということで、前作がいまいちだったので、あまり期待していなかったのだけれど、こちらは意外と楽しめた。ウィノナ・ライダーのフィアンセが「ビートルジュース」を三回唱えるシーンには爆笑しました。

(Nov. 10, 2025)

ビートルジュース

ティム・バートン監督/マイケル・キートン、アレック・ボールドウィン、ジーナ・デイヴィス、ウィノナ・ライダー/1988年/アメリカ/WOWOW録画

ビートルジュース (字幕版)

 去年三十六年ぶりに続編が公開されたティム・バートンの監督デビュー第二作目。

 若いころはティム・バートンを特別視していたけれど、それも今は昔。近年の作品の出来がいまいちなことに加え、年をとって僕自身の趣味が落ち着いたこともあって、以前のような思い入れはなくなった。

 二十何年ぶりに観たこの作品もなんでこんな映画を撮る監督が好きだったんだろう?とわれながら不思議になってしまうような作品だった。

 まぁ、何度も観ている『シザーハンズ』とは違って、この映画は一度観たきりで、内容はすっかり忘れていたし――それこそ主演がアレック・ボールドウィンとジーナ・デイヴィスだということも覚えていなかった――そういう意味では、まったく愛着がなかったのは確かなんだけれども。

 というか、初めて観たときにもさほど感心しなかったから、これはもういいやって思って、記憶にも残らなかったのかもしれない。

 まぁ、とはいえ、子供のグロテスクでキュートな悪夢みたいな世界観は唯一無二。ここまで悪趣味なB級感を堂々と映像化できるのって、ある意味すごい気もする。一部の小学生の男の子が大喜びしそうな映画だし、そういう感性を大人になっても失わなかったところがティム・バートンの強みだろう。

 とりあえず、ビートルジュースを演じるマイケル・キートンのうっとうしさと、ゴスロリな十六歳のウィノナ・ライダーの初々しさが印象的な作品。

 ラストシーンのウィノナ・ライダーのダンスはわけがわからないけど、ディナーの席で全員が『バナナ・ボート』を踊らされるシーンは極めつけのバカらしさで、この映画の中ではいちばん好きでした。

(Nov. 08, 2025)

海の上のピアニスト

ジュゼッペ・トルナトーレ監督/ティム・ロス、プルイット・テイラー・ヴィンス/1999年/イタリア/Apple TV

海の上のピアニスト 通常版 (字幕版)

 うちの奥さんが大好きだというこの作品、なぜだか僕はこれまで観たことがなかった。『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレが監督を務めるイタリア映画だということで、英語以外の映画を敬遠しがちな僕はスルーしてしまっていたらしい。

 でもいざ観てみれば、イタリア映画とはいっても言語は英語だし、舞台となるのはほぼ全編アメリカへと向かう巨大客船の中だけで、普通にハリウッド映画を観るのと変わらなかった。うん、なかなかいい映画だった。

 英語のタイトルが『The Legend of 1900』なので、『1900年の伝説』と訳すような内容かと思ったら違う。「1900」(ナインティーン・ハンドレッド)が主人公の名前だなんて、誰が思うんだよって話だ。

 ティム・ロスが演じる主人公のフルネームは、ダニー・ブードマン・T・D・レモン・1900。客船で(移民の?)親に捨てられ、ボイラー係の船員、ダニー・ブートマンに拾われて、その名をいただく。「T・D・レモン」はゆりかごにあった名前(もしかしたら商品名?)。1900は拾われた年(つまり生まれた年)。

 戸籍を持たない1900はダニーを親として船の中で育ち、事故で養父を失ったのちも船から出ることなく成長してゆく。でもって独学でピアノを弾くようになり、天才的なスキルを発揮して、船の名物ピアニストとして人気を博するようになる。

 物語は彼と仲がよかったトランペット吹きのマックス(プルイット・テイラー・ヴィンス)が、老朽化して廃棄されたその船が爆破処分されることを知って、いまだに船にいるかもしれない1900のことを心配しつつ、在りし日の思い出を回顧する形で紐解かれてゆく。そこから生じるノスタルジックな感触には、なるほど『ニュー・シネマ・パラダイス』の監督の作品だなって思った。

 クライマックスで彼と1900が再会を果たすシーンには、村上春樹の『羊をめぐる冒険』を思い出させる、現実か幻想か定かではないファンタジー的な味わいがあるのも意外があってよかった。

 あとから配役を確認して知ったのだけれど、主人公に絡む黒人ふたりのうち、育ての親ダニーを演じるビル・ナンは『ドゥ・ザ・ライト・シング』のラジオ・ラヒーム、ジャズの生みの親だというジェリー・ロール・モートン役を演じているクラレンス・ウィリアムズ三世が『パープル・レイン』でプリンスの父親役だったそうだ。おー。

(Oct. 26, 2025)

ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ

トッド・フィリップス監督/ホアキン・フェニックス、レディー・ガガ/2024年/アメリカ/WOWOW録画

ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ

 素晴らしい出来だった『ジョーカー』の続編にしては、いやに評判が悪いなと思ったら、なるほど。これは駄目だ。

 いや、決して映画としての出来自体が悪いとは思わない。映像、演出ともに雰囲気があって、最後までちゃんと見せる。まぁ、冒頭にルーニーチューンのパロディ的なアニメを配した演出とか、作風に馴染まずに空回りしている感はあるけれど、でも決して失敗とまではいえない。

 ハーレイ・クイン役に抜擢されたレディー・ガガのいかれた感じもはまり役だったし、前作とは違うミュージカルというスタイルを選択して、彼女とジョーカーのラブロマンスを描いてみせたのも決して着想は悪くない。こういう映画があってもいいとは思う。

 ではなにが駄目かというと。

 物語の結末、ただそれに尽きる。

 前作では最後にジョーカーが刑務所に収監されて終わっている(忘れてたけど)。

となれば、この続編に期待するのは、彼がハーレイ・クインとともに、いかにしてその拘束を解き放って、ふたたび社会に飛び出して見せるか、これに尽きるでしょう?

 それがあの結末では……。

 監督がなにを書きたかったのか、さっぱりわからない。

 社会的弱者が悪の道に救いを見い出すという前作の不穏なテーマをさらに突き詰めて、どう決着をつけるかがポイントだったはずが、まるでさらなる罪悪を描くのにおびえて、ミュージカルに逃げたかのよう。なまじ映画としての出来自体は悪くないだけに、最後まで観てこんなに困惑させられた映画も珍しかった。

 まぁ、この作品って、ジョーカーが主役でなかったならば、それなりに好評を博したのではないかという気もする。

 間違いは『ジョーカー』の続編として作ってしまったこと。それが最大にして最悪のミステイクではと思います。

(Oct. 18, 2025)

秒速5センチメートル

新海誠・監督/声・水橋研二、近藤好美、花村怜美/2007年/日本/Amazon Prime

秒速5センチメートル

 同名の実写版映画が公開されたばかりの新海誠のオリジナル版アニメーション。

 この作品は『言の葉の庭』ともども過去に一度昔に観ているのだけれど、感想が残っていないのは、食事をしながら観たせいか、一時間しかない短さのせいで、書かなくていいと判断したのか……。どちらかだと思んだけれど、でも感想がなくて自分でがっかりした。せっかく観たんだから、書いとけよなぁ、俺……。

 で、最近公開された実写版が話題だし、どんな話だかほとんど忘れていたので、先月もう一度観て、今度はちゃんと感想を書こうと思ったにもかかわらず、なぜだかまた忘れていて、気がつけば一か月近くが過ぎていた。この映画にはなにかしら僕の記憶を遠ざける効果があるらしい。

 さて、オムニバス形式・全三話構成のこの作品。

 いざ観てみたら、中学生の遠恋カップルの初恋が春の大雪の夜に成就するまでを描いた一話目、さらなる距離がふたりを遠ざけたあと、高校生になってもなお一途に彼女を思いつづける男子に、そうとも知らず密かに想いをよせる別の女の子を主役にした二話目。ここまではぼんやりと記憶の断片があるのに、最後の第三話は悲しい結末を迎えたという印象以外にはまったく記憶に残っていなかった。

 でもそれがなぜかは観てみてよくわかった。

 三話目、ほとんどなにも起こんないじゃん!

 山崎まさよしのMVかってくらいの内容に驚いた。

 まぁ、そのあまりになにも起こらないせいで、単なるエンタメでは終わらない文学的な余韻が残る作品になっている気はするけれど、でも正直なところ、そんなエンディングは期待してなかったよ……。

 今回うちの奥さんが一緒に観たがらなかったのも納得だった。

 踏切でふたりがすれ違うあのシーン、あれを描いてしまった後悔が、新海誠をして、その後の『君の名は。』のエンディングに到らせた気がする。

 そういう意味でも、おそらく新海作品を語る上では欠かすことのできない一本。

(Oct. 16, 2025)