Coishikawa Scraps / Books

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最近の五冊

  1. 『プロジェクト・ヘイル・メアリー』 アンディ・ウィアー
  2. 『日出る国の工場』 村上春樹・安西水丸
  3. 『果樹園の守り手』 コーマック・マッカーシー
  4. 『荒木飛呂彦の漫画術』 荒木飛呂彦
  5. 『幕末』 司馬遼太郎
    and more...

プロジェクト・ヘイル・メアリー

アンディ・ウィアー/小野田和子・訳/早川書房(全二巻)

プロジェクト・ヘイル・メアリー 上 プロジェクト・ヘイル・メアリー 下

 映画『オデッセイ』の原作である『火星の人』の作者アンディ・ウィアーの最新作。

 発売当初からとてもおもしろいと評判だったから気にはなっていたんだけれど、この人の作品は過去二作ともKindleで読んでいたので、これだけ紙の本で買うのもなぁと思って、読むのをためらっていたせいで、やたらと後手を踏んだ。

 映画版が公開され、それもとても好評だったため、やっぱこれは映画を観る前に原作を読んどかなきゃならんと思い、すでに文庫化されたあとだったけれど、文庫版も電子版もちょい高だったこともあり、ならばと、いまさら単行本を買って読んだ。なんて間抜けなんだ。タイミング逸しすぎ。さっさと初動で読んでおけばよかった。

 でもまぁ、これは内容をほとんど知らないうちに読めてよかった。これから先は映画の情報とか広まって、自然とネタバレを踏んでしまうことも多くなるんだろうから、その前に読んでおいて正解。え、なにそれ、みたいな驚きたっぷりの小説だった。

 映画の予告編で伝わってきたあらすじは「地球の存亡をかけてひとりの宇宙飛行士が単独でミッションに挑む」みたいなやつだったから、勝手に『火星の人』の上位互換みたいなイメージを抱いていたら、序盤からそれを裏切るびっくり展開がつづく。

 物語のきっかけとなり、宇宙船の原動力ともなるアストロファージ。この着想がとにかく素晴らしい。正直なところ、そんなものあるかいって超現実的存在ではあるけれど、SFなんだから、現実味はなくてもOK。アストロファージというひとつの嘘をもとに、ここまでおもしろいフィクションを書きあげた手腕に脱帽した。

 この人の文体はいささか軽すぎる嫌いがあって、作風が好きだとはいえないんだけれど、でもそのおもしろさには毎回夢中にさせてもらっている。まさにページターナー。今回も上下巻・六百ページ越えを一気に読まずにいられなかった。

 ちょっと次から次へとトラブル起きすぎじゃん?――ってくらい、休みなく怒涛のハプニングが頻発する、ジェットコースタームービーならぬ、ライトスピードスペースノベル。

(May. 4, 2026)

日出る国の工場

村上春樹・安西水丸/新潮文庫/Kindle

日出る国の工場(新潮文庫)

 村上春樹と安西水丸のおふたりが日本各地の工場を見学して歩き、水丸氏のカラーイラストを添えて紹介したエッセイ集。

 今回読む予定の村上春樹の作品ではこれがいちばんおもしろそうだと思っていたのだけれど、いざ読んでみたらそうでもなかった。内容的にはとても刺激的で好奇心をかきたてられる部分も多々あったものの、初期の春樹氏のエッセイが苦手な僕には、やはりその書きっぷりがしっくりこなくて、いまいち楽しくなかった。とくに序盤は。

 最初の人体模型工場は超イレギュラーな商品なので、まぁいいとして、引っかかったのはその次の結婚式場を「工場」的なものとして紹介する二編目。新郎新婦の過去の性体験をあからさまに書いているのを見て驚いた。え、結婚前にそんなこと正直に話す新郎新婦なんている? いきなり胡散臭いんだけれど。

 ただでさえ、自身は結婚式をあげていないし、知人の結婚式に出席さえしないと語っている人が、野次馬的な姿勢で結婚式場を取材して、それを「工場見学」のひとつに位置付ける姿勢も厭味ったらしく感じられてしまった。

 つづく消しゴム工場の話も、材料の科学的な説明の難しさに「しくしく」を連発するユーモアのたぐいが僕にはしっくりこなかった。

 ただ、序盤のそこらでつまずいて、悪印象を持ってしまったわりには、その後の工場――牛乳、コム・デ・ギャルソン、CD、アデンランス――ではとくに鼻につくようなところもなく――いや、なくはなかったかもしれないけれど、少なくても記憶に残るほどではなく――興味深く読むことができた。なので後半はずいぶん持ち直した。

 すでに四十年前の本なので、工場自体の技術はずいぶんと古い。なんたってCDが当時最先端のデジタル技術なんだから。それでもCDのすごさを表現するのに「野球場の広さに0.5ミリの砂を記号としてびっしりと並べたようなもの」みたいな具体的なサイズ感がわかる説明があるのには感心した。

 なかでもいちばんインパクトがあったのは小岩井乳業。「小岩井」が小野・岩崎(三菱創業者の弥太郎)・井上の頭文字を並べたものだというトリビアにびっくりしたのに始まり、酪農工場での牛の「経済動物」としての生々しい生態には、なんとも言葉で表しにくいものがあった。心の平静を守るには牛乳も牛肉も口にしないほうがいいんじゃないかって思ってしまった。ベジタリアンやヴィーガンになる人たちにちょっとだけ共感した。

(Apr. 27, 2026)

果樹園の守り手

コーマック・マッカーシー/山口和彦・訳/春風社

果樹園の守り手

 いやぁ、コーマック・マッカーシーは最初から手強かった。

 春風社という馴染みのない出版社から刊行されたこのデビュー作。

 ただでさえフォークナー的な意識の流れの手法で書かれていて、読み砕くのが大変だったのに、さらにあまり見慣れない二字熟語がたくさん出てくる翻訳も読みづらく、校正が甘いのか、誤字だと思われるところがあったりと、不幸な要素が重なって、やたらと難儀した。正直、どういう物語なのかも説明できない。

 物語の中心にいるのは、マリオン・シルダーという男性に、ジョン・ウェスリーという少年、あとアーサー・オウェインビーという老人。この世代の違う三人の話がいったりきたりしながら語られてゆく。

 いちばん出番が多いのはシルダーだと思うけれど、この人がどういう人物なのか、いまいち僕にはよくわからない。密造酒を運んでいる途中で事故を起こしたりするので、まともな一般人ではないのはわかるんだけれど、ではどういう経歴の人?――と問われても答えられない。

 あとのふたりの名前も書いたけれど、彼らは大半が「少年」と「老人」と表現されていて、匿名性が高い。老人の名前なんて、数回しか出てこないんじゃないだろうか。

 タイトルの『果樹園の守り手』は老人を示しているらしいけれど、その老人の名前さえはっきりしないというね。そもそも老人のいる場所がほんとに果樹園なのかもわからない。駄目すぎる。ほんと、全体的に緻密な描写がつづくのに、物語自体は曖昧模糊としていてなにが語られているのかよくわからない。僕には手強すぎた。

 そういう意味で、これは本当にフォークナーっぽい作品だと思った。これまでにマッカーシーの作品を読んでフォークナーを連想したことはなかったんだけれど、これは確実に南部文学の流れを汲んだ作品という感じだった。

 なぜ?――と思ったら、コーマック・マッカーシーって、ロードアイランド出身だけれど、子供のころに親がテネシーに引っ越して、アメリカ南部で育ったんですね。何冊もその作品を読んでいるのに、まったく知らなかった。

 とりあえず今回で全体像はつかんだので、これについてはいずれ再読して、きちんとディテールを把握したいと思います。今回はとりあえず読んだだけ。そんな作品。

(Apr. 18, 2026)

荒木飛呂彦の漫画術

荒木飛呂彦/集英社新書/Kindle

荒木飛呂彦の漫画術【帯カラーイラスト付】 (集英社新書)

 漫画家・荒引飛呂彦が、自らが王道だと語るマンガの書き方について説明したハウツー本。

 荒木さんの語るところの「王道」はあくまで週刊少年ジャンプ的なマンガのそれで、『ジョジョの奇妙な冒険』ほかで、それをいかにして実践してきたかを、つまびらかに解説してくれている。マンガ家を目指す人にとっては、一読の価値はある作品でしょう。

 まぁ、逆にマンガを描いてない人間にとっては、そこまで響くところがないというか、あくまで少年マンガの王道にスポットしているので、創作論としてはやや偏った内容になっている。僕には野次馬的な読み方しかできなかったので、内容的には映画を語った前の二冊のほうがおもしろかった。

 それにしても、ワンアンドオンリーな作風を誇る荒木先生が、自らの作品を少年マンガの王道だっていいきっているのがすごい。でもってその王道を実現するために、システマティックな努力を重ねてきたところがなおすごい。

 「人気マンガ家になる」という夢を叶えるため、漠然とした試行錯誤を重ねるのではなく、きちんと現状を分析して、それに対して行動を起こすことで、一歩ずつ作品を進化させてきたからこそ、いまがあるというのがわかる。

 『ジョジョの奇妙な冒険』を読めば、その連載期間を通じて、荒木飛呂彦という人がマンガ家としてどれだけの成長を遂げてきたかは一目瞭然だ。多くのマンガ家はその長期の連載期間を通じて成長してゆくものだけれど、荒木さんほど劇的な変化を遂げた人はなかなかいないと思う。

 なぜ荒木飛呂彦が特別な存在たり得ているのか――その理由を本人が端的に教えてくれているのが本書。荒木ファンには必読の一冊。

(Apr. 15, 2026)

幕末

司馬遼太郎/文春文庫/Kindle

幕末 (文春文庫)

 「暗殺だけは、きらいだ」とおっしゃる司馬遼太郎先生が、あえてその暗殺にまつわる幕末の数々の事件を描いた短編集。

 一遍目の『桜田門外の変』での井伊直弼の暗殺から始まり、清川八郎が殺され、陸奥宗光が坂本龍馬の仇討に加わり、そのほか大半は僕なんかは知らない人たち――でも明治の代に生きながらえて名前を残した偉人たち――による人殺しの話がつづいてゆく。その数、じつに十二編。

 司馬先生の作品って比較的温厚な印象があるのだけれど、これはそんなだからやたらと血生臭かった。

 体裁はフィクションだけど、いちおう史実にはのっとっているわけでしょう? 明治の世がこんな流血沙汰の果てに成り立っていて、しかも人殺したちがそのことで栄誉を得て、伯爵だなんだと持ち上げられていたと思うとなんともいえない。

 司馬文学では歴史的偉人たちがその威厳をはく奪される傾向が強い印象があるけれど、この本では多くの明治の偉人たち――とくに印象的だったのは桂小五郎、伊藤博文、井上薫あたり――が、けんもほろろな扱いを受けている。

 なかでもいちばんめだっているのが田中顕助という人。いくつかの短編に繰り返し登場するこの人――のちの田中光顕伯爵(知らない)――は、たまたま運がよくてに新政府に取り立てられて出世しただけの、とくになんの大義も才能もない凡人、みたいな、とほほな書かれ方をしている。

 こんなこと書いて子孫の人たちの非難を受けたりしないんだろうか?――とちょっといらぬ心配をしてしまった。

 まぁ、司馬先生はその人の残した『維新風雲回顧録』という本に解説を寄せているみたいだから、そこでもしかしたら田中氏本人が自らの人生を自虐的に語っていたりするのかもなとか思ったりした。

 とりあえず血生臭くはあれど、いろいろ興味深い事件が多くて、読みごたえのある本でした。

(Apr. 05, 2026)