Coishikawa Scraps / Books

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最近の五冊

  1. 『エンダーのゲーム』 オースン・スコット・カード
  2. 『コレクションズ』 ジョナサン・フランゼン
  3. 『薬屋のひとりごと15』 日向夏
  4. 『初恋』 トゥルゲーネフ
  5. 『車輪の下で』 ヘッセ
    and more...

エンダーのゲーム

オースン・スコット・カード/田中一江・訳/ハヤカワ文庫SF

エンダーのゲーム〔新訳版〕(上) エンダーのゲーム〔新訳版〕(下)

 SFにうとい僕でもたまに名前を目にするし、シリーズ化もされているというから、きっとおもしろいんだろうと思って読んでみたSF小説の古典。

 ――いや。古典というほど古くない。刊行は1985年だそうだから、ファースト・ガンダムよりもあとだった。準古典くらいな感じ?

 物語の主人公のエンダーことアンドルー・ウィッギンは六歳の少年。人口抑制のため、一家に子供はふたりまでと制限されている時代に、三人目として生まれてくることを認められた特別な存在だ。

 過去にバガーという異星人の侵略を受けたこの世界では、再度の侵略から地球を守るべく、優秀な子供たちを選んで戦争の英才教育を施していた。

 エンダーの兄ピーターと姉のヴァレンタインも弟に負けぬ特別な才能の持ち主なのだけれども、軍が未来の地球の救世主として白羽の矢をたてたのはエンダーだった。

 かくして幼くして家族から引き離された彼は、日々演習に明け暮れる士官学校に放り込まれ、孤独のうちにその才能を開花させてゆく。

 各章の冒頭にはエンダーを過酷な人生へと導く大人たちによる会話劇(ト書きなしの脚本風)が挿入されていて、それにつづいてエンダーを中心とした子供たちの物語が描かれる。

 大人の都合とそれに振り回される子供たちというこの構図が最初から最後までずっと繰り返される。大人たちが裏であれこれ画策しているとはつゆ知らず、子供たちはコンピュータ・ゲームのような戦略シミュレーションで自らを鍛え上げてゆく。

 はたして六歳(小学一年生じゃん!)でスタートしたエンダーの地球軍の司令官としての道は、いったいいつどのような形で決着をみるのか?――というのは読んでのお楽しみ。

 少年少女を主人公に戦争やバトルを描くのは日本のマンガやアニメの専売特許のように思っていたから、こんなSF小説がアメリカにもあったことが意外だった。子供への無茶ぶりでは少年ジャンプ以上だろう。小学生になにをやらせているのやら。

(Sep. 18, 2025)

コレクションズ

ジョナサン・フランゼン/黒原敏行・訳/ハヤカワepi文庫

コレクションズ (上) (ハヤカワepi文庫) コレクションズ (下) (ハヤカワepi文庫)

 「ハヤカワepi文庫を読もう」第二シーズンの二~三冊目ってことで読んだのだけれど、これは英米文学好きならば、ハヤカワepi文庫に収録されているいないに関係なく、読んでいてしかるべき作品だった。

 ジョナサン・フランゼンは1959年生まれ、つまり僕よりも七歳年上のアメリカ人作家。イリノイ州出身で、理系の大学助手を務めていた二十代の終わりに処女作を出すも、しばらくは鳴かず飛ばずで、それから十三年後、四十二歳のときに発表したこの長編第三作が全米図書賞を受賞して、ようやく日の目を見た、というような経歴の持ち主らしい。

 この小説はアルフレッドとイーニッドという老夫婦と、三人の子供たち、ゲイリー、チップ、デニースからなるランバート一家の物語。

 一家はそれぞれに問題を抱えている。

 父親のアルフレッドはパーキンソン病に認知症を併発して家族を悩ませている。

 母親のイーニッドは普通の人だけれど、その平凡さで家族を苦しめている。

 長男のゲイリーはそんな両親を嫌う妻との関係に悩んでいる。

 次男のチップは女学生の誘惑に負けて、大学教授の職を失ってしまう。

 長女のデニースは一流シェフとして活躍しつつも、バイセクシャルな不倫関係に悩んでいる。

 物語はそんな一家が、最後のクリスマスを家族全員で過ごしたいというイーニッドの希望を叶えるため、一斉に集まるか否かという話を軸に、家族それぞれの過去から現在を、章を分けて個別に、オムニバス形式で描いてゆく。

 一家全員の人生が難ありだし、人間関係はどこもギスギスしていて救われない。それでいて読んでいて気分が滅入ったりしないのが、この小説のいいところだ。人生なんて結局は誰でもこんなもんさという達観が物語全体から伝わってくる。文庫本上下巻一千ページ近いボリュームをかけて、こんな楽しくもない物語を書いて、しっかりと読者を楽しませるのがすごい。

 『コレクションズ』というタイトルは「収集」ではなく「修正」の意味のほう。家族のそれぞれがなんらかの意味で人生の「修正」を余儀なくされる、という意味でつけられているのだと思うのだけれど、なまじ「コレクション」という言葉が日本語として定着してしまっている分、その意味が伝わらないのが残念なところだ。

(Sep. 6, 2025)

薬屋のひとりごと15

日向夏/ヒーロー文庫/主婦の友社/Kindle

薬屋のひとりごと 15 (ヒーロー文庫)

 『薬屋のひとりごと』も既刊は残すところあと二冊。

 今回は猫猫が医局の選抜試験を受けるところから始まる。

 受けるというか、無理やり受けさせられるというか。なぜだかもわからず受けたその試験をパスした彼女は、仲間の医官たちとともに、目的を伏せたままの投薬実験の担当を任される。

 さて、その投薬実験の目的は?――というのと、その結果として巻き起こるお国の一大事が今回のメインテーマ。

 それに絡んで、前回見つかった「華佗の書」がそれなりに重要な役割を果たすことになる。断片的に復元されてゆく「華佗の書」にうきうきする猫猫がおもろい。

 いずれにせよ、今回のエピソードは一巻まるまる医局絡みの話だけ。こんな風に一冊がワンテーマで起承転結した巻はこれまでになかった気がする。それも全編、薬とか手術とかの話ばかり。

 国を揺るがす医療事件を、それに振り回される猫猫の視点で描いてゆく。そういう意味ではまさに『薬屋のひとりごと』というタイトルにふさわしい一冊という気がしなくもない。

 とはいえ、そのせいで登場人物が医官方面に限定気味なので、シリーズでもっとも色気の少ない一冊な気もする。

(Aug. 28, 2025)

初恋

トゥルゲーネフ/沼野恭子・訳/光文社古典新訳文庫/Kindle

初恋 (光文社古典新訳文庫)

 Kindleで半額になっていた海外文学の古典を読んでみようシリーズその三。ロシアの文豪、ツルゲーネフの中編小説。

 翻訳小説好きな身としては、光文社古典新訳文庫はとても貴重な存在として、その価値を高く評価しているのだけれど、さすがに作家の名前を新訳するのはいかがかと思う。

 やっぱツルゲーネフは、「トゥルゲーネフ」ではなく、ツルゲーネフのままにしておいて欲しくないですか?

 そりゃ「トゥルゲーネフ」のほうが本来の発音には近いのかもしれない。ロシア文学を学んできた人にとっては、そのほうが自然なのかもしれない。それでも二葉亭四迷の時代から百年以上にわたり人口に膾炙してきた「ツルゲーネフ」という作家名は、やはりそう簡単には置き換えられない。本屋で探すときに「つ」と「と」の棚、どっちを探すかは大事な問題でしょう? 簡単に変えちゃ駄目じゃなかろうか。

 これがドストエフスキーの『罪と罰』のように、作家の名前なんてどうでもいいと思えるほどの大傑作ならばともかく、そうではないのも残念なところ。

 小説の出来が悪いとはいわない。それでも正直なところ、この作品はその価値観が古びてしまっているように僕には思える。よほどの文学好きな読者でない限り、いまさらこの小説に大きな感動を覚えるのは難しいんじゃなかろうか。

 だって、十六歳の青年が近所に越してきた五歳年上の侯爵令嬢に一目惚れするも、複数の男性から求婚を受ける彼女の心を射止めるには至らず、意外なライバルの存在により、失恋の憂き目をみるという、身も蓋もない書き方をしてしまえば、ただそれだけの話だ。正直これよりも漱石の諸作や森鴎外の『青年』のほうが、僕には断然文学作品としての格が上に思える。

 そもそも世界中に星の数ほどの恋愛小説やドラマやマンガが溢れかえっているいまの時代に、ロシア文学を学ぶという以外の理由で、わざわざこれを読む意味がどれだけあるのか、僕にはよくわからない。

 まぁ『初恋』というタイトルから連想する初々しさや甘酸っぱさとは程遠いその内容には意外性があった。それだけは間違いなし。

 でもそんな意外性はいらない――という、初恋の少女マンガ的な初々しさを味わいたい人には不向きな一冊。

(Aug. 23, 2025)

車輪の下で

ヘッセ/松永美穂・訳/光文社古典新訳文庫/Kindle

車輪の下で (光文社古典新訳文庫)

 ドイツ人のノーベル賞作家、ヘルマン・ヘッセの代表作。旧訳では『車輪の下』というタイトルが主流だけれど、この作品は訳者のこだわりで、『車輪の下で』と「で」がついている。

 ヘッセを読むのは学生時代の『デミアン』以来。なぜ代表作といわれるこの作品ではなく『デミアン』を読んだかというと、大学の同級生からおもしろいよと薦められたからだったと思うのだけれど、残念ながらそれほど感銘は受けず。内容についてはすでに忘却の彼方だ。

 この作品に関しては、代表作として長いこと読み継がれているのもなるほどな出来栄え。将来を嘱望されていた優等生が、途中で道をはずれて退学になり、つかのまの恋にも破れて、労働者階級の一員として生きてゆくことになる。

 終始受け身な主人公は、そんな転落つづきの人生に苦しむことなく、淡々と自らの運命を受け入れている――ように僕の目には映った。

 親友との関係に同性愛的なほのめかしがあったり、初恋相手が奔放だったりするのも意外と現代的だし、これといった目的意識も持たず、まわりに流されるままに生きる、主体性のない淡泊な主人公の人物造形には、草食系といわれる現代日本の若者に通じるものがある気がする。

 個人的にはそんな主人公に共感できなくて、いまいち没入感が足りなかったけれど、描写力に秀でたその文体には、さすが世界の文学者だと思わせる風格があった。

 ちなみにこれは「Kindleで半額になっていた海外文学の古典を読んでみよう」シリーズのその二。その一は三年前に読んだ『地下室の手記』。長らく放置していたらずいぶんと間があいてしまったので、ここいらでやっつけておくことにした。

(Aug. 16, 2025)