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最近の五冊

  1. 『巨神計画』 シルヴァン・ヌーヴェル
  2. 『ジェイムズ』 パーシヴァル・エヴェレット
  3. 『暗闇に戯れて 白さと文学的想像力』 トニ・モリスン
  4. 『ミスコン女王が殺された』 ジャナ・デリオン
  5. 『『ハックルベリー・フィンの冒けん』をめぐる冒けん』 柴田元幸
    and more...

巨神計画

シルヴァン・ヌーヴェル/佐田千織・訳/創元SF文庫(全二巻)/Kindle

巨神計画 上 〈巨神計画〉シリーズ (創元SF文庫) 巨神計画 下 〈巨神計画〉シリーズ (創元SF文庫)

 若いころ『機動戦士ガンダム』や『超時空要塞マクロス』の薫陶を受けた世代なもので、巨大ロボがテーマといわれて興味を持ったところへ、Kindleのディスカウントで安く買えたこともあって読むことにしたSF小説。

 この小説はプロローグのビジュアル・イメージが素晴らしい。

 十歳の女の子が誕生日のプレゼントに自転車をもらい、喜び勇んで走り出した先で、謎の穴に落ちてしまう。彼女を救出しにきた大人たちが見つけたのは、巨大なロボットの掌の上に横たわる少女の姿だった。映像化したら映えること間違いなしな最高のオープニング!

 ロボットといっても、そのときに見つかったのは片手だけ。地球外生命体が何千年も前に地中に埋めたものと推測された。

 少女は長じて科学者となり、世界中に散らばったパーツを集めてロボットを復元するプロジェクトの責任者に任命される。彼女がパーツのありかを見つけるのに有効な調査方法を発見したことにより、ロボットの復元は順調に進んでゆくのだけれど、その過程には思わぬ障害が……。

 未知の地球外生命体によって過去にもたらされた巨大ロボットの復元というテーマにはとてもわくわくさせられるものがあるのだけど、途中から現代社会的な様々な問題が持ち上がり、だんだん話がきな臭くなってゆく。巨大ロボットアニメの小説版的なものを期待していたら、途中から愛憎劇まじりのポリティカル・フィクションになってしまったというか……。まぁ、それでも十分おもしろいんだけれども。ちょっとばかり期待していたのとは違った。

 小説としては、前述のプロローグだけを例外に、本編はすべて政府の機密文書を閲覧しているという想定で、ほぼ大半がインタビュー形式で語られてゆくのも重要なポイント。そのスタイルが物語にドキュメンタリー的なリアリティを与え、かつ叙述トリックとしてミステリ的なおもしろさを醸したりする一方、小説ならではの語りの個性が味わえない点は、やや残念だった。

 ということで、おもしろかったけれど、絶賛するまでには至らなかったから、続編を読むかどうかは微妙だなぁと思っていたら、最後の最後に思わぬ伏線の回収があって、つづきが気になることに……。

 ということでこの三部作についてはいずれ続編も読みます。

(Oct. 30, 2025)

ジェイムズ

パーシヴァル・エヴェレット/木原善彦・訳/河出書房新社

ジェイムズ

 『ハックルベリー・フィンの冒険』でハックとともに旅に出る黒人奴隷ジムを主人公にした、いまどきの言葉でいうなら二次創作の作品にして、ピューリツァー賞ほか数々の文学賞を受賞したという話題作。

 先日読んだ柴田訳が顕著だったように、『ハックルベリー・フィンの冒険』はその語りのスタイルが最重要ポイントな作品だった。

 対してそこから派生したこの作品の文体はきわめて端正。無学な黒人奴隷による語りがなぜこんな?――という疑問への答えこそがこの小説の肝だった。

 その着想には、同世代の黒人作家の作品であり、実在しなかった鉄道の存在をあったことにして物語の世界観を築いてみせた『地下鉄道』ときわめて近いものがある。アメリカで黒人の過去を描くには、ある種のファンタジー要素が必要なのかもしれない。

 物語は途中までは『ハックルベリー』のそれをなぞる形で進んでゆく。

 話が枝道に逸れて独自の展開を見せるのは、ハックたちが殿下と公爵と出逢って以降。オリジナルでは善良なハックたちが、そのろくでもない詐欺師二人に振り回される展開にはけっこううんざりさせられたので、またあれを読むのかぁ……とげんなりしていたら、こちらではそのパートが比較的短めで終わったので、正直嬉しかった。

 ただ、この小説を手放しで称賛できるかというと、そうでもない。終盤で明かされるハックの出自にオリジナルにはない重大なアレンジを加えた点は個人的にはどうかと思った。放っておいたってハックの未来がヘビーモードだろうことは予想に難くないのに、さらなる重荷を背負わせてどうする?

 また、物語が本筋を逸れて以降はバイオレンス色が強くなり、クライム・ノベルっぽくなる。その点はトニ・モリスンの『ソロモンの歌』にも通じるものがあって、僕にはその展開が疑問だった。やっぱ殺人が絡むとどうしたって話が俗っぽくなる。

 ということで、おもしろい小説ではあったけれど、後半のオリジナル部分が原作の世界観とかけ離れていることが、いささか作品の価値を落としているような気がした。事態の解決を暴力に頼っているようでは、世の中は変えられない。黒人にそんなことをいうのは酷かもしれないけれども。

 作者のパーシヴァル・エヴェレットは、どこかで聞いたような名前だと思ったら、映画『アメリカン・フィクション』の原作者だとのこと。

 おぉ、そうなんだ。どちらかというと、そっちの方が興味がある。この作品にヒットにあやかって、どこかで翻訳してくれませんかね。ぜひ読みたい。

(Oct. 22, 2025)

暗闇に戯れて 白さと文学的想像力

トニ・モリスン/都甲幸治・訳/岩波文庫

暗闇に戯れて 白さと文学的想像力 (岩波文庫)

 トニ・モリスンがアメリカ文学における黒人の存在意義を考察した論文集。

 『ハックルベリー・フィンの冒険』についても取り上げられているようなので、ちょうどいいから、このタイミングで読んでおくことにした。

 わずか百七十ページ強の薄い文庫本なので、二、三日で読み終わるかと思ったら、そうはいかない。この人の小説同様、文章が難解で、さらっと読み流そうとすると、まったく内容が頭に入ってこない。序盤で挫折して、数日間読まずに放置してあったこともあり、結局二週間近くかかってしまった。

 内容はアメリカ文学=白人男性作家の作品限定という状況にあった当時の文学評論のあり方に対して異議を唱えたもの。

 書き手は白人男性ばかりだけれど、でも彼らの作品の根底には黒人奴隷と人種差別主義がはびこるアメリカ社会の状況が計り知れないほどの影響を与えているぞと。黒人の存在抜きにしてアメリカ文学を語るなかれ!――ってくらいの勢いで、「アフリカニズム」という造語とともに、アメリカ文学における黒人の重要性が主張されている。

 序文+全三章の構成で、それぞれの章では黒人問題を論じてから、具体例として作品が分析されるという形で、第一章がウィラ・キャザーの『サファイラと奴隷娘』、第二章で『ハックルベリー・フィンの冒険』やポーやフォークナーらが語られ、第三章がヘミングウェイの『持つと持たぬと』と『エデンの園』が取り上げられている。

 白人男性がうんぬんと語ったあとで最初に取り上げた作品が女性作家の作品だったり、白人男性至上主義の代表選手のようなイメージのヘミングウェイについて詳細に分析してみせているのに意外性があった。

 まぁ、全体としてはわたくしには難し過ぎました。半分も理解が及ばない。

(Oct. 13, 2025)

ミスコン女王が殺された

ジャナ・デリオン/島村浩子・訳/創元推理文庫/Kindle

ミスコン女王が殺された 〈ワニの町へ来たスパイ〉シリーズ (創元推理文庫)

 そのうち読もうと思っているうちに、前作から三年も過ぎてしまっていた『ワニの町に来たスパイ』シリーズの第二弾。

 なにが驚いたかって、僕自身は三年ぶりですっかり内容を忘れているのに、物語は第一作が終わった直後から始まること。まだルイジアナにきて一週間しかたってないのか!

 まぁ、主人公のフォーチューンは、身を隠すため、つかのまこの町にやってきたという設定なのだし、彼女が身分を偽装している女性も、いまはたまたま旅行中で不在みたいな話なので、そう遠くない未来にその辺の設定が見直されることにはなるんだろうけれど、それにしたって、まだ一週間とは思わなかった。

 だって前回からわずか二、三日で、次の殺人事件が起こるなんて、そんな話あり?

 あまりに強引なご都合主義にびっくりだよ。

 とにかく、今回はシリーズ化にあたって無理やり事件を起こしました、みたいな感が強くて、ミステリとしてはいまいちだった。

 まぁ、キャラクター劇として読むならば、お騒がせお婆ちゃん二人組はあいかわらず元気だし、フォーチューンにアリーという同世代の友人ができたり、カーター保安官助手との仲も進展中だったりして、それなりには楽しめた。でもつづきを読まずにはいられないほどおもしろかったかというと、残念ながらそこまでではないかぁなと……。

 それにしても、第一作が『Louisiana Longshot』、この第二作が『Lethal Bayou Beauty』と、「ルイジアナ」や「バイユー」という言葉を盛り込んでアメリカ南部を舞台にしたシリーズの特徴を示す、なかなか気の効いた原題がついているのに、それをここまでダサい邦題に変えてしまうのって、ある意味すごい。

 第一作はともかく、この第二作のタイトルはさすがにどうかと思った。シリーズの続編でなかったら、絶対に手に取ろうとも思わない。

 ということで、第三作以降を読むかどうかは、現時点では未定。

(Oct. 11, 2025)

『ハックルベリー・フィンの冒けん』をめぐる冒けん

柴田元幸・編著/研究者

『ハックルベリー・フィンの冒けん』をめぐる冒けん

 柴田元幸先生による新訳版『ハックルベリー・フィンの冒けん』の副読本。あまりに僕を辟易とさせたあの翻訳がいかに生まれたかに興味があったので、せっかくだからこれも読んでおくことにした。

 第一章は小説の冒頭部分を原文と翻訳と対比させて説明したもの。第二章は『ハックルベリー・フィンの冒険』に関する書評等の引用。第三章はこの小説から派生して生まれたアメリカ文学作品の断片的な紹介。でもって第四章が『ハックルベリー』本編から割愛された二章の翻訳という内容。

 英文の引用があるので、横書き左開きのA5版ソフトカバーの本だけれど、第四章だけは普通の小説のように縦書きの右開きで、本書のうしろからさかのぼって読む変則的な構成になっている。

 そのうちの一篇『筏のエピソード』は『ハックルベリー・フィンの冒けん』の巻末あとがきで、柴田さんが「研究者のウェブサイトで公開する」と言っていた通り、ネットでも読めるけれど、本好きにとってはこうして紙で読めるのは嬉しい。

 とりあえず、『ハックルベリー・フィンの冒険』を大学の授業で学んだり、卒論のテーマに取り上げようって学生にとっては、願ってもない副読本だと思う。

 まぁ、僕にとっては、自分がいかに英語ができないかを痛感させられた、手痛い一冊だったりした。

 この本ではなく『ハックルベリー・フィンの冒けん』で知ったのだけれど、マーク・トウェインは僕の亡父と誕生日が同じだった。しかも生まれたのは九十九年前。あと一年ずれていれば百年できりがよかったのに……。ってまぁ、うちのお父さんはマーク・トウェインとか一度も読んだことがなさそうだったけれど。

 ちなみに僕が生まれたのは夏目漱石の命日の翌日で、それも漱石が他界したちょうど五十年後だったりするので、日米の文豪とのそこはかとない接点がそれぞれ微妙に的を外しているところが親子だなぁと思った。

 ほんとどうでもいい話でごめん。

(Oct. 4, 2025)