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最近の五冊

  1. 『マン島の黄金』 アガサ・クリスティー
  2. 『村上春樹と私』 ジェイ・ルービン
  3. 『病葉草紙』 京極夏彦
  4. 『三体Ⅲ 死神永生』 劉慈欣
  5. 『クリスティー自伝』 アガサ・クリスティー
    and more...

マン島の黄金

アガサ・クリスティー/中村妙子・他訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

マン島の黄金 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 クリスティーの没後二十三年たって1997年に刊行された短編集。
 埋もれていた未発表作品をコンパイルしたのかと思っていたけれど、どうもそうではないらしい。どれも雑誌などに掲載された作品っぽいので、単行本未収録のままになっていた短編を集めた一冊ということなんだろう。
 おまけにすべてが未収録という話ではないらしく、『クリスマスの冒険』は『クリスマス・プディングの冒険』のバージョン違いだし、『バグダッド大櫃の謎』はなぜか『黄色いアイリス』からの再録。あと『崖っぷち』は以前に読んだ『厭な小説』というアンソロジーに収録されていたので、タイトルには覚えがあった(内容は覚えてなかったけど)。
 表題作の『マン島の黄金』は観光地の集客のために書かれた懸賞小説とのことで、そうと知らずに読むと、なにこれと思ってしまうような作品。クリスティーがこんなものも書いていたという意味では一興の作品だった。とはいえ、トミーとタペンスに通じる陽気なカップルの探偵話なので、一部のクリスティーファンには愛されそうな作品。
 『クィン氏のティー・セット』はハーリ・クインが登場する最後の作品とのことなので、おそらくこの本でもっとも貴重な作品。『謎のクィン氏』が好きな人はこの本は必読。
 まぁ、ミステリの女王が短編集を編纂する際にこぼれおちた作品郡だけあって、そのほかの収録作品の過半数はミステリとは呼べないタイプの作品だった。メアリ・ウェストマコット名義で発表した長編群につらなるべき短編集という印象。
 でも、個人的にはそこのところがなかなかいいなと思った。
 ミステリの女王のアナザー・サイドというか。クリスティーのシニカルな人生観がにじむ、ひねりの効いた暗めの恋愛小説が多くて、純然たるミステリの短編集とはまた違った味わいがあって新鮮だった。
 まぁ、クリスティーのファンが最後に読むべき短編集はおそらくこれじゃないほうがいいんだろうなとは思うけれど。
 そういえば、Kindle版のクリスティー文庫は解説がはしょられているのに、これはその出自ゆえ(日本独自編集で追加された最後の三編を覗いた)一編ごとにあとがきがついているのが嬉しかった。
(Oct. 27, 2024)

村上春樹と私

ジェイ・ルービン/東洋経済新聞社

村上春樹と私

 村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』などの英語訳を手掛けているジェイ・ルービン氏(現在八十二歳)のエッセイ集。2016年に発売になったときから気になっていたのに、放っておいたら八年も過ぎていた。
 ルービン氏はもともと大学で日本文学を教えていた人で、漱石などの近代文学のほうが専門らしく、さらには能などの造詣も深いようで、この本はそんな方が村上春樹の翻訳を手掛けることになったいきさつや春樹氏との思い出話を中心に、日本文学や伝統文化に対するあれこれを語ったエッセイ集だった。翻訳家としての目線で村上作品の魅力を語る評論集のような本を期待していたので、やや期待外れ。
 ルービン氏の奥様は日本人らしく、ご子息にも「源」とか「ハナ」とか日本の名前をつけているようなのだけれど、音楽プロデューサーとして活躍しているという息子さんに対する言及は何度かあるのに、奥さんの紹介がほとんどなくて、読んでいるとその辺のバランスにいくぶんもやもやした。家族のことに触れるならばきちんと紹介してほしいし、そうでないならばいっさい触れないほうがすっきりする。
 そんなふうに中途半端に家族の話題があったり、三分の一以上は春樹氏と関係のない日本文学の話だったりするので、タイトルの「村上春樹」だけにつられて読むと、僕のように肩透かしを食う可能性が高い一冊。最初からアメリカの日本文学者による、日本の話題が中心のエッセイ集と割り切って読めれればよかったのだけれど。いささかタイトルに惑わされた感あり。
 どうでもいいところで個人的におもしろかったのが、ルービン氏が能の研究のために一年ほど京都の国際日本文化研究センターというところに滞在したという話。
 そのときにそのセンターの所長をつとめていたのが、なんと小松和彦氏だという。
 小松先生といえば、京極夏彦とも交流のある妖怪研究の第一人者。
 村上春樹の翻訳者であるジェイ・ルービンが、京極夏彦と親交のある小松氏と知りあいだってことは、春樹氏―ルービン氏―小松氏―京極氏という、わずかこれだけのルートで村上春樹と京極夏彦がつながってしまうなんて!
 あまりにもキャラが違いすぎて、このふたりの間に接点があるなんて思ってもみなかったので、こんなわずかな――それこそないも同然な――関連性でさえ貴重に思えて、なんとなく楽しい気分になった。
(Oct. 19, 2024)


病葉草紙

京極夏彦/文藝春秋

病葉草紙

 京極夏彦、今年三冊目の新作は『前巷説百物語』に登場した本草学者・久瀬棠庵{くぜとうあん}の若き日を描く連作短編集。タイトルは『わくらばそうし』と読むそうだ(当然読めない)。
 各話の冒頭に江戸時代の文献から引用した絵画と古文の説明を配した構成は巷説百物語シリーズと同じだし、その登場人物が話の中心なので、巷説百物語シリーズのスピンオフ的な作品なのだけれども。
 これはおそらく引用したそれらの絵画を読者に紹介したくて書かれた作品なんじゃなかろうかと思った。
 なんたって茨木二介という人が記した『針聞書』という書籍から引用された妖怪――ではなくここでは虫――のイラストが、それはそれは珍妙なのだった。そのまま現代のゆるキャラとして流通しそう。
 これらの虫の姿かたちは病気の症状を視覚的に説明するために生み出されたものではないか――というような推測が最後のほうにあるけれど、いやそれにしたって……。
 ゆるキャラ文化の源泉は江戸時代から脈々と受け継がれてきていたらしい。
 ほんと日本って江戸の昔からずっとこんなだったんだなって感心してしまった。
 内容は京極作品にしては地味目な印象だけれど、ずっとニートの駄目男っぽかった長屋の大家の息子――にして本作のワトソン役の――藤介が、最後になって意外な才覚みせる展開が意表をついていて小気味よかった。
(Oct. 10, 2024)

三体Ⅲ 死神永生

劉慈欣/大森望・光吉さくら・ワンチャイ・泊功・訳/早川書房/全二巻

三体III 死神永生 上 三体III 死神永生 下

 『三体』三部作の完結編。
 このシリーズはどれも始まり方が振るっている。
 第一作が文化大革命から始まるのにも意表を突かれたけれど、二作目も蟻の描写から始まって、なんだこりゃと思った。
 そしてこの第三作の冒頭を飾るのはコンスタンティノープルの陥落にまつわるエピソードだ。なにそれ?
 だって、前作で二百年とか未来まで話が進んだんだから、誰だって続編は当然そのつづきからだと思うじゃん。まさか時を過去に遡ろうとは……。
 しかもそのエピソードが本編にどうつながるのかよくわからない。
 まぁ、今作の鍵となるのが四次元への侵入みたいな展開なので、その一例だったんだろうと思うけれど、SFにうとい僕のような人間にとっては、それはなにって話だった。
 そんなところにも劉慈欣という人のSF作家ならではのセンス・オブ・ワンダーを感じる。とにかく一筋縄じゃいかない。
 この完結編の主役となるのは程心(チェン・シン)という女性で、三体世界との共存への道を歩んでいたはずの地球は、この人の優しさゆえにふたたび滅亡の危機に瀕することになる。その辺はおそらく第一作で葉文潔(イエ・ウェンジェ)の人類に対する絶望と憎悪が地球を危機に陥れたのと対になっているんだろう。
 愛も憎しみも世界は救えない。ただ滅ぼすのみ――。
 そんな救いようもなくシビアな現状認識がこのシリーズの芯になっているように思う。
 クライマックスで怒涛のカタストロフをもららす三次元の崩潰という出来事が、僕にはビジュアルとしてまったくイメージできなかったこともあり、今回もいまひとつ乗り切れない感がありはしたけれど、まぁ、これが稀有なSFシリーズだというのはよくわかった。
 とりあえず、三次元の崩壊というのが映像としてどんな風に表現されるのか興味があるので、ドラマ版を観てみようかと思ったら、どうもネトフリ版はそこまでたどり着いていないっぽい。残念。
(Oct. 05, 2024)

クリスティー自伝

アガサ・クリスティー/乾信一郎・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

アガサ・クリスティー自伝(上) (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫) アガサ・クリスティー自伝(下) (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 この作品は文庫本・上下巻で合計一千ページ超えと、クリスティーの著作のうちでもっとも長い。しかも内容はそのタイトル通り、ミステリではなく自伝。
 執筆を始めたのは1950年、クリスティーが六十歳のときで、書き終えたのが1975年、七十五歳とのこと。つまり十五年の長きにわたって、こつこつと書き溜めてきた思い出のエピソードの積み重ねが本書ということになるわけだ。
 そんな作品をKindleで夜寝る前にちょっとずつ読んでいるとどうなるか?
 ――まったく読み終わらない……。
 毎日数ページ読んでは寝落ち、数ページ読んでは寝落ちを繰り返していたら、上巻だけで丸一ヵ月、下巻にいたっては一ヵ月半かかってようやく三分の一というていたらくになってしまった。このままでは三ヵ月を超えそうだったので、最後は休日に一気に読み切った。つまりそれでも合計二ヵ月半もかかっている。
 クリスティーのエッセイというと、以前に読んだ紀行文『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』にも苦戦したから、この自伝も時間がかかりそうだとは思っていたけれど、まさかここまでとは……。
 でもね。この本は正直きびしい。要するによく知らないお婆さんの思い出話を延々と聞かされているようなもんなので。眠くなるのも致し方ないところがある。
 なんたって、クリスティーのデビュー作である『スタイルズ荘の怪事件』が出版されるのが、上巻の終わり近くになってからだ。そこまでは幼少期の親族の記憶や、音楽学校時代の話、結婚、出産など、個人的な思い出ばなしに終始する。
 デビューしてからも作品に関する言及は控えめで、最初の旦那との世界旅行や離婚、二度目の旦那さん(考古学者)との出会いのきっかけになった中東旅行や、その後の発掘旅行など、作家としての創作活動とは関係のない話が目白押し。終盤は舞台関係の話が多くて、どちらかというと小説家というより脚本家みたいだ。
 まぁ、生まれ育ったお屋敷の思い出がそのまま『運命の裏木戸』や『スリーピング・マーダー』の背景になっていたり、離婚後にオリエント急行で出かけた中東への一人旅がその後の名作を生み出すきっかけになっただろうこととか、興味深い話がなかったわけではないけれど、全体で見るとそういう創作の原点を感じさせるエピソードはわずか。
 なので正直、この本を読んでも、通算百作に及ぶ作品を刊行して「ミステリーの女王」と呼ばれた世紀の大ミステリ作家としてのアガサ・クリスティーのイメージは浮かんでこない。
 僕は基本作品至上主義的なスタンスで、作品は愛せど、それを生み出した作家のプライベートなどにはあまり興味がないほうだし、ここまでクリスティーの全作品を読んできたとはいえ、ではクリスティーが大好きかというと、正直そこまででもない。傑作もあるけれど、やっつけ仕事じゃん?――って思ってしまうような作品もままあり、トータルでは「平均よりは好き寄り」くらいの感じ。少なくてもファンは名乗れない。
 そういう男にとっては、この本はいささか厳しかった。
 だって、親戚のおばさんの昔話とか、何十時間もぶっつづけで聞きたいですか?
 おばさんのことは好きだけれど、でも話長いよなぁ……って思ってしまうような。
 この本にはそういうのに近い感触がある。
 クリスティーを愛してやまない読者にとっては宝の山のような本なのかもしれないけれど、そうでない人にとってはどこまで辛抱づよいかを試されるような作品。
(Sep. 21, 2024)