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最近の五冊

  1. 『運命の裏木戸』 アガサ・クリスティー
  2. 『フィッツジェラルド10』 スコット・フィッツジェラルド
  3. 『デューン 砂漠の救世主』 フランク・ハーバート
  4. 『薬屋のひとりごと6』 日向夏
  5. 『舟を編む』 三浦しをん
    and more...

運命の裏木戸

アガサ・クリスティー/中村能三・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

運命の裏木戸 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 去年のうちに『スリーピング・マーダー』まで読み終えて、クリスティー完読計画を終わらせるつもりだったのに失敗。
 まぁ、無理をすれば年内に詰め込めないこともなかったんだけれど、ここまできて最後の作品を駆け足で読むのももったいなかったので、あえて今年に持ち越した。
 ということで、残ったクリスティーの長編小説は、これを含めてあと三編。そのほか自伝や落穂拾い的な短編集や企画本などを含めても残りは一桁台。さすがに今年で終わるだろう。
 いやぁ、長かった。まさか干支が二周目に入るほどかかるとは思わなかった。
 さて、このあとの『カーテン』と『スリーピング・マーダー』はクリスティーが自分の死後に発表するよう指示して金庫にしまっておいた作品なので、つまりクリスティーが生前最後に書いた小説は、この『運命の裏木戸』ということになる。
 ――いやしかし。残念ながらこれは出来がいまいち。
 トミーとタペンス・シリーズの第四弾であるにもかかわらず、前作『親指のうずき』との関連性はほぼゼロだし(僕がわからなかっただけ?)、主役ふたりは七十を過ぎているはずなのに、妙に若々しい。加えて『NかMか』への言及があちこちにあることもあって、もしかして『親指のうずき』より前の時代設定なのかと思ってしまったくらいだった。
 物語はトミーとタペンスが老後を過ごすために引っ越してきた屋敷で、以前の住民が残していった本棚を整理していたところ、タペンスがその中の一冊に「メアリ・ジョーダンの死は自然死ではない」というメッセージが暗号で隠されていたのを見つけて、その真相究明に乗り出すというもの。
 要するにミス・マープルの『復讐の女神』やポアロの『象は忘れない』と同様、過去に起こった事件の探求という晩年のクリスティーのメインテーマを、トミーとタペンスを主役に描いてみせた作品なのだけれど、たぶん失敗の原因はそこにある。
 基本この二人が出てくる話はスパイものだから、今回もやはり過去のスパイ事件にまつわる秘密があきらかになるのだけれど、その展開がどうにも無理筋すぎた。
 半分くらい読んでも話がたいして進まないし、クリスティーを読んでいてこんなに焦れったく思ったのは初めてかもしれない(十三年も読んでいるので忘れている可能性もある)。犬の気持ちを擬人化したジュブナイルみたいな文章もあるし、後半になって起こる殺人もまるでとってつけたようだし。場面の説明をしたあと、地の文なしで会話だけが延々とつづく章も多くて、文体的にもまるで戯曲みたいだ。クリスティーって前からこんなだったっけ? と思ってしまった。
 これをクリスティーの遺作と呼ぶのはあんまりなので、このあとに『カーテン』のような名作を残しておいてくれて本当によかったと思う。
 飛ぶ鳥跡を濁さずとは、まさにこのことでは。
(Feb. 11, 2024)

フィッツジェラルド10

スコット・フィッツジェラルド/村上春樹・訳選/中公文庫

フィッツジェラルド10-傑作選 (中公文庫 む 4-14)

 タイトルのとおり、村上春樹がみずからが訳したフィッツジェラルドの短編のうちから、えりすぐりの十編を選んでみせた文庫オリジナル企画のアンソロジー。
 ベストテンといいつつ、最後の一編は後期のエッセイ三部作『壊れる』『貼り合わせる』『取り扱い注意』をひとつとカウントしているので、正確には計十二編が収録されている。
 全編わざわざこのために手を加えたのかと思ったけれど、そうではないらしい。少なくてもあとがきにはそういう言及はなかった。出自はすべて過去のアンソロジーからということで、要するにベスト・アルバム的な本。春樹氏訳のフィッツジェラルドの短編集をすべて読んでいる読者はわざわざ読まなくてもよし――ってわけにはいかないのが、ファンというもの。
 全曲音源を持っていても、好きなアーティストのベスト盤は買わずにいられないのと同じで、これもやっぱファンとしては読まないではいられない。収録順の違いによるニュアンスの変化を楽しむべしって一冊。
 まぁ、代表作ばかりということで、質の高さは折り紙つき。最高品質のフィッツジェラルドの短編だけあって、全部読むと悲しくてやりきれない。
 こんなにがっつりと悲しい話ばかりまとめて読んだのはひさしぶりだ。
(Feb. 08, 2024)

デューン 砂漠の救世主

フランク・ハーバート/酒井昭信・訳/ハヤカワ文庫/Kindle(全二巻)

デューン 砂漠の救世主〔新訳版〕 上 (ハヤカワ文庫SF) デューン 砂漠の救世主〔新訳版〕 下 (ハヤカワ文庫SF)

 『デューン』シリーズの第二作『砂漠の救世主』が待望の新訳版で登場!
 作者の息子さんによる序文には、発表当初は評判がかんばしくなかったようなことが書いてあるけれど、なんのなんの。これも十分にすごい。
 まぁ、黙示録的だった前作と比べるとスケールこそ小さいけれど、ポール個人の苦悩に焦点を絞ったことで、この作品はまた違った種類の文学的深みをもつに至っている。
 いまや並ぶもののない唯一無二の支配者として宇宙に君臨するムアッディプことポール・アトレイデスとその妹アリアのもとへ、かつてのポールの師であり友であった故ダンカン・アイダホがクローンとしてよみがえり、ポールの失脚をねがう敵対勢力からの刺客として送り込まれるところから物語は始まる。
 ポールは敵の罠と知りつつダンカンを受け入れ、彼とともに破滅へと向かう自らの運命に立ち向かってゆく。あともうひとり、自由に姿を変えられる別の刺客も送り込まれ、この二人がいかにポールの運命に影響を及ぼすのかが今回の読みどころだ。
 もうひとつ重要な鍵となるのがポールの持つ未来予知の力。
 未来が見えるがゆえの苦悩――。
 自身と愛する人のゆくすえに悲劇的な運命が待っていることが見通せてしまう彼は、避けられざるその悲劇を最悪から次善へと回避すべく、苦渋の決断をくだす。
 前作同様、歴史書などからの引用という形でバッド・エンドが予告されているから、幸せな終わり方をしないことは最初から予想の範囲内。あとはどういう形でその悲劇をぼくら読者に提示してみせるのか――。
 というところで、この作品はポールにも見通せなかった未来があったこと――それが新たな世界のゆくえを左右するような奇跡の誕生であったこと――により、決して悲惨なばかりではない結末を迎える。もの悲しくも清々しい読後感だった。
 次回作も新訳が出ることが決まっているようなので、つづきを楽しみに待ちたい。
(Jan. 31, 2024)

薬屋のひとりごと6

日向夏/ヒーロー文庫/主婦の友社/Kindle

薬屋のひとりごと 6 (ヒーロー文庫)

 前回の結末を受けて、壬氏(ジンシ)とんだ勘違いをして馬閃にBLをかまそうとするコミカルな序話で幕をあける『薬屋のひとりごと』の第六集。
 前半はそのまま前巻からのつづきで、西都への旅の後半戦(主に帰路)。でもって後半は都に戻ったあとに里樹(リーシュ)妃が巻き込まれる、新たな事件と恋の顛末を描いて幕となる。
 旅のあいだ猫猫(マオマオ)が行動をともにするのが、主に義理の兄の羅半とか、羅漢の部下の陸孫とかなので、女性ばかりの後宮を舞台にしていたころと比べると、いささか華やかさに欠ける感があるような、ないような。
 でもまぁ、その分は旅の道中を描くロードムービー的なおもしろさが加味されているから、それはそれで楽しい。あと、前回の告白(なのか、あれが?)を受けて、壬氏が猫猫にちょっかいを出すシーンとかもあるので、ふたりの関係が気になる人には、なおさら楽しいかもしれない。まぁ、個人的にはさっさとはっきりした関係になっちゃって欲しいところだけど。
 なにはともあれ、西都への旅の話が前後半に分かれているし、前巻で初登場した妖しいアルビノの占い師・白娘々(パイニャンニャン)絡みのエピソードに今回でいったん区切りがつくので、五巻と六巻は実質上下巻だと思って、つづけて読むべし。
(Jan. 27, 2024)

舟を編む

三浦しをん/光文社文庫

舟を編む (光文社文庫)

 毎年新年の一冊目は気合を入れて難しいやつに手を出し、結果読み終わるのにやたらと時間がかかってしまうというパターンがつづいているので、今年は正月休みのあいだでさくっと読み終わるような簡単な本から始めることにした。
 ということで、今年の初読みはこの作品。池田エライザとRADWIMPSの野田洋次郎主演でドラマ化されるというのでこの機会に読んでみようかと思ったら、うちの子が文庫本を持っていたので、借りて読んだ。
 ――がしかし。この作品は個人的にはいまいちだった。
 『舟を編む』というタイトルはとても素敵だし、辞書編集という地味なテーマに着目した発想は好きだけれど、でも前半の展開がとにかく不自然すぎる。
 退職するため自分の後任を見つける必要に迫られた荒木が、部下の西岡から「営業に辞書編集向きの社員がいる」と聞いて、いきなりその人のことを探しに部屋を飛び出してゆく展開がいきなり変。ふつうは「どこがどう向いているのか」とか「名前は?」とかいうのを先に問いただすでしょう?
 でもって主人公の馬締{まじめ}は、そんな風にいきなり現れた初対面の荒木から「きみの力を『大渡海』に注いでほしい!」と頼まれて、「わかりました」といって、いきなり「あ~あぁ~」とクリスタル・キングの『大都会』を歌い出す。
 いくら空気が読めないからって、いきなり社内で歌うたうやつはいなかろう。展開が不自然なうえにオヤジギャグって。
 馬締がヒロインの香具矢{かぐや}と出逢う場面だって、もう大家のお婆さんが寝てしまった時間に、物干し場での初対面ってシチュエーションが不自然きわまりない。同居人が増えるのに、なんで昼間のあいだに紹介されていないのさ。
 馬締が香具矢へのラブレターの添削を西岡に頼むに至っては不自然さの極みだ。職場でラブレターを書いているだけでも変なのに、それを知りあって間もない同僚に読んでもらう人なんている?
 この小説の序盤はそういう「なにそれ?」な展開の連続で、僕はまるで物語の世界に入れなかった。
 後半になって一気に十年以上が過ぎ、馬締が辞書編集の責任者になってからの話にはそういう不自然さを感じることもなくなり、ある程度楽しく読むことができた。とはいえ、序盤の印象が悪すぎ。なんかもったいない作品だなぁって思ってしまった。
 でも、その後たまたまYouTubeで無料公開されていたアニメ版の第一話を観てみて驚いた。小説で僕が疑問に思った部分がアニメではすべて解決されていたから。最初に西岡が馬締のことを知るシーンがあるし、荒木が馬締を訪ねてゆく流れも自然だ。そして馬締は『大都会』を歌わない。
 あぁ、このアニメを作った人は俺と同じ感想をもったんだろうなぁって思った。
 あとで確認したところ、アニメのキャラクターデザインのもととなった雲田はるこ(『昭和元禄落語心中』の作者)によるコミカライズ版の冒頭部分は小説とまったく同じだったから、この改変はアニメ版のオリジナルなんだろう(もしくは先行する実写版もそうなのかも)。作品の質を高める丁寧な仕事がとても好印象だったので、アニメのつづきが観てみたくなった。
 原作よりもアニメのほうがいいかもって思ったの、初めてな気がする。
(Jan. 17, 2024)