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最近の五冊

  1. 『ザリガニの鳴くところ』 ディーリア・オーエンズ
  2. 『デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界』 村上春樹
  3. 『リンカーンとさまよえる霊魂たち』 ジョージ・ソーンダーズ
  4. 『薬屋のひとりごと7』 日向夏
  5. 『忍法双頭の鷲』 山田風太郎
    and more...

ザリガニの鳴くところ

ディーリア・オーエンズ/友廣純・訳/ハヤカワ文庫

ザリガニの鳴くところ (ハヤカワ文庫NV)

 うちの奥さんがこれの映画が観たいというので、その前に原作を読んだ。
 物語の主軸となるのは1969年のノース・カロライナ州の田舎町。湿地帯に囲まれたその土地でひとりの男性が死体が発見される。
 地元では有名人だったその人の死亡が殺人事件として捜査されるなか、事件に深くかかわっているのではという疑いをかけられた女性カイアの生涯が、彼女の幼少期にさかのぼって紐解かれてゆく。
 不幸な家庭に生まれて、幼少期からひとりで生きてゆくことを強いられた彼女は、いかなる人生を歩んできたのか。そして事件とのかかわりは――。
 いま現在と昔、二つの時間軸で物語がスパイラルに語られてゆくという構成の小説は、このところやたらとあるけれど、この小説の場合は、そのふたつの関係が半分以上読むまではっきりしないのが肝だ。
 主人公のカイアことキャサリン・クラークが被害者とのあいだになんらかの関係があったことはほのめかされるものの、その真相はなかなかあきらかにされない。少なくても幼少期のふたりには、成長して関係が芽生える要素がほとんどない。
 ようやく物語がふたりの関係を描くようになっても、それが殺人事件とどう絡んでくるのかはわからない。
 そういう謎の積み重ねで、読者のページをめくる手を止まらなくさせる――そのうえでなお人にとっての罪の是非やなにかについて考えることを余儀なくされる――これはそういう意味で、とてもよくできた小説だった。
 万人が望むような結末ではないと思うけれど、でもそれはもう致し方なし。感動的な物語であるにもかかわらず、どことなく肌を寒からしめるような感触が読後に残ったところが、僕にとってのこの小説の醍醐味だった。
 それにしても、女性生物学者が{よわい}六十九にして書き上げた処女作だというのにはびっくりだ。
(Apr. 14, 2024)

デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界

村上春樹/文藝春秋

デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界

 最近やたらとご自身のレコード・ライブラリーの紹介に熱心な村上春樹氏によるジャズ・レコードのお披露目本。
 内容的にはアルバム五枚程度をセットにして語るという『古くて素敵なクラシック・レコード』と同じフォーマットだけれど、今回はあれみたいな四角形・プラケース入りという特殊な装丁ではなく、普通の大きめのハードカバー(菊版?)になっている。出版社は一緒なんだし、どうせならばどっちかに統一して欲しかった。
 タイトルになっているデヴィッド・ストーン・マーティンは主にクレフというジャズ・レーベルのレコード・ジャケットのデザインを手掛けていたイラストレーターだそうで、ジャズに詳しくない僕が知ってたのはチャーリー・パーカーの『ウィズ・ストリングス』というアルバム(赤と黄色のやつ)くらいだった。
 この本を見て「お、このジャケットはカッコいいから聴いてみよう」と思ったものがあったかというと――。
 正直ない。まったくない。
 僕が好きなレコードのアートワークは、モノクロ写真にカラフルなレタリングをあしらったブルーノート系のものが主で、イラストのジャケットに惹かれたことがあまりない、というのもある。クラシックの本のときにも思ったことだけれど、春樹氏が取り上げるそれらのアートワークのよさが、僕にはまったくといっていいほど伝わらない。
 残念ながらこういう趣味の違いはいかんともしがたなものがあるなぁと思った。
(Apr. 11, 2024)

リンカーンとさまよえる霊魂たち

ジョージ・ソーンダーズ/上岡伸雄・訳/河出書房新社

リンカーンとさまよえる霊魂たち

 この小説は、この世に未練を残して死んだ人々の霊が、自らが死んだという事実に気がつかない――またはその事実を受け入れられない――まま、この世に留まっているという設定で繰り広げられる群像劇。
 つまりタイトルにある「さまよえる霊魂たち」は比喩でもなんでもなく、作品内容の要約なわけだ。そうとは知らず読み始めたので、その内容に意表を突かれた。
 主題となるのはタイトルにもあるリンカーン大統領の息子ウィリアムの死。
 幼くして亡くなったウィリー少年が、わけあって主に大人ばかりで構成されている霊魂たちの世界に加わったことで巻き起こる事件をコミカルに描いてゆく。
 たまたまこの本を読んでいる最中に観たネトフリの邦画『パレード』も同じようにこの世に留まる霊たちの世界を描いた作品だったけれど、あちらが基本的にまじめな作風だったのに比べて、こちらは悪ふざけがすごい。
 主要人物のひとり、ハンス・ヴォルマン氏は、中年を過ぎて迎えた十代の花嫁との初夜の直前に事故死したせいで、素っ裸で勃起した姿のままこの世を徘徊している。
 もうひとりの主要人物、ロジャー・ベヴィンズ三世には目や鼻や手がたくさんある。なぜだかは知らない。どこかに書いてあるんだろうけれど、見落とした。同性愛者である事実を隠していたことに関係があるんだろう。いずれにせよ、そういう人間らしからぬ外見をしている幽霊(妖怪?)もいる。
 幼い息子を失った歴史的偉人の悲しみを、こういう珍奇な人々の目を通じて描いてゆくという、これはそういう人をくった作風の小説なのだった。
 もうひとつ、この作品を特徴づけているのはその文体。
 すべての文章がリンカーンについて語った当時の歴史書やエッセイからの引用という形を取っていて、段落の区切りには作者名と文献名が添えられている。
 たとえば、こんな感じ。

 ウィリー・リンカーンは、私が知っているなかで最も愛すべき少年だった。賢くて分別があり、気立ては優しく、物腰は穏やかだった。
               ジュリア・タフト・ペイン
               『タッド・リンカーンの父』
(p.66)

 こういう断片的な引用を重ねて全編が成り立っている。要するにこれはある種の書簡体小説なのだった。
 幽霊たちの発言も同じフォーマットで、一言だけのセリフのあとにも、必ず発言者の名前が書いてある。幽霊どうしの会話の部分では、セリフ、名前、セリフ、名前、セリフ、名前……というパターンが延々とつづいたりする。
 なので全体的に余白がとても多い。四百ページ強の小説だけれど、実質的には全体の四分の一くらいは余白な気がする。
 おかげで筆圧高い印象の英米文学作品にしては比較的読みやすかったけれど、一方で引用の積み重ねというノンフィクション風のスタイルが物語としての吸引力を欠くため、読み切るにはそれなりに時間がかかってしまった。
 引用している文書のどれだけが実際に存在して、どれだけが架空のものなのかわからないけれど、大半が実在する本からの引用だとしたら、それらを組み立てて一つの物語として成立させたのは大した労力だし、仮に大半がでっちあげたとしても、それはそれで大した力量だ。
 いずれにしても、一筋縄ではいかない特異なスタイルと内容を持った、なんともユニークな小説だった。
(Mar. 24, 2024)

薬屋のひとりごと7

日向夏/ヒーロー文庫/主婦の友社/Kindle

薬屋のひとりごと 7 (ヒーロー文庫)

 『薬屋のひとりごと』の第七巻。
 現時点での最新刊が十四巻だから、これでちょうど半分を読んだことになる。
 今作の目玉は、なんといっても猫猫(マオマオ)に女性の同僚が二人できること。
 わけあって壬氏(ジンシ)らに宮廷の医局で働くよう命じられた猫猫は、以前に落第した女官試験を再度受けて今回は無事合格、一足先に宮廷に復帰していたオヤジこと羅門(ルォメン)らの助手として医局で働くようになる。
 同じ試験に受かって、そこで猫猫の同僚となるのが、表紙のイラストにも描かれている姚(ヤオ)と燕燕(エンエン)のふたり。
 いいとこのお嬢さまである姚と、彼女を溺愛している付き人の燕燕。
 最初のうち猫猫を拒絶していたこのふたりが徐々に猫猫と打ち解けてゆく過程が今作最大の読みどころだ。
 年下の姚をかわいいと思う猫猫が新鮮だし、姚に偏執的な執着をみせる燕燕のストーカー気質も笑える。彼女たちの関係がこの先どうなってゆくのか知りたくて、もっとつづきが読みたくなった。
 もうひとつ、今回はクライマックスに過去最大の驚きがあった。
 今回のメインエピソードは体調不良を訴える外国の巫女(またもやアルビノ)が治療のために猫猫たちの国を訪れるというもので、その女性には男性が触れてはならないということで、猫猫が医局の助手に推薦されるわけだけれど、最後に明らかにされるその女性の秘密が予想外過ぎた。
 このシリーズはミステリと称される割に、これまで謎解きにはそれほど度肝を抜かれたことがなかったけれど、今回は素直にびっくりした。
 あ、あと今回はもうひとつ重大な出来事があった。
 とうとう壬氏サマが正式に猫猫に※※※※※!
 でもそのわりに今後もふたりの関係にはあまり進展がなさそうな……。
(Mar. 14, 2024)

忍法双頭の鷲

山田風太郎/KADOKAWA/Kindle

忍法双頭の鷲 (角川文庫)

 忍法帖シリーズの後期の一編。
 徳川第五将軍・綱吉のもとで大老をつとめた堀田正俊により、根来という忍者集団が伊賀にかわって幕府の隠密としての地位を与えられることになったという設定のもと、諸藩の内情を探るために派遣された若き根来忍者ふたりが旅先で知る各藩の諸事情を、風太郎お得意の連作スタイルで描いてゆく。
 忍法帖シリーズとしては、ひとつ前に読んだ『忍者黒白草紙』の次の作品で、作風も似た感じ。以前のような忍法バトルというアクションではなく、忍者の隠密行動によって暴かれるさまざまな人間模様に主眼を置いている点で、ほぼ同系統の作品だと思う。
 まぁ、おかげでいまいち盛り上がりを欠くというのが正直なところ。最上級の忍法帖はバトルの連鎖が物語をドライブしていってページをめくる手を止められなくさせるけれど、この作品にはそういうドライブ感がない。
 伊賀対根来の忍法対決という忍法帖ならではの趣向もあるにはあるけれど、今作ではまるで取ってつけたよう。とりあえず、忍法帖だから戦わせておこう、みたいなやっつけ仕事感がはんぱない。
 主人公たちによって暴かれる事実も悲喜こもごもで微妙なものばかりだし、おかげで気分がすっきりせず、途中まで印象はいまいちだった。
 こういう作品がつづくとは、さすがの山田風太郎も晩年において衰えを隠せなくなったかと残念に思いながら読んでいたのだけれども、ところがどっこい。今回は最後の最後に予想外の大どんでん返しがあった。
 いや、まさか最後にそんな大胆な仕掛けがあろうとは……。
 決して出来がいいとは思わないけれど、その結末の意外性には正直痺れた。
 やはり山田風太郎はあなどれない。
(Mar. 10, 2024)