Coishikawa Scraps / Books

Menu

最近の五冊

  1. 『薬屋のひとりごと15』 日向夏
  2. 『初恋』 トゥルゲーネフ
  3. 『車輪の下で』 ヘッセ
  4. 『書店主フィクリーの物語』 ガブリエル・ゼヴィン
  5. 『アルテミス』 アンディ・ウィアー
    and more...

薬屋のひとりごと15

日向夏/ヒーロー文庫/主婦の友社/Kindle

薬屋のひとりごと 15 (ヒーロー文庫)

 『薬屋のひとりごと』も既刊は残すところあと二冊。

 今回は猫猫が医局の選抜試験を受けるところから始まる。

 受けるというか、無理やり受けさせられるというか。なぜだかもわからず受けたその試験をパスした彼女は、仲間の医官たちとともに、目的を伏せたままの投薬実験の担当を任される。

 さて、その投薬実験の目的は?――というのと、その結果として巻き起こるお国の一大事が今回のメインテーマ。

 それに絡んで、前回見つかった「華佗の書」がそれなりに重要な役割を果たすことになる。断片的に復元されてゆく「華佗の書」にうきうきする猫猫がおもろい。

 いずれにせよ、今回のエピソードは一巻まるまる医局絡みの話だけ。こんな風に一冊がワンテーマで起承転結した巻はこれまでになかった気がする。それも全編、薬とか手術とかの話ばかり。

 国を揺るがす医療事件を、それに振り回される猫猫の視点で描いてゆく。そういう意味ではまさに『薬屋のひとりごと』というタイトルにふさわしい一冊という気がしなくもない。

 とはいえ、そのせいで登場人物が医官方面に限定気味なので、シリーズでもっとも色気の少ない一冊な気もする。

(Aug. 28, 2025)

初恋

トゥルゲーネフ/沼野恭子・訳/光文社古典新訳文庫/Kindle

初恋 (光文社古典新訳文庫)

 Kindleで半額になっていた海外文学の古典を読んでみようシリーズその三。ロシアの文豪、ツルゲーネフの中編小説。

 翻訳小説好きな身としては、光文社古典新訳文庫はとても貴重な存在として、その価値を高く評価しているのだけれど、さすがに作家の名前を新訳するのはいかがかと思う。

 やっぱツルゲーネフは、「トゥルゲーネフ」ではなく、ツルゲーネフのままにしておいて欲しくないですか?

 そりゃ「トゥルゲーネフ」のほうが本来の発音には近いのかもしれない。ロシア文学を学んできた人にとっては、そのほうが自然なのかもしれない。それでも二葉亭四迷の時代から百年以上にわたり人口に膾炙してきた「ツルゲーネフ」という作家名は、やはりそう簡単には置き換えられない。本屋で探すときに「つ」と「と」の棚、どっちを探すかは大事な問題でしょう? 簡単に変えちゃ駄目じゃなかろうか。

 これがドストエフスキーの『罪と罰』のように、作家の名前なんてどうでもいいと思えるほどの大傑作ならばともかく、そうではないのも残念なところ。

 小説の出来が悪いとはいわない。それでも正直なところ、この作品はその価値観が古びてしまっているように僕には思える。よほどの文学好きな読者でない限り、いまさらこの小説に大きな感動を覚えるのは難しいんじゃなかろうか。

 だって、十六歳の青年が近所に越してきた五歳年上の侯爵令嬢に一目惚れするも、複数の男性から求婚を受ける彼女の心を射止めるには至らず、意外なライバルの存在により、失恋の憂き目をみるという、身も蓋もない書き方をしてしまえば、ただそれだけの話だ。正直これよりも漱石の諸作や森鴎外の『青年』のほうが、僕には断然文学作品としての格が上に思える。

 そもそも世界中に星の数ほどの恋愛小説やドラマやマンガが溢れかえっているいまの時代に、ロシア文学を学ぶという以外の理由で、わざわざこれを読む意味がどれだけあるのか、僕にはよくわからない。

 まぁ『初恋』というタイトルから連想する初々しさや甘酸っぱさとは程遠いその内容には意外性があった。それだけは間違いなし。

 でもそんな意外性はいらない――という、初恋の少女マンガ的な初々しさを味わいたい人には不向きな一冊。

(Aug. 23, 2025)

車輪の下で

ヘッセ/松永美穂・訳/光文社古典新訳文庫/Kindle

車輪の下で (光文社古典新訳文庫)

 ドイツ人のノーベル賞作家、ヘルマン・ヘッセの代表作。旧訳では『車輪の下』というタイトルが主流だけれど、この作品は訳者のこだわりで、『車輪の下で』と「で」がついている。

 ヘッセを読むのは学生時代の『デミアン』以来。なぜ代表作といわれるこの作品ではなく『デミアン』を読んだかというと、大学の同級生からおもしろいよと薦められたからだったと思うのだけれど、残念ながらそれほど感銘は受けず。内容についてはすでに忘却の彼方だ。

 この作品に関しては、代表作として長いこと読み継がれているのもなるほどな出来栄え。将来を嘱望されていた優等生が、途中で道をはずれて退学になり、つかのまの恋にも破れて、労働者階級の一員として生きてゆくことになる。

 終始受け身な主人公は、そんな転落つづきの人生に苦しむことなく、淡々と自らの運命を受け入れている――ように僕の目には映った。

 親友との関係に同性愛的なほのめかしがあったり、初恋相手が奔放だったりするのも意外と現代的だし、これといった目的意識も持たず、まわりに流されるままに生きる、主体性のない淡泊な主人公の人物造形には、草食系といわれる現代日本の若者に通じるものがある気がする。

 個人的にはそんな主人公に共感できなくて、いまいち没入感が足りなかったけれど、描写力に秀でたその文体には、さすが世界の文学者だと思わせる風格があった。

 ちなみにこれは「Kindleで半額になっていた海外文学の古典を読んでみよう」シリーズのその二。その一は三年前に読んだ『地下室の手記』。長らく放置していたらずいぶんと間があいてしまったので、ここいらでやっつけておくことにした。

(Aug. 16, 2025)

書店主フィクリーのものがたり

ガブリエル・ゼヴィン/小尾芙佐・訳/ハヤカワepi文庫

書店主フィクリーのものがたり (ハヤカワepi文庫)

 ハヤカワepi文庫が創刊されたのは2001年だから、今年(来年?)で二十五周年になる。

 僕は「新しい世界文学を紹介する」みたいなそのコンセプトに惹かれて、創刊当時は収録された全作品をコンプリートするつもりで読んでいたんだけれども、途中でトニ・モリスンを中心に、単行本で読んだ作品がつづく時期があって、それがちょうど娘の進学資金が心配だった時期と重なったこともあり、わざわざ文庫本で買い直すのもなぁ……と思ってしまって、コンプリート計画は挫折。

 さらには、それまでは毎月コンスタントに出ていた新刊がそのあたりから不定期になってしまったこともあり、なし崩し的に読むのをやめてしまっていた。

 それでも創刊当時に買いそろえた作品が五十冊近くはあるので、本棚ではそれなりに存在感を放っている。シリーズに対する愛着もある。

 すでに絶版になってしまった作品もけっこうあるので、いまさらコンプリートしようというのは無理があるけれど、英米文学好きとしては、せめて英米の作家の作品だけでも押さえておきたい――。そう思って、しばらく前に(懐具合が許す範囲で)めぼしい作品を大人買いしました。

 ということで、心機一転して十何年ぶりに再開した「ハヤカワepi文庫を読もう」第二シーズンの一冊目。

 これは小さな島で唯一の本屋を営む孤独な男性のもとに、ある日「この子をお願いします」と見ず知らずの赤ん坊が捨てられていたことから、彼の人生が大きく変わってゆくという話。作者はアメリカ人の女性作家。

 本屋の話だし、各章のあたまに有名な短編小説についての書店主によるレビューが乗っていたりして、本好きへのアピールがすごいなと思ったら、その年の本屋大賞の翻訳文学部門で一位だったそうだ。さもありなん。

 最愛の妻を事故で失い失意のどん底にある主人公が、セールスに訪れた女性編集者につっけんどんな態度をとる序章こそ、あまり気持ちよくないけれど、その後、赤ん坊が登場してからは、章を追うごとに印象がよくなる。

 なぜ赤ん坊は捨てられたのかとか、盗まれた本はどうなったとか、主人公カップルの縁結びをした一冊の本の作者の正体とか。そういう序盤に巻いた伏線をしっかり回収しながら、物語は小気味よく進んでゆく。

 物語をドリブンするのは、偏屈な主人公その人よりもむしろ、彼を取り囲むまわりの人たち。出てくる人たちがとにかく善良(かつ本好き)すぎて、まるでおとぎ話のよう。文学作品としての重厚さには欠けるけれど、そのぶん読み物としてはしっかりと楽しく読める良作だった。

(Aug. 2, 2025)

アルテミス

アンディ・ウィアー/小野田和子・訳/早川書房/Kindle(全二巻)

アルテミス 上 (ハヤカワ文庫SF) アルテミス 下 (ハヤカワ文庫SF)

 『火星の人』のアンディ・ウィアーが最近映画化されて話題の最新作『プロジェクト・ヘイル・メアリー』のひとつ前に書いた長編第二作。

 アルテミスという月面都市を舞台にしたクライム・サスペンスで、舞台こそ近未来の宇宙だけれど、SFとしての道具仕立てはその舞台設定だけで、突飛な宇宙人も超能力も新発明も出てこない。そういう意味では『火星の人』と同じタイプの地に足がついたSF。――って、宇宙が舞台なのに「地に足がついた」って形容はナンセンスか。

 意外性があるのは、主人公がサウジアラビア生まれの女性で、月面唯一の都市であるアルテミスを作ったのがケニアだという設定。アメリカの白人男性作家の作品なのに、宇宙開発を推進しているのがアメリカではなく、主人公も白人男性ではないところが斬新だと思った。やみくもにアメリカの覇権を信じていないシニカルさは、なるほどトランプ政権下に生きる現代のアメリカ人作家らしいかもしれない。

 主人公のジャズ(ジャスミン)は訳あって密輸を副業にしているポーター(運び屋)で、冒頭からしばらくは彼女の人となりや交友関係を描いたあと、彼女が顧客のCEOから違法な仕事を持ち掛けられたところから物語は本題に入る。

 仕事の内容は、アルテミスでの酸素供給の契約を奪いたいので、現在独占契約を結んでいる企業の機器を破壊して、酸素を供給をできなくしてくれ、というなもの。

 高額な報酬に釣られて仕事を引き受けたジャズだけれど、当然そう簡単に話が進は進まない。想定外の事態により破壊工作は失敗に終わり、彼女は警察に追われ、命を狙われる羽目に陥る。――というようなところまでが上巻のざっくりとしたあらすじ。

 正直なところ、主人公がある種のテロ行為に及ぶ展開はいささか釈然としないし、彼女が最初の破壊工作に手を染めるくらいまでは、個人的にいまいち盛り上がれなかったのだけれど、その仕事が失敗して以降の急展開がすごくて、下巻は一気に読み切らずにいられなかった。とくにクライマックスの緊迫感は強烈だ。

 一流の溶接工を父親にもつ娘が、親譲りのその溶接技術と豊富なEVA経験を生かして難題に挑んでゆくという、いまいちキャッチーさに欠ける設定で、ここまで読ませる小説を書いてみせたのはすごいと思う。

(Jul. 29, 2025)