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- CAPRISONGS / FKA Twigs
- 宮本浩次 @ 国立代々木競技場 第一体育館 (Jun 12, 2022)
- 伸び仕草懲りて暇乞い / ずっと真夜中でいいのに。
- ずっと真夜中でいいのに。 @ さいたまスーパーアリーナ (Apr 17, 2022)
- ずっと真夜中でいいのに。 @ さいたまスーパーアリーナ (Apr 16, 2022)
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CAPRISONGS
FKA Twigns / 2022
6月も今週一杯で、今年ももう半分が終わり。
そんな2022年の上半期に、僕が洋楽でもっとも多く聴いたアルバムがこれ。UKの女性シンガー、FKA・トゥイグスの三枚目のフル・アルバム――ではなくミックステープ。
ミックステープとはなんぞやが、いまいちよくわからないのだけれど、ウィキペディアを参考に考えると、リミックスなどで使用許諾を受けていない音源を使用した曲が含まれる作品のことという理解でいいんだろうか。
このアルバムでいうと、彼女の過去の二枚とは違って、ゲストが何人も参加しているので、その部分の版権の問題で通常のアルバムとは区別されているのかもしれない。実際に通常の流通経路には乗らず、CDほかのフィジカル・メディアでは販売されていない(アマゾンでだけはなぜか売っているけど)。
なので聴く方法は配信オンリー。音楽の視聴方法をCDだけに頼っているユーザーには聴けないという点では、ミックステープは新旧ユーザーをわけるリトマス試験のような役割を果たしている気がしなくもない。
まぁ、そういう商業的な都合はともかく、作品自体は新曲ばかりを収録したトータル49分のアルバムだから、普段からストリーミングで音楽を聴いている僕らのようなリスナーにとっては通常の新譜となんら変わりなし。
FKA・トゥイグスは2014年のデビュー・アルバム『LP1』から高い評価を受けていて、その翌年のフジロックで来日した際にも、ライブ・パフォーマンスが絶賛されていたので、僕も興味を持って聴いてみたけれど、残念ながら、なぜかそのときにはまったくぴんとこず。僕が彼女のファンになったのは二枚目の『Magdalene』からだった。
こちらは素直にすごいと思った。でもって、そこからさかのぼって前述のファーストや過去のEPを聴きなおしてみたところ、どれも非常に完成度が高くてびっくり。とくに二枚目から作風が変わったとかでもないし、なぜに俺はファーストのときにこのよさに気がつかなかったんだと、自分で自分に驚いたという(わりとよくあるパターン)。まぁ、基本的にはスローな曲ばっかりだし、その頃の僕のモードにはあわなかったんだろうなぁと思うばかり。
今回の作品については、ゲスト多数が参加したミックステープということもあってか、過去の二枚とはいささか性格が異なっている。
旧作はどれもサウンド・デザインやコーラスワークが秀逸で、非常にストイックかつテンションの高い印象だったけれど、それに比べると今回はゲストが多いこともあって、随分とゆるいというか、これまでになくリラックスしたイメージが強い。
ジャケットのデザインからして違いが顕著だ。自らの顔をマネキンのように見せかけたファースト、粘土人形のように加工したセカンドと、素顔を素のままにはさらさない匿名性がそのまま密室的な音作りに通じていた過去作と比べて、今回はあっけらかんと素顔をさらしている。
結果として出てきたサウンドは、旧作と比べるとやや一般的な最近のR&Bって気がしなくもないけれど、でも僕にはこのリラックスした感じはそれはそれでとても魅力的だった。
鈴が鳴るような彼女のソプラノ・ヴォイスは力みないがゆえに涼しげで、これからの暑い暑い夏にもぴったりな気がする。タイトルの『カプリソングス』も夏っぽいし、下期によほどの傑作のリリースがなければ、もしかしたらこれが今年の通年での洋楽フェイバリットになるかもしれない。
(Jun. 26, 2022)
宮本浩次
縦横無尽完結編 on birthday/2022年6月12日(日)/国立代々木競技場 第一体育館

全国四十七都道府県をまわり終えた宮本浩次が、自らの誕生日を祝って代々木第一体育館で行ったツーデイズの最終公演に行ってきた。
僕が観たのは宮本の誕生日である二日目。空が青く晴れ渡った快晴の日曜日に、原宿駅で降りて満員の代々木体育館のアリーナ席に着いた。まだマスクはしたままだけれど、なんだかようやく普通の日常が戻ってきた気がして、それだけでちょい感慨深かった。
今回のバンドでの宮本のライブを観るのはこれが三回目。最初がちょうど一年前の東京ガーデンシアターでのバースデイ・ライブで、次が今年二月のツアー東京公演。
東京国際フォーラムでは前年のバースデイ・ライブとあまり内容が違わなくて拍子抜けした、みたいなことを書いたけれど、今回はツアーの完結編と銘打っているだけあって、基本的なセットリストはツアーのままだった。オープニングの『光の世界』からラストの『ハレルヤ』まで(途中に三曲ばかり追加・変更はあったとはいえ)次になにが演奏されるかはほぼわかっている。
ソロとしては最大規模の公演だし、バースデイ・ライヴという煽り文句もあったから、ストリングスやホーンを入れた豪華なバンド編成もあるかと思っていたけれど、宮本はあくまでツアーで全国をまわった五人での演奏にこだわりがあったようで、そうした追加ミュージシャンもいなかった。
要するに前回と同じバンドが、前回とほぼ同じセットリストを、前回と同じように演奏するだけという。違うのは会場が広いことと、演出がこの会場向けのスペシャル・バージョンだったことくらい。前回のステージで新鮮さが足りないと思った僕なんかは、今回より新鮮さが薄れたぶん、盛り上がりを欠いてもおかしくない。
ところが、だ。
今回のライヴがこれまでの三回でいちばんよかった。
なぜって?――その理由は単純に会場が広いから。
広いからこそ花道がある。花道があるから宮本がその名のとおり縦横無尽に駆け回れる。広さを補うために左右にモニターがある。ソロだからモニターは遠慮なく宮本ひとりの表情を追いまくる。
これまでのツアーにはなかったこのふたつの舞台装置の効果が絶大だった。宮本浩次というやんちゃな五十六歳のアーティストの魅力が会場中に溢れかえっていた。
――もしかして、宮本浩次ってもはやこのキャパが最低限って規模のアーティストなのでは?
【SET LIST】
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宮本のいまの人気って、彼のボーカリストとしての破格の才能だけではなく、そのルックスや性格のエキセントリックさや誠実さ――つまり宮本の人的魅力――に負うところも多いと思うわけですよ。
そういう宮本の人間性に魅せられて会場に集まった新しいファン層――白髪の老人もぽつぽついてびっくりだよ――には、そんな宮本の一挙手一投足をモニターで追いながら、あの圧倒的な歌を浴びるように聴けるこの会場はベストな環境なのではと思った。
まぁ、小さなホールの最前列でその姿をじかに拝めればまた話は別なんだろうけれど。過半数のオーディエンスはそんな恩恵には預かれないわけで。
実際に観た過去二回のコンサートも僕らの席はスタンドで、宮本の表情まではわからない距離だった。
それに比べると今回はアリーナ席で、いちばんうしろの方だったけれど、それでもやはり臨場感が違った。やっぱアリーナで立って観るほうが参加しているって気がする(そういや去年のコンサートは最初から最後まで座ったままだった)。PAブースがすぐの席だったので、見晴らしも音質も良好。ステージの背景に映し出されるきらびやかな映像の前にいる宮本の姿を見ながら、左右のモニターに映し出される彼の表情も視野に収められる。なにげにそれが最高だった。
破綻がなくておもしろみに欠けるとか失礼なことを思っていたバンドも、この規模になってしまうと逆にその安定感が頼もしい。
そういう意味では、宮本浩次と縦横無尽バンドがその真価を発揮するには、まさにこの広さが必要だったのではないかと思った。
今回は会場の規模にあわせたサプライズがいくつかあった。
ひとつめは真っ暗になった場内にスポットライトが差したと思ったら、アリーナ中央にある花道のセンターに宮本がいきなり仁王立ちしていたオープニングの『光の世界』。
ふたつめは『shining』で花道を走ってきた宮本が大量のスモークに包まれてそのまま姿を消した演出(忍者か!)。
極めつけの三つめは『rain -愛だけを信じて-』で花道のセンターに雨を降らせた演出。最初はプロジェクションマッピングだと思って、すげー、ちゃんと雨が降っているように見えるって思っていたら、次第に宮本がびしょ濡れになってゆくのでびっくりしました。まじか、本当に水出てんじゃん!――あれ、近くの人は濡れないのかな? すごいね、いまの演出技術。
あと『冬の花』で赤い花びらが降ったり、『ハレルヤ』で金色の紙吹雪が打ち上ったりもしたけれど、でもそういうところを別にすると、全体的な演出はツアーのときより控えめな気がした。控えめというかギミック抜きというか。『きみに会いたい』での小林さんとのスキャット合戦もなくなっていたし、ツアーと一緒だって僕にわかったのは、『夜明けのうた』での夜明けのランタン演出と、『shining』でのザ・フー的なコミカル映像くらい。
前述の派手な演出もあくまでそれぞれの曲のテーマに沿ったものだったし、とにかく半年以上に及ぶツアーの締めくくりに、余計なギミックなしに、この五人での演奏を真摯に届けるんだって。そういう意思に貫かれているのが伝わってくる、とてもいいコンサートだった。ツアーではなぜかセットリストから外れていた『Just do it』もアンコールで聴かせてくれたし、アルバム『縦横無尽』の全曲を演奏してみせたという意味でも「完結編」というタイトルにふさわしかった。
前日も観たうちの奥さまの話によると、演出とセットリストは二日間とも同じだったそうで、前日はオープニングの『光の世界』で感極まって宮本が泣いてしまったとか、なにかの曲では花道の坂をごろごろと転がりあがったとか、よりレアなことが多かったみたいだけれど、でもまぁ、観るんならばやはり誕生日当日だよなぁ。メンバー紹介のソロでキタダマキがベースで『ハッピーバースデー』のメロディを奏でて宮本を感動させたのは二日目だけだったそうだし。あれもこの日の名場面のひとつでした。
そういや、第二部が始まるところで宮本がバースデイ・ケーキのろうそくを吹き消してからステージに飛び出してくる演出も前日すでにやっていたとか。二日つづけてろうそく吹き消す人もあまりいないと思うよ。あと、自分の誕生日に「みんな誕生日おめでとー!」って連発する人も。
まぁ、でもそういうおちゃめなところも人気の秘訣なんでしょう。
いずれにせよ、大団円と呼ぶにふさわしい、素晴らしいツアーの最終日だった。
さて、これを機に宮本がエレカシでの活動に戻るのか、それとも引きつづき並行してソロ活動も行ってゆくのか――。
今後の展開が読めないのもなかなかスリリングだ。
(Jun. 19, 2022)
伸び仕草懲りて暇乞い
ずっと真夜中でいいのに。 / 2022
気がつけば、ずとまよを聴くようになってそろそろ三年になる。
われながら驚くべきことに、三年たったいまでも僕は、飽きることなく日々ずとまよの音楽を聴きつづけてる。たくさんの音楽の中でたまにずとまよを聴く、というのではなく、ずとまよを聴くあいまに他のアーティストの音楽を聴く、みたいなライフスタイルになっている。
なんでこんなにずとまよだけが特別なんだろう?――という答えを無理にでも絞りだすならば、ずとまよの音楽を構成するすべての要素が僕の趣味にどんぴしゃだから、ということになる。
僕はよくポップミュージックの魅力を五つの要素に分解して考える。メロディー、ビート、歌詞、サウンド、そしてボーカル。ざっくりこの五つのうちのどの部分にどれだけの魅力を感じるかでその音楽の好き嫌いの度合いが決まると思っている。
まぁ、メロディーに関しては、いいメロディーにはそれだけで抗いがたい魅力があるし、ビート(リズム)も速いもの遅いものでそれぞれに違う魅力があるから、その二要素についてはアーティストの評価そのものというより、楽曲単体に対する好き嫌いの基準というのが正しいのかもしれない。
とはいえ、ビートに関しては全体的に速い曲(踊れる曲)のほうが好きなので、バラード中心な人よりもダンサブルな曲を主体とするアーティストのほうが贔屓になる。
でもって、どんなにメロディーやリズムが好みでも、歌詞がつまらないと思うものは繰り返し聴けない。それにどんなことを歌うかはアーティストとしての表現姿勢に直結するものだから、歌詞が好きになれないアーティストはまず聴かない――というか聴く気になれない。
僕が基本的に洋楽をメインで音楽を聴いてきたのは、言葉がわからないせいで、歌詞の部分での好き嫌いが判断基準からはずれるからというのが大きい(身も蓋もない)。
洋楽でも歌詞が好きな曲はあるけれど、それはあくまで翻訳した意味に感動しているだけであって、言葉がわかる歌の感動とは別物だ。
ほんと、言葉がわかる邦楽の感動は、そのぶんだけ確実に洋楽を上回る。感動的な歌詞がどんぴしゃのメロディーに乗ったときの破壊力ははんぱない。これはもう経験上間違いのない事実。個人差はあるのかもしれないけれど、僕にとっては絶対にそう。日本人なのに英語で歌うアーティストに惹かれないのは、最初からそういう最上級の感動が味わえないことがわかっているからだ。
サウンド(アレンジ、音作り)については、打ち込みの音よりも人が演奏する生の感触や楽器の音色が好きというのが基本。打ち込みでも好きな曲はあるけれど、人が演奏するバンド・サウンドの魅力には絶対にかなわない。ジャズを聴くようになったのも、歌なしでバンドの音だけを気持ちいいと思えるようになったのが大きい。
ちなみに「夜好性」と称される三つのバンドのうち、僕がYOASOBIだけを聴かないのは、彼らのサウンドがシンセ・ベースだからだ。『夜に駆ける』や『群青』はとてもいい曲だと思うんだけれど、シンセ・サウンドにいまいち魅力を感じないので、ヘビロテするには至らない。YOASOBHIがずとまよやヨルシカみたいに生音志向だったら、たぶんもっと深くコミットしていると思う。
最後のボーカルについては、個人的にこういうボーカリストが好きってのが明確にあるわけではないけれど、ボーカルの好みってけっこう生理的なものだと思うので、どんなに上手くても魅力を感じない人の歌は本当に繰り返しては聴けないし、逆に下手でもなぜか魅力を感じてしまう人もいる。なにがよくて、なにが悪いんだかは、長いこと音楽を聴いているけれど、いまだによくわからない。
ということで、以上の五要素にわけて考えてみたときに、それらをすべて満遍なく満たしてレーダーチャートが正五角形になるようなアーティストってほとんどない。
大好きなアーティストにしても、最近のエレカシ宮本は歌詞が昔に比べておもしろくないし、RADWIMPSはスローバラードが多すぎるし、サザンはサウンド面でものたりない。洋楽は歌詞が度外視なので最初から五角形にならない。
もちろん、そのうち一点だけでも突出しているアーティストは、それだけで特別だ。桑田佳祐のメロディー、ストーン・ローゼズのグルーヴ感、野田洋次郎の言語感覚、レディオヘッドの音作り、宮本浩次のボーカル――それらはそれだけでじゅうぶんに魅力的だ。――というか、この人たちの魅力はそれひとつだけじゃない。
とはいえ、彼らが全方向を満たしてくれているわけでもないのも事実。
そう考えると、メロディーは技巧的で多彩、ビートはつねにダンサブル、歌詞の個性は唯一無二で、サウンドはつねにバンド志向で多様性に富み、ボーカルはこのうえなく可愛い――。そんなずとまよは、現時点でレーダーチャートが限りなく正五角形に近い存在だ。僕の音楽生活の中心に居座っているのも至極当然に思えてくる。
さて、ということで、すっかり前置きが長くなってしまったけど、あまりにずとまよが好きすぎて、ちゃんとしたことを書きたいと力んだあまり、なにも書けずにリリースから三ヵ月以上も放置しっぱなしになってしまったずとまよの四枚目のミニ・アルバム『伸び仕草懲りて暇乞い』について。
このアルバムの目玉はなんといっても、すでに彼女たちのライブのクライマックスを飾る一曲となっている先行配信シングルの『あいつら全員同窓会』で、アルバムのリリース時点でその曲をすでに百回以上も再生していた僕にとっては、これまでのアルバムに比べて分が悪いと思っていたんだけれど――さすがにそれだけ聴くと新鮮さはなくなるので――やはりずとまよは別枠だった。結局今年一の再生回数を誇っている。
イントロから歌に入る部分でいきなり曲名を回収するトリッキーな『別の曲にしようよ』で始まり、ACAねのメロディーセンスが光りまくりの『袖のキルト』、ずとまよ史上ナンバーワンのメッセージ・ソングにして最強のダンス・ナンバー『あいつら全員同窓会』、ファミコン風8ビット・サウンドをリフに使った『猫リセット』、猫目線の歌謡ラブソング『夜中のキスミ』、そして愛する人との死別をテーマにしたらしき切なすぎる『ばかじゃないのに』という全六曲。
これだけバラエティに富んだ楽曲が――なにげに先程あげた五要素がそれぞれの曲で違った角度から追及されている――バラード抜きで六曲並んでいるのがすごい。
こんなに一曲一曲の歌詞やメロディーやサウンドに違うアイディアを込めて曲を作っている人もそうそういないだろう――と思っていたら、このアルバムからわずか一ヵ月半後には新機軸の新曲『ミラーチューン』がドロップされるという。でもってそれが過去最高レベルのどえらくダンサブルな仕上がりだという――。
ACAね、いったいどれだけ創作意欲に溢れているんだか。ほんと無敵すぎる。
そして『あいつら全員同窓会』の一曲だけでも書くべきことは山のようにあると思っていたのに、それをきちんと書けずに何か月も放置したあげく、こんな文章でお茶を濁している俺はとことん駄目すぎる。しばし反省……。
(May. 29, 2022)
ずっと真夜中でいいのに。
Z FACTORY「鷹は飢えても踊り忘れず」[day2 "ob_start"]/2022年4月17日(日)/さいたまスーパーアリーナ

一晩たったら昨日の工場は廃墟と化していました――。
百年が過ぎて、とうの昔に廃業したずとまよファクトリーは、蔦生い茂り、雑草がはびこる緑の遺跡と化していた。――そんな驚愕のシチュエーションに模様替えしたずとまよSSA公演の二日目。
なにせ昨日と違ってすでに工場が稼働していないので、ベルトコンベアは動かない。ボタンも押せない。
――ということでこの日は一曲目も前日とは違う。オープン・リールの人たちのパフォーマンスもなし。オープニングを飾ったのは、アコースティック・バージョンの『ばかじゃないのに』だった。グランドピアノでのソロのあと、ACAねが電話ボックスのなかでひっそりと歌い始めた(いつの間にそんなところに)。
このオープニングでピアノ・ソロを弾いていたのは村☆ジュンではなく、駅ピアノでずとまよを弾いて評判になったけいちゃんというユーチューバー。そういう人をさらっとゲストに呼んでステージにあげてしまう機動力がすごい。
この日の僕らの席は一階正面スタンドの前から二列目で、昨日と違ってステージは遠かったけれど、会場の全体を見渡せるので、また違った味わいがあった。
今回のツアーの新商品であるしゃもじ専用ライトのおかげで、会場全体に緑のライトがまたたく風景はなんともきれいだったし、そこにレーザーライトが乱れ飛ぶ景色は鮮烈の極み。前日の席ではステージ以外がほとんど視野に入らなかったので、二日目は全体が見張らせる席――しかもステージほぼ正面――だったおかげで、遠近両方をまったく違う感じで楽しめたのはとても贅沢な体験だった。
ただ、ステージ左右のモニターが大型ってほどには大きくなかったので、スタンドからだと細部がよく見えなかったのがたまにきず。おかげで冒頭のピアニストが村☆ジュンではないこともわからなかったし(アンコールのメンバー紹介で知った)、ACAねがいつから電話ボックスにいたのかもわからなかった。あれほど感動的だった『Dear. Mr「F」』も、この日は肝心の映像が遠すぎて前日のインパクトには及ばなかった。
――と、やや話が先走ってしまったけれど、そんなわけでこの日の公演は前日とは一曲目から違った。今回は「工場」というコンセプトだから『眩しいDNAだけ』がキー楽曲なのだろうだと思い込んでいたので(過去に観たずとまよライヴでは必ず演奏されていた)この曲がセットリストから外れたのには大いに意表をつかれた。
オープニングの『ばかじゃないのに』でもうひとつびっくりしたのが、曲の後半でACAねが泣いてしまったこと。緊張感マックスなライヴのオープニングで、いつもと違うピアノ中心のしっとりとしたアレンジで歌ったことで感極まってしまったのか、はたまた愛する人の死を連想させる、ずとまよでももっともセンシティヴな曲だから、実体験的にこみ上げてくるものがあったのか。確かなことはわからないけれど、後半のサビのあたりで歌が途切れてしまった。
両日とも――たぶんアンコールでのMCで――「5年前に路上ライヴをしていたころ、いずれたまアリでやれるくらいのアーティストになりたいと直感的に、そういう野望を抱きました」みたいなことを語っていたので、その夢が叶った目の前の風景に思わず感極まってしまったのかもしれない。
【SET LIST】
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つづく『低血ボルト』のパフォーマンスもその動揺を払いきれずに安定感を欠いていたけれど、そんなふうに不安定だったのは最初その二曲だけで、そのあとは調子を取り戻して、この日も素晴らしいステージを見せてくれました。
セットリストで前日と違ったのは、最初の二曲と、あとは『ハゼ馳せる果てまで』が『JK BOMBER』に、『夜中のキスミ』が『袖のキルト』に、『正しくなれない』が『暗く黒く』に入れ替わっていたところ。アンコールの一曲目も『Ham』ではなく『またね幻』だった。
しかしまぁ、よくも『袖のキルト』のようないい曲を一日目のセットリストから外すよなぁ。それでいったら『ばかじゃないのに』や『暗く黒く』もそうだけど。聴けなくてがっかりした人たくさんいたんじゃないでしょうか。
さいわい僕個人はこの二日間のライヴを両方を観たおかげで、これまでに生で聴いたことのなかった『Ham』と『またね幻』を聴けたし、新譜『伸び仕草懲りて暇乞い』の全曲と新曲『ミラーチューン』も聴けたので、ずとまよのカタログ全曲をライヴで体験したことになった(ほんとに?)。まぁ、正確にいうと『低血ボルト』(この日も短かった――よね?)はいまだフル・コーラス聴いたことないですけどね。いずれ聴ける日がくるといいなと思う。大好きなので。まぁ、基本的にずとまよは大好きな曲ばっかなんだが。
そのほかで前日と違った点は、ぼんぼんと炎があがるステージの演出が前日よりも大がかりだったこと、アンコールでACAねがベースボール・キャップをかぶっていたこと、『サターン』が弾き語りだったこと(アウトロからバンドが入った)、退場シーンではACAねが電話ボックスからすとんと奈落へと消えていったことなど。あれはきっと、どこでもドア的な電話ボックスで、ACAねが過去から未来にやってきたという設定だったんでしょう。おそらく。
まぁ、いずれにせよとても楽しい二日間でした。
終演後には秋からのツアー『テクノプア』の予告もあったし、「これからも面倒くさいことを追及していきたいです」みたいなことをいうACAねさんの創作意欲が衰えないかぎり、この深き深きずとまよ沼からはとうぶん抜け出せそうにない。
(Apr. 23, 2022)
ずっと真夜中でいいのに。
Z FACTORY「鷹は飢えても踊り忘れず」[day1 "memory_limit = -1"]/2022年4月16日(土)/さいたまスーパーアリーナ

これまでに一度でもずとまよのライヴを観たことがあれば、さいたまスーパーアリーナのような大規模な会場でのライブが凄まじい内容になるのは想像に難くない(まさかお土産にハナマルキのずとまよ特製カップ味噌汁をもらうとは思わなかったけれど)。しかも、ただでさえすごいことになる予感たっぷりなのに、2デイズで内容を変えると予告されたら、そりゃ二日とも観ないわけにはいきますまい――。
ということで、いってまいりました。ずとまよ史上最大規模の二万人のオーディエンスを集めて行われたSSA公演の一日目。
今回のステージ・セットは「ZUTOMAYO FACTORY」と称しているだけあって、工場を模した大がかりなものだった。全体的に灰色のコンクリート打ちっぱなしなイメージで、注意を喚起する黄色と黒のストライプに「安全第一」とか「灰版電気工業(株)」とかの看板が配されている。上の方の煙突からは煙が出たり、ところどころ火の手があがったりしている。開演前はセットがグリーンのライトに照らされて浮き上がっていた。
定刻を五分ほど過ぎて昭明が落ちて、最初に登場したのはACAね――ではなく、Open Reel Emsambleの三人。
始まった最初のパフォーマンスはいきなり彼らによるオープンリール(と謎楽器?)による長尺のソロだった。その後も『機械油』のときにはツイン・ドラム+TVドラムのリズム隊三人によるソロから小山氏の津軽三味線のソロへとつづいてゆく演出があったし、今回のコンサートはずとまよの集大成ということで、バンド・メンバーに華を持たせるような演出が随所に見られた。――まぁ、そのおかげでいつもに増してマニアックな印象が強くなっていた感がなきにしもあらずだけれど。
オープン・リールのパフォーマンスが一段落したあと、右手上方に配置されたベルトコンベアから中央の煙突のついた設備になにか部品のようなものが運ばれていったと思ったら、その設備の壁をぶち破ってようやくACAねが登場~。
うちの奥さんいわく「部品が集まってACAねちゃんが完成した」という演出ではないかと。なるほど。あと、壁を壊して主人公が飛び出してくる演出を見て、四半世紀前のマイケル・ジャクソンの東京ドーム公演を思い出したそうです。まぁ、近いものがなくもない……のかな?
ということで、ステージ中央の巨大セット最上段に開いた穴から出てきたACAねは、その前にあったすべり台で中段くらいまで降りてきて、ようやく一曲目が始まる。
選曲は『眩しいDNAだけ』。あぁ、そうだよね。「工場の煙で止まりますのボタン」だもんね。一曲目は当然この曲だよなぁって思った。
今回もそのあとに『ヒューマノイド』と『勘冴えて悔しいわ』のメドレーを挟み――いつかは『勘冴えて』をフルコーラスで聴きたいです、ACAねさん――この日は四曲目で早くも『マイノリティ脈絡』が登場する。
これまではライヴのクライマックスを飾っていたこの曲を序盤にぶっ込んでくるとは気合入ってんなぁと思ったら、本人も張り切りすぎだと思ったのか、終わったあとで「最初から飛ばし過ぎました」みたいなこといってました。なんかもうなにをしても可愛い。
そのあと三年ぶりに『ハゼ馳せる果てまで』が聴けたのが個人的には嬉しかったし、新曲『違う曲にしようよ』から、三味線をフィーチャーしたずとまよライヴの影のMVP的存在『機械油』、オープン・リールとしゃもじ大活躍のサイケ音頭『彷徨い酔い温度』とつづく中盤も鉄板の出来。
ACAねさんの愛猫「真・しょうがストリングス」――「シン」は「新しい」ではなく「マコト」のほうだそうです――の自撮りビデオを紹介してからの新曲『夜中のキスミ』、必殺ダンス・チューン『MILABO』、あいかわらずボーカル・パフォーマンスが強烈な『脳裏上のクラッカー』で前半戦が終了。
【SET LIST】
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そのあとで観客を座らせ、ACAねがステージ左手の電話ボックスに閉じこもって、公衆電話(緑色のダイヤル式のやつ)の受話器をマイクがわりにして歌ってみせた『Dear. Mr「F」』――意外やこれがこの日の白眉だった。
周囲とうまくやりたいと思いながらも輪のなかに交じれなかったという切ない思春期の思い出を語ったあとのこの曲はむちゃくちゃ染みた。スタジオ版では村山☆潤のピアノだけだったけれど、この日はストリングスやドラムを加えた情感何割増しのアレンジで、ステージ左右のモニターは電話ボックスのガラス越しに歌うACAねの姿をクローズアップする。僕は年齢的に「エモい」って言葉が恥ずかしくて使えない世代だけれど、もしも若かったら間違いなく「エモい」を連発してるだろうなって思ってしまうような極上のパフォーマンスだった。
この日の僕らの席はアリーナの前から四列目の右隅で、目の前に右側のモニターがあったので、ACAねのアップ――ガラスが汚れていて顔が映らないようにしてある演出も気が効いている――が目の前に大写しで広がる分、情感の溢れっぷりがすごかった。いやぁ、まいりました。
そのあとに『正しくなれない』――前の曲で座ったまま誰も立たなくて、いまいち居心地が悪かった――を挟んて、そのあとに『お勉強しといてよ』、最新曲『ミラーチューン』、『あいつら全員同窓会』という究極のダンス・チューン三連発がきて、本編のラストは『秒針を噛む』で締めという内容。
『ミラーチューン』はライブで映えること間違いなしと思っていたけれど、予想にたがわず本当に最高だった。サキソフォンの間奏も当然ちゃんとあって、この曲のためだけに何度でもずとまよのライヴを観たいと思わせるレベルの史上最強のダンス・チューン。最新曲でそう思わせるあたりがほんとにすごい。
アンコールの一曲目はアコースティック・アレンジの『Ham』。この曲を聴かせてもらうのは個人的には初めてだった。
そのあと、コンサートのとりを飾ったのは定番中の定番、『サターン』と『正義』。『サターン』ではこの日は最後がカラオケではなく、最後までちゃんと演奏していた。オーラスの『正義』――ピアニカのイントロ部分が回を増すごとにどんどん長くなる気がする――ではモニターにメンバー名を英語表示してのメンバー紹介のソロ・パートがあった。
この日のバンドは、ずとまよの集大成にふさわしく、過去一の大所帯。僕が名前を認識しているのは、バンマスの村☆ジュン、ギターの佐々木コジロー貴之くん――いまさら彼がエレカシの『Easy Go』や2020年の野音に参加していたことを知って密かにショックを受けています(なぜ気づかない俺)――三味線の小山豊さん――彼だけ「さん」づけになってしまうのはおそらく三味線という楽器の持つ日本の伝統のせい――だけだけれど、そのほかベースがひとり、ドラムはなんとツイン、ホーンがトランペット、トロンボーン、サキソフォンの三人、弦は真鍋裕という人が率いるカルテット、そしてオープン・リールの三名。そこにACAねを加えた計十七名でのステージだった。
最後の曲が終わったあと、ACAねは工場セットの階段をいちばん上まで昇っていって、オープニングの時とは逆方向に進むベルトコンベアに乗って、「またね」と会場に手を振りながら姿を消していった。なんともコミカルで可愛い演出だった。
でも、どれだけ遊び心あふれる演出を施そうと、最後の曲が『正義』だというのが、ACAねが根の部分はとてもまじめな女の子だってことを証明していると思う。
若い女の子が『正義』というタイトルの曲を作ること自体が珍しいのに、それを毎回コンサートのクライマックスで大事に演奏しつづけている。――そんなアーティスト、ほかにいますか?
ロシアが現在進行形で戦争をしているいまだからこそ、そんなACAねのパフォーマンスには一本しっかりと芯の通ったくじけない意思を感じた。この二日間のライヴを観て、僕にとっても『正義』という歌がとても大切な曲になった。
いやぁ、しかしほんとこの日のコンサートはセットの豪華さも、セットリストもほぼ満点の出来だった。不満は『勘冴えて』がフルコーラス聴けたなかったことくらい。明日は違うことをやるというけれど、これ以上どこをどう変えられるっていうのさ?って思わずにいられなかった。
――ところがそんな疑問に、二日目のACAねは見事に答えてみせる。(つづく)
(Apr. 23, 2022)