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最近の五本
- ストリート・スライダーズ @ TACHIKAWA STAGE GARDEN (Mar 6, 2024)
- 酸欠少女 / さユり
- no public sounds / 君島大空
- ROUNDABOUT / キタニタツヤ
- No more cry / エレファントカシマシ
and more...
ストリート・スライダーズ
40th Anniversary Final THE STREET SLIDERS「Thank You!」/2024年3月6日(水)/TACHIKAWA STAGE GARDEN
スライダーズの四十周年ファイナル・ツアーの初日を、立川の真新しい初めてのホールで観た。
注目はなんといっても去年のツアーとはどう違うのか、だったわけだけれども――。
結論から言ってしまえば、それほど大きくは違わない。
基本的な構成はほぼ一緒で、部分的にちょっとした変更が加わった感じ。
でも、その変化がとても効果的だった。
なんたって一曲目が『SLIDER』だ。
あのイントロが鳴り響いた瞬間の高揚感は格別だった。鳥肌がたった。
そして二曲目が『おかかえ運転手にはなりたくない』。
スライダーズを代表するアッパーなオープニング・ナンバーのあとに、個人的に思い入れのある、決してメジャーとはいえないレア感たっぷりの珠玉のバラードを聴かせてもらえたんだから、もうたまらない。
このオープニングの二曲だけでもう大満足だった。
そのあとの『Angel Duster』と『Let's go down the street』は去年のツアーの流れをくむ選曲だったので、ここからは通常運転なのかと思ったら、その次にいきなり『のら犬にさえなれない』がくる。え、もうこの曲をやっちゃう?
『のら犬』はラストライブの締めの一曲だったし、去年のツアーでもアンコールで演奏されていたから、当然そういう特別な一曲だと思っていたので、こんなに早い時間帯に演奏されたのには意表を突かれた。
本編のラストが『TOKYO JUNK』だったのもそうだし、この日のライヴは去年のツアーを踏まえての微妙な曲順の入れ替えがとても効いていた。やっている曲はそう変わらないのに、流れの違いでここまで新鮮な印象になるのかと。
【SET LIST】
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とはいえ、やっぱり去年は聴けなかった曲が聴けるのはうれしい。
『のら犬』のあとの『Dancin' Doll』と、ツアーでは聴けなかった『カメレオン』が終盤に演奏されたのが、オープニングと並んでこの日のポイントだった。やっぱライヴで聴く『カメレオン』は映える。
中盤の新曲二曲のあと、去年のツアーでは蘭丸とジェームズが日替わりでボーカルを取っていたコーナーが、今回は武道館と同じように二人とも歌ってくれたのもよかった。やっぱ『Thank You』と題したファイナルツアーだもんね。そうこなきゃって思った。どちらがいいとか考えなくて済むよう、二人とも歌ってくれたほうがうれしい。
話が前後してしまったけれど、そのあとが『カメレオン』で、そこからクライマックスの流れはこれまで同様の『So Heavy』に『Back to Back』、でもって今回は最後が『TOKYO JUNK』で締めという内容だった。この流れはもう盤石。文句なしにカッコいい。
で、本編を終えた時点で、前回のアンコール曲は二曲とも消化してしまっていたので、アンコールになにを聴かせてくれるのかもこの日の注目ポイントだった。
そしたらなんと、アンコールの一曲目が『いつか見たかげろう』とくる。
いやいや、レア過ぎでしょう? 解散前にもライヴでやったことなかったりしない? 最高のサプライズでした。
ここまできたらオーラスにも期待せずにいられない――という僕らオーディエンスの気持ちをはぐらかすように、「最後の曲です。『風の街に生まれ』」とハリーが紹介したときには、なんか一瞬場内がしゅんとした感じもおかしかった。え、やっぱそれ?――って。
まぁ、スライダーズって昔から微妙に期待をはぐらかすようなところがあったから、それも彼ららしいなって思った。
初めての立川ステージガーデンは、オールスタンディング対応のフロアに可動式のシートを並べた作りだったので、フロアに段差がなくて、一階席のうしろのほうはいささか見晴らしが悪かった。最近この手のホールが多いけれど、ライヴハウス規模で椅子を並べられても観にくくなるだけだから、正直やめてほしい。
(Apr. 6, 2024)
酸欠少女
さユり / 2022
祝・御結婚――。
ということで、いまさらだけれど二年前にリリースされた酸欠少女さユりのセカンド・アルバム。
2017年のデビュー当時は次世代アーティストのナンバーワンはこの人だろうと思っていたんだけれど、その後、彼女がカバーした『ルラ』をきっかけにヨルシカを知り、そこからの流れで我が音楽人生の最終兵器的存在・ずとまよと出逢ってしまったこともあり――なおかつ、最近の彼女の活動があまり活発ではなかったせいもあって――いつの間にかすっかり影が薄くなってしまったさユりさん。
なんたってこの五年のあいだに、彼女と前後してデビューしたヨルシカが四枚、ずとまよが三枚のアルバムをリリースしている。
それと比べてしまうと、さユりがその間に出したのがこのアルバム一枚というのは、さすがに失速感――というか伸び悩み感?――が否めない。
このアルバムにしても、五月雨式に配信リリースしてきた楽曲をまとめたもので、収録曲のうち新曲はたった二曲だけだったので、リリース時点はどうしたって新鮮味を描くきらいがあった。
でも、リリースからそろそろ二年近くがたったいま、あらためて聴いてみると、いやいや、どうして。これはこれで十分にいい。
『リコリス・リコイル』のエンディング・テーマ『花の塔』に、ヒロアカ第四期の『航海の唄』、アニメ版『ゴールデン・カムイ』の『レイメイ』など、大半の曲がなんらかのメディアのタイアップになっているだけあって、楽曲は粒揃いだし、ビート感はファーストに増して性急だ。それがさユりのあの個性的なボーカルで歌われるんだから、全編とても痛快。
気がつけば彼女ももう二十代後半。結婚もしたことだし、そろそろ「少女」を名乗るにも違和感を覚えるころだろう。
『酸欠少女』と自らの通り名をセルフ・タイトルに掲げたこのアルバムは、アーティスト活動の第一期の締めくくりにふさわしい充実した一枚だと思う。
(Mar. 30, 2024)
no public sounds
君島大空 / 2023
『関ジャム』で蔦谷好位置が2023年のベストワンに選んでいた曲『c r a z y』が収録された君島大空のセカンド・アルバム。
蔦谷くんとはいまいち趣味があわなくて、彼のお薦めした曲の大半はふうんって感じでスルーしがちなんだけれど、この人だけは引っかかった。隙間の多い音作りとギターの音色に、お、これはもしやいいのでは?――と思った。
で、後日サブスクで聴いて、おーと思った。
音が椎名林檎――というか、東京事変みたいだ。
セルフ・プロデュースで、大半は自作自演。でもっておそらく二十代でしょう?
それでいてこの完成度はすごくない?
まぁ、新しさは感じない――というか、逆に不思議と懐かしい感触があるけれど、その温故知新な感触も心地いい。
あと、その独特な声がすごい。中性的で。
一聴して、え、この人ってもしかして女の子?――って思ったくらい。
こんな歌を歌う人、僕はほかに知らない。
ギター・オリエンテッドな凝ったアレンジと、繊細で柔らかで優しくて脆い印象の性別不詳のボーカルが妙に癖になる。
ここ数年はずとまよ中心にダンサブルな音楽ばかり聴いていたので、こういうメローな音楽にどっぷり浸るのもひさしぶりだった。
(Mar. 29, 2024)
ROUNDABOUT
キタニタツヤ / 2024
キタニタツヤを知ったのは二年前に「THE FIRST TAKE」で公開された『ちはる』だった。
ヨルシカのn-bunaがギターで参加したというのでその曲を聴いて、おぉ、いいじゃないかと思った。
曲はキャッチーだし、歌も上手い。男性なのになんともいえない色気がある。長身だし見た目もすっとしてスマートだ――まぁ、くちピアスはちょっとあれだけれど。
そうかぁ、僕の知らないところでこういう人が人気を博しているのかと。
そう素直に感心した。
でもそのあと、オリコン・チャートを調べてびっくり。
ぜんぜん売れてないじゃん!
その時点でチャートインしていたのは、メジャーでのデビュー・アルバム一枚だけで、そのときの順位が何位だったかは覚えていないけれど、少なくてもベスト30とかには入っていなかったように思う。
だから彼の才能を疑ったとか、そういう話ではない。逆。
こんな才能ありそうな人が売れてないなんて、いまの日本の音楽シーンってどこか間違ってない? 大丈夫?
――そう思った。
さて、それからおよそ一年半が過ぎ、アニメ『呪術廻戦』の主題歌に抜擢された『青のすみか』でようやくブレイクして、『紅白歌合戦』への出演も果たしたキタニタツヤのメジャー・サード・アルバム。
いやぁ、売れてよかったねぇって。しみじみそう思う。しかるべき才能がようやく正しい評価を受けたようで他人事ながら嬉しい。
いやしかし、あらためてこのアルバムを通して聴くと、キタニくんがヨルシカでベースを弾いている理由がよくわかる。
『私が明日死ぬなら』で始まって、『大人になっても』(夕焼けが綺麗すぎて死にたくなる)という歌で終わる。その歌詞のネガティヴな世界観が完全にn-bunaと同系統。そりゃこのふたりは気があうだろうなと思った。僕がこのアルバムを聴いていたら、横でうちの奥さんが「暗い」って驚いていた。
きけば東大卒だというし、それだけの知性と才能に恵まれていながら、こんな厭世的な世界観を持っている人は間違いなく信頼できる。――少なくても個人的には。
なんにしろ、曲はどれも性急でポップで粒ぞろいだし、全十曲34分というトータルタイムの短さもいい。いま現在のJ-POPシーンの豊かさを象徴する一枚ではと思います。
なかでもお気に入りは、前の年にヨルシカのsuisをゲストボーカルに迎えて録音した『ナイトルーティーン』のセルフカバー・バージョン。
どちらかといえばsuisのバージョンのほうが好きだけれど、差は僅差で、キタニ版も甲乙つけがたい。なによりこちらにもバックコーラスでsuisが参加しているのにぐっとくる。自分の曲なのにあえて後発のこちらを「カバー」と銘打っているのもいい。
この曲は本当に大好きです。
(Feb. 25, 2024)
No more cry
エレファントカシマシ / 2023
エレカシが去年リリースした二枚目のシングル。
テレビCMのタイアップ曲だった『No more cry』と、どことなくコミカルでEMI時代を彷彿とさせる『Hello I love you』の二曲入り。いや、あとおまけのカラオケ二曲も入っているので正確には四曲入り。
まぁ、いずれにせよ新曲としては二曲。どちらもミディアムテンポで、宮本らしいメロディのキャッチーな出来。特に後者は個人的には好きなタイプの曲だ。
だがしかし。
どうにも素直に好きといい切れないのは、今回もその英語のタイトルと半端な英語まじりの歌詞のせい。
なんで宮本浩次という人はこんな歌詞ばかり書くようになってしまったんだろう?
とくに問題ありは二曲目。『Hello I love you』というタイトル、僕としてはこれは禁じ手だと思う。
後半の歌詞に「Heartに火をつけてくれ!」とあるので、これがドアーズの同名曲へのオマージュであるのは明らかだ。
だとしても、そのタイトルは使っちゃ駄目でしょう?
「Hello I love you」という言い回しは、使っている単語は小学生でもわかるくらいシンプルだけれど、決して自然な表現ではない。組み合わせが変で、ふつうの日常英語とは思えない。いきなり「こんにちわ、愛しているよ」なんて人、いないでしょう? いたとしても、せいぜいラジオのDJくらいだ。
つまりこの言葉の組み合わせには、それ自体にある種のオリジナリティがあるはずだ。だとしたら他人が軽々しく流用していいものではなかろう。
たとえば夏目漱石の『吾輩は猫である』というタイトルは――英語にしたら "I am a cat" だから――シンプルきわまりないけれど、そこには確実な独創性がある。唯一無二の漱石のシグニチャーがある。
そのタイトルを別の作家がそのまま借用して、別の小説を書いたとしたらどう思います? そんなことをする小説家がいたら、軽蔑されて当然では?
宮本がしているのはそれと同じことのように僕には思える。
なまじ『Hello I love you』という曲がいいだけに、安直にそんなタイトルをつけた宮本の感覚にはどうしてもがっかりせずにいられない。
『No more cry』に「かっこわるい/かっこつけてた昨日の俺」って歌詞があるけれど、『遁世』なんて曲を書いていたころよりも、話せもしない英語を適当に使いまわしているいまの宮本のほうがよほどかっこわるいと思うのは、たぶん僕だけじゃないだろう。なんで「Heart」って英単語がこんなにたくさん出てくるのさ……。
そもそも世界中で大ヒットしたYOASOBIの『アイドル』を筆頭に、いまや日本語の歌を日本語のまま聴いてくれる外国人がたくさんいるのに、かつて誰よりも日本語を大切にしていた宮本が、なんでいまさらこうも安直に英語を使うようになっちゃったんだろう?
――と不思議に思っていたんだけれど、去年ABEMAで配信されたアビー・ロード・スタジオでのスタジオ・ライヴを観て、その理由の一端がわかった気がした。
というのも、番組の最後に収録されたYO-KINGとの対談で、同世代のふたりはともに最近の若いアーティストの曲を知らないことを告白していたから。
そうかぁ。つまり、いまの若者たちがどれだけ鋭い言語感覚を持っていて、どれだけ素晴らしい歌を書いているのか、ぜんぜん知らないわけだ。
ならば洋楽に憧れ、国内にはサザンやスライダーズしかロールモデルがない宮本が、こういう歌を歌ってしまうのも仕方ないのかなぁ……と思ってしまった。
やっぱいくつになっても勉強って大事だと思うんだけれどなぁ……。
誰か宮本に米津玄師やヨルシカを聴くよういってくれないかな。
(Feb. 19, 2024)