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  1. あにゅー / RADWIMPS
  2. 宮本浩次 @ 日本武道館 (Oct. 27, 2025)
  3. 「残像の愛し方、或いはそれによって産み落ちた自身の歪さを、受け入れる為に僕たちが過ごす寄る辺の無い幾つかの日々について。」 / Tele
  4. Sketch / 幾田りら
  5. ヨルシカLIVE 2024「前世」 / ヨルシカ
    and more...

あにゅー

RADWIMPS / 2025

あにゅー

 RADWIMPSの今と昔が交錯する会心の一枚!

 桑原彰の脱退から一年。デビュー二十周年ということもあり、野田・武田の二人体制になっての再出発の意味を込めて『あにゅー』と名付けられた新譜。

 『あにゅー』ってなに?――と思ったら、英単語の「anew [ən(j)ú:] -adv. 改めて; 新たに, 新規に.」(リーダーズ英和辞典)だそうだ(英語力に難のある男)。まさしくその名にふさわしいフレッシュな内容になっている。

 なにかとサプライズの多いこのアルバム。まずは発表済みの曲が『命題』と『賜物』の二曲しかないことに驚いた。

 CDには朝ドラ『あんぱん』の最終回で使われた『賜物』のオーケストラ・バージョン、配信バージョンには『大団円』の新録バージョンがボーナス・トラックとして収録されているけれど、それらを含めても三曲。残りの十曲はまっさらの新曲。

 配信リリース済み曲をコンパイルしてアルバムを出すのがあたりまえになってしまったこのご時世に、これだけの新曲を一気に聴けるのがとても嬉しい。やっぱアルバムってこういうのがいいよなぁとしみじみと思った。まぁ、いまだにそれを毎回あたりまえのように行っているaikoという超えらい人もいますが。

 発表済みの二曲にしても、『命題』はRADWIMPSの王道中の王道といえる曲ながら、初期のアルバムに収録されていてもおかしくないようなその歌詞の世界に、こういう曲がいまさら生まれてきたことにも驚かされた。

 朝ドラの主題歌として賛否両論を巻き起こした『賜物』は、初めて聴いたときに、その構成の複雑さにびっくりした。これ一曲に三曲分くらいのメロディと歌詞をぶち込んだ感がある。朝ドラではその一部だけを切り取ってしまったことで不評を買った感が否めない。まぁ、ちゃんと一分半で朝ドラの世界を表現できてないのが嫌だってことならば、それはそうかもしれないけれど……。

 でもふつうに音楽が好きな人ならば、この曲に込められた熱量の高さは否定できないでしょう? だってこんな曲書ける? ダンサブルな曲調をストリングス・アレンジで聴かせるのはラッドとしても新機軸だし、そういうところにもちゃんと朝ドラ主題歌としての配慮はされていると思う。

 新海映画のサントラとかを聴けば、野田洋次郎がいかにも朝ドラにふさわしいマイルドな曲を書けるのはあきらかだ。でも彼は今回、あえてそういうわかりやすい曲ではなく、こういう全方向にとことん尖った楽曲を持ってきた。それがやなせたかしという人の人生を表現する正しい方法だと信じたからだろう。

 かつてアマチュア時代にライブハウスの支配人から「こんなことしてたら売れないよ」と言われても折れることなく、ミクスチャーなスタイルを貫いてデビューを果たした反骨心はいまも変わってないんだなぁって思った。

 ラッドにとっては王道ともいうべき『命題』と破格の『賜物』。この二曲をリードトラックにして、このアルバムには十二曲(+先程書いたボーナストラック一曲)が収録されている。

 印象的なのは『命題』から始まる前半部分の初々しさ。そこにはメジャーデビュー当時に戻ったかのような、適度にキュートな感触がある。昔のラッドはよかったよねって。そういって離れていったファンを力づくで呼び戻せそうなフレッシュさがある。

 でもそんなアンチエイジングな魅力だけが売りではないのがこのアルバムのよいところ。バラードが多めになる後半、『筆舌』には洋次郎が四十代になったからこそ歌える苦みがあるし、『成れの果てに鳴れ』のサウンド・デザインは『新世界』などの最近のラッドの最新型だ。

 決して懐古趣味に走って若ぶってんじゃないぜって。これぞ二十年に及ぶキャリアのなかで培ってきた抽斗の多さの証明。そんなアルバムに仕上がっていると思う。

 もう絶賛されてしかるべき傑作だと思うんだけれど、そんな中で画竜点睛がりょうてんせいを欠くの感があるのが『ピリオド。』

 曲自体の出来が悪いとかではなく、問題はその歌のテーマ。

 「まじでいらねぇ」「はよ消え去って」と(おそらくバンドを抜けた彼に向けての)嫌悪をむき出しにして歌うこの曲の救われなさときたら……。

 かつての問題作『五月の蠅』を思い出させる曲だけれど、とことんヘビーだったあの曲とは違い、楽曲があっけらかんと明るい分、なおさら救われない。

 この曲を聴いて、今回のアルバムに『人間ごっこ』や『KANASHIBARI』が収録されていない理由がわかった気がした。再出発を誓うこのアルバムには「桑原彰」のクレジットを入れるわけにはいかなかったんだろう。だから『大団円』も新録なわけだ。

 これほど素晴らしいアルバムが、そんな仲間との決別という哀しい事件の結果としてもたらされたという事実には、どうにもやりきれないものがある。

 でもまぁ、いまさらそんなネガティブなことをいっていても詮方なし。その一点をのぞけば、本当にこのアルバムは素晴らしいのだから。

 ほんとRADWIMPSというバンドが好きでよかった。

 ――これ一枚でも十分そう思わせてくれていたのに、さらにもう一枚、おまけでとっておきのプライズがあろうとは(つづきは後日)。

(Nov. 19, 2025)

宮本浩次

俺と、友だち/2025年10月27日(月)/日本武道館

I AM HERO

 十月になって突然発表された宮本の新企画『俺と、友だち』。

 まずは発表からわずか一週間後に下北沢SHELTERでトミとキタダマキとのスリーピースバンドでのライブをやるといって唖然とさせ、翌日には同月の最終週に武道館公演をやるといい出した。なんだそりゃ。

 結局シェルターはトミが交通事故を起こして出演を自粛したので、キタダマキとのふたりでのステージになってしまい、宮本がやりたかったことができなくなってしまって気の毒だったけれど、この日の武道館に関しては本人はきっと大満足だったろう。

 そう、少なくても本人は。

 残念ながら僕個人は今回のソロ公演を楽しみきれなかった。けっこう期待していただけに、そのギャップにがっくりきた。

 宮本いわく「俺と、友だち」はバンド名なのだという噂で、今回、宮本がその新しいバンドのメンバーに選んのは、名越由貴夫、玉田豊夢、キタダマキ、奥野真哉という四人だった。

 縦横無尽バンドから小林武史が抜けて奥野が入っただけじゃん!

 名越さんは友だちなのに、小林さんは友だちじゃないんかい!

 ――とつっこみを入れたくなる。

 とはいえ。たったひとりのこの変更が重要だったのも確か。

 小林武史氏のプロデュースに身を委ねた宮本のソロは、完全なポップスとして綺麗にパッケージされていた。そのサウンド・プロダクションはきっちりとしたプロの仕事だった。

 でもそれは宮本がエレカシで聴かせてきたそれまでのアプローチとは対極にあった。僕ら一部のファンが愛したのは、プロに徹しきれない、永遠にアマチュア臭さの抜けないエレカシの音だ。そんなファンにとっては、小林武史プロデュースの宮本ソロはどうにもお行儀がよくて聴きごたえがなかった。

 宮本にしたって、ほぼソロワークに近かったエレカシの『生活』や『good morning』ではあれだけノイジーでアグレッシブな音を鳴らしてみせた人だ。本人にラウドなロック・サウンドへの欲求がないはずがない。

 「俺と、友だち」と称して、小林さん抜きでバンドをやろうという姿勢には、そうした昔ながらのロックに対する原点回帰的な意味合いが含まれているのだろうと思われる。発表からわずか一ヵ月のあいだに二本をこなすという性急なスケジュールも、業界の因習に縛られない自由さ、ベテランらしからぬ足取りの軽さを感じさせた。

 これはもしや期待してもいいのでは?

 ――今回のライブには、そんな宮本ソロが始まって以来、初めてじゃないかって期待感があった。

 でもって、宮本はそんな期待にきっちりと答えてくれる。

 ――少なくても第一部では。

 『over the top』から始まった最初の四十五分は予想にたがわず最高だった。小林武史のかわりに奥野真哉(from ソウル・フラワー・ユニオン!)の鍵盤をフィーチャーしたサウンドは、あきらかにこれまでの宮本のソロとは違った。

 というか、単純に宮本がギターを弾いている時点で違う。これまでのソロではロック歌手に徹して、ほぼ全編ハンドマイクだった宮本が、今回のステージでは過半数の曲でギターを弾いていた。名越さんの安定した多彩なギタープレーに、宮本の乱暴な音が重なる。そこから生まれるガリガリしたロック・サウンドが最高~。

 選曲にしても『明日を行け』や『It's only lonely crazy days』など、エレカシでもめったにやらないシングルのカップリング曲であるレアナンバーを聴かせてみせたのは、あえてエレカシと差別化をはかってみせたんだろう。これらの曲が特別好きなわけではないけれど(というか『明日を行け』なんてタイトルさえ忘れていた)、めったに聴けない曲を聴かせてくれた姿勢が嬉しかった。まぁ、エレカシでは一度もやったことない『It's only lonely~』の初公開がソロでいいのかよとは思ったけれど。

 で、そこにさらにエピック期の『凡人 -散歩き-』や『サラリサラサラリ』が加わるというね。とくに『凡人』は玉田豊夢のドラムとキタダマキのベースがエレカシとは違ったファンキーなグルーヴ感を生み出していて絶品だった。この日のベストナンバーは間違いなくこの曲。

 そんなエレカシ比率の高かった第一部で演奏された数少ないソロナンバーの『夜明けのうた』も、今回は朝日が昇ったりする特別な演出がないところがかえって新鮮だったし、ソロではもっともパンキッシュな『Do you remember?』もひさびさに聴かせてもらえて嬉しかった(この曲はもっと頻繁に聴きたい)。カバー曲もやらなかったし、『OH YEAH!(ココロに花を)』で締めとなるまで、第一部はこれまでの宮本ソロでいちばんの内容だった。『俺と、友だち』、最高なのでは? と嬉しくなった。

 そう、第一部が終わった時点では。

【SET LIST】
    [第一部]
  1. over the top
  2. 明日を行け
  3. 悲しみの果て
  4. 夜明けのうた
  5. 凡人 -散歩き-
  6. サラリサラサラリ
  7. It's only lonely crazy days
  8. Do you remember?
  9. OH YEAH!(ココロに花を)
    [第二部]
  10. Hello. I love you
  11. ジョニィへの伝言

  12. 風と私の物語
  13. 哀愁につつまれて
  14. close your eyes
  15. 今宵の月のように
  16. 昇る太陽
  17. ハレルヤ
  18. ガストロンジャー
  19. I AM HERO
    [Encore 1]
  20. 冬の花
  21. rain -愛だけを信じて-
  22. P.S. I love you
    [Encore 2]
  23. First Love

 あれ?――と思ったのは、つかの間の休憩をはさんで第二部に入ってから。

 最初の『Hello. I love you』こそエレカシのカップリング曲だったから、そこからも第一部の流れをくんだ内容になるのかと思ったら、二曲目で『ジョニーの伝言』が演奏されてしまう。

 カバー曲なし、混じりけなしの一大ロックショーを期待していた身としては、この歌謡曲の登場で一気にボルテージが下がってしまった。

 つづく『風』は大好きな曲だし、こなれたバンドサウンドにのる宮本の明朗なボーカルはとても気持ちよかったけれど、なにせバラードではひとつ前で下がったテンションはそう簡単には上がらない。

 その次は初公開となる今回の目玉のひとつ、宮本がAdoに提供した『風と私の物語』のセルフカバー。

 宮本ならではのメロディと歌詞をAdoが見事に歌いこなすを聴いて、Adoってすげーと改めて思わされたこの曲。これぞ宮本節って感じだし、本人が歌っても絶対に映えるんだろうと楽しみにしていたのに、残念ながら期待したほどではなかった。Adoのぶれのない迫力のあるボーカルと比べると、宮本のライブバージョンはいまいちインパクトを欠いたというか……。人に提供した曲だからだろうか。宮本のボーカルでいちばん気持ちのいい音域が出ていない印象を受けてしまって、気持ちよさが足りなかった。大いに期待していた曲だっただけに残念。

 で、その次がバースデーライブの最後に演奏された『哀愁につつまれて』で(なにげに宮本のお気に入りなのかもしれない)、そこから第二部の終わりまでは、これまでのソロコンサートの定番ってイメージになってしまう。

 要するに意外性がまったくなくなった。これじゃあ小林武史がいてもいなくても変わらないじゃん。なまじ第一部がエッジの効いた音と意外性のある選曲で楽しませてくれただけに、そことのギャップでどうにもテンションが上がらない。

 でもまぁ、本編ラストの『昇る太陽』『ハレルヤ』『ガストロンジャー』、そして本邦初披露の新曲『I AM HERO』というアッパーな曲を連発した締めに関しては文句なし。『I AM HERO』は『ミュージックステーション』で聴いたときには、まだちゃんと歌いこなせてない感があったので、生で聴いたこの日のほうが何倍もよかった。

 そうそう、今回のライブは、最近のソロとは違ってスクリーンがなかった。僕らの席は二階席の上の方で、さすがに遠くて宮本の表情とかはまったくわからなかったけれど、でもほぼ正面だったから、ステージ全体が満遍なく見えたし、バンドの全体像が視野に入る分、ちゃんとライブ感が味わえたのはよかった。

 あと、スクリーンはなかったけれど、こと照明に関しては、これまでのエレカシ関係ではもっともゴージャスだった。武道館の会場全体を縦横無尽にライトが飛び交う美しさはとても見ごたえがあったので、これが見られただけでも今回は遠い席でよかったかもと思った。

 ソロのクライマックスを飾る定番『ハレルヤ』は、これまでいつも宮本の手書きの歌詞がスクリーンに映し出されるのを目にしながら聴いていたけれど、今回はそれもなかったので、いつもより没入感が高かった気がした。やっぱ宮本のステージには余計な演出はいらないんだよなぁって思う。

 ということで、第二部に入ってからは印象がいまいちになってしまったものの、最後はけっこう盛りあがったので、そこで終わってくれていれば、なかなかいいコンサートだったと気持ちよく帰れたのに……。

 今回はそのあとのアンコールがいけない。

 一曲目の『冬の花』はまぁ仕方ない。これはやるでしょう。ソロを代表する一曲みたいになってしまっているし。僕の好みではないから、やめてとはいえない。

 でも二曲目の『rain -愛だけを信じて-』が駄目。いい曲だとは思うんだけれど、以前に口パク疑惑を受けたコーラス部分でのボーカルのサンプリングの使用が駄目。今回のライヴのコンセプトから外れている。昔ながらのロックバンドはそんなことはしない。あのさびのハモリですげー萎えた。俺はもっと宮本の歌を生で聴きたいんだよ~。

 いや、もしもあのハモリがちゃんと嵌っていればまた違ったのかもしれない。でも下手なんだもん。ガリガリとしたロック・サウンドに乗せてガナるならば、ちょっとくらい声が出ていなくても受け入れられるけれど、ポップソングはちゃんと歌えてなんぼだ。ちゃんと歌えないなら、やらないで欲しい。

 そんな風にネガティヴになってしまったアンコールの締めに『P.S. I love you』で「愛してる~、愛してる~」を連呼されてもなぁ……。

 あぁ、今回のアンコールはいらなかったなぁ……と思ながら帰ろうと思ったら、なんとそのあとにダブル・アンコールがあって、さらなる駄目押しをされてしまう。

 宮本がエレクトリックギターを持って出てきて、椅子を準備していたので、「おー、もしや最後に『男は行く』かっ!」と、瞬間的に高揚した僕の期待を裏切って演奏されたこの日最後の曲は――。宇多田ヒカルの『First Love』。

 なんで最後に人の曲を歌うのさ。カバー曲がメインだった『ロマンスの夜』ならばともかく、今回はそれはないんじゃん? それも決して上手くもないのに……。

 なまじ『男は行く』を期待してしまったもんだから、がっかり感がはんぱなかった。

 この夜の歌でいえば、『サラリサラサラリ』や『風』など、宮本が自らの声域のなかで無理をせずに歌うバラードの気持ちよさには抗えないものがあるのに、『First Love』はそうじゃない。あくまで個人的な意見かもしれないけど、ファルセットを使わないと歌えない曲は、宮本の魅力が半減するんだよねぇ……。

 やめたほうがいいよって、誰かいってくれないかな。

 とにかく、このアンコールの四曲のせいで、この夜のテンションはダダ下がりだった。宮本のコンサートを観て、こんな風にがっかりしたのはひさしぶりだ。

 いや、客観的に批評家的な目で見れば、内容のあるいいコンサートだったのかもしれない。でも僕自身が聴きたい音楽と、宮本がやりたいことのギャップが激しくて、個人的には十分に楽しみ切れなかった。そんな晩秋の一夜だった。

(Nov. 05, 2025)

「残像の愛し方、或いはそれによって産み落ちた自身の歪さを、受け入れる為に僕たちが過ごす寄る辺の無い幾つかの日々について。」

Tele / 2025

「残像の愛し方、或いはそれによって産み落ちた自身の歪さを、受け入れる為に僕たちが過ごす寄る辺の無い幾つかの日々について。」

 去年の君島大空につづいて、今年も蔦谷好位置が『EIGHT-JAM』で年間ベスト10に取り上げた曲にハマった。今年の一曲は Tele の『カルト』。

 Tele(テレ)は谷口喜多朗という2000年生まれの青年のソロプロジェクト(うちの子より若い!)。

 谷口クンはどことなく野田洋次郎を小ぶりにしたような見た目と声をしている。でもって、『カルト』はまさにラッド系列の饒舌でシニカルなロックナンバー。MVでは黒スーツに白シャツ姿で、あたかも宮本浩次みたいな暴れ方をしているし、これはもう完璧に俺の守備範囲でしょう?――と思って、そのほかの曲も聴いてみたんでしたが。

 ん、ちょっとちがうかも?

 そう思ってしまったのは、『カルト』みたいにアッパーなギターサウンド一本で勝負している曲がほとんどなかったから。

 よくいえば、バラエティに富んでいる。悪くいえば、これって芯が見えてこない。その辺はバンドではなくソロアーティストだからだろう。バンドという縛りがない分、あれもこれもと様々なスタイルをお試し中な感じ。全体的にはマイルドな曲が多くて、ちょっと期待していたのとは違った。

 僕が若き日の宮本や洋次郎やn-bunaに惹かれたのは、どの楽曲を聴いても彼らが感じている日々への苛立ちが歌詞にも音にもビートにも溢れださんばかりだったからだ。

 とにかく黙っていられないから歌う。叫ぶ。じっとしていられないから踊る。日々の憤りや憂鬱を振り払うには、激しいノイズとハードなビートとシニカルな言葉をぶつけるしかない。それが僕にとっての音楽だった。

 Teleの場合、『カルト』はまさにそういう曲なのだけれど、それ以外はそうでもない。歌詞は怒りと愛を並行で語っている印象で、ある程度の毒はあるけれど、前述の人たちほどの濃度じゃない。音もギターが目立つ曲が少ない。ストリングスが多用されていたり、ジャジーな曲があったりもする。

 そう、要するにロックよりもポップ寄りなんだった。最初にド直球の『カルト』で過度のロックを期待してしまったのが間違い。

 少年ジャンプに掲載されていたインタビューでは「教科書に載るような曲を書きたい」みたいなことを言っていたし、もとよりポップ寄りのメンタルな人なんだろう。いったんそういうアーティストなんだという事実を受け入れてからは、けっこう楽しく聴かせてもらっている。

 このアルバムはそんな Tele が満を持してリリースした二枚目のアルバム。レーベルはトイズファクトリーだから、これがのメジャー・デビュー・アルバム――なんでしょう、おそらく。でもなぜだかタワーレコードでしか売っていない。ほんとなぜ? いろいろ謎が多い。

 このアルバムをリリースしてから半年もたたないのに、すでにこのアルバムには未収録の新曲が二曲リリースされていたりするし、ずとまよやヨルシカと同様、CDシングルなんて出す気配もない。いまどきの若者って、CDの売上なんてどうでもいいと思っている感じが新鮮だ。

 アルバムの内容は2022年からコンスタントにリリースしてきた三年分の配信シングル15曲に新曲6曲を加えた怒涛の21曲入り。

 なにもCDの収録時間上限に達するほど曲が溜まるまで待たないで、もっとこまめにアルバムにまとめてもいいじゃんって思うけれど、でもこのアルバムはこの過剰なボリュームに意外と説得力がある。なんたって一時間二十分という再生時間の長さがまったく気にならない。楽曲のよさとバラエティ豊かなアレンジゆえだろう。新人でこれはちょっとすごいと思う。覚えられないほど長いアルバムタイトルからも伝わる言葉に対するこだわりも魅力のひとつだ。

 ネットでは楽曲ごとのクレジットが見つからず、CDも買っていないから詳細はわからないけれども、Apple Musicのプロパティにあるクレジットだと、ほとんどの曲に「アレンジャー、作曲、作詞」として谷口喜多朗の名前がある。

 え、まじか? このアルバムってもしかしてセルフプロデュースなの? それでこの完成度はすごいな。あまりにバラエティ豊かだから、外部の力を借りまくっているのかと思っていた。もしかして、ものすごい才能の持ち主なのかも。

 『箱庭の灯』や『花筏』といったスローナンバーも素敵だけれど、お薦めはやっぱなんといっても『カルト』。この一曲だけで一年中踊っていられる。

(Aug. 31, 2025)

Sketch

幾田りら / 2023

Sketch (通常盤) - 幾田りら

 いまさらで恐縮ですが。

 これについては一度ちゃんと書いておきたかった。

 YOASOBIのikuraちゃんが「幾田りら」名義で2023年にリリースしたファースト・ソロ・アルバム。

 これを聴いてなにがびっくりしたかって。

 なにしろ曲がいい!

 全曲、彼女自身の作詞・作曲でこの完成度ってすごくないですか?

 ちょっと泣きが入ったメロディーラインに独自のセンスが感じられて、アルバム全体でもちゃんと統一感がある。

 YOASOBIという企画バンドにたまたま抜擢されて国民的人気を博したシンデレラガール――くらい女の子かと思っていたら、単に歌えるだけではなく、ここまで曲が書けるとは。もうびっくりだよ。

 まぁ、YOASOBIの場合、歌詞と音作りにAyaseの明確な世界観があるのに比べると、そうした面ではいまだ試行錯誤中って感があるけれど、最近の『百花繚乱』や『青春謳歌』などのコラボ曲を聴くと、歌詞の面でも新境地を感じさせるし、まだまだ成長の余地ありとみた。

 いずれにせよ、メロディーメイカーとして、これだけの曲が書ければ十分でしょう。『Answer』や『スパークル』などのアコースティックなバンドサウンドのバラードは、YOASOBIでは聴けないテイストで新鮮だし、YOASOBIのエレクトリックな音作りやアッパーなダンスチューンよりも、こちらのほうが好きという人だって一定数いるんじゃなかろうか?

 ――とか思っていたら、うちの子がまさにそうでした。YOASOBIは聴かないけど、幾田りらはけっこう聴いている、とのこと。灯台下暗し。

 いやでも、これだけのアルバムが作れる才能を持った女の子が、自らのエゴを内に秘めたまま、YOASOBIで他人の歌を歌うことを是とした、というところに、並々ならぬ音楽人生への意思を感じる。

 このアルバムのアートワークにしても、もっとニコニコした可愛い写真だって撮れただろうに、あえて笑顔を封印してみせたところに、「見た目は度外視で、音楽をよろしく!」というアーティストとしての矜持が滲み出ている――気がしないでもない。

 イクラちゃん、おとなしそうに見えて、意外としたたかかも。

(Jul. 25, 2025)

ヨルシカLIVE 2024「前世」

ヨルシカ /2025

ヨルシカ LIVE 2024「前世」(通常盤)(2枚組) [Blu-ray]

 ヨルシカが『前世』と題した映像作品をリリースするのはこれが二度目となる。

 最初の作品は2021年リリースの、八景島シーパラダイスで収録された無観客ライブをパッケージ化したもの。

 あれはあれでとても素敵な、個人的にも大好きな作品だけれども、あれがヨルシカにとって最初のフィジカルな映像作品となってしまったのは、n-buna(ナブナ)にとっては、いささか不本意なことだったのかもしれないなと、いまとなると思う。

 なぜって、あのライブは、ヨルシカがその後のステージで表現してきた「音楽と朗読でひとつの物語を語る」というライブフォーマットから逸脱しているから。

 シチュエーションが特殊で、映像としても美しく、ほかでは観られない唯一無二のライブ作品だとは思うけれど、でもヨルシカらしさが十分に出ていたかというと、そうは言い切れないのかなと。内容が音楽だけという意味では、一般的なコンサートと変わらないし、『前世』というタイトルに込められた本来の物語が十分に伝わらない。

 僕は最初にあれを観て、そのあとに『月光』を観ているから、ヨルシカが最初は普通のコンサートをしていて、途中から朗読を交えたスタイルに変わったような勘違いをしていたけれど、実際にはそうじゃない。

 僕らが映像作品として観ている『月光』は、実際には『月光 再演』のタイトルで開催された2022年のツアーのものであって、『月光』の「初演」は2019年。――それがヨルシカにとっての初のツアーだ。八景島の無観客ライブはそのあと。

 要するに、音楽と朗読でコンサートを物語化するというスタイルは、ヨルシカが本格的にライブツアーを始めた当初から現在に至るまで徹底されたトータルコンセプトであり、朗読なしの無観客ライブのフォーマットこそがイレギュラーだったわけだ。

 あれも本来ならば同じスタイルになるはずだったのに、新型コロナウィルスのパンデミックにより、無観客での開催を余儀なくされ、水族館というロケーションを最大限に活かすために――また配信限定という特殊な状況もあって――あえて朗読を絡めるのはやめたんだろう。で、結果として、予定していたツアー・タイトルだけが残ったと。

 いずれにせよ、『前世』と題してリリースされた最初の作品は、n-bunaが本来思い描いていたものとは別の内容になってしまった。

 では、n-bunaが『前世』というタイトルで描こうとした物語とはいったい?

 ――というのがようやく明らかになるのがこの作品。

 朗読+音楽というスタイルは『月光』と同じだけれども、ステージセットはより凝ったものになり、朗読のボリュームも増している――ような気がする。実際には同じなのかもしれないけれども、体感的には倍くらいあった気がする。

 ――いや、違うな。前回はあきらかに「詩」だったけれども、今回は散文調で、どちらかというと「短編小説」と呼んだほうが正しいだろうって内容だから(実際に初回限定盤の特典についてくる冊子も「朗読小説」と紹介されている)。朗読のボリュームは確実に増している。そして『月光』よりも明確な起承転結があって、最後にサプライズが待っている。

 『月光』とは違って朗読の語り手としてのn-bunaがフィーチャーされているし、そういう意味では『月光』よりも『月と猫のダンス』に近い印象だった。あちらでは俳優が演じていた物語パートを、n-bunaの語りだけで表現して見せた感じ。

 ということで、『月と猫のダンス』と同じで、これまた個性的なライブではあるものの、繰り返し見るのは厳しいなぁと思ったら、今回はそういう僕のようなリスナーのために、音楽パートと朗読パートを別々に観られるよう、ディスク2がついてきた。初回限定盤の特典かと思ったら、通常盤も二枚組。優しい!

 でもって、そのディスク2の再生時間を観たら、朗読パートが50分もある! ライブ全編が130分だから、じつに全体の40%弱が朗読。すんごいな。

 楽曲に目を向けると、『負け犬にアンコールはいらない』から始まり、序盤に初期のミニ・アルバム二枚の曲をたくさん演奏してくれているところが今作の醍醐味。あと、途中からはホーンやストリングスをフィーチャーして、アレンジがゴージャスになるところも重要。n-bunaのみならず、キタニタツヤがコーラスを担当する曲もあるし、曲によってニュアンスが変わるsuis(スイ)のボーカルや、これまでになくガーリーな衣装も要注目だ。

 そんな風に音楽パートだけでも語るべきことのたくさんある、見どころたっぷりのライブなのに、全体となると、やはり朗読パートのインパクトがすごくて、そちらに意識を持っていかれてしまう。いいんだか悪いんだか。

 そういや、n-bunaとsuisがそれぞれ左手の薬指に指輪をしているのも、暗黙の了解的なカミングアウトなのか、はたまた演劇的なライブゆえの演出か、真相がさだかじゃなくて、気になるところだ。

 まぁ、いずれにせよ素敵なライブフィルムでした。

 この文章を書くためにあれこれ考えていたら、東京公演がないからといって、秋からのツアー『盗作 再演』のチケットを取ろうともしなかったのが失敗に思えてきた。

(Jul. 19, 2025)