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- WONDER BOY'S AKUMU CLUB / 野田洋次郎
- エレファントカシマシ @ 日本武道館 (Jan. 4, 2025)
- エレファントカシマシ @ 日本武道館 (Jan. 3, 2025)
- ずっと真夜中でいいのに。 @ 神奈川県民ホール (Dec. 12, 2024)
- Songs of A Lost World / The Cure
and more...
WONDER BOY'S AKUMU CLUB
野田洋次郎 / 2024
野田洋次郎、本人名義での初のフル・アルバム。
野田くんはこれまでにもソロ・プロジェクトのillion(イリオン)で二枚、本名でサントラ一枚と、すでに三枚のソロ・アルバムをリリースしている。
まぁ、サントラは性格が異なるので除くとして、歌もののソロアルバムとしては、illionから数えればこれが三枚目ということになる。
ただ、その創作姿勢はillionのときとは確実に違う――ように思う。
illionは海外進出を視野に入れたプロジェクトで、歌詞は英語中心だったし、メロディーもあえて日本的な音階を意識したものが多かった。
それと比べると、今回はいたってニュートラル。クレジットには武田と桑原の名前もあるし、これってRADWIMPSとなにが違うんだろうって仕上がりになっている。
このアルバムのリリース直後に桑原彰がRADWIMPSを脱退してしまい、いまやラッドのメンバーが洋次郎と武田、ふたりだけになってしまったこともあり、ますますラッドとの境界線があいまいになりつつある気がする。
まぁでも、ソロでもバンドでも、曲自体は洋次郎が書いて歌っているのだから、べつにそこにこだわって差別化を図る必要もないだろう。アーティストが変なところにこだわりをもって活動を制限してしまうのも窮屈なので。表現者はもっと自由でいい。
そういう意味では、このアルバムのラッドっぽさには、そういう過去のしがらみを振り切ったんだろうなと思わせる自由さがある。
とくに先行シングルにしてラスト・ナンバーの『LAST LOVE LETTER』は、まるで初期のRADWIMPSを思わせるナンバーだった。いかにも洋次郎らしい昔ながらのラブソングがソロで出てきたところに意外性があったし、新しくこういう新曲が聴けたのは嬉しかった。
まぁ、ラッドに似ているとは書いたけれど、ではまるで一緒かというと、やはりそんなことはなくて、バンドという化学反応を経ずに、個人の志向性だけで構築されたこのアルバムの音には、ラッドの音とは違った密室性がある。打ち込み多めな音作りは僕の嗜好からはいくぶんズレている。
昨今はRADWIMPSの音も打ち込みが多くなってきてしまっているので、このアルバムをラッドっぽく感じるのはその点も大きいと思う。
かつての純然たるギターバンドだったRADWIMPSを愛していた身としては、その変化にはいささかの淋しいものを感じてしまう。リリースから半年近くたってからこの駄文を書いているのも、その辺の音響に対する愛着の湧かなさによるところが大きい。
桑原くんが抜けた今後の活動がどうなるのかも不明瞭だし、RADWIMPSというバンドのこれからを思って、いささか微妙な気分になっている。
(Feb. 04, 2025)
エレファントカシマシ
新春ライブ2025/2025年1月4日(土)/日本武道館

エレカシ新年ライブ二日目。
開演が前日よりも一時間早かったので、まだ明るいうちに武道館に着いた。
この日の席はアリーナ一列目!――とはいっても、左手の隅のほうで、真正面にあるのは左のスクリーンとスピーカーだったので、特等席とまではいえなかった。
前日はステージと左右のスクリーンが均等に視界に入る席だったのに対して、この日はステージを見るにはほぼ横を向く形になって、目の前にあるスクリーンは否応なく視野から外れる。
要するにステージを見るか、スクリーンを見るか、二者択一を迫られる席だった。僕の右となりにいた女性(ステージを見ようと思うとどうしても視界に入る)は、ステージよりもスクリーンを観ているほうが多かった。
まぁ、宮本のファンだと、近いといっても表情まではわからない距離のステージを見るより、スクリーンにどーんとアップで映し出される宮本の表情を追っていたほうが幸せだったりするんだろうなと思った。
あと、すぐ目の前にスーツ姿の警備員のバイト君がいたのも残念ポイント。邪魔にならないようにライブ中にはしゃがんでいたけれど、ライブの熱狂には無関心な人が常に視野の片隅にいるというのが、どうにも気にかかった。最前列だから最高ってもんでもないのねと思いました。
メンバーでいちばん近かったのはキーボードの奥野真哉で、そのうしろにいた金原ストリングスチームの皆さまは機材に視野をさえぎられて半分しか見えなかった。コジローくんも宮本の陰にかくれて見えない時間帯が多かった。
でもまぁ、ひさしぶりに見るエレカシのオリジナル・メンバー四人の姿はちゃんと拝めたし、宮本が何度かすぐ近くにきてくれたりもしたし、それだけでも十分ラッキーだったとは思う。
それによりなにより、スピーカーが目の前にあるから前日とは違って音がよかった。これがなにより大事。奥野のオルガン、コジロー君アコギ、金原チームのストリングの音色がしっかりと聴きとれる。この音のよさと、肉眼でステージが見えるからこそのライブならではの臨場感。これがこの二日目の醍醐味だった。
セットリストは前日とまったく一緒。『男は行く』や『待つ男』をこの音響のよい最前列で聴けるというのは、どれほどの至福だろうと思っていたのだけれど、意外やそれほどでもない。
――というのも、この日の演奏は前日よりも安定感を欠いていたから。
前日はこれといったミスのない、エレカシ史上初ではというくらいに安定した内容だったのに、この日は「いつものエレカシ」に戻ってしまった感じだった。宮本が渡されたアコギのチューニングをやり直したり(なんで出てきたばかりのアコギのチューニングが狂っているんだか)、トミのほうを再三振り返って指示を出したり、『珍奇男』での即興部分での掛けあいがぐだぐだったったり。そんな昔ながらのまとまりの悪さを感じさせるステージに戻っていた。なぜ?
単に席の違いで印象が違っただけかとも思ったけれど、コジローくんがSNSで「同じセトリなのに、全く雰囲気も内容も変わる曲達」なんてコメントを残しているので、やっぱり当事者にとっても違ったんだろう。
いちばん笑った(というか宮本ひでーと思った)のは『シャララ』で、宮本が冒頭の数小節を歌ったあとで演奏を中断して、アリーナの観客に向かって「そこの人、リズム感悪いから動かないでくれる?」とかいって演奏をやり直したシーン。
宮本のソロでも観客の手拍子が気に入らなくて演奏を中断したことがあったけれど、あのときは不特定多数が相手だった。それにに対して、この日はある一部のファンだけを特定しての否定だもん。宮本、さすがにそれは駄目だと思うよ。指さされたファンの人たちの心境を思うと心が痛む。この新春ライブを心から楽しみにしてきたんだろうに……。
まぁ、そんな風に「それはどうなん?」と思うシーンもありはしたけれど、前述したとおり前日とは視界も音響も違ったことで、この日もじゅうぶん新鮮な気分でライブを楽しめた。二日同じセトリでライブを観ても、まったく飽きさせないところがさすがエレカシ。
そういや、前日はステージの中頃でしていたメンバー紹介もこの日はなし。アンコールの『待つ男』が終わったあとで、おざなりに全員(たぶん全員)の名前を呼んだだけで済ませてしまった。昨日やったから今日はいいでしょうといわんばかりの宮本の姿勢がすごい。昔から礼儀正しいようでいてけっこう無礼なんだよなぁ……。
そういや前日はスクリーン越しに宮本の顔だけが真っ赤に浮かび上がるのを見ていた『待つ男』は、近くで見てもステージは真っ暗で、宮本の赤い顔しか見えなかった。おかげで宮本の怒号とともに曲が終わるのとともに、ライトがぱっとついて明るくなった瞬間の解放感がすごいこと……。
ソロではまったくギターを弾いていない宮本のヘタウマなギターを存分に楽しめるという意味でも貴重な体験だったし、やはりエレカシのほうが好きだなぁと思った正月明けの2デイズでした。幸せな新年の幕開け。
(Jan. 16, 2025)
エレファントカシマシ
新春ライブ2025/2025年1月3日(金)/日本武道館

2025年は三箇日が明けないうちに、エレカシの新春ライブ2デイズ@日本武道館でスタート!
このところ宮本のソロばかりで、エレカシを最後に観たのは2023年三月の有明アリーナだから、じつに二年ぶり近くになる。こりゃ絶対に観逃すわけにはいかないと、二公演とも申し込んだら、両方とも取れてしまった。でもって、取れたのは二公演ともアリーナ席だった。しかも二日目はなんと最前列。
ん、もしかしてエレカシそれほど人気がない?――と思ったりしたのだけれど、うちの奥さんの友人は同じように二公演申し込んだのに片方外れたというし、取れたのも二階席だという話なので、単に僕らのチケット運があいかわずいいという話らしい。
ということで、正月早々観てきました、ひさしぶりのエレファントカシマシ。新春武道館ライブの一日目。
この日の席はアリーナとはいってもうしろのほうで、ステージ向かってななめ左寄り。ステージはよく見えたものの、音の分離が悪く、音響はいまいちだった。
武道館というと客席を三百六十度解放して行われた三年前の公演のアングラ感が強烈な印象で残っているけれど、今回はあのときよりは良心的だった。
なんたって、ステージの左右にスクリーンがある。映像演出とかはなく、宮本を中心としたメンバーの姿を映し出すだけだけれども、それだけでもう印象が段違い。ちゃんと遠くの席のお客さんにも自分と仲間たちの姿を見せようという姿勢に、宮本がソロ活動を経て身につけたサービス精神が表れている気がした。
その辺の変化はセットリストにも表れていた。だってオープニングが『大地のシンフォニー』ですもん。こんなメローな曲でエレカシのライブが始まることがあるなんて、想像もしなかった。
エレカシって一曲目が比較的固定され気味で、いつもだと「今日はこれかぁ」って感じなので――僕が予想(というか期待)していた曲は『俺の道』――オープニングにこの曲を持ってきた意外性は過去一だった。
まぁ、今回のライブには金原千恵子ストリング楽団の四名様が参加していて、はやくもこの一曲目で登場して、以降も過半数の曲に参加していたので、金原さんたちの存在が少なからず選曲に影響していた気はする。
【SET LIST】
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『大地のシンフォニー』のあとは『新しい季節へキミと』に『悲しみの果て』と、僕個人にとっては愛着のない曲が並んだので、今回はもしかして期待外れかと思ったら、そこから先が振るっていた。
「とっておきのバラードをお届けします」みたいなズレたコメントのついた『デーデ』、そして『星の砂』というお馴染みのメドレーを聴かせたあとに、いきなり飛び出したのが『珍奇男』!
――この曲がこんな序盤に演奏されたことってあったっけ?
この曲ではいつになく「おっとっと」を連発していた宮本が、次に聞かせてくれたのが「後楽園からの帰り道を歌った」みたいな紹介で始まった『月と歩いた』! この『浮世の夢』メドレーはレアすぎた。基本弾き語りで途中一度だけバンドアレンジになる「ドライブたのしブブッブー!」のところもおもしろすぎた。
嬉しいことに、さらにもう一曲、エピック時代のナンバーがつづく。それもストリングスつきの深みのあるアレンジで味わいの増した『シャララ』! この曲が僕にとってのこの日のクライマックスだった(一度目の)。いやぁ、最高でした。
そのあと『今宵の月のように』からは再び売れて以降の路線へ戻る。金原楽団がゲストのときの定番『リッスントゥザミュージック』に、日本の名曲『翳りゆく部屋』ときて、爆発的な歌いだしが最高にカッコいい『RAINBOW』、そして『ガストロンジャー』という怒涛の攻めで第一部が終了。
ここまでわずか十二曲ながら、メローでポップなオープニングから、エピック期のやんちゃな楽曲を挟んで、最大のヒット曲や珠玉のカバー曲を聴かせた上で、圧巻のアッパーチューンで締めるという構成が見事。エレファントカシマシというバンドの懐の広さを見せつける、バラエティ豊かで濃厚な第一部だった。これだけで終わっても文句ないかもって充実度だった。
この日のサポートはキーボードがソウル・フラワー・ユニオンの奥野真哉で、ギターが最近ずとまよでの活動が激減した佐々木“コジロー”貴之。
この二人の演奏をエレカシで聴けるってのも、僕としてはポイントが高かった。ソウル・フラワーとずとまよでお馴染みのプレーヤーをエレカシのステージで一緒に観れるなんて。この会場で二人の共演をいちばん喜んでいるのはおそらく俺だろうなって思った。
奥野真哉はソウル・フラワーだとシンセの音作りが人工的な気がして、絶対的に好きとはいいきれないのだけれど、エレカシではオルガンとピアノを中心としたオーソドックスな音作りが中心なのが好印象だった。まぁ『so many poeple』のピコピコしたイントロがいつになく目立っていたのには、なるほど奥野っぽいかもって思ったりしたけれど。
そういや、『リッスントゥザミュージック』では、後半にバンドアレンジで盛り上がるまでの演奏が、奥野氏のオルガンとコジローくんのアコギ、そして金原四重奏のストリングスだけで、エレカシのオリジナル・メンバーがずっとお休みってのもおかしかった。エレカシの正規メンバーなのに仕事が少ない。
つづく第二部は『桜の花、舞い上がる道を』から始まる、エレカシのベストヒットメドレー的な構成。
振り返ってみると、ここでの十一曲がほぼすべてシングル曲というのがすごい。唯一『ファイティングマン』だけが例外で――シングルじゃなかったのか!――あとはすべてシングル曲。ほかはともかく、ラストの『男は行く』までがシングルというのが普通じゃない(あれをシングルに切る宮本は常軌を逸している)。エレファントカシマシのキャリアを総括するような、そのバラエティの豊かさとポップさに感心せずにはいられない。
第二部の最後のほうで演奏された『Destiny』と『愛すべき今日』――後者は不覚にもタイトルを思い出せなかった――がシングルなのにもかかわらずレア曲な印象を受けてしまうあたりも、エレカシのキャリアの長さを物語っていると思った。あまり好きな曲ではないんだけれど、構成の妙もあって今回のこの二曲はちょっといい感じだった。
その二曲のあとの『ファイティングマン』もよかった。もったいつけずにあっさりと始まったのには「え、もう終わり?」という意外性があったし、演奏もいつもよりソリッドでクールな感じがしてカッコよかった。
で、それで終わりかと思ったら、そのあとにもう一曲ある。それが『男が行く』!
いやぁ、この選曲はこたえられない。そうそう、武道館だもんね。この曲やんなきゃだよな、やってくれてありがとー!――って思った。ほんと、この曲の演奏の迫力と宮本のボーカルの破格さときたら……。
この曲で本編を終了したあと、ほとんど待ち時間なしで再登場してラストのアンコールはもちろん『待つ男』!!
『男は行く』ではライティングがただ明るいだけでノーギミックだったのに対して、この曲は対照的に真っ暗。ただ宮本の顔だけが赤いライトに浮かび上がるところに鬼気迫るものがあった。この最後の二曲『男は行く』と『待つ男』には、宮本浩次というボーカリストの尋常ならぬ凄さが凝縮されていた。
チケットが取れなかった人には申し訳ないけれど、ライブ前には「なにも新年早々同じライブを二回も観なくてもいいんだけれどな……」とか思っていたくせに、この日のライヴを観たあとは、翌日もう一度このステージを観られる俺って本当に幸せもんだよなぁと思っていたりして……。
現金なことこの上なしの新年三日目だった。
(Jan. 13, 2025)
ずっと真夜中でいいのに。
やきやきヤンキーツアー2 ~スナネコ建設の磨き仕上げ~/2024年12月12日(木)/神奈川県民ホール

ずとまよのツアー『やきやきヤンキーツアー2 ~スナネコ建設の磨き仕上げ~』の二公演目。観られないと嫌だからと、今回も二回分応募したら、両方取れてしまった。
今回の会場は神奈川県民ホール。名前をよく聞く会場だけれど、四十年もライヴ会場に足を運んでいながら、このホールでライヴを観るのはこれが初めて。
昔からどうも神奈川方面は敬遠気味だったのだけれど、最近は副都心線が東横線に乗り入れたおかげで、池袋から横浜まで一本でいけるようになったし、今回のツアーは東京の会場がいまいち心象のよろしくない東京ガーデンシアターだったから、ならば一度もいったことのない神奈川県民ホールに行ってみるのもいいかなと思った。
やっぱ東京ガーデンシアターみたいなオールスタンディング併用の最新のホールよりも、ちゃんと段差のついた昔ながらのホールのほうがライヴは格段に観やすくていい。
しかも今回の僕らの席は一階席まんなかあたりのステージ真正面! 視界の先にはつねにACAねがいる、とてもいい席だった。
――というのは僕の話で。隣にいたうちの奥さんの前には身長190センチはあるんじゃないかという女性――かなりがっしりした体格だったから、もしかしたら違うのかもしれないけれど、見た目はまちがいなく、ずとまよツアーグッズに身を包んださらさらロングヘア―の女性――がいて、よく見えなかったらしい。
そういや、前回の大宮では僕の前に身長190センチ越え確実って青年がいて、僕の視野を遮っていたんだった。なんで一段前の席にいるのに、俺と背の高さが一緒なのさ? 君この会場でいちばん大きな人なんじゃないの? とか思ってました。
そしたらその次の公演では、僕の妻の前に会場いち大きな女性(推定)がいるという……。そんなことってある?
まぁ、そんなわけでうちの奥さんには気の毒だったけれど、そうとは知らない僕は自分の特等席でずとまよのステージをじっくりと堪能できた。
【SET LIST】
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セットリストは前回とまったく一緒――ランダム三択コーナーも『Blues in the Closet』で、オープンリールコンビの寸劇も似た感じだったし、多分バンドメンバーも同じ――だったけれど、前回は『虚仮の一念海馬に託す』のリリース前で、その日に初めて聴かせてもらった『クズリ念』と『虚仮にしてくれ』が、今回はすっかり耳になじんでお気に入りになっている。この二曲をあらためて生で聴けたのが、この日のいちばんの喜びだった。
曲としては『クズリ念』が圧倒的に好きなんだけれど、この日のパフォーマンスで印象が強かったのは、アンコールの一曲目に演奏された『虚仮にしてくれ』のほう。緑色のライトに照らされながら、横向きで木琴――か鉄琴かマリンバかヴィブラフォン(区別がつかない)――を弾きながら歌うACAねサンの姿がとても鮮明に記憶に焼きついている。アンコール一曲目はお客さんが座ったままだったこともあり(ずとまよ特有の風景な気がする)、落ち着いたムードのなかで観るそのパフォーマンスは、まさに絵のような美しさだった。
この夜の個人的なクライマックスは本編の終盤に披露された『TAIDADA』。MVが公開されたばかりだというのもあって、場内にはターボババアダンスを披露するお客さんが激増していたのがおもしろかった。
そうそう、この曲では『ダンダダン』からゲストとしてそのターボババア(の着ぐるみ)がうにぐりと一緒に登場したんだった。ターボババアのゲスト参加は今回のツアー初らしい。そういうレアな回に参加できちゃうところも、われらがラッキー運のなせる業だよなぁと思った。
とにかくステージ真正面だと視覚的な情報量が多い。ステージまでの距離は同じようなものだったけれど、前回はステージ向かって右手の隅のほうで、ある程度視野が遮られていたのに対して、今回はステージにあるものがすべて等間隔で視野に入ってきて、その映像的なインパクトがビビッドに伝わってきた。
前回はステージ中央に巨大な扇風機があることしか書いてなかったけれど、右手には工事現場のクレーンが配置されていて、そこにぶらさがっていたミラーボールが下りてきて、場内に光をまき散らす、なんて演出があった。前回も観ているはずのそういう演出がまったく記憶に残っていなかったのは、やっぱ観た角度の問題なんだろうなと。あらためて席の大事さを思い知った一夜だった。
同じツアーでも、観る席の違いでここまで印象が変わるのだったら、二回行くのも悪くないかなと思った。まぁ、贅沢には違いないのだけれど。
それにしても、『花一匁』や『綺羅キラー』、『マイノリティ脈絡』、『脳裏上のクラッカー』、『MILABO』といったキラーチューンを平気でセットリストから外してくるのがすごい。いまのずとまよのなんて最強なことか。
(Dec. 30, 2024)
Songs of A Lost World
The Cure / 2024
ザ・キュアー、渾身のマスターピース!
じつに十六年ぶりとなる今回の新譜、なにが驚きかって、これほどバンド・イメージまんまのアルバムがいまさら届いたこと。
ほんと、キュアーが好きな人ならば、百人中百人が好きだっていうに違いない。――これはそういうアルバムだ。
かつて『トリロジー』と称して、『ポルノグラフィー』『ディスインテグレーション』『ブラッドフラワーズ』というアルバム三枚の再現ライブをしたけれど、今後はそこにこれを加えて、『テトラロジー』(四部作)と呼ばなきゃ嘘だろうって出来。
もしくは『ブラッドフラワーズ』を外して、このアルバムを入れたほうが、『トリロジー』にはふさわしいんじゃなかろうか?
――そう思ってしまうほど、渾身の出来映えになっている。
とはいえ。
逆に。キュアーが好きではない人にとっては「なにこれ? これのどこが傑作?」と思ってしまうようなアルバムなんだろうなとも思う。
だって、僕らキュアーのファンって、三分を超える単調なイントロを喜んで聴ける辛抱づよい人ばかりなわけです。
サブスク時代のポップミュージックは、イントロなしでさっさと歌に入らないと、飽きられて飛ばされてしまうから売れない、みたいな話を聞いたことがあるけれど、キュアーの音楽はまさにその対極にある。こういう音楽が好きな人がいまでも世界中にたくさんいるってことがなにげに嬉しい。
ほんと今回のアルバムは、これぞまさにキュアーの集大成と呼びたくなる一枚だ。
もう一曲目のイントロが三分超えている時点でキュアー。
ラストナンバーなんて10分超えで、そのうち六分がイントロだし。
音響もまごうことなくキュアー。ドコドコしたタム多用のドラムに、歪んだベースラインと浮遊感のあるドリーミーなシンセ。そこにシャラシャラしたロバート・スミスのギターが加わる。これぞまさにキュアー・サウンドの王道。
で、歌われるのはあいもかわらず、「わかりあえない君と僕」と「必ず終わりがくる世界への絶望」だ。
いやぁ、あまりにキュアー過ぎて笑ってしまう。こんな暗くて悲しい音楽を聴いて、ニヤニヤしているなんておかしな話だとは思うんだけれども。でもファンとしては嬉しくって、どうしたって頬が緩んでしまう。
このアルバムでは、そんないつも通りのロバート・スミス・ワールドが、「これが僕らが歌うすべての曲の終わり」という歌いだしの一曲め『アローン』で始まり、ラストの『エンドソング』で「ナッシング」を連呼して終わる。
どの曲でも絶え間なく「エンド」(やそれに類する言葉)がリフレインされる。
これってどう聴いたってラスト・アルバムじゃん!
若き日のロバート・スミスは狼少年的に「解散する」を繰り返してきたというから、もしかしたら今後まだつづきがあるかもしれないけれど、でもこれで本当に終わりだとしてももう満足。最後の最後にこんなアルバムが聴けたらファンとして本望だ。
だってこの後にまだなにを期待するのさ?
まさに名盤。有終の美とはこういうことをいうんだって思った。
(Nov. 28, 2024)