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  1. Punisher / Phoebe Bridgers
  2. 夏のせい ep / RADWIMPS
  3. STRAY SHEEP / 米津玄師
  4. 盗作 / ヨルシカ
  5. 朗らかな皮膚とて不服 / ずっと真夜中でいいのに。
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Punisher

Phoebe Bridgers / CD, LP / 2020

Punisher

 ずとまよやヨルシカのおかげですっかり邦楽中心になってしまった僕の音楽生活だけれど、べつに洋楽を聴かなくなったわけではなくて、いまでも聴いている新譜の数でいえば圧倒的に洋楽のほうが多い。
 ただ、再生回数が多いのは邦楽で、洋楽は一回聴いただけでおしまいって作品が大多数だったりする。わざわざ金を払ってCDを買っていたころとは違い、いまは膨大な作品がストリーミングで聴けてしまうので、一回聴いてぴんとこなかった作品はそれきりってことが増えた。
 そんな中で今年もっともたくさん聴いた洋楽のアルバムがこれ。
 LA出身のシンガーソングライター、フィービー・ブリッジャーズのセカンド・アルバム。2017年のデビュー・アルバムがよかったのでいずれ感想を書こうと思いつつ、書かずにいるうちにあっというまに時間が過ぎて、二枚目が出てしまった。
 この子は柔らかで力の抜けたその歌声がとにかく素敵。ファーストはアコースティックな響きがその柔らかな印象をさらに強めていたけれど、このセカンドではその辺の魅力はそのままに、音作りの幅がさらに広がって全体的な深みが増している。
 今作の音響面でとくに印象的なのが、リード・シングルの『Kyoto』と、ラスト・ナンバーの『I Know The End』。
 『Kyoto』はその名の通り、2019年の来日ツアーでの思い出を歌った曲で――とはいっても、日本のことが歌われているのはファースト・コーラスだけだし、決していい思い出とはいえない感じの歌詞だけれど――初めて聴いたときには、それまでにない打ち込みっぽさの単調でチープなビート感に「新作は大丈夫なんだろうか?」と不安になったものだった。
 ところが、この曲がなぜか繰り返し聴いているうちに癖になる。やや安直なのではと思ったその音作りも、アルバムのサウンド面での多彩さを引き立てる一因となって、もしや作品の魅力の一端を担っているのではと思う。サビを盛り立てる直線的なホーン・アレンジも効果的だし、いつもはアンニュイな女の子が少しだけ羽目を外してみた、みたいなところがとても魅力的な一曲。
 ラストの『I Know The End』は、前半と後半で曲調ががらっと変わる、無理やり二曲を一曲にしたような構成の曲なのだけれど、これが最後はサージェント・ペパーか、はたまたジギー・スターダストかっていうドラマティックな終わり方をする。その余韻がすごい。全体的に静かなイメージだから、最後に予想外な盛り上がりがあることで、なんともいえない深い余韻が残る作品に仕上がっていると思う。
 ファーストから引きつづき、全体的なメロディのよさは言わずもがな。英語が得意ではない僕には歌詞のよしあしは判断できないけれど、英米では作詞面でも高評価を受けているらしい。確かに歌詞カードを眺めていても、単純なラブソングはひとつもない感じで、じわりと情感が滲みだしてくるような微妙なニュアンスの歌ばかりのような気がする(まぁ、あくまでするだけだけど)。
 ということで、魅惑の新鋭女性ボーカリストによる、音響面でも楽曲面でも充実の第二作目。出来映えのよさにジャケットの可愛さも手伝って、思わずCDとアナログ盤を両方買ってしまった。今年の僕の洋楽ナンバーワンはこれで決まりです。
(Dec. 13, 2020)

夏のせい ep

RADWIMPS / CD+DVD / 2020

夏のせい ep (初回限定盤)(Blu-ray付)

 新型コロナウィルスによる緊急事態宣言以降に配信リリースされた楽曲を一枚にまとめたRADWIMPSのミニ・アルバム。
 目玉は一分ちょいのサビのみでリリースされていた『ココロノナカ』のコンプリート・バージョンで(でも正直、これって短いバージョンのほうが感動的だったような……)、それ以外はすべて聴いたことのある曲だし、コロナ禍の沈みがちな空気のなかでリリースされた楽曲群だから、どれもスローなナンバーばかりで、アッパーな曲が好きな身としては、ややものたりない。歌詞にしても、新海誠とつるむようになったあたりから、表現が直接的かつ感動的になりすぎているきらいがあって、かつてのように無条件には盛り上がれない。
 とはいえ、こういう困難な社会状況を踏まえて、自らの心のうちを真っ向から歌にして聴かせる野田洋次郎の姿勢には、さすがこの人らしいと思わせるものがある。
 震災のときにしろ、今回のコロナにしろ、洋次郎は自らの考えを音楽という形で表現することで、きちんと行動に移している。音楽家や表現者にとって、作品に訴える以上に正当で誠実な対応はないと思う。『HINOMARU』での彼をバッシングしていた人たちはこういう状況をどう捉えてどう行動しているのやら。
 なにもしないで文句をいうのは簡単だ。人のふり見て我がふり直せ。この作品にケチをつけるやつ(それはつまり俺?)には、それじゃお前はどれだけこの時代と向きあって生きているんだよと問いたい。誰の役に立っているんだよと。
 ということで、僕個人にとっては決してフェイバリットとはいえない作品だけれど、それでも野田洋次郎という人が――そしてRADWIMPSというバンドが――いかに真摯に時代と向き合っているかが伝わってくる良作だと思う。
(Oct. 31, 2020)

STRAY SHEEP

米津玄師 / CD+BD / 2020

STRAY SHEEP (アートブック盤(Blu-ray))

 もしもひとつの音楽作品が事件となりうるとするならば、これはまさにそういう作品だと思う。
 予定調和的な大ヒットを記録した米津玄師の五枚目のフル・アルバム。
 人気ドラマや映画の主題歌だった『Lemon』『馬と鹿』『感電』『海の幽霊』に、大ヒットしたFoorinの『パプリカ』と菅田将暉の『まちがいさがし』のセルフカバー、さらにはRADWIMPSの野田洋次郎とのデュエット曲まで収録されているんだから、もう話題にこと欠かない、バカ売れして当然というアルバムなのだけれど――。
 この作品がすごいのは、その記録的なセールスに負けないほど完成度が高いこと。
 メロディーメイカーとしても、ボーカリストとしても才能のある人だと思うけれど、このアルバムを聴いて僕が感銘を受けたのは作詞家としての側面。
 僕は今回この文章を書くために歌詞を読みながらアルバムを通しで聴いてみて、その歌詞のすごさに改めて感心した。『馬と鹿』の「ひとつひとつなくした果てに/ようやく残ったもの」という歌詞からサビの「これが愛じゃなければなんと呼ぶのか」というフレーズに入るところなんて、これ以上どうしたらいいんだってほど感動的じゃないですか(――なのになぜにそのタイトル)?
 このアルバムに限らず、これまでにリリースされた米津玄師の楽曲はほぼすべてが日本語だけで成り立っている(ぱっと思いつく例外は個人的に大好きな『クランベリーとパンケーキ』だけ)。そこには――若いころに曲を書いたことのある僕のような凡人がよくやったような――安直な英語のフレーズに逃げる姿勢がいっさいない。専門の作詞家だって、こんなに正攻法で感動的な歌詞をこれほど量産できないんじゃなかろうか。
 いまだ日本にロックが普及しきっていない時代に、桑田佳祐が洋楽のマナーや断片的な英語の歌詞を意図的に作品に盛り込むことで、その後のJ-POPの基盤を作ったといっても過言じゃないと思うのだけれど、米津玄師や彼と同世代のアーティストたちの音楽はそこから一巡して、洋楽コンプレックスをいっさい感じさせないところに新しさを感じる。べつに洋楽を聴かないことはないんだろうけれど、洋楽を過度に神格化していないがゆえに、ニュートラルに日本語と向き合って曲を作れている気がする。
 そもそも、米津玄師やヨルシカのn-bunaのようにボカロから音楽に入った人には、歌詞に英語を使うという選択肢がはなからないんじゃなかろうか。コンピュータに自分が話せもしない英語の歌を歌わせて、人に届く歌が作れるわけがない。ならば最初から日本語だけで歌を書くのは当然――そんな姿勢が一貫しているように思う。
――まぁ、僕がボカロPをこのふたりしか知らないからそう思うだけなのかもしれないけれど。
 いずれにせよ、そうやって初めから日本語だけを前提に生まれてきた印象のある米津玄師の歌に、僕は昭和歌謡に通じる日本のポップスとしての正当性を感じる。こと歌詞に関して言うならば日本の歌謡曲のストロング・スタイルといっていいんじゃないだろうか。それがメランコリックなマイナー調のメロディとともに、DTM世代ならではの最新のサウンド・デザインに乗ったダンス・ミュージックとして提供されるのだから、これが最強でないはずがないでしょう?
 先にあげた有名曲はもとより、『PLACEBO』(野田洋次郎とのコラボ)や『ひまわり』、ラストの『カナリア』なんかも、なぜこれがシングルじゃないんだってくらいのキャッチーさだし、YouTubeで聴いたときにはそれほどいいと思わなかった『海の幽霊』なんかも、このアルバムで繰り返して聴いているうちに、とても好きになった。とくにタイトルが出てくるサビの締めの部分がものすごく感動的。もうほんと、このアルバムは全編捨て駒なしの高品質。いずれ米津玄師のベスト・アルバムを作るとしたら、このアルバムの収録曲が半分以上を占めてしまうんじゃなかろうか。
 でもって、なによりの驚きは、そんな極上の音楽が、歌詞もメロディーもサウンドも歌も――さらにはアートワークまで含めて――米津玄師というたったひとりの個性から生まれてきたというあり得なさ――。
 どんな才能だ、それは。天才にもほどがある。
 これほど素晴らしい才能を持ったアーティストが二十一世紀最大規模のセールスでもって日本中に受け入れられたという意味でも、これは日本音楽史上に残るマスターピースではなかろうかと思います。
(Oct. 25, 2020)

盗作

ヨルシカ / 2020 / CD+本

盗作

 ずとまよと並んでいまいちばん新作が楽しみなバンド、ヨルシカが前作『エルマ』から一年もせずにリリースした三枚目のフル・アルバム、これがまたとても個性的な作品で、「自分の作品はすべて過去の名曲の盗作だ」とのたまう音楽家を主人公にしたコンセプト・アルバムとなっている。
 『盗作』という物騒なアルバム・タイトルのみならず、このアルバムのほとんどのボーカル曲には犯罪がらみのタイトルがつけられている。『昼鳶』『春ひさぎ』『爆弾魔』『盗作』『思想犯』『逃亡』『夜行』……。最初の『昼鳶』は空き巣の隠語で「ひるとんび」と読むそうだけれど、そんな言葉、僕は初めて知った。四曲のインスト・ナンバーではベートーヴェンの『月光』のほかにも、僕などが知らないクラシック曲がいくつも引用されているようだし、n-bunaは僕の半分も生きていないのに、僕の何倍も物知りな気がする。
 ということで、アンダーワールドな題名の曲がずらりと並んだこの作品だけれど、そこはn-bunaの作品なので、だからといって単に暗い心情を溢れさせただけで終わったりはしない。随所に散りばめられた美しい旋律や情感たっぷりな風景描写は今回も健在。なかでも『花人局{はなもたせ}』――美人局{つつもたせ}に花を組み合わせた造語とのこと――は本当に美しくて個人的にお気に入り。あと『思想犯』の冒頭で「人を呪うのが心地良い」なんて憎まれ口をたたいておきながら、最後につい「また明日。口が滑る」と本音がこぼれ出てしまうところがすごくらしくて好きだ。
 音楽的にも多様性を深めていて、スラップ・ギター(チョッパー・ベースみたいなアコギの奏法をそう呼ぶらしい)のイントロが印象的な『昼鳶』や、ピアノ主体のジャズっぽい『春ひさぎ』や『逃亡』など、シンプルなギター・サウンド中心だった以前の作品よりも、確実にアレンジの幅が広がっている。『昼鳶』や『思想犯』でのsuisの低音を生かしたボーカルも、今回の作品の世界観にマッチしていて素晴らしい。
 あと、おっと思ったのがこの作品のコンセプトが生まれるきっかけとなったという『爆弾魔』の再録バージョン。アレンジ自体は『負け犬にアンコールはいらない』収録のバージョンとそんなに大きく変わってはいないけれど、若干音数が増えて、より演奏がシャープになり、そして特筆すべきことに、なんとナブナ自身がバックコーラスをつけている!
 YouTubeなどではたまに弾き語りを公開しているナブナだから、べつに驚くようなことじゃないのかもしれないけれど、僕は彼が自分の声を作品に残したがらない人かと思っていたので、今回この曲やそのほかの作品で自らコーラスをつけた姿勢に意表を突かれた。世間から高い評価を受けるようになって、彼の意識も少しずつ変わってきているんだろうなぁと思った。
 初回限定盤についている小説を読んだあとに聴くと、さらに歌の世界観が広がって、また違う味わいになるから、時間があればそちらもお薦め。なんにしろ、前作から一年もたたずして、こういう意欲的な作品を世に送り出してくるのだから、やはりヨルシカはいまの日本でもっとも注目すべきバンドのひとつだと思う。
 それにしても、世の中には犯罪をテーマにした小説や映画があたりまえのように溢れているのに、いざそれを音楽でやるとなると、なんでこんなに不穏な雰囲気になっちゃうんでしょうね。RADWIMPSが『HINOMARU』を出して炎上したときにも思ったことだけれど、文学や映画だとさして問題にならないことが、音楽に置き換えた途端に過剰なリアクションを引き出してしまう気がする。
 まぁ、それだけ音楽という表現手段が人の心にダイレクトに訴えかける力を持っているということなのかもしれない。
(Sep. 21, 2020)

初回限定盤の小説の感想はこちら

朗らかな皮膚とて不服

ずっと真夜中でいいのに。 / 2020 / CD

朗らかな皮膚とて不服

 いま現在の僕にとっての最重要バンド・ナンバー・ワン、ずっと真夜中でいいのに。の三枚目のミニ・アルバム。
 先行配信された『低血ボルト』『お勉強しといてよ』『MILABO』の三曲がアッパーなダンス・チューンで、これぞ「ずとまよ」って出来映えなのに対して、その他の三曲はスローでおとなしめ。要するにアルバムでいちばん盛り上がるのはアルバムのリリース以前から聴いていた曲ってことなので、前の二枚のミニ・アルバム――それまで知らなかったがゆえに個人的には全曲が新曲だった――に比べると、いささか中毒度が低い感は否めない。
 でも、そうはいっても、気がつけばiTunesでの再生回数は、全曲すでに五十回を超えている。リリースされてから一ヵ月半くらいだから、つまりほぼ毎日聴いているも同然。そんなアルバムほかにない。同時期に出たヨルシカや米津玄師の新譜もくりかえし聴いているけれど、さすがにその数はずとまよには及ばない。やはり現時点で僕にとっての最重要アーティストがこの人だってことは数字が証明している。
 ずとまよのなにが特別かって、やはりその言語感覚なのだと思う。ACAね{あかね}の書く曲はどれも歌詞のメロディへの乗せ方が絶妙で、ほんとに掛け値なしに気持ちいい。僕にとっては日本語の音楽を聴く快感の極みといっていい。この喜びは母国語でない洋楽では絶対に味わえない。
 エレカシやBUMP、RADWIMPSなど、日本語で素晴らしい歌を聴かせてくれるアーティストは過去にもたくさんいたけれど、そのほとんどは歌詞が共感できて感動的だから、音楽の感動が相乗効果でなおさら深まるってタイプだった。
 でもACAねの場合は違う。歌っている内容の大半は意味が通じない。でもそれでいて、そんな意味不明な言葉がビートに乗ったところから、掛け値なしに快感が湧きあがってくる。その感動は英語の歌では絶対に味わえないたぐいのものだ。
 例えば『低血ボルト』の「頭でっ価値 ずっとうんと砕いてもっと」というフレーズ。この何気ない一節が僕にとってはこのアルバムのクライマックスだ。否応なしに身体を揺さぶられる。
 つづく『お勉強しといてよ』はタイトルからして最高だし、『Ham』の「息が痛いよ あざになるくらい」という比喩の見事さ、『JK Bomber』のヒップホップ系の「重たいビート」が、途中からいつものアッパーなディスコ・チューンに転調するアレンジや、『マリンブルーの庭園』での松本隆が松田聖子に歌わせそうな歌の世界観の意外性、そして個人的に大好きな『ハゼ馳せる果てまで』と同系統の明るいポップ・チューン『MILABO』で最後を締めるまで、そのすべてが日本語だからこそという魅力を持って僕の心と身体を揺さぶってくる。
 そりゃベースとなる音楽自体の構成要素はすべて洋楽からの借りものだろう。でもACAねとコラボレーターたちは、それを日本語の節まわしならばこそ可能な見事なアレンジでもって、唯一無二の音楽として鳴らしてみせている。こんな音楽、おそらくいまの日本でしか聴けない。
 長年洋楽ありきで音楽を聴いてきた僕にとって、洋楽では代えが効かないなんて思わせるアーティストなんて初めてじゃないかと思う。それだけでも特筆もの。
 とにかく、ずとまよが聴かせてくれる音楽のすべてがいまの僕にとってはかけがえのない宝物だ。この先も末永く彼女の音楽が聴きつづけられることを願ってやみません。
(Sep. 20, 2020)