Coishikawa Scraps / Music

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  1. ヨルシカLIVE「月と猫のダンス」 / ヨルシカ
  2. 米津玄師 @ 東京ドーム (Feb. 26, 2025)
  3. 変身のレシピ / 十明
  4. WONDER BOY'S AKUMU CLUB / 野田洋次郎
  5. エレファントカシマシ @ 日本武道館 (Jan. 4, 2025)
    and more...

ヨルシカLIVE「月と猫のダンス」

ヨルシカ /2024

ヨルシカ LIVE 「月と猫のダンス」 (初回限定盤) [Blu-ray]

 先日YouTubeで公開されたヨルシカの『負け犬にアンコールはいらない/言って。』のライブMVがとても好きで、来月に控えた、その映像を含むライブBDのリリース(6月25日発売)を心待ちにしている。

 きっとそれを観たらまたなにか書きたくなると思うので、その前に、去年出たのに触れていなかった、ひとつ前のライブ映像作品『月と猫のダンス』について。

 『月光』では、n-bunaによる詩の朗読を挟むことで、ライブ全編をひとつの物語仕立てにしてみせたヨルシカ。

 それにつづくこの作品ではその趣向をさらに一歩先へと推し進め、朗読劇というスタイルを提示してみせている。

 ステージ上に演劇用の舞台セットを用意して、そこでひとりの俳優がシナリオを朗読しながら物語を進めてゆくというスタイル。バンドは動物の鳴き声を効果音で出したりして、その演技の裏方も務めている。

 『月光』の物語はぼんやりとしたイメージの提示という感じだったけれども、今回はセットがあり、演技があることで、物語がより明確な絵を描く。

 描き出されるのは、ひとりの売れない画家が、夜な夜な訪れる動物たち――カナリア、カエル、カメレオン、梟、鹿、羽虫、等々――を相手にピアノでベートーベンの『月光』を奏でて聴かせるという、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』へのオマージュ。

 それが最終的には画集アルバム『幻燈』第二章の『踊る動物たち』へと結実してゆくという趣向になっている。

 物語はn-buna自身の創作に対する経験が比喩的に表現されたものらしい。

 こんな変わったステージを見せてくれるのはヨルシカだけだろう。最後にsuisサンが思わぬ形で登場するサプライズも含めて、とてもおもしろいステージだった。

 ただ、なにせ二、三曲ごとに演劇パートが差し挟まれるので、純粋に音楽を聴きたいと思って観ていると、いささか冗長に感じられてしまうのが残念なところ。

 『月光』の詩の朗読はn-buna自身だったからまだしも、こちらは見ず知らずの俳優さん(村井成仁という人)の演技だけになおさらだ。一度目はともかく、二度、三度とリピートするのはいささか苦しい。

 映画だってよほど好きな作品じゃないと、そう何度も観ようって気にはなれないですよね? この作品にはそれと同じとっつきにくさがある。

 だからといって、演劇部分は飛ばして音楽だけ聴くのも違う気がするしねぇ……。

 ということで、作品自体は超個性的で唯一無二の内容だと思うけれど、ただこれがヨルシカの最高傑作かと問われると、素直にはそうともいいきれない。そんな作品。

 ライブ全編がYouTubeで無料配信されているので、興味がある方はぜひ一度。

(May. 15, 2025)

米津玄師

2025 TOUR / JUNK/2025年2月26日(水)/東京ドーム

LOST CORNER (通常盤)

 米津玄師の新譜『LOST CORNER』の国内ツアー――そのとりを飾る初の東京ドーム公演2デイズの一日目を観た。

 アルバムについてきた先行抽選応募券でゲットした席は、スタンド一階席の十九列目、ステージ向かって右側のほぼ真横。後楽園駅にいちばん近いゲートからの入場だったので、入退出は楽だった。

 でもこの席ではステージのバックスクリーンを使った映像演出はほとんど見えなさそうだと思ったら、意外とそうでもなかった。

 ステージの背景が左右のスクリーンから扇型で弧を描く形でつながった全面スクリーンだったので、僕らの席からは左手半分の映像がだいたい見えた。たぶん全体の五分の三はちゃんと見えたはず。

 まぁ、全体像は俯瞰できず、右半分は欠けたようになってしまうので、アニメのキャラの顔がつぶれて、なにそれって感じになってしまうときもあったけれど、それでも視野に入る景色は十分に美麗。いまの舞台演出ってすごいなぁと素直に思いました。

 ライブはアルバムの一曲目『RED OUT』で始まり、アンコールでタイトルトラックの『LOST CORNER』を聴かせて〆。終演後にアルバム最後のインストナンバー『おはよう』をBGMにエンドクレジットが流れるという流れはほぼ予想通りだった。

 予想外だったのはそのセットリストの豪華さ。

 アルバム『LOST CORNER』はそれだけで全二十曲というボリュームなので、全曲完全再現したらそれだけで本編のほとんどの時間を使い切ってしまう。

 さてどうすると思っていたら、米津は思い切りよくアルバムの収録曲のうち、四分の一を切り落としてきた。具体的には『POP SONG』『死神』『月を見ていた』『Pale Blue』『POST HUMAN』の五曲が演奏されなかった。

 調べてみたら『POST HUMAN』は別の日に日替わりでやっているし、それ以外の曲は過去のツアーですでにお披露目済みなので、今回はあえてはずしたってことなんだろう。

 で、それらをはずした結果として選ばれた曲が強力すぎた。

 だって、『感電』に『アイネクライネ』、『Lemon』に『海の幽霊』、『LOSER』『ピースサイン』『ドーナツホール』だよ?

 加えてここに最新配信シングルの三曲、『Azalea』『BOW AND ARROW』『Plazma』が入ってくる。

 こんなベストアルバムみたいなセットリストある?

 いやはや、最強すぎる。

 アルバムではアイナ・ジ・エンドとデュエットしている『マルゲリータ』を米津の歌でフルコーラス聴けたのは、かえって貴重だと思ったし、それは最新MVのアニメをそのまま使って歌われた『ドーナツホール』も同じ。あのMVを初音ミクではなく、米津玄師のボーカルで聴けて喜んだファンも多かったろう。少なくても僕は嬉しかった。

【SET LIST】
  1. RED OUT
  2. 感電
  3. マルゲリータ
  4. アイネクライネ
  5. LADY
  6. Azalea
  7. ゆめうつつ
  8. さよーならまたいつか!
  9. 地球儀
  10. YELLOW GHOST
  11. M八七
  12. Lemon
  13. 海の幽霊
  14. とまれみよ
  15. LENS FLARE
  16. 毎日
  17. LOSER
  18. KICK BACK
  19. ピースサイン
  20. ドーナツホール
  21. がらくた
    [Encore]
  22. BOW AND ARROW
  23. Plazma
  24. LOST CORNER

 米津はごく普通の服装だったけれど(アンコールでも衣装替えなし)、演出はいろいろ多種多様だった。

 オープニングの『RED OUT』では、客電が消えたあとの暗さがすごかった。ドームの広さを意識するからかもしれない。こんなに真っ暗でなにも見えないオープニングは初めてかもって思った。やがてステージと花道に真っ赤なライトが点りはじめ、雨音まじりの雷鳴がとどろく。ハードなオープニング曲にあわせた不穏な幕開け。

 でも二曲目の『感電』で花道へと踊りだした米津玄師はニコニコ愛想がよく、とてもご機嫌そうだった。ダンサーもたくさんいる。

 『Azalea』~『ゆめうつつ』あたりでは、花道の上に巨大な絹みたいな布――ラグジュアリーな一反木綿といった感じ――がふわふわと浮かび上がる。その浮かび方はとても幻想的で、3Dフォノグラムかなにかかと思うような不思議な眺めだった。

 『さよーならまたいつか!』では女性ダンサーたちが『虎と翼』を思わせる着物と袴姿で登場。でもヘアスタイルはカラフルかつ多様でちっともレトロじゃないし、ダンスも『虎と翼』のオープニングのそれとは違うオリジナルの振り付けだったので、どうにもコレジャナイ感がすごかった。

 途中のどの曲か忘れたけれど、ステージに巨大なジャングルジムみたいな足場が登場して、ダンサーがその上で踊る場面があったりする。で、二、三曲くらいであっという間に撤収される。いちいちセットの入れ替えがすごい。

 ジブリ映画の主題歌『地球儀』では、ジブリではない(たぶん違う)けれどそれっぽいアニメが流れ、『M八七』では宇宙空間が広がり、『海の幽霊』では『海獣の子供』――を観ていないのでオリジナルかどうかは保証できないけれどそれ相当の――のアニメがフィーチャーされる。

 『KICK BACK』では炎が吹き上がり、その熱気がスタンドにいた僕らのところまで伝わってくる。

 最後の『LOST CORNER』では、巨大な「がらくたくん」オブジェとともに、ガラクタを積んだ黄色いオープンカーに乗る米津玄師が登場。ドライブをテーマにした曲ということで、その車に乗ったまま、場内のアリーナ席の通路を一周してみせる。

 そんな風に二時間ちょいのライヴの間に、さまざまな趣向を凝らした演出が盛り込まれていた。

 客席では『ピースサイン』で大多数のオーディエンスが「おーおーおおーおー」と合唱しながらピースサインを掲げている風景もかなりのインパクトだった。

 僕らの斜め前にいたギャルふたりはいけいけで可愛かったし、うしろにいたお兄さんはあれこれ熱く語っていたくせに、ラストの『LOST CORNER』で「この曲だけタイトルわからないや」とかのたまっていておかしかった。天井にライトでデカデカと書いてあったじゃん。

 まぁ、その曲での自動車の演出とかは、正直どうかと思った。意外性はたっぷりだったけれど、おかげでその間、僕らは車に乗ったまま動きがない米津玄師のアップの映像をスクリーンで延々と見ているだけという、いまいち楽しくないことになってしまっていたし。最後の最後がこれ?――って。

 そのちょっと前のメンバー紹介――ギターが米津玄師の幼なじみだという中島宏士、ベースが宮本浩次のサポートもしている須藤優、ドラムが堀正輝、キーボードに宮川純という五人組(知っている人は須藤くんしかいない)――では幼なじみ氏による、やったらめったら長いMCがあって、「なぜ俺はこんな初対面の人のMCを、疲れた体で突っ立ったまま聞かされているんだろう?」と思ってしまったりもした。正直いって、この二点でライブの高揚感にけっこう水を差された感あり。

 でもまぁ、主役の米津は楽しそうだったし、ケチをつけるのも野暮ってものか。

 いずれにせよ、とてもいいライヴだったのは間違いなし。

 かつての東京ドーム公演では音響の悪さにうんざりしたこともあったけれど、このところは技術的な進歩のためか、はたまた近頃いい席でしか観ていないからなのか、今回も音響に対する不満は一切なかった。米津玄師の歌はレコーディング音源と遜色のないクリアさだった。バンドの音も五人とは思えないほど表現力豊かだった。

 『地球儀』『海の幽霊』『がらくた』といった名バラードは限りなく感動的だったし、『LOSER』『KICK BACK』『ピースサイン』『ドーナツホール』とつづいた怒涛のクライマックスは最高だった。アンコールでややテンションが下がってしまったのは残念だったけれども、本編についてはもう完璧といえる内容。これぞ現在のJ-POPの最高峰といっていいようなライブだったと思う。

 いやはや、いいもの見せてもらいました。

 ちなみにうちの奥さんが米津玄師を聴かないので、今回はうちの子が一緒だった。娘とふたりでライブに行くのって、五年ぶり二度目だ。嫌われてなくてなにより。

(Mar. 10, 2025)

変身のレシピ

十明 / 2024

変身のレシピ

 もう一枚、野田洋次郎関係の作品を。

 新海誠の『すずめの戸締まり』の主題歌にボーカリストとして抜擢されたシンガーソングライター、十明(とあか)のデビュー・アルバム。

 2023年に配信デビュー曲としてリリースされた『灰かぶり』からずっと洋次郎がプロデューサーとしてクレジットされているので聴くようになった人だけれど、同じ経路で出会った酸欠少女さユりのように、一聴してすぐに気に入ったわけではなかった。

 『灰かぶり』が『すずめ』での透明感あふれる繊細なボーカルからは予想できなかったダークなダンス・チューンだったのには意表をつかれたものの、サウンド・プロダクションは洋次郎のソロ・アルバムと同じ傾向で僕の趣味からは外れていたし、正直ハマるところまではいかなかった。

 その後の配信シングルについても同じで、つかず離れずの距離感で新曲をチェックしていた僕が、初めて彼女の曲に「お~」と思ったのが、そこまでのシングルをカップリングしたミニ・アルバム『僕だけの愛』に収録された『メイデン』。

 初期のラッドに通じる音作りのこの性急なギター・ロック・チューン――クレジットに武田・桑原両氏が名を連ねているのをどこかで見た記憶がある(未確認)――がいいっ! この曲は最高に好き。僕の去年のソング・オブ・ジ・イヤー候補の一曲。この曲のためだけにでも、彼女についてひとこと書いておかないとって思った。

 あと、このアルバムでおもしろいのは曲順。

 全十三曲のうち、配信シングルとしてリリースされた一曲目の『灰かぶり』から『蜘蛛の糸』までの八曲が、リリースの順にそのまま並んでいる。そのあとに新曲が四曲と、弾き語りのボーナストラックという構成。

 ベスト盤ならばともかく、デビュー・アルバムをこういうひねりのない曲順にする人ってあまりいないと思う。少なくても僕はほかの例を知らない。

 先行したミニ・アルバム『僕だけの愛』もその点は同じで、おもしろいことすんなぁと思っていたら、満を持したこのフル・アルバムも同じだったという。

 要するにこのアルバムと『僕だけの愛』は重複する冒頭四曲はまったく同じなわけだ(ミニ・アルバムの最期に収録された『蛹』は入っていない)。

 他人から提供された曲である『すずめ』で世間から認知された十明が、『灰かぶり』のリリースから始まった自らのシンガーソングライターとしての成長の歴史を、人前に提示した順でそのままパッケージして見せた。これはそういうドキュメンタリー的な性格を持ったアルバムなのだろうなと思う。

 その美しく繊細な声質からは想像しにくい、癖のある女の子だということを印象づけた、なかなかおもしろいデビュー・アルバムだった。

(Feb. 15, 2025)

WONDER BOY'S AKUMU CLUB

野田洋次郎 / 2024

WONDER BOY'S AKUMU CLUB(通常盤)

 野田洋次郎、本人名義での初のフル・アルバム。

 野田くんはこれまでにもソロ・プロジェクトのillion(イリオン)で二枚、本名でサントラ一枚と、すでに三枚のソロ・アルバムをリリースしている。

 まぁ、サントラは性格が異なるので除くとして、歌もののソロアルバムとしては、illionから数えればこれが三枚目ということになる。

 ただ、その創作姿勢はillionのときとは確実に違う――ように思う。

 illionは海外進出を視野に入れたプロジェクトで、歌詞は英語中心だったし、メロディーもあえて日本的な音階を意識したものが多かった。

 それと比べると、今回はいたってニュートラル。クレジットには武田と桑原の名前もあるし、これってRADWIMPSとなにが違うんだろうって仕上がりになっている。

 このアルバムのリリース直後に桑原彰がRADWIMPSを脱退してしまい、いまやラッドのメンバーが洋次郎と武田、ふたりだけになってしまったこともあり、ますますラッドとの境界線があいまいになりつつある気がする。

 まぁでも、ソロでもバンドでも、曲自体は洋次郎が書いて歌っているのだから、べつにそこにこだわって差別化を図る必要もないだろう。アーティストが変なところにこだわりをもって活動を制限してしまうのも窮屈なので。表現者はもっと自由でいい。

 そういう意味では、このアルバムのラッドっぽさには、そういう過去のしがらみを振り切ったんだろうなと思わせる自由さがある。

 とくに先行シングルにしてラスト・ナンバーの『LAST LOVE LETTER』は、まるで初期のRADWIMPSを思わせるナンバーだった。いかにも洋次郎らしい昔ながらのラブソングがソロで出てきたところに意外性があったし、新しくこういう新曲が聴けたのは嬉しかった。

 まぁ、ラッドに似ているとは書いたけれど、ではまるで一緒かというと、やはりそんなことはなくて、バンドという化学反応を経ずに、個人の志向性だけで構築されたこのアルバムの音には、ラッドの音とは違った密室性がある。打ち込み多めな音作りは僕の嗜好からはいくぶんズレている。

 昨今はRADWIMPSの音も打ち込みが多くなってきてしまっているので、このアルバムをラッドっぽく感じるのはその点も大きいと思う。

 かつての純然たるギターバンドだったRADWIMPSを愛していた身としては、その変化にはいささかの淋しいものを感じてしまう。リリースから半年近くたってからこの駄文を書いているのも、その辺の音響に対する愛着の湧かなさによるところが大きい。

 桑原くんが抜けた今後の活動がどうなるのかも不明瞭だし、RADWIMPSというバンドのこれからを思って、いささか微妙な気分になっている。

(Feb. 04, 2025)

エレファントカシマシ

新春ライブ2025/2025年1月4日(土)/日本武道館

 エレカシ新年ライブ二日目。

 開演が前日よりも一時間早かったので、まだ明るいうちに武道館に着いた。

 この日の席はアリーナ一列目!――とはいっても、左手の隅のほうで、真正面にあるのは左のスクリーンとスピーカーだったので、特等席とまではいえなかった。

 前日はステージと左右のスクリーンが均等に視界に入る席だったのに対して、この日はステージを見るにはほぼ横を向く形になって、目の前にあるスクリーンは否応なく視野から外れる。

 要するにステージを見るか、スクリーンを見るか、二者択一を迫られる席だった。僕の右となりにいた女性(ステージを見ようと思うとどうしても視界に入る)は、ステージよりもスクリーンを観ているほうが多かった。

 まぁ、宮本のファンだと、近いといっても表情まではわからない距離のステージを見るより、スクリーンにどーんとアップで映し出される宮本の表情を追っていたほうが幸せだったりするんだろうなと思った。

 あと、すぐ目の前にスーツ姿の警備員のバイト君がいたのも残念ポイント。邪魔にならないようにライブ中にはしゃがんでいたけれど、ライブの熱狂には無関心な人が常に視野の片隅にいるというのが、どうにも気にかかった。最前列だから最高ってもんでもないのねと思いました。

 メンバーでいちばん近かったのはキーボードの奥野真哉で、そのうしろにいた金原ストリングスチームの皆さまは機材に視野をさえぎられて半分しか見えなかった。コジローくんも宮本の陰にかくれて見えない時間帯が多かった。

 でもまぁ、ひさしぶりに見るエレカシのオリジナル・メンバー四人の姿はちゃんと拝めたし、宮本が何度かすぐ近くにきてくれたりもしたし、それだけでも十分ラッキーだったとは思う。

 それによりなにより、スピーカーが目の前にあるから前日とは違って音がよかった。これがなにより大事。奥野のオルガン、コジロー君アコギ、金原チームのストリングの音色がしっかりと聴きとれる。この音のよさと、肉眼でステージが見えるからこそのライブならではの臨場感。これがこの二日目の醍醐味だった。

 セットリストは前日とまったく一緒。『男は行く』や『待つ男』をこの音響のよい最前列で聴けるというのは、どれほどの至福だろうと思っていたのだけれど、意外やそれほどでもない。

 ――というのも、この日の演奏は前日よりも安定感を欠いていたから。

 前日はこれといったミスのない、エレカシ史上初ではというくらいに安定した内容だったのに、この日は「いつものエレカシ」に戻ってしまった感じだった。宮本が渡されたアコギのチューニングをやり直したり(なんで出てきたばかりのアコギのチューニングが狂っているんだか)、トミのほうを再三振り返って指示を出したり、『珍奇男』での即興部分での掛けあいがぐだぐだったったり。そんな昔ながらのまとまりの悪さを感じさせるステージに戻っていた。なぜ?

 単に席の違いで印象が違っただけかとも思ったけれど、コジローくんがSNSで「同じセトリなのに、全く雰囲気も内容も変わる曲達」なんてコメントを残しているので、やっぱり当事者にとっても違ったんだろう。

 いちばん笑った(というか宮本ひでーと思った)のは『シャララ』で、宮本が冒頭の数小節を歌ったあとで演奏を中断して、アリーナの観客に向かって「そこの人、リズム感悪いから動かないでくれる?」とかいって演奏をやり直したシーン。

 宮本のソロでも観客の手拍子が気に入らなくて演奏を中断したことがあったけれど、あのときは不特定多数が相手だった。それにに対して、この日はある一部のファンだけを特定しての否定だもん。宮本、さすがにそれは駄目だと思うよ。指さされた人たちの心境を思うと心が痛む。この新春ライブを心から楽しみにしてきたんだろうに……。

(【追記】あとから聞いた話だと、宮本に注意されたのはひとりの男性で、二階席から見てもわかるくらい悪目立ちしていたというので、宮本が注意したのは英断だったらしい。失礼しました、宮本さん。)

 まぁ、そんな風に「それはどうなん?」と思うシーンもありはしたけれど、前述したとおり前日とは視界も音響も違ったことで、この日もじゅうぶん新鮮な気分でライブを楽しめた。二日同じセトリでライブを観ても、まったく飽きさせないところがさすがエレカシ。

 そういや、前日はステージの中頃でしていたメンバー紹介もこの日はなし。アンコールの『待つ男』が終わったあとで、おざなりに全員(たぶん全員)の名前を呼んだだけで済ませてしまった。昨日やったから今日はいいでしょうといわんばかりの宮本の姿勢がすごい。昔から礼儀正しいようでいてけっこう無礼なんだよなぁ……。

 そういや前日はスクリーン越しに宮本の顔だけが真っ赤に浮かび上がるのを見ていた『待つ男』は、近くで見てもステージは真っ暗で、宮本の赤い顔しか見えなかった。おかげで宮本の怒号とともに曲が終わるのとともに、ライトがぱっとついて明るくなった瞬間の解放感がすごいこと……。

 ソロではまったくギターを弾いていない宮本のヘタウマなギターを存分に楽しめるという意味でも貴重な体験だったし、やはりエレカシのほうが好きだなぁと思った正月明けの2デイズでした。幸せな新年の幕開け。

(Jan. 16, 2025)