稲生物怪録
京極夏彦・訳、東雅夫・編/角川ソフィア文庫
時は江戸時代。現在の広島県・
この逸話をもとに描かれた絵巻物『稲生物怪録絵巻』を惜しげもなくフルカラーで収録したのがこの文庫本の第一部。
でもって、話の顛末を稲生平太郎こと武太夫自身が書き記した書物を、京極夏彦が(おそらくかなり自由奔放に)現代語訳にしてみせた小説仕立ての本編『武太夫槌を得る~三次実録物語』がこの本の第二部。京極ファンの僕のおめあては当然このパート(この本は令和元年に刊行されたのに、なぜだかその存在を見落としていたので、京極関連作品にしては珍しく読むのが遅くなった)。
さらに第三部には、稲生の知人で稲生本人から話の詳細をことこまかに聞いた柏正甫という人が書き記した文章が、東雅夫氏によるノンフィクション風の現代語訳で収録されている。
要するにこの本には『稲生物怪録』という江戸時代の妖怪話が三種類の異なる表現形態で収録されているのだった。これが千円もしないで読めてしまうというのがすごい。角川ソフィア文庫はあいかわらず素晴らしい仕事っぷり。
この『稲生物怪録』という話で僕がいちばんおもしろかったのは、主人公の平太郎がとにかくすぐ寝てしまうこと。
昼間も皿が飛んだりするポルターガイスト現象はひんぱんに起こったようだけれど、妖怪が本領を発揮するのは基本的には夜だ。
でもって時は江戸時代。灯は油しかないから夜は暗い。
ばけものは夜な夜な平太郎宅を騒がすけれど、基本的には無害。
ならば暗い中でばけものの相手をしていても仕方ないとばかりに、平太郎さんは物怪の存在を無視して毎日さっさと寝てしまう。
「どうしようもないから寝た」
「気持ちが悪いので寝た」
「気にせずに寝た」
日々そんな風に繰り返される睡眠の報告が次第におかしみに変わってくる。これって江戸時代に生み出された妖怪コメディの先駆的作品なのでは。
いやしかし、いまだ読み書きが十分に普及していなかろう江戸時代に、こんなものを書き残している人がいる――なおかつ、それを絵巻物という形でビジュアライズしてしまう人までいる――日本ってすごくない?
なんなんだろうこの国。
(May. 10, 2023)