カタルシスト
RADWIMPS / 2018 / CD
フジテレビのFIFAワールドカップ・ロシア大会のテーマソングとして書き下ろされたRADWIMPSの最新シングル。W杯フィーバーとそのあとの夏フェスのどたばたで感想を書くのを忘れているうちに四ヶ月も過ぎてしまった。
スポーツ番組のタイアップということだから、以前に同じように使われた『君と羊と青』のようなキャッチーでアッパーな曲でくるかと思ったら、冒頭から『DADA』や『洗脳』の流れを汲むラップ調のミクスチャー・ロック路線で始まるので、おやっと思う。タイアップでこういう方向性を打ち出してくるとは思わなかった。
でも、この曲はそのまま一筋縄ではいない。途中から英語の歌詞のドラムンベースなBメロに突入。さらに切なげなミドルテンポのCメロへとつながり、最後に『君と羊と青』タイプのキャッチーで疾走感のあるサビが待っているという。
要するにラッドがこれまでのキャリアでやってきた多様な音楽性を一曲のなかにこれでもかと詰め込んだような複雑な構成の曲。でもって歌詞はサッカー代表とサポーターへのストレートなエールとなっているという(それゆえちょっとこそばゆい)。『カタルシスト』はそういう曲。
カップリングの『HINOMARU』は軍歌みたいだってんでネットで炎上して、悪い意味で話題となった曲。和風のメロディーに文語調の歌詞という、野田くんがソロでやっていた作曲法をラッドにも持ち込んで、「日の丸」ってタイトルでここまで紋切り型の表現で愛国心を歌ってみせるとは正直なところ思わなかった。
ただ、野田洋次郎という人は、最初から「そんなこといったら恥ずかしいでしょう?」とか「それはちょっとやばいんじゃん?」といいたくなるようなことを真正面から赤裸々に歌ってきた人だ。だからこそ『ふたりごと』や『37458』や『五月の蝿』みたいな曲が生まれてくるわけで。
そういう意味では、この曲があまりに紋切り型なのも、きっと確信犯なのだろうと思う。自分が美しいと思う昔ながらの旋律や言葉を使って生まれ故郷に対する愛を歌ってなにが悪いんだって。だから遠慮なく歌ってやる──そう思ったんじゃないかと愚考する。建前ぬきでみずからの未熟さをさらけ出す姿勢は過去から一貫している。
この曲を非難している人たちは、大きく二種類に分かれると思う。日本の歴史を踏まえれば、こんな軍歌みたいな曲を書くこと自体が許されないという人と、その文語の使い方が間違っているとか、曲自体があまりに陳腐だから嫌いという人。
後者に関しては、まぁ、それは好みの問題だから仕方ない。僕もこの曲が傑作だとは思わないし。でも前者についてはどうしても違和感が否めない。
そういう人たちはまるで戦前の軍歌があったから戦争になったような論調で野田くんを責めているけれど、違うでしょう? 音楽が戦争を起こしたのではなく、戦争が起こったあとで──もしくは戦争を正当化するために──音楽が悪用されたんじゃないの? 音楽自体に罪はなくない?
少なくても僕はどんな音楽にもそれ自体には罪はないと思う。ましてやこの曲のどこにも戦争を肯定するような歌詞はひとつもない。それなのに「戦争を思い出させるような音楽はそれ自体が悪だから存在することさえ許せない」──そんな論調でこの曲を非難する人がいるのが僕にはどうにも納得がゆかなかった。
ちまたに溢れる戦争や殺人やレイプを描いた映画や小説はよくて、戦争を思い出させる音楽はそれだけで駄目なんて理屈はないでしょう? 音楽なんてしょせんは嗜好品だ。いやならば聴かなければいい。 そもそもシングルのカップリング曲なんて、ふつうは聴きたくたって聴けやしないんだから。
金を払ってCDを買っちゃったファンの人が文句をいうのは仕方ないけれど、ふだんはRADWIMPSなんて聴きもしない人たちがわざわざネットで視聴してニュースになるほど騒ぎ立てる状況は、絶対に間違っていると思う。
(Oct. 11, 2018)