Coishikawa Scraps / Music

2026年4月の音楽

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  1. 形藻土 / ずっと真夜中でいいのに。

形藻土

ずっと真夜中でいいのに。/ 2026

形藻土 (通常盤初回プレス)

 現時点でのわが最愛のバンド、ずっと真夜中でいいのに。待望の四枚目のフル・アルバム。

 この作品はこれまでとかなりイメージが違った。

 なによりまずは待ち望むこちら側の心持ちが違う。これまでは期待しかなかったけれど、今回は期待と不安が半々だった。

 それまでは毎年ミニ・アルバムとフル・アルバムを一年ごとに交互にリリースしてきたずとまよが、2025年はついに一枚もアルバムをリリースすることなく一年を終えた。

 万博ライブとかも含めて、精力的にライブ活動を行っていたので、単にアルバムを作るだけの時間の余裕がなかったのかもしれないけれど、なまじそれまで律義に毎年一枚ずつアルバムをリリースしてきていたので、そのインターバルが途切れたことには、若干の創作意欲の衰えが潜んでいるのではと心配になっていた。

 加えて、このアルバムの発表時のコメントには、「初となる10分超えの大作曲、コンセプトに沿ったインタールード等含め、改めて“アルバム”の再定義に拘った1枚」だという説明があった。

 これを読んで期待がワクワクと高まった人もいるんだろうけれど、僕は逆だった。

 要するにある種のコンセプト・アルバムってことでしょう?

 んー、大丈夫なの?

 ずとまよの場合、いまもむかしも個々の楽曲の出来が素晴らしいので、既存曲をアルバムの形にまとめただけでも十分傑作になるのは前作『沈香学』で証明済みなのだから、なにも余計な手間を加えなくてもよくない?――と思わずにいられなかった。

 さて、そんな過去一インターバルがあいたあとに、鳴り物入りの予告とともに届けられたこのアルバム。出来はどうかというと――。

 あぁ、なるほど。これは要するにACAねが最近のライヴでやっている方法論をそのままアルバムの形で表現した作品なのだろうと思う。

 ライヴでは序盤の曲をワンコーラスだけのメドレーにしてみたり、途中に余興があったり、インストパートを追加して長尺になる曲があったりするけれど、その方法論をアルバムの形で再現してみたらこういう形になりましたって、そういうアルバムなのだろうなと思った。作品の性格としては、とても腑に落ちた。

 収録曲は全18曲。トータルタイムは69分で、ボリューム的にはずとまよ史上最大。

 そのうち、このアルバムのマイ・フェイバリットである『TAIDADA』や『微熱魔』を含む6曲が既存曲(もしかしたらマスターとかミックスとか違っているのかもしれないけれど、少なくても僕にはわからない)。先行リリース的な立ち位置でリリースされた『メディアノーチェ』と『よもすがら』も含めるならば8曲。

 さらに配信シングルとは微妙にアレンジが違う『クリームで会いにいけますか』に、スタジオライブテイクとして再録された『またね幻』と『クズリ念』を加えた計11曲が既存曲ということになる。

 つまりアルバムとともに初お目見えとなった新曲は7曲。

 ――とはいっても、そのうち『間人間』(まにんげん)、『アンチモン』、『蟹しゃぶふぁんく』の3曲が現在進行形のツアーで披露済み。

 『間人間』は改めて聴くとこれぞずとまよって楽曲だけれど、『アンチモン』は鼻歌に語呂合わせで歌詞を乗せたようなインスト寄りのクールなダンスチューン(サビのフレーズが電気グルーヴっぽくて癖になる)で、ずとまよ的には新機軸。

 『蟹しゃぶふぁんく』は、アルバムの冒頭を飾る『地球存在しない説』、『ultyra魂』(ウルトラたましい)と並ぶ、ワンコーラスのみ、一分台の短い曲。新曲には違いないけれど、音響的にもラフな音作りで、これをもってずとまよのフルスペックが発揮されているとはいい難い。

 残すところはあと二曲。そのうちの一曲『不死身の訓練』は『ultra魂』が唐突に終わったあとすぐに始まるので、ユーモラスなタイトルもあいまって、その二曲で一曲という印象の、これまた余興感のある仕上がり。

 最後に控える10分越えの『lowmotion aglae』は、『アンチモン』の姉妹編みたいな音遊び感覚全開の前半と、これまでにない昭和レトロなメロディと抒情的な歌詞をもつ後半、まったく性格の違う曲をふたつ――いや、あいだに朗読パートもあるので三つ?――つなぎあわせたような大曲。アルバムを象徴する一曲ではあるけれど、いかんせん長いからリピート率は低くなりがち。

 以上、曲の長さもまちまちで、音作りもバラエティに富んだこれらの楽曲を収録するにあたって、ACAねはその曲順にも入念に気を使ったのがわかる。今回のアルバムにはシャッフルで聴くことを許さない雰囲気がある。

 これまでのアルバムは大半が配信曲だったこともあり、シャッフルして聴いてもさほど印象が変わらなかったけれども、これは違う。下手にシャッフルすると、1分の曲がつづいたあとに10分の曲がかかったりして、やたらとバランスが悪いことになる。

 『形藻土』というアルバムはこの順番で聴いてこそ『形藻土』足りえる――そういうアルバムに仕上がっている。

 そういう意味では、これぞ《ずとまよ》のアルバムの最新進化形――と、自信を持ってお届けされたアルバムなのだろう。そう思う――思うのだけれども。

 でもね。

 やっぱ僕にはこのアルバム、過去の三枚ほどではないように思えてしまう。

 要するに今回のアルバムに収録された新曲のうち、ふつうの曲って『間人間』一曲しかないわけです。『よもすがら』を加えても二曲。

 これまでの三枚のアルバムはそれこそ捨て駒なし、全曲シングルカット可能ってレベルの作品だったと思うのだけれど、今回は違う。楽曲の出来映えの問題ではなく、長かったり短かったりライブ音源だったするがゆえに、これはシングルとしては出せないよねぇって曲がかなりある。

 一分台の曲はどれも紛うことなき《ずとまよ》印だけれど、短くてそれ一曲だけで聴くにはどうしたってもの足りないし、『アンチモン』や『lowmotion algae』みたいな曲はイレギュラーなイメージが強い。いや、どちらも好きなんだけれども。少なくてもこれがずとまよのマイ・フェイバリットとはいえない。

 そういうバラエティ豊かな曲があることでアルバムとしての個性が生まれているのは確かだとしても、でもそのせいでアルバム自体の完成度は下がってしまっている感が否めない。デビュー当時の曲である『またね幻』のライブテイクが入っていることもあって、なんかふつうのアルバムというよりはコンピレーションを聴いているような気分になっちゃうんだよねぇ……。

 あと、大好きな『クズリ念』がオリジナルのアレンジではなく、バラードのライブテイクに変更されてしまっているのも個人的には痛かった。バラード版が感動的なのは否定しないけれど、僕はオリジナルのほうが好きなもので、それがこのアルバムに収録されなかったのは残念でしかない。

 ということで、このアルバムはこれまでのずとまよのアルバムではもっとも満足度が低かった。べつに嫌いなわけではないけれど、過去の作品ほどには盛りあがり切れない。アルバムとして通しで聴かないと座りが悪いせいで、再生回数がこれまでの作品よりも少なくなるのは間違いない気もする。

 ファンになってはや七年。ライブに違和感を覚えることが増えてきたと思ったら、ついに新譜もこういう受け取り方をする日がきちゃったかぁって……。

 僕はこのアルバムを繰り返し聴きながら、なんともいえない気分になっている。

 でもまぁ、ヨルシカが『二人称』でアルバムの存在意義を問うたのとほぼ時を同じくして、ずとまよがこういうコンセプチュアルなアルバムをリリースしたのは、事象としてはとても興味深いことだと思う。そんな一枚。

(Apr. 29, 2026)