2006年8月の本

Index

  1. 『ガラテイア2.2』 リチャード・パワーズ
  2. 『昨日』 アゴタ・クリストフ
  3. 『事件の核心』 グレアム・グリーン
  4. 『ポットショットの銃弾』 ロバート・B・パーカー
  5. 『マーティン・ドレスラーの夢』 スティーヴン・ミルハウザー
  6. 『ブライトン・ロック』 グレアム・グリーン

ガラテイア2.2

リチャード・パワーズ/若島正・訳/みすず書房

ガラテイア2.2

 語り手のリチャード・パワーズは、母校に客員教授として滞在中に、変人レンツ工学博士による人工知能の開発プロジェクトに巻き込まれる。彼はコンピュータに文学を読み聞かせながら、別れた恋人Cとの過去に思いを馳せ、あらたに出逢った女性Aに密かな思いを寄せる。自伝的な要素をたっぷりと盛りこんだ、パワーズの長編第五作。
 これまた圧巻。なぜデビュー作『舞踏会へ向かう三人の農夫』のあと、その後の三作をすっ飛ばしてこの五作目が先に訳されてしまったのだろうと不思議に思っていたのだけれど、読んでみてその自伝的な内容に納得がいった。この本はパワーズという天才作家のデビューからの足跡を知る上で、またとないテキストとなっている。まあ、ここに書かれていることが、半分は事実だと仮定してだけれど。
 この作品については、帯の文句を見たり、ネットで調べたりすると、人間と人工知能の恋を描いた小説、みたいな読み方をされている風なところがある。ところが僕にはまったくそういう読み方ができなかった。
 リチャードが育てる人工知能は女性としての性格を持ち、ヘレンという名前が与えられることになる。そういう意味では「彼女」とリチャードのあいだに、そういう関係が成り立つようにも思える。けれど話のなかでは、ヘレンは幼い少女として立ちあらわれ、徐々に成長してゆく。その成長の過程をともにするリチャードにとって、ヘレンは恋愛の対象というよりは、自らの娘というべき存在じゃないだろうか。ヘレンを育てるあいだも、リチャードはずっとCとの思い出にひたり、Aへの思いに悩んでいる。それゆえ、リチャードの側からのヘレンに対する恋愛感情というのが、僕には読み取れなかった。
 逆はあるのかもしれない。ヘレンがリチャードに恋をした? それならばまあわからなくはない。実際にヘレンがみずから姿を消す場面は、この小説のクライマックスだろうし。もしかしたら世の中の多くの人は、そんなAIヘレンの片想いに胸を熱くしているんだろうか? そればそれですごいなと思う。平凡な男性の僕は、リチャードのCやAに対する恋心の切なさにおおいに共感するばかりだった。
 なんにしろ、最後の方であきらかになるプロジェクトの真の目的というやつが僕にはまるでわからなかったし、僕のこの作品に対する読みこなし度はとても低いとは思う。それなのに、それでもいいやと思ってしまうくらい、この本はおもしろかった。
 パワーズの小説は、非常に晦渋{かいじゅう}でありながら、それでいてきちんとフィクションとしてのおもしろみを湛えている。そんなことはそうそうできるものじゃない。文句なしに現代アメリカ文学の最終兵器的存在だと思う。僕の本年度ナンバーワン。
(Aug 05, 2006)

昨日

アゴタ・クリストフ/堀茂樹・訳/ハヤカワepi文庫

昨日 (ハヤカワepi文庫)

 アゴタ・クリストフのすごさは、リチャード・パワーズのそれとは対照的だ。わずか160ページたらずのこの作品でも、きわめてシンプルな言葉のみでもって、きちんと読者の心を揺さぶってみせる。文学にとって語彙の多さは必要不可欠な要素ではないとことの証明として、この人の小説はとても貴重だと思う。
 この物語のなかでは、親を刺して母国を亡命した少年が、大人になって再び、同じようなことを繰り返す羽目になる。結局どちらの事件も、悲劇のもつ力強いカタルシスからは見放されてしまっているのだけれど、その報われなさが、ある意味見事だと思った。
(Aug 05, 2006)

事件の核心

グレアム・グリーン/小田島雄志・訳/ハヤカワepi文庫

事件の核心 (ハヤカワepi文庫―グレアム・グリーン・セレクション)

 主人公のスコービーはアフリカの植民地にある警察の副署長。真面目で誠実なこの男が、その誠実さゆえにカトリック教徒としての規律に反した行動を取らざるを得なくなっていゆき、ついにある決断をくだすまでを描く長編小説。
 いつものグリーンの作品と同じで、読みにくいながらも、読後感はなかなか悪くない作品だった。ただ帯にある「二十世紀最高の恋愛小説」というのはどうなんだろうか。恋愛を描いていながらも、恋愛小説という印象はあまり受けなかった。どちらかというと、ラストシーンで「あの人が愛したのは神だけ」と言われるように、信仰についての小説だったような印象のほうが強かった。
(Aug 15, 2006)

ポットショットの銃弾

ロバート・B・パーカー/菊地光・訳/ハヤカワ・ミステリ文庫

ポットショットの銃弾 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 スペンサーはギャングの牛耳る西部の小さな町ポットショットからやってきた美女メアリー・ルーに、夫を殺した犯人を見つけて欲しいと依頼される。彼がその土地を訪れてギャングの手下を軽くあしらうのを見た町の有力者たちは、大金を提示して、町のダニ退治を依頼。かくしてスペンサーはホーク、ヴィニイ・モリス、テディ・サップ、バーナード・J・フォーテュナト、チョヨ、ボビイ・ホースの6人のガンマンを召集して、悪人どもの征伐に乗り出すのだった。
 伝説的なウエスタン映画『荒野の七人』へのパーカー流のオマージュと言われる作品。『キャッツキルの鷲』以来、もっとも派手な銃撃戦の展開される作品なんだろうと思っていたけれど、あれほどの派手さはなかった。単純に悪いやつらをやっつけて終わり、とならないあたりが、パーカーらしいというか、それとも西部劇というもの自体がそういうものなのか。西部劇には疎い僕にはなんとも言えない。
 おもしろいのは、前作に続いて、今回も恋する男が馬鹿を見て終わること。年老いてなお、ここまで女性を愛することに情熱を燃やすミステリ作家というのも珍しい。いや、ハードボイルドを現代の騎士道小説とみなすならば、ハードボイルドはかくあらねばならないのかもしれない。そんな気もする。
(Aug 15, 2006)

マーティン・ドレスラーの夢

スティーヴン・ミルハウザー/柴田元幸・訳/白水社

マーティン・ドレスラーの夢

 しがない葉巻商のひとり息子として生まれながら、ホテルのベルボーイの仕事を足がかりに、ホテル業でめざましい成功を遂げるひとりの企業家の半生を描いた長編小説。
 小説、からくり人形、アニメーション、絵画……。創造することに対してたぐいまれな才能を持ち、なおかつその世界に埋没してゆく天才たちを描くのをライフワークのようにしているスティーヴン・ミルハウザーがこの長編作品で描くのは、ホテルという閉じられた空間のなかに、もうひとつの別の小世界を築きあげようとした青年の物語。いままでのように個人作業で達成できる芸術を対象とするのではなく、ホテル業という、より広い人間関係を必要とするビジネスの世界にスポットをあてたところが新機軸だ。
 とはいっても主人公のマーティンは作者のほかの小説と同様、創造することにのみ情熱を抱き、その過剰な情熱ゆえにプライベートでは不幸を招いてしまうタイプの青年として描かれる。彼にとっての経済的な成功は、世界をわがものにしたいという、見果てぬ夢を叶えるための手段でしかない。常人には計り知れないほど大きな夢を抱く彼は、その見返りとして、無情に感じられるほど淡白な人間関係のなかで生きてゆかざるを得なくなる。本当の愛も友情も育むことのできない孤独な天才。そんな彼がエスカレートし続ける創造欲の果てに生み出してしまった、ホテルとさえ呼べない混沌とした小世界は、当然のごとく破綻することになる。
 ピュリツァー賞受賞もなるほどと思わせる古典的な展開を見せていた物語は、クライマックスに到って、ようやく作者独自の寓意性と幻想性を帯びてくる。そこからがまさにミルハウザーの真骨頂。執拗な描写力により表現された箱庭のような異世界のあとで訪れるもの静かなエンディングには、ある種の不思議な解放感があった。
(Aug 20, 2006)

ブライトン・ロック

グレアム・グリーン/丸谷才一・訳/ハヤカワepi文庫

ブライトン・ロック (ハヤカワepi文庫―グレアム・グリーン・セレクション)

 舞台はイギリスの保養地ブライトン。十七歳にして大人たちを従え悪事を働く少年ピンキーは、仲間とともに(おそらく敵対するグループの構成員である)新聞記者のヘイルを真昼間に殺害する(理由は不明)。アリバイ工作にも余念がないはずが、どっこい子分のひとりがミスを犯していた。彼はそれをフォローしようとして、喫茶店のウエイトレス、ローズにみずからが事件に関与していることを知られてしまう。その少女(彼よりひとつ年下)の口をふさぐため、少年は心ならずも彼女との親交を深めてゆき、結婚まで決意することになる。しかしそんな苦労をよそに、殺人当日にヘイルと一緒にいた女性が事件に関与し始めたことで、彼はますます窮地に追い込まれしまうことになるのだった。
 悪意のかたまりのような主人公の不良少年は、幼いころから両親の情事を盗み見てきたことで、セックスに激しい嫌悪感を抱いている。そのためにいまだに女性を知らず、大人ばかりの中にあって、そのことにひそかな劣等感を抱いてもいる。そんな彼が、はからずもひとりの少女と関係をもつようになり、ついに自ら忌み嫌っていた行為におよぶことになる。殺人という大罪をおかして悔いることのない少年が、セックスという行為に対して激しく葛藤する姿が丹念に描かれているのが興味深い。
 この作品における少年と少女の関係には、愛とも憎しみとも言い切れない非常に微妙なものがあると思うのだけれど、恥ずかしながら僕にはそれをきちんと説明できない。ストーリー的には冒頭からなかなかサスペンスフルで、これまでに読んだグリーンの作品のなかでは、もっともその世界に入り込みやすかった。それでいてその核の部分には深い精神性が垣間見える。苦いあと味の残るエンディングも見事だ。
(Aug 27, 2006)