国のない男
カート・ヴォネガット/金原瑞人・訳/NHK出版
カート・ヴォネガットの遺作となったエッセイ集。
ヴォネガット翁は、あいかわらず見事な語りで、シニカルに毒舌を吐きつつ、ユーモラスに人類愛を訴えている。石油に依存しすぎている現代社会を、愚かな化石燃料中毒と弾劾してみせたり、八十歳すぎの頑固な老人らしく、インターネットを断固拒否して、タイピストに郵送で原稿を送る自らのライフスタイルをいきいきと活写してみせたり。老いてなお枯れることなく下ネタを連発するのはちょっとなんだけれど、それでもヴォネガットの語り口は最後の最後まで非常に魅力的だ。叶うことなら、僕もこういう文章が書けるおじいさんになりたい。
この本で残念なことがあるとしたら、それは出版社が、これまでヴォネガットのほとんどの作品を出版してきた早川書房ではない点。まあ、もとはといえば原書が出てから2年も版権をとらずに放ったらかしていた早川がいけないんだけれども、それにしてもこういうのってやはり、人の死にあてこんで儲けようとしているのが見え見えで、あまり気持ちがよくない。翻訳家もこれまでヴォネガットに縁もゆかりもない人みたいだし……。
そもそもこの金原という人、『白鯨』 を 『モウヴィ・ディック』 なんて訳している時点で、個人的にはちょっとなあと思ってしまう。この本には、随所にヴォネガット直筆の警句や滑稽詩が挿入されていて、そこで原文と翻訳が対比できてしまうため、必要以上に翻訳に不満を感じてしまうことにもなる。あとがきも
いや、それでもこれは、基本的にはとてもいい本だと思う。わずか百五十ページ程度のなかに、ヴォネガットの魅力がぎっしりと詰まっている。自国の大統領ジョージ・ブッシュを思いきり罵倒する一方で、十九世紀のオーストリアの産婦人科医を賞賛してみせ(この人の話は最高にいい)、下ネタまじりで隣人愛を訴える。そんなヴォネガットが僕は大好きだ。こういう作家と出会えたことを幸せだと思う(最近はなにかにつけて、そんなことばっかり言っている気がするけれど)。
この本のなかでヴォネガット翁は、どんなに小さなことでもいいから、幸せを感じた時には、そのことに気づいて欲しいと言っている。そして、その気持ちを声に出して言ってみるように薦めている。その仰せに素直に従って、この本を読めた幸せを言葉にして終わりたいと思う。ヴォネガットの言葉──正しくはヴォネガットのおじさんの言葉──を借りると、それは次のようになる。
「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」
(Dec 06, 2007)