越境
コーマック・マッカーシー/黒原敏行・訳/ハヤカワepi文庫
僕はこれまでにコーマック・マッカーシーの作品を3作読んでいるけれど──でもって、そのうちの 『すべての美しい馬』 は読んだのがかなり前なので、ほとんど覚えていないけれど──、4作目のこれがもっとも文学度が高いと思った。これまでの作品がどれもハードボイルドと文学の狭間(ところにより若干文学寄り)という印象だったのに対して、これはハードボイルド文学の極北とでもいった風格がある。しかもボリュームも過去最高の650ページ超。いやぁ、おかげで手こずった、手こずった。読み終わるのに3週間以上かかってしまった。
物語の始まりは、父親の牧場を荒らす狼を罠にかけて捕まえたカウボーイの少年(16歳)が、その牝狼に対してなぜだか仏心をおこして、メキシコの山奥へと逃がしてやろうと思いたち、ひとり国境を越えてゆくという話。少年は家族にひとことも告げずに、父親のライフルをたずさえて、単身メキシコへと乗り込んでゆく。
この部分が母国で絶賛されたと解説にあるけれど、僕もこの狼に関するエピソードだけで普通の長編一作分くらいの筆圧があると思った。すごい読みごたえがあった。
それなのに、この小説ではそのパートが全体の三分の一に過ぎないんだから恐れ入る。最初は狼の話だけで全編を引っぱるのだろうと思っていたら、途中で早々とその話にケリがついてしまって、それから先がまったく話が読めなくなった。
ミステリやスリラーのように解くべき謎も戦う相手もいないので、いったいこの少年は──もしくはこの物語は──これからどこへ向かうんだろうと不思議に思っていると、これがまた、その先にも思わぬ展開が待ち受けている。狼の話もいいけれど、このあとのエピソードも負けていない。すげー、コーマック・マッカーシー。
きわめて文学的でありながら、ハードで端正で男くさくて悲しいこの小説は、まさに二十世紀末に生まれたハードボイルド文学の頂点ともいうべき作品じゃないかと思ったりする。軟弱な僕の手には余るけれど、それでもこれは素直にすごかった。脱帽です。
(Jan 05, 2010)