堕ちてゆく男
ドン・デリーロ/上岡伸雄・訳/新潮社
個人的には 『アンダーワールド』 を読んで以来、4作目となるドン・デリーロの(邦訳)最新作。
デリーロがこの小説でとりあげたテーマは、ずばり9・11の同時多発テロ。あの事件に人生を左右されたひと組の家族を中心として、アメリカ国民が受けた心の傷の深さを描き出す。
夫のキースは国際貿易センターで働いていた弁護士。彼はあの事件を当事者として体験して、茫然自失のまま、別居中だった妻のもとを訪れる。誰のものともわからないブリーフケースを片手に。顔じゅうにガラスの破片が刺さった血みどろの姿で。
もとより別居していたわけだから、夫婦の仲は冷めている。それでも妻のリアンは彼を受け入れて、ともに暮らし始める。崩壊直前だった彼女たちの家庭は、同時多発テロのトラウマを拠りどころに、いびつながらも形を取り戻す。
とはいっても、これを機にふたりの仲が急速に回復したりはしない。彼らはそれぞれにあの事件をトラウマとして抱え、二度とそれ以前の自分に戻ることができない。すれ違い気味の彼らの行動を、デリーロはそれぞれ別々の視点から交互に描いてゆく。ふたりのあいだのつかず離れずの距離感にはとても説得力がある。
ふたりの行動に絡んで、さらに多くの人々が群像劇的な形で加わる。ふたりの幼い息子ジャスティン(彼のエキセントリックな言動は、そのままポスト同時多発テロ期のアメリカの不安定さを反映したようで、心穏やかには読めない)。事件の実体験をキースと共有する黒人女性のフローレンス。リアンの母親とその恋人のドイツ人画商マーティン。リアンがケースワーカーを務める認知症の老人たち。事件の当事者であるテロリストたち。そして作品のタイトルにもなっている「落ちる男」。
「落ちる男」は、同時多発テロの際に撮影された、国際貿易センタービルから転落する男性の写真のタイトルだとのことで──Wikipediaにも解説があった──、この小説での「落ちる男」は、その男性の形態模写をして、無許可でビルの屋上などから宙吊りになってみせるゲリラ的パフォーミング・アーティスト(ただし彼については詳しくは語られない)。見る者すべてに9・11を思い出させるその人の無言のパフォーマンスに、リアンは絶えず心を乱される。
この物語は9・11のその瞬間から始まり、キースとリアンを中心にした人間模様を描き出しながら、結局どこへも行き着かずに終わってしまう。安易な解決や気休めはまったくなし。デリーロがこの小説を書いた時点では、9・11でアメリカが受けた深い傷はまったく癒えていないし、いつ癒えるかもわからなかったということなんだろう。
タイトルである『堕ちてゆく男』のパフォーマンスに象徴される、その宙ぶらりんな感覚こそが、この小説のメイン・テーマなのではないかという気がした。
(Feb 09, 2010)