2010年7月の本

Index

  1. 『夜想曲集 ~音楽と夕暮れをめぐる五つの物語~』 カズオ・イシグロ
  2. 『秘密捜査』 ジェイムズ・エルロイ
  3. 『幽談』 京極夏彦
  4. 『マイケル・K』 J・M・クッツェー

夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語

カズオ・イシグロ/土屋政雄・訳/早川書房

夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語

 カズオ・イシグロ、初の書き下ろし短編集。
 サブタイトルに「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」とあるように、どの話も「音楽」をモチーフにしつつ、人生の「夕暮れ」時を生きる人たちのささやかなエピソードをユーモアとペーソスたっぷりに描いてみせている。
 イシグロの小説はいつも「なんだこいつ」と思ってしまうような「とんだ勘違い野郎」を語り手にするのが常套手段なので、あまり読後感がよくなかったりすることが多いけれど、これは短編集だからか、そのずれ具合が適度に緩和されていて、厭味がないところがいい。二話目の 『降っても晴れても』──冴えない中年男が、破局の危機にある親友の妻とふたりきりで過ごす夕べを描いたコメディ──なんて、長編で書いたらけっこう悲惨な話になりそうなのに、ここではそれがほどよいユーモアにつつまれて、すっきりとしたあと味になっている。
 まあ、苦みばしったものこそ文学とするならば、ここでの苦味の足らなさに不満をおぼえる人もいるのかもしれないけれど、僕にはこれくらいでほどよかった。イシグロ、短編作家としても、けっこういけていると思う。
 僕はこの短篇集、とても好きです。
(Jul 11, 2010)

秘密捜査

ジェイムズ・エルロイ/小泉喜美子・訳/ハヤカワ・ミステリ文庫

秘密捜査 (ハヤカワ・ミステリ文庫 98-1)

 ジェイムズ・エルロイの長編第二作にして、僕個人が唯一読み残していた作品。つまりこれにてエルロイの作品もようやくコンプリート(まあ、近いうちに 『アメリカン・デス・トリップ』 の続編が出るんだろうけれど)。
 デビュー作の 『レクイエム』 が、エルロイとしては珍しく、私立探偵を主人公にした正統派のハードボイルドだったのと比べると、この第二作ではその後のエルロイのスタイルがかなり顕著に出てきている。主人公はLAのはみだし警察官だし、彼が美女の連続殺人事件に執着して、苦境に立たされることになるという展開も、これぞエルロイって感じだ。
 物語は途中から思わぬほうへと脱線してゆき、前半と後半でまるで違った様相を呈するのだけれど、そのいびつさもまたエルロイらしい気がする。
 なにより驚くべきは、この作品で、かのLA四部作最強の悪漢警部、ダドリー・スミスが初登場していること。おぉ、そうとは知らなかった。なにげに重要な作品じゃないっすか、これ。のちの作品のような重厚さはいまだないけれど、そのぶん読みやすいし、それでもエルロイらしさはしっかりと味わせるという、なかなかいい小説だった。
 ちなみに足が不自由なヒロインとのラブ・ロマンスがたっぷり描かれている点も(訳者の小泉さんには結末が「大甘」と評されてはいるけれど)、往年のハリウッド映画っぽくて、僕的には好みだった。
(Jul 11, 2010)

幽談

京極夏彦/メディア・ファクトリー

幽談 (幽BOOKS)

 京極夏彦が怪談専門誌 『幽』 に掲載してきた短編をまとめた本。
 これ、じつはとても画期的な作品だったりする。なぜって京極夏彦が正真正銘の怪談を書いたのは、これが初めてだから。
 「妖怪作家」だの「妖怪研究家」だのという肩書きで紹介されることが多い京極夏彦だけれど、それでいてこの人は不思議なくらいに「不思議な話」を書いてこなかった。
 百鬼夜行(京極堂)シリーズにしろ、巷説百物語シリーズにしろ、妖怪をモチーフにはしているのものの、物語の中では、なにひとつ不思議なことなど起こらない。『嗤う伊右衛門』 などの怪談シリーズもそう。あくまで「妖怪や幽霊を見た(と思ってしまった)人」が出てくるだけで、妖怪や幽霊は実際には出てこない。現実に起こりえないことはいっさい起こらない。京極夏彦はつねにそういう作品ばかりを書いてきた。
 例外的に 『豆腐小僧双六道中ふりだし』 には妖怪が出てくる──というか妖怪が主役だ──けれど、あれは戯画化されたギャグマンガのような作品で、怪談というにはほど遠い(でも傑作!)。そのものずばり、『旧怪談』 という本もあるけれど、こちらは江戸時代の随筆集をリアレンジしたものだから、純粋なオリジナル作品といえない。
 つまり京極夏彦はその「妖怪作家」という肩書きのイメージに反して、これまで「妖怪や幽霊」といった超常的な存在が出てくる「怖い小説」をまったく書いてこなかった。
 でもこの本はちがう。ふつうはあり得ないことや不思議なこと──旅館の庭に生きた手首が埋まっていたり、同級生の幽霊がこちらをみつめていたり、ベッドの下で大きな顔の人がすすり泣いていたり――がちゃんと起こる。まあ、身の毛がよだつとか、ぞっとするという{たぐ}いの怖さではなく、どちらかというと気味が悪いとか、不気味だとかいうタイプの話ばかりだけれど──それゆえ「怪談」ではなく「幽談」 なんだろう──、少なくてもそこには笑いではなく、そこはかとなくも確実な恐怖がある(まあ、たまに笑いもある)。そういう意味でこれは京極夏彦が自らのマスイメージと真正面から向き合った、地味ながらも画期的な本だと思う。とかいうと、やや誉めすぎかも……。
 それにしても、こういう短編を読むと、あらためてこの人の文体って夏目漱石に似ているなと思う。とくに一話目の『手首を拾う』 あたりには 『夢十夜』 の現代版みたいな印象を受けた。
(Jul 23, 2010)

マイケル・K

J・M・クッツェー/くぼた のぞみ/ちくま文庫

マイケル・K (ちくま文庫)

 ワールドカップ・南アフリカ大会の開催を記念して、僕が知っている唯一の南アフリカ出身の作家ってことで読むことにしたJ・M・クッツェーの作品。
 それにしてもこの小説、ワールドカップの狂騒からは見事にかけ離れた内容だった。舞台こそ南アフリカだけれど、時代設定はアパルトヘイト末期ごろだし、主人公は知恵遅れの中年男性。マイケル・Kなるこの人が、戦時中の南アフリカをさまよいながら、サバイバル生活をつづけてゆくという話で、華やかなところはまったくなし。
 自然と共生することに喜びを見いだす主人公は、ゆがんだ社会システムと戦争のために、さまざまな障害にぶつかりつつ、それでもかろうじて生きてゆく。容姿のうえでも、知性のうえでも人よりハンディキャップを背負った彼は、それでも人に頼ろうとすることなく、なんとかひとりで生きてゆこうとする。というか、悲惨な生まれつきゆえか、あえてひとりになりたがる。
 でもそんな彼を社会は放っておいてくれない。無理やり強制収容キャンプに入れられたり、衰弱しきったところをスパイと間違われて捕まって、精神病院に収容されたり。そのたびに彼は自由を求めて、荒れ果てた大地へと逃げ出してゆく。「なぜそこまで?」と不思議に思ってしまうくらいの{かたく}なさで。
 近代文明を拒絶して、自然のなかに生きることに無上の喜びを見いだし、着のみ着のままで乞食のような{おのれ}のなりにもまったく無頓着。そんなこの小説の主人公マイケル・Kは、いまの時代には珍しいタイプのアンチ・ヒーローだった。
(Jul 28, 2010)