1Q84 BOOK 3
村上春樹/新潮社
村上春樹による史上空前のベストセラーの完結編。
前の二冊を読んだあとも、僕は感想を書きあぐねた挙句、意見を保留して終わってしまったけれど、今回も似たようなはめになった。気がつけば、読み終わってからすでに一ヵ月以上が過ぎている。
なんでこの作品の感想が書きにくいかといえば、それは異常に売れた話題作だというのに加えて、極めて村上春樹的でありながら、それでいて同時に、いままでにないくらい世俗的かつエンターテイメント寄りの作品だからだった。
以前ネットにアップされていた毎日新聞だかのインタビュー(いまは読めない)で、春樹氏はこれについて「ボーイ・ミーツ・ガール」の物語を書こうと思ったと語っていた。
その通り、この作品は運命によって結びつけられながらも、すれ違いあってなかなか出会えないひと組の男女を主人公としている。
ただその男女というのが、それぞれ普通じゃない――というか、あまりに文学的じゃない。
男性の側、川奈天吾は作家志望の塾講師。彼はなりゆきで、文学賞に応募してきた十七歳の女の子、深田絵里子(通称ふかえり)のゴーストライターを務めることになる(このふかえりという女の子が、まるで綾波レイのような不思議キャラだったりする)。で、結果として彼女に史上最年少の芥川賞をもたらすことになる。
芥川賞・直木賞とはまるで縁がなかった春樹氏が、自らの作品の中で十代の女の子に芥川賞を獲らせてしまうという、このアイロニカルで世俗的な設定にまず驚かされる。
でもそれよりさらに驚きなのはヒロインのほう。
彼女は青豆という変わった名前で──これは名字で、ファースト・ネームはまったく使われていない。この第三部であきらかにされていた気がするけれど、不覚にも僕の記憶には残っていない。彼女はつねに「青豆」と呼ばれている──、職業はスポーツ・クラブのインストラクター。ただし彼女はその裏で、金持ちの老婦人に雇われて、法律の手の届かない悪人に天誅を加えるという、もうひとつの顔を持っているのだった。
そう、なんと殺し屋ですよ、殺し屋。暗殺者。アサシン。呼び方はなんでもいいけれど──というか、この小説のなかではそのうちのどの呼び方もされていなかった気がするけれど──、なんにしろ村上春樹はこの小説で、ヒロインをある種の犯罪者にしたてているのだった。それも針一本で相手の命を奪うという、きわめて必殺仕置人的な。
これらの世俗的・エンターテイメント的な設定に加えて、この作品では幻想性がいままでになく前面に押し出されている。幻想性というか、超常的というか、SFチックというか。1984年当時を舞台にしながら、そのパラレル・ワールドに迷い込んだという話の流れのなかで、非現実的なことがガンガン起こる。
現実と幻想が交錯する点が村上文学の特徴のひとつではあるけれど、ここまで幻想性をあたり前のようにメイン・ストーリーに組み込んだ長編はこれまでになかったと思う。架空の世界を舞台にした 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』 でさえ、物語自体はもっとベーシックだった(少なくても僕の印象では)。
そう、とにかくこの小説は徹底的にエンターテイメント寄りで、やたらと非文学的なのだった。
まったく文学性がないとは思わない。天吾と青豆、それぞれが幼少期の特殊な家庭環境のなかで育んできた孤独感には普遍的な悲しみがあるし、滑稽で不気味なリトル・ピープルをはじめとした幻想的な場面にも、村上ワールドならではのおもしろみや凄みがある。オーム真理教をモデルにしたと思われる新興宗教団体「さきがけ」の存在が、物語に不気味な影を投げかけている点も見逃せない。
ただ、いわゆる純文学という言葉からは、いつも以上に大きく逸脱している。少なくても罪びとであるはずの青豆に贖罪の葛藤がまったくなかったり、彼女と天吾がそれぞれの存在になんの疑問も抱くことなく、暗黙の了解的におのおのの非現実的な運命を受け入れてしまう点などに、僕はそれなりの違和感をおぼえた。
そういう意味では、この第三部がないほうが、まだ文学的だった気もする。第二部の結末にはアメリカン・ニューシネマっぽい悲劇性があったし、いろいろなことが宙ぶらりんになったままのもの足りなさも、それはそれである種の文学的要素だったと言えなくはないし。
この第三部で納まるべきものごとが納まるべきところへ納まってしまったことにより、前作にあった微妙な文学的バランスが崩れて、なおさらエンターテイメントに振れてしまったような気がする。でもこの第三部がなかった方がよかったかというとそんなことはないわけで。やはりボーイ・ミーツ・ガールの物語が、ボーイ・ミーツ・ガールの場面なしで終わってしまって満足できるはずがない。
だから、要するにこれはエンターテイメントとして読むならばとてもおもしろいけれど、その分、やや文学的な深みには欠けると。そういう小説だと思う。なまじノーベル賞候補になったなんて噂のあとだけに、そうした方向性にはけっこう意外性があった。
というか、年がら年じゅうこういう小説ばかり書いていたら、おそらくノーベル文学賞に名前があがったりしないんじゃないだろうか。これはもしかして必要以上に世間に騒がれるのにうんざりした春樹氏が、確信犯的にエンターテイメントの方向へ舵を取ってみせた作品なのではないかと。そんな風に思ったりもした。
ま、つべこべいわず、ひとことで済ますんならば、おもしろかったのひとことで。まだまだ続きが書けそうなくらい広がりのある世界観が提示されているので、できれば同じ世界を舞台にした別の物語も読んでみたかったりする。もしかしてこれって春樹氏が理想だという総合小説への第一歩なのかもしれないという気が……。そんなことないですか。
(Jun 06, 2010)