走ることについて語るときに僕の語ること
村上春樹/文春文庫
この夏はあまりに暑すぎて、ばてまくりだった。もともと体力がないので、夏ばては毎年恒例だけれど、こんなにばてまくったのは初めてだと思う。夜ごとの熱帯夜でよく眠れないものだから、とにかく毎日だるいし、頭が働かない。さすがに四十すぎたせいか、そういう疲れを気力で補えない。おかげでこんな文章ひとつ書くにも難儀するような生活がつづいている。
そんな
僕はマラソンを走ったりはしていないけれど、それでも若いころから変わらずにつづけている日々の行いのなかで──たとえばこういう文章を書いたり、本を読んだり、ライブに行ったりという、ささやかな行為の繰り返しのなかで──、最近は確実に自分の老いを実感する瞬間がある。それをある日、マラソンのタイムという動かしがたい数字としてつきつけられるのは、そりゃささやかならぬショックだろう。
でも、その反面、そうやって自分の老いと正面から向かいあう機会がない生き方ってのもどうかと思う。のほほんと生きてきて、気がついたら知らないうちにおじいさんになっていました、なんてことになるよりは、きちんと自分の衰えと向かいあう機会があって、それと折りあいをつけて生きてゆく人のほうが僕には望ましく思える。
年をとるのは悪いことじゃない。まあ、楽じゃないけれど、それでも悪いことでもないと僕は思う。少なくても僕自身は十代のころよりもいまの自分のほうがまだ好きだ。春樹氏が自分の老いを実感として語ったこのメモワールは、そんな僕にとってもなかなか感じ入るところの多い一冊だった。
そういや、この本に収録されている春樹氏の若いころの写真を見て、「うわー若っ、見るからに俺より年下!」と思ってしまうところにも、やはり自分の年齢を感じた。
(Sep 12, 2010)