2011年6月の本

Index

  1. 『ブラック サンデー』 トマス・ハリス
  2. 『ヒプノスの回廊(グイン・サーガ外伝22)』 栗本薫
  3. 『夏への扉』 ロバート・A・ハインライン
  4. 『王子を守る者』 レジナルド・ヒル

ブラックサンデー

トマス・ハリス/宇野利康・訳/新潮文庫

ブラックサンデー (新潮文庫)

 『羊たちの沈黙』の作者、トマス・ハリスのデビュー作。
 去年その映画を観たあとで、「そういやこれだけ読んでなかった」と思い、アマゾン他で検索をかけたら、すでに絶版に近い状態だったので、あわてて買い求めたもの。
 物語はベトナム戦争時に敵軍の捕虜となって恥辱を味わった男が、それが原因で軍を追放され、さらには妻にも裏切られたことから、無差別な憎悪に駆られ、パレスチナのテロリストの力を借りて、スーパーボール会場での8万人もの大観衆(含む大統領)の大虐殺をもくろむというサスペンス・スリラー。
 作者がハンニバル・レクター・シリーズで見せた精神分析的な人物造形の手腕は、このデビュー作の時点ですでに確立されている。私的な怨みから尋常ならざる憎悪をふくらませて、無差別殺人をもくろむ主人公や、彼に協力する美人テロリスト、事件をテロリスト側から辿ってゆくイスラエルの秘密諜報部員などの人物像を、当面の事件には関係のない過去のエピソードを積み重ねながら浮かび上がらせてゆくその描写力は、元ジャーナリストだというだけあって、とても精妙。ひとつひとつのシーンのイメージが鮮明だし、映像化したくなる人の気持ちもわかる。
 ということで、調べてみたらこの作品も映画化されていた。というか、トマス・ハリスという人は、この小説でデビューしてからの三十六年間で、わずか五作の長編しか発表していないのに、そのすべてが映画化されているんだった。どんだけ稼いでるんでしょうか、この人。そりゃ寡作にもなろうってもんだ。
 それにしても、サスペンス・スリラーとしてはよく出来たこの小説だけれど、その内容はテロリストが主人公であるがゆえに、否応なく同時多発テロを、ひいては3.11を思い出させる。こんな話、震災の直後に読むにはふさわしくないってことくらい気がつけ、俺。
(Jun 07, 2011)

ヒプノスの回廊(グイン・サーガ外伝22)

栗本薫/ハヤカワ文庫

ヒプノスの回廊―グイン・サーガ外伝〈22〉 (ハヤカワ文庫JA)

 僕は当初、この本の感想を書くのをやめようと思っていた。
 わけあってグイン・サーガについては、これまでに感想を書いてこなかったし(正確にいうと、ある時期から書くのをやめた)、この最後の外伝に対しても、あまりいいことは書けそうになかったので。いまさら死者に鞭打つようなことはするべきじゃなかろう──そう思って、書かずに済ますつもりだった。
 とはいえ、なんだかんだいいつつ、僕は三十年近くの長きにわたって、このグイン・サーガという小説を読んできたわけで。その間には、少なからずこの大河小説に感動を覚えたこともあった。いや、それも一度や二度の話じゃない。十代でイシュトとリンダの恋に胸を熱くし、二十代で豹頭将軍の誕生に興奮し、三十代でナリスの死に愕然とした。
 四十代になった近頃は、脱線につぐ脱線で、予告した百巻を超えてなお、終わる気配さえない、とりとめなく続くその自堕落さにすっかりうんざりしていたけれど──だからインターネットで感想文(書評というほどのものは書いていない)を公開するようになったのを機に、この小説だけは感想を書くのをやめてしまった。そのころにはすっかりネガティブなことしか書けなくなっていたし、年に何度も愚痴のような文章を人前にさらすのはいやだったので──、それでも過去において、僕はこの長大なヒロイック・ファンタジーを、僕なりに愛していたんだった。
 そう、それなのに、その時々で感じた熱い思いに対して、最終的にひとこともなしで済ますのはどうなのさと。
 いまさらながらそう思ったので、最後にグイン・サーガに対する僕なりの思いをつづって、この未完の大河小説を、それを書いた栗本薫という天才を偲びたいと思う。
 とはいえ、僕のグイン・サーガに対する思いは、「無念」、このひとことに尽きる。
 作者に終わらせる覚悟さえあれば、きちんと終わらせられたはずのものを、その筆のおもむくがままに任せ、野放図に書きつづけたがゆえに、みすみす未完のままに──それもクライマックスへの方向性さえも見えない中途半端な状態のままに──終わらせてしまったという。そのことに対する激しい不満がある。完結さえしていれば、史上最大最長の傑作エンターテイメント小説たり得たものを……。そういう苦い思いが否めない。
 そもそも、これだけ尋常ならざるボリュームがあってなお、クライマックスが欠けた小説を、この先いったい誰が読み始めようと思うだろう?
 少なくても僕だったら、絶対そんな小説には手を出さない。
「グイン・サーガ? あれって終わってないんでしょう? そんなもの読まないよ。クライマックスを待たずに途中で終わってしまう小説に、それも娯楽小説に、いったいどんな価値があるっていうんだい?」
 きっとそう言うだろう。
 僕は、栗本さんはグイン・サーガを愛しすぎたゆえに、自らその価値を{おとし}めてしまったのだと思う。
 そう、グイン・サーガは甘やかされた子供のようだ。放任主義の親から、好きなように自由奔放に生きなさいと育てられ、人並みはずれて大きくなってみたものの、おかげで二十歳をすぎても大人になりきれず、そうこうするうちに親に死なれて、未熟なまま世間に放り出されて、途方に暮れているという。
 きちんとしつけを受けて、二十歳で普通に成人を迎えていれば(つまり予定どおり百巻でちゃんと完結していれば)、その存在自体が飛びぬけた、立派な大人になれていたはずなのに。それがスポイルされすぎた挙句に、場所ばかり取って(外伝を含めれば、文庫で百五十冊を超えるのだから、かなりの場所取りだ)、それで読書好きにとってはなにより大事な、「読了」という満足感を与えてくれない、中途半端な存在に成り果ててしまうなんて……。悲しいというよりも、むしろ腹立たしい。
 僕は栗本薫という人は、稀有な才能を持った小説家だと思っていた。湯水のように言葉をつむぎだす圧倒的な文章力と、適度な文学性を含んだストーリー・テリングの妙は、日本が世界に誇れるものではないかと思っていた。
 ただ、そんな僕の思い込みも、グイン・サーガが百巻で終わらないのが明らかになったくらいから、ぶれてくる。物語は終わりが見えないまま、外伝で書いた方がふさわしいような内容へと脱線してゆき、やがて卑俗なセリフに伏字を使いはじめるに到っては、この人はもう終わっているんじゃないかと思わされた。なにゆえ作者が自ら作品の品格を貶めるようなことをする? そして、そんな疑問が解消されることがないまま、栗本さんは逝ってしまう……。
 グイン・サーガの悲劇は、栗本さんのまわりに彼女の暴走をくい止め、軌道修正できるスタッフがいなかったことではないかと思う。
 これがそのほかのメディアだったら、全百巻と銘打って始めたシリーズが、その倍に膨らむのをそのまま放置するなんてことは起こり得なかったはずだ。2時間のはずの映画が5時間になったら、プロデューサーが放っておかない。全百巻の全集が、刊行終盤になって「やはりあと百冊増やします」なんて話になったら、そりゃ詐欺まがいで、クレームの嵐だろう。
 一エンターテイメントとして商業的にみた場合、グイン・サーガのあり方は間違っていると僕は思う。でも栗本さんがやったような、一個人が全百巻を超える大河小説を書くという行為は、それ自体が空前絶後だったために、誰ひとり彼女の暴走をくい止めることができなかった。
 出版社もグイン・サーガを正真正銘のネバー・エンディング・ストーリーだと勘違いしていたんではないだろうか。長年連れ添った読書家の忠誠心は強い。終わらないでいてくれるならば、こんなおいしいシリーズはない。けれど悲しいことに、彼らにとっての金の卵を産むガチョウは永遠に生きつづけなかった。結果、あとには長大で尻切れトンボな大長編が残されることになった。
 僕自身がはっきりとグイン・サーガの方向性に疑問をおぼえたのは、大怪我を負ったイシュトが悪夢にうなされるエピソードのとき――いつ頃の話かも忘れた(グインに斬られたんでしたっけ?)――だった。グイン・サーガは一巻あたり四話からなる。そのうちの一話をまるまる悪夢の話に費やしているようでは、とうてい百巻で物語が終わるわけがないと思った。
 べつにそのエピソードが悪かったとは言わない。いや、逆にメイン・キャラの苦悩が色濃く表れた、出色のエピソードだったとさえ思う。ただ、グイン・サーガを本当に三国志のような大河小説として考えるならば、それはあきらかに余計なエピソードだった(三国志では曹操の内面の苦悩を描くのに一話を裂いたりしない)。外伝として描かれるのがふさわしいエピソードだった。
 そしてある時期以降のグイン・サーガは──栗本さんが百巻で終わらないことに対して開き直ったせいもあって──そういう外伝的なエピソードであふれかえってしまった。ヤンダル=ゾックとの戦いにしろ、そのあとのタイス編にしろ、僕は本来は外伝として書かれるべきエピソードだったと思う。タイス編における、フロリーがタリクに見初められるエピソードなんて、その際たるものだ。脇役どうしの恋物語(しかも片想いの)が、なにゆえ正伝の一話に組み込まれなきゃなんないのか?
 何度も書くけれど、そういうエピソードがつまらなかったとは言わない。いや、むしろ楽しく読ませてもらいさえした。
 でもそれらが正伝に組み込まれるべきエピソードではなかったという思いは変わらない。正伝をきちんと完結まで持っていった上で、改めて外伝として書かれるべきエピソードだったと思う。そう、かつて 『三人の放浪者』 の前のエピソードをごそっと端折{はしょ}ってみせたときのように。
 物語を構成する上で、書きたいことをあえて書かないというのも、作者の腕の見せ所のひとつだろう。いかにその枝振りがいかに美しかろうと、全体像を見据えた上で、不必要な枝葉はばっさりと切り落としてみせる。──本当にいい作品を生み出すためには、そういう作業が不可欠だと思う。
 そういう意味では、正伝と外伝の境がきわめて曖昧になってしまった後期のグイン・サーガにおいては、栗本薫の小説家としての腕前は、明らかに落ちていたといわざるを得ない。かつてはできていたことが、できなくなっていたのだから。そして栗本さん自身がそういうことができなくなっていたということ以前に、そんな栗本さんを諭して、正しい方向へと軌道修正させてあげる関係者がいなかったという事実に、僕はなんともいえない悲しみをおぼえてしまう。
 これから先、栗本さん以外の作家があとを継いで物語を書き進め、グイン・サーガが完結する日がくるのかもしれない。でもそれはおそらく、僕がかつて愛した栗本薫のグイン・サーガとは別のものだろう。僕は栗本さん以外の作家が書くグイン・サーガにはまったく興味が持てないでいる。
 だから僕がグイン・サーガを読むのはこれが最後になると思う。いずれ再読することはあるかもしれないけれど、少なくても新しいエピソードを読むのは、おそらくこれが最後だ。その最後の一冊がこういう落穂拾い的な外伝だというのにも、なんとも言えないものがあるなぁ……と思うのだった。
 以上、書かないつもりでいたわりには、思いのほか長くなってしまった。まあ、なんだかんだいって、少なくても十代のころの僕にとって、栗本薫はもっとも重要な作家のひとりだったのを思えば、それも当然のこと。ということで、最後にひとこと。
 さようなら、栗本さん。僕はあなたの作品が大好きでした。ご冥福をお祈りします。
(Jun 16, 2011)

夏への扉(新訳版)

ロバート・A・ハインライン/小尾芙佐・訳/早川書店

夏への扉[新訳版]

 ここ二、三年、めっきり読書量が落ちているので、四十なかばにしてすっかり本が読めなくなってしまったと思っていたけれど──というか、老眼がすすんだり、ドライアイになったり、体力の低下で集中力が持続しなかったりで、実感として読めなくなっているのは確かなんだけれど──、こういう本ならば、いまだにサクサク読めることを発見。新訳版ということで、きれいな表紙にも惹かれて再読してみたら、あまりのおもしろさに平日一日で読み終わってしまった。なんだ、まだまだ本読めるじゃん、俺。
 内容はといえば、いわずと知れたタイム・トラベルSFの古典中の古典。猫好きな発明家が恋人と親友に裏切られて絶望し、現実逃避のためにコールドスリープで未来の世界にゆくという話で、序盤に主人公が踏んだり蹴ったりの目にあう展開のひどさに、(彼が救われるくだりが読みたくて)思わずページをめくる手が止まらなくなってしまった。
 まあ、この年になって読むと、主人公と年下の恋人との関係に、「そんなのってあり?」とか思わないでもないけれど(その辺は手放しで楽しめた若いころとはやっぱ違う)、こういう小説でそういうところにけちをつけるのも野暮な気はする。書かれたのが、いまだコンピュータが普及していなかった時代──それもウィンドウズ95が登場するよりも40年近く昔──だというのを考えると、この小説でハインラインがみせた近未来へのビジョンの確かさは驚異的だ(その近未来ってのは西暦二〇〇〇年だったりするんだけれど)。
 とにかく 『バック・トゥー・ザ・フューチャー』 的な楽しさに満ちた、エンターテイメントSF小説の金字塔。小説好きな人、及び猫好きな人はお暇ならばぜひ。
 あ、ちなみに新訳になってよくなったかは、旧訳版(文庫版)を読んだのがあまりに昔のことなので、わかりません。有名なラストの一文は、明らかに昔のほうが味わいがあったと思うけれど、表紙のかわいさではこっちが圧勝かなと。
(Jun 27, 2011)

王子を守る者

レジナルド・ヒル/菊池光・訳/ハヤカワ・ミステリ

王子を守る者 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1455)

 レジナルド・ヒルによるノン・シリーズ(単発読み切り)のサスペンス・スリラー。
 なにやらマイナーな印象なので、絶版にならないうちに入手しとこうと買ってはみたものの、『王子を守る者』 というタイトルのせいで歴史ものだと勘違いしていて、いまいち惹かれず。そのまま長いこと放置してあったのだけれど、いま頃になって読んでみれば、そこはさすがにレジナルド・ヒルの作品。文句なしにおもしろい(そもそも歴史ものでもない)。
 物語は、かつてはイギリスの王子(王位継承権は低い)の警護担当だったにもかかわらず、その王子に向かって「くそったれ」といったために首になったという伝説(あくまで伝説)のある頑固刑事が、浜辺で切断された人の舌が見つかった事件の謎を追ううちに、フリーメイソン絡みの陰謀に巻き込まれてゆくという話。また、それに平行して、その王子の秘密の恋人であるカナダ人女性とそのアイルランド系一族の愛憎なかばする家族劇が描かれてゆき、終盤でひとつに集約するという趣向になっている。
 イギリス王家のステータスとか、アイルランド人のイギリスに対する激しい憎悪とか。さらにはフリーメイソンの秘密の儀式とか。僕には馴染みのない、英米の歴史的・社会的なエピソードが物語の背景に盛り込まれているため、細かい部分には、やや理解しにくい面がなきにしもあらずだったけれど(とくに事件の黒幕の存在には、とってつけたような印象が否めなかった)、それでも一遍のサスペンス・スリラーとしては、非常に楽しめる内容になっている。とてもおもしろかった。
 いやしかし、半分以上読んだあとで、主人公の老いぼれ刑事──生意気なロンドンの若手刑事からは、「おじさん」とか呼ばれている──が自分と同い年だったとわかったときの衝撃たるや……。
 そうそう、この小説でもうひとつ意表をついていたのが、翻訳家がスペンサー・シリーズでお馴染みの故・菊池光氏だったこと。そうとは知らずに読み始めてから、「なのだ」調の会話文や独特のカタカナ語の使い方におやっと思って見てみたら、やはり菊池さんの仕事だった。ノン・シリーズとはいえ、レジナルド・ヒルの作品を手がけていたとは、やや意外。
(Jun 27, 2011)