チャンピオンたちの朝食
カート・ヴォネガット・ジュニア/浅倉久志・訳/ハヤカワ文庫(Kindle版)
僕はほとんどのヴォネガット作品を最低二度ずつ読んでいる。初期の作品は大学時代に再読しているし、『デッドアイ・ディック』以降の作品は単行本で買って、文庫化にあたって読み直している(つまりわが家には二冊ずつある)。
そんな中、数少ない例外がこの作品。これについては一度しか読んだ記憶がない。
なぜかというと、この作品の文庫化されたのが微妙なタイミングだったから。
これよりあとの『スラップスティック』と『ジェイルバード』は僕が高校生のころにはすでに文庫化されていたのに、この作品は僕が大学を卒業する直前まで文庫化されなかった。その間に数年ものインターバルがある。
なぜかは知らないけれど、おそらく作者にとっては記念碑的な作品だから、文庫を待たずに読者が買うだろうという計算が早川さんにあったのではないかと思う。──もしくは、作者の直筆イラストが多数収録されているその性格上、文庫化しにくかったか。おそらくその両方でしょうか。
なんにしろ、この作品がずいぶんと待たされてようやく文庫化されたのは、僕の貧乏学生生活が終わる直前だった。
そして、これもなぜだかわからないけれど、ヴォネガットの作品は、この作品の文庫化を機に──まるで僕の就職にタイミングを合わせたかのように──、その後十年近くに渡って文庫化されないという謎の事態に陥る。
僕が『デッドアイ・ディック』以降の作品を単行本で買うようになったのはそのためだ(就職して経済的に余裕ができたため、文庫を待つ必要がなくなった)。そして、そうやって単行本で買った本は、文庫化にあわせて買い直して再読したけれど、それ以前の作品はわざわざ本棚から引っぱり出してきて再読しようって余裕がなかったので、結局この作品だけは再読の機会がないということになった。
要するにこの作品は僕にとって初読が文庫だった最後のヴォネガット作品であり、なおかつ学生時代に読んだ最後のヴォネガット作品なんだった。
ということで、人生の節目のドタバタした時期に一度読んだだけのせいか、いっこうに内容に覚えがない。ヴォネガットが生み出したとびきりの名脇役、キルゴア・トラウトを主役に据えて、なおかつその人にお役御免を申しつけた、文字通り記念碑的作品なのに。
──とはいえ、再読してみても、主人公のひとり、ドウェイン・フーバーの性格付けが曖昧だったり、作者自身が唐突に物語のなかに登場してきたりすることもあって、これがなかなか思い入れのしにくい作品だったりする。
今回再読してみてすごいなと思ったのは、作品を締めくくるキルゴア・トラウトのせりふの救いようのないシニカルさと、そしてこの作品がヴォネガットの七作目の長編小説であるという、その事実。
ヴォネガットは生涯で十四作の長編小説をものにしている。つまりこの作品はちょうどキャリアの折り返しを飾る、前半最後の作品にあたるわけだ。
そうした節目の作品で、ヴォネガットは自分自身を作品のなかに登場させて、自らが生み出したもっとも重要なキャラクターであるキルゴア・トラウトに対して、「ご苦労さん、もういいよ」と言ってあげる(でもそれに対するキルゴア・トラウトの反応の救われなさときたら)。そして次の作品からは(大体のところ?)彼ぬきで自身のキャリアを再スタートさせる。
この小説の意味するところの重要性からすると、作品自体の出来映えは(作者の自己採点にある通り)いまいちだと思うけれど、それでも、ヴォネガットが自らのキャリア前半戦の締めくくりにこういう作品を書いてみせたという事実は、それ自体がよくできた一編の物語のように思える。
(Jan 11, 2015)