人生の階段
ジュリアン・バーンズ/土屋政雄・訳/新潮クレスト・ブックス
読書力の衰えが著しいので、薄めの本を読んで冊数を稼ごうと思ったのに、選んだ作品をまちがった。ページ数こそ少なかれ、そこは博覧強記のジュリアン・バーンズ。そう簡単にさらっと読める作品ではなかった。
三十一年間ともに暮らした奥さんをなくしたジュリアン・バーンズが、最愛の人なき日々の絶望をつづった本書。――とはいっても、これが単なるエッセイとは違う。自らの心のうちをさらけ出すにあたって、バーンズ氏は作品のほぼ半分を使って、まったく別の物語を語ってみせる。
第一章の『高さの扉』というパートでは、気球の黎明期に名をのこした歴史上の人物たち――なかでも写真家として名を馳せたナダールことフェリックス・トゥルナションについて――のエピソードがつづられる。その内容はエッセイというよりはノンフィクション(どこまで正確なのかはさだかじゃないけれど)。
え、この本ってなに?――と戸惑いつつ、次のページをめくると、第二章『地表で』で描かれるのは、前の章の冒頭で登場したふたりの人物――女優のサラ・ベルナールとフレッド・バーナビー大佐――の恋物語。史実には記録のない人物どうしの恋愛劇。この章はあきらかにフィクションなのがわかる。
そこまでにおよそ半分のページを費やして、自分とはまったく関係のない気球とその発明に魅せられた人々の物語を語ったあと、ようやくジュリアン・バーンズは『深さの喪失』と題した第三章で、自らの妻へのメモワールを紐解いてみせるのだった。
妻の不在を受け入れられず、自殺まで考えたというほどの激しい喪失感を抱えたその心のうちを読者の前にさらけ出すには、それから四年の歳月を経たうえでなお、それだけの準備段階が必要だったということなのだろう。
思えば一章と二章の内容にはどことなく処女長編の『フロベールの鸚鵡』や『10 1/2章で書かれた世界の歴史』を思い出させる感触がある気がする。気球がどんなメタファーなのか僕にはよくわからないけれど、バーンズ氏は最愛の妻への告別の辞をしるすにあたって、それこそ気球に乗って自らのキャリアを俯瞰するような作品を紡いでみせたのかもしれない。
愛妻家という言葉にふさわしいのは、まさにこういう人なのだろうと思った。
(Jun. 21, 2020)