美しく呪われた人たち
F・スコット・フィッツジェラルド/上岡伸雄・訳/作品社
長いこと翻訳されていなかったフィッツジェラルドの第二長編作品が本邦初登場~。
――と、そのこと自体はとてもめでたいと思うのですが。
読んでみて、なぜこれがいままで翻訳されていなかったか、よくわかった。
じつは僕はかつてこの作品を原書で半分くらい読んだところで挫折しているのだけれど、今回この翻訳を読んでみて、そのわけもわかった気がした。
いやー、とにかく無駄に長い。若き日のフィッツジェラルドが華々しくデビューしたあと、第二作目ということで気負ったのがひしひしと伝わってくる。でもってその熱意が残念ながら悪いほうに出てしまっている。とにかくこんなに筆圧高く、こんなに救いようのない話を書いてどうするんだって思う。
物語は有閑階級に生まれ育った一組の美男美女のカップルが、いかにして出会い、いかにして愛しあい、そしていかにして破滅していったかを描いてゆく。
よくいわれるように、フィッツジェラルドは自伝的な内容の小説しか書けなかった作家だとするならば、ここに描かれる不幸な恋愛劇はそのままスコットとゼルダの関係性を反映していることになる。でもってそれがかなり居たたまれないものなのに驚く。
だってデビューからわずか二年しかたっていないんだよ? なのにフィッツジェラルドがここまで冷徹な恋愛観を持ってしまっているのって、なにごとかと思う。この人、不幸すぎる。洒落にならない。
ふたりが出会って恋に落ちるまでの関係性のヴィヴィッドさや、そこから愛が失われてゆく過程のリアルさには素晴らしい部分もあると思う。二十代の若者が自らの恋愛体験から、こんな分析力を得ていることには素直に感服する。ふたりの関係がはぐくまれてゆく過程には、恋愛小説というよりも、ある種のサスペンス・スリラーを読んでいるようなスリルがあった。
でも後半、ふたりの結婚生活が行き詰まりはじめてからの、主人公アンソニーの駄目人間ぶりがすごい。すごすぎる。そのせいで途中までのよい印象がすべてふっ飛んでしまうくらい。とくに最後のほうでアンソニーがマルチ商法まがいの仕事に手を出すあたりの恥ずかしさったらない。マジで赤面もの。読むのやめたくなるレベルだった。
とにかくあまりに救われなくて、読み終わったあとでこの作品が好きだなんて気分にはとてもなれない。村上春樹によってフィッツジェラルドが神格化された現在の日本ならばともかく、さもなければ、さすがにこれは売れないよなぁ……と思ってしまった。
まぁでも、時代の寵児がいかにして転落したかを赤裸々に描いたフィクションとして、ある意味とても貴重な小説なのかもしれない。華々しく文壇デビューして最愛の人と結婚した人生の絶頂期というべき時期にこんな小説を書かずにいられなかったところに、フィッツジェラルドという人の不幸な才能が見事に表れている気がする。
この意欲的な失敗作の冗長さを反省した結果が、無駄のなさという点ではこれと対極をなす次回作『グレート・ギャツビー』という宝石のような小説として結実したとするならば、これはこれで意味のある作品なのかもしれない……と思わないでもない。
(May. 10, 2020)