アーサーとジョージ
ジュリアン・バーンズ/真野泰・山崎暁子・訳/中央公論新社
帯のあおり文句に「コナン・ドイル自らが操作に乗り出した冤罪事件があった」とあるように、この作品はアーサー・コナン・ドイルを主人公にしている。
ただ、構成が凝っていて、そうと知らないで読み始めると、序盤はそのことがまったくわからない仕組みにもなっている。
タイトルの通り、第一部ではアーサーとジョージというふたりの男性の半生を、その生い立ちまでさかのぼって語ってゆく。それぞれの名前をつけた短いチャプターが二、三ページごとに交互に繰り返されて、二人のひととなりが徐々に明らかになってゆく。
アーサーは良家の子息として生まれ、母親を溺愛する文武両道のエリート。クリケット代表チームの主将になることを嘱望されたりしながら医学の道へと進む。かたやジョージは司祭の息子に生まれた、真面目さが取り柄の孤独な男性。変わったところがあるらしく、周囲からはなぜかいじめられていたりするのだけれど、そのことに特にめげもせず、地道な努力のすえに事務弁護士となる。
さて、このまったく接点のないふたりにコナン・ドイルとどんな関係が……とか思いながら読んでいた僕は、第一部の途中でようやく自分の馬鹿さ加減に気づいた。そうだった、コナン・ドイルのファースト・ネームはアーサーじゃん!
果たして第一部の終わりにアーサーが探偵小説を書き上げ、その主人公をシャーロック・ホームズと命名したことが明かされる。
一方のジョージにも、序盤はわざとぼやかしてあった事実があったことが第一章の終わりごろに明らかになる(え、気づくのが遅い?)。彼の父親はジャブルジという名前のパールシー(ゾロアスター教信者)で、つまり彼はインド系イギリス人なのだった。そこでようやく彼がその出自のせいでまわりの友人から差別を受けて孤立していたことがわかる。
第二部に入るとそれまで細切れで交互に語られていたジョージとアーサーが物語が、それぞれの話に枝分かれする。前半は連続家畜殺害事件の犯人として冤罪の判決を受けて投獄されてしまうジョージの話。後半は人気作家となったのちに妻とは別の女性と恋に落ちて苦しむコナン・ドイルの話。
それぞれの苦悩をたっぷりとボリュームを割いて描いたのち――全ページ数の半分以上を優に超えたあとで――この小説は第三部に入ってようやく帯の文句にあるコナン・ドイルによるジョージの冤罪事件の捜査へとたどり着くのだった。
そう書くとそこからがこの小説の本編のようだけれど、決してそんなことはなくて、短いエピソードを積み重ねて主人公ふたりのキャラクターを浮かび上がらせてゆく第一部も、冤罪と恋愛というまったく違う苦悩をそれぞれに描いた第二部もとても読みごたえがある(個人的には第二部こそがこの作品の文学的な頂点だと思う)。で、それらを受けて始まる第三部で事件の全貌が描かれ――ただし史実にのっとっているためにあまりすっきりとした結末には至らない――そしてエピローグとしての第四部ではやや明後日の方向から後日談を描いて終わるという構成になっている。
英ミステリ界の偉人を主人公に据えながら、凝った構成で読者を煙に巻きつつ、苦みたっぷりのふたつの人生の交錯を描き切ってみせた見事な小説。さすがジュリアン・バーンズという出来映えの逸品だと思う。
(Jul. 10, 2021)