哀しいカフェのバラード
カーソン・マッカラーズ/村上春樹・訳/新潮社
村上春樹によるカーソン・マッカラーズの翻訳三作目。
ボリューム的には中編小説なので、通常は単体で刊行されない作品だけれど、春樹氏にとって愛着のある作品なので、今回は山本容子さんというイラストレーターの挿画をたっぷりと加えて単行本化してもらったそうだ。
とはいえ、僕にはこの作品のなにがそこまで春樹氏の琴線に触れたのかわからない。
ウィリアム・フォークナーやフラナリー・オコナーなんかもそうだけれど、アメリカ南部発の文学には、どうにもわかりにくいところがある。
明瞭な書き方を避けて、ぼやかした表現をつかう傾向が強いせいか。人間関係のなりたちが唐突で、なんでそういう展開になるのかわからないことが多い。少なくても僕にとってはそういう印象が強い。単に読書家としての力量不足のせいかもしれない。
この作品でも、なぜにアミーリアが若き日に突然結婚して、あっという間に離婚したのか、警戒心が強そうな彼女がなにゆえ突然現れた従兄弟を名乗るライモンをいともたやすく受け入れたのか、でもってそのライモンがアミーリアの元夫マーヴィン・メルシーになにゆえ執着したのかとか、さっぱりわからない。
でもって、困ったことにそのわからないところこそがこの文学作品の核心的なものだという気がする。
彼ら主要キャラ三人が営むいびつな三角関係は、おそらく彼らを取り囲む脇役の近隣住人にとっても理解不能なものだろう。僕のような凡庸な読者は、彼らと一緒になって、物語の展開をあぜんとして眺めているばかりということになる。
そんな不可思議な関係から生み出される理不尽で謎めいた愛憎劇には、ある種のホラーに近いものがあるように思う。決して超常現象が起こるわけでも、化け物が出てくるわけでもないのに、なんとなく気味の悪いところがある。このわけのわからない不気味な感触が、アメリカの南部文学のひとつの特徴なのではという気がする。
少なくても僕はそんな風に感じている。
(Feb. 06, 2025)