手塚治虫が末期の病床でつけていた日記で、人生の最後に書き遺した『トイレのピエタ』という作品のアイディアをもとに、映画初出演の野田洋次郎(RADWIMPS)を主演に抜擢して撮影された青春映画。
尊敬する野田くんの主演作品なので、悪いことは書きたくないんだけれど、僕にはこの映画はとうてい満足できる出来ではなかった。できれば観たくなかったと思ってしまった。
不満をあげたら切りがない。
なによりまず初めに欠点だと思うのは、手塚治虫の原案から僕がもっとも大事だと思うスケールの大きさが抜け落ちている点。
『トイレのピエタ』については、この映画のためにウィキペディアを見て初めて知ったのだけれど、手塚先生の原案は「余命幾ばくもない主人公が病院のトイレに天井画を描き始めたことで世間の注目を浴びる」というようなもので、要するに死に直面した個人の行為が社会的な事件となるところがポイントだと思った。僕はこの原案を読んで、『火の鳥・鳳凰編』に通じる手塚治虫らしいスケール感を感じた。
それなのに、この映画ではその原案を、ささやかな個人の世界で完結させてしまっている。あまつさえ、手塚先生が日記のなかで作品のテーマだと書き残している「浄化と昇天」という言葉を、主人公のセリフとして直接かつ唐突に言わせたりまでして。
本来作品のテーマなんてものは、描写を重ねることによって間接的に伝えるべきものでしょう? それをそのまんま主人公のセリフにするなんて無粋もいいところだ。僕はそれを表現者としての封じ手だと思っている。この一点をとっても、作り手の表現者としてのレベルを疑わずにいられない。
たとえ手塚先生の日記にインスパイアされたんだとしても、この内容だったら『トイレのピエタ』のタイトルは避けるべきだったと思う。それなら文句はなかった。この内容であえてその名を使ったのであれば、叩かれて当然。手塚治虫という天才の名前をマーケッティングに使った商業主義のそしりは免れない。
もうひとつの大きな不満は、登場人物の行動原理のいい加減さ。
この映画の見せ場のひとつに、夜の学校のプールでヒロインの杉咲花が制服姿のまま泳ぐシーンがある。
プールでたくさんの金魚とともに女子高生が泳ぐこのシーンを見て、美しいと思う人もいるのかもしれない。でもこの映画の作り手はその美しい絵を撮るために、登場人物にでたらめな行動をとらせている。そこが大いに不満。
だって、ゆきずりのサラリーマンを脅して金を巻き上げようとしていた女の子だよ? 金には困ってんだよね? そんな子が自腹を切って、何十匹もの金魚を買って、学校のプールに放したりするかぁ?
そもそもプールには塩素入っているよね? すぐ死ぬよね、金魚。ふーん、どうでもいいんだ、金魚の命なんて……。
生と死を重要なテーマにした映画でありながら、そんなふうに金魚の命に関しては非常に鈍感──。そんなところにも、この映画を作った人の考えの足りなさが透けて見えてしまっている。それこそプールの底のように。
とにかく、ゆきずりの人から金をむしり取ろうとしたり、野田くんに「死ねよ!」と罵声を浴びせたりする一方で、認知症の祖母のために献身的につくしたり、プールで服を着たまま金魚と泳いでみせたりするヒロインの性格に、僕はまったく一貫性を見いだせなかった。
主人公が最後に絵を描くのがなぜトイレなのかも説明できていないし(賃貸アパートのトイレに絵を描いちゃいかんだろう。手塚の原案では、病院のトイレがある種の公共の場所であるがゆえにドラマが生まれると思うのだけれど、自分のアパートのトイレを汚してもなぁ……)、その場面にかぎらず、この映画では登場人物の行動のひとつひとつに「なんでそうふるまうかな?」と思うことが多すぎた。そのたびに引っかかってしまって、物語の世界に入れない。
演出的には、北野武のフォロアーのような感じだけれど、北野映画のような暴力性やギャグがないものだから(ギャグらしきシーンはあるんだけれど、まったく笑えない)、たんに映画が下手なだけにしか思えない。
あと、採血とか下痢とか、わざわざ描かなくても……と思うようなシーンをあえて描く姿勢もどうかと思った。ああやってリアリスティックに現実のシビアさや汚さを描いてみせる姿勢と、金魚のシーンに見られる芸術性は、僕にはとてもミスマッチに思えた。わざわざ野田くんにパンツを脱がせるほど価値のあるシーンとも思えない。
それとも、よーじろーの生尻見れた!ってよろこぶ女の子のファンとかいるんでしょうか? でもそれを狙っているとしたら、あまりに悪趣味だ。そもそもこの映画の作風でそれはあり得ない。
主演の二人のほかにも、リリー・フランキー、宮沢りえ、大竹しのぶと、俳優陣は豪華で演技も達者だし(まぁ脇には大根だと思う人もいましたが)、これだけキャスティングに恵まれていてこの出来ってのは、もうなにをいわんやだ。
作り手にいい映画を撮りたいという理想があるのはわかるんだけれど、それがもう空回りしまくっている感じ。好きな名画からいろんなものを借りてきて自分なりの映画を作ろうとしたのに、首尾一貫した視点が維持できなくて破綻してしまったみたいな印象を受けた(きっとゴダールとかも好きなんだろう)。
そもそも、僕には最後まで主人公のふたりが恋人どうしには見えなかった。この内容にして主役のふたりにどうして恋愛感情が芽生えるのかよくわからないんだから、その時点でもう失敗作というしかないんじゃないだろうか。
「最後の夏、世界にしがみつくように、恋をした」という映画のキャッチコピーにまったく納得がゆかない。この数年に僕が観たなかでいちばんの凡作。
──とはいいつつ。
最後にかかるRADWIMPSの『ピクニック』、これだけは掛け値なしに素晴らしい。
このテーマ曲を聴くためだけにあるような2時間だった。
(Jun 19, 2016)