ノー・ダウトのボーカリスト、グウェン・スティファニー、初のソロ・アルバム。これがネリー・フーパー、ドクター・ドレ、ネプチューンズ、ダラス・オースティン、ジャム&ルイス等々、ブラック・ミュージックにそれほど強くない僕でも名前を知っている第一線の黒人プロデューサーを多数起用した、おそらくコンテンポラリーなブラック・ミュージックが好きな人の目から見たら贅沢きわまりない作品となっている。
ただ黒人プロデューサーを全面的に起用したからといって、それで音自体が真っ黒いイメージになるかというと、不思議なもので、そうはなっていない。なぜそうなるかはわからないけれど、はやりこれは白人の作品だと思う。その辺の感覚はマドンナに通じるものを感じる。単にこの人のことをポスト・マドンナの最右翼だと思い込んでいるせいもあるかもしれない。なんたってこの人にはマドンナをひと回り大きくして、エロスを薄めて健康美を加えた、とでもいったようなイメージがあるので(そんなことないですか)。
路線としてはノー・ダウトの最新作『Rock Steady』にとても近い印象を受けた。あれをもっとポップに展開するとこの作品になるというような。あのアルバムの音作りはベーシストであるトニー・カナルに負うところが大きいのかと思っていたけれど、どうやらそれだけというわけでもなかったらしい。このアルバムを聴く限り、グウェンという人もまさしくああいう音楽性を持っているようだ。
とにかく音楽的にこの作品はノー・ダウトの延長線上にある。そうした中でソロ・アルバムとして、もっともグウェンの個人的趣味が表れているのは、歌詞とビジュアルにジャパニーズ・カルチャーへのオマージュがあふれている点。パッキングのビニールに貼ってあったステッカーには、アルバムタイトルを日本語に訳した手書きの文字で、「愛・天使・音楽・ベイビー」なんて書いてあった。 『Hurajuku Girl』(原宿ガール!)ではヒステリック・グラマーやら、ビビアン・ウェストウッドやらのブランド名が連呼され、日本語で「ちょ~かわい~」なんて高校生の声が思いっきりフィーチャーされていたりする。
ノー・ダウトのアルバム・ジャケットを見るたびに、この人たちはどうしてこんな趣味の悪いビジュアル・センスをしているのだろうと不思議に思っていたものだけれど、そのへんの感性がゆえに、現在の日本の派手でキュートなガール・ファッションに大いに共感を覚えているということなんだろう。わかりやすいというかなんというか。音楽的にはそれほど強く惹かれるものはないのだけれど、とりあえず、そのへんがとてもおもしろかった。
(Jan 28, 2005)