椎名林檎が作曲にいっさいタッチせず、作詞とボーカルのみに専念してみせた東京事変のサード・アルバム。
これまで、バンドのほぼ全曲を手がけていたコンポーザーが手を引く──そんな選択をしたバンドを、僕はほかに知らない。たとえば、桑田佳祐が曲を書いていないサザンとか、宮本の代わりに石くんが全曲を書くエレカシとか──そんなの想像できないし、おそらく成立しないだろうと思う。というか、普通は本人たちがそんなことをしようとは思わない。彼らは自分のメロディメイカーとしての才能こそが商品価値を持っていることを、十分に承知しているはずだから。
でも、椎名林檎は違う。あれだけのソング・ライティングの才能を持ちながら、それをあえて自ら封印して、他人の曲で勝負しようとする。まあ、桑田や宮本と違って、バンドのメンバーを音楽業界の手練れのミュージシャンの中から自由に選べるという立場にあるからこそ、可能な選択ではあるんだけれど、それでもあえてそういう選択をするということは、彼女にとって自分自身の言葉やメロディというのは、それほど重要ではないということなのだろう。
いや、そう書くと語弊がある──彼女は自らの言葉やメロディに対しては、きちんとプライドを持っているのだと思う。ただし彼女は、ミュージシャンとして音楽に向き合う中で、作詞・作曲という行為を、そこまで特別視していないということなのではないかと。
音楽を生み出す上では、誰もが対等だと。曲を書いたり、歌を歌ったりする人ばかりが偉いわけじゃないでしょうと。演奏をする人にも同等の価値があるのだから──そして東京事変には、自分に劣らぬメロディを書ける仲間がいるのだから──、ならば私はいちメンバーに徹してみたいと。彼女はそう思っているのだと思う。
そもそも東京事変というバンドの成り立ち自体がそんな感じだった。なによりも愛する人との関係を大事にする椎名林檎という女性にとって、そういう風に人と手と手をとりあって、音楽を作ってゆくという状態こそが理想なんだろう。だから作曲をすべてほかのメンバーに委ねたこのアルバムこそ、彼女にとっては、これまででもっとも充実した作品なのかもしれない。ちなみに作曲者の内訳は亀田師匠が1曲、浮雲が7曲、伊澤一葉が5曲で、なんとそのうち4曲は作詞まで各自が担当している。
でも、不思議なものでこのアルバム、もしかしたら作曲を担当したメンバーがそれぞれに彼女のことを意識した結果なのかもしれないけれど、これまでの東京事変の作品で、もっとも椎名林檎のソロに近い雰囲気がある。いや、それどころ、もしかして椎名林檎の集大成と呼んでもいいんじゃないかというくらいの、素晴らしい出来になっている。
僕自身の椎名林檎に対するスタンスもここへきて、少なからず変わった。これまではファーストとセカンドへの過剰な思い入れから、その後の活動を素直に受け入れられないようなところがあったけれど、それがここへきて、いい加減にそんなスタンスに飽きたというか、彼女ももうデビューから十年になるのだし、そろそろ現状の椎名林檎を素直に受け入れないと仕方ないと思うようになったというか。それなりにニュートラルな感じで接することができるようになった。それはつまり、これまでのような──エレカシに近いほどの──過剰な思い入れがなくなったということでもあるんだけれど。
なんにしろ、そんな僕自身の変化もあって、今回のこのアルバムはひさしぶりに気に入った。あまり馴染めなかったいままでの諸作だって、質はかなり高いと思っていたわけだし、偏った思い入れさえ放棄すれば、楽しめるのも当然。なかでも亀田師匠作曲の 『私生活』 は、『依存症』 『心』 『落日』 などに通じる感涙ものの傑作バラードで、素晴らしいのひとことだ。この一曲だけでも墓場まで持ってゆきたい。
(Oct 31, 2007)