2011年2月の音楽

Index

  1. COSMONAUT / BUMP OF CHICKEN
  2. DADA / RADWIMPS
  3. 狭心症 / RADWIMPS

COSMONAUT

BUMP OF CHICKEN / 2010 / CD

COSMONAUT

 藤原基央という人がソングライターとして独特なのは、少年のイノセンスと青年の俗物性を並列で歌えることだと思っている。
 このアルバムでも 『魔法の料理』 で少年時代の記憶をせつなくも鮮やかな一編の絵として描きだす一方で、『分別奮闘記』では、わかった風な理屈をこねて夢を諦めようとしている青年の姿を、コメディ仕立てでシニカルに歌ってみせる。
 これらはどちらも極端に振れた例だけど、バンプの曲には、いつでもそういう両面がなんらかの形で盛り込まれている。無垢なるものを大切にしつつも、世俗にまみれてゆく青年の苦い思いがさまざまな形で描き出されてゆく。単純にイノセンスを讃えるのではなく、そこから離れつつある、もしくは離れてしまった自分を客観的に見ている。べつにそんなもの見たくはないけれど、否応なく見えてしまう、見ないではいられないという、その感覚。
 それはいわば凡人の感覚なのだと僕は思う。どう考えても凡人ではあり得ない藤原くんが、延々とそういう凡人たる僕らと同じ地平に立って歌をつくっている。そこがバンプが特別である所以{ゆえん}であり、なおかつ不思議なところでもある。
 おそらく藤原基央という人は、社会的にみて特別な存在である自分を、なんら特別だと見なしていない。これだけの名声を手にしてなお、なんでそんなに謙虚でいられるんだろうと思う。
 いや、ちがうのかな。イノセンスを大切にするからこそ、謙虚であらざるを得ないのか。イノセントであるということは、ある意味、無力だということとイコールだから。
 強大な権力を持ったイノセンスなんて存在しない。無垢なるものはいつでも弱者だ。だからこそ、イノセンスを大事にしながら生きてゆくために、僕らは仲間を必要とする。いっしょに助け合いながら、ともに生きてゆく仲間を必要とする。そんな風にひとりじゃ生きていけない自分が特別なはずないじゃんと。そんな思いが彼の根幹にはあるのだと思う。……って、なんかまるで 『ONE PIECE』 の話みたいだ。
 まあ、なんにしろ僕はそんな藤原くんの歌を、バンプの音楽をいつも愛聴している。
 今度のアルバムは──楽曲のよさはいうまでもなく──ひさびさにスピード感のある曲が多いところがいい。とてもいい。
 あと印象的なのが、バンド・アンサンブルのまとまりのよさ。
 このバンド、一作ごとにどんどん結束力が上がって、音作りが一枚岩になってゆく気がする。どちらかというと僕はもっととっ散らかった音のほうが好きなのだけれど、バンプだけはこれでいいと思う。というか、これでないといけない気がする。この4ピース・バンドらしからぬ、がっしりとしたまとまりのあるアンサンブルこそが、藤原くんとその仲間たちの歌にはぴったりだ。ほんと、いいバンドだと思う。
 ということでこれは、僕にとっては去年の邦楽ナンバー1をサンボマスターと争う一枚。そこにエレカシが入らない状況がさびしいところだ。
(Feb 15, 2011)

DADA

RADWIMPS / 2011 / CD [Single]

DADA

 ラッドウィンプス、2011年のオープニングを飾るニューシングル、『DADA』。
 この曲をはじめて聴いたとき、僕は思わず笑ってしまった。本来ならば笑うような曲じゃないんだけれど、それでも笑わずにはいられなかった。高速ドラム(打ち込み?)だけをバックに野田洋次郎の毒舌ラップが炸裂するこの曲のオープニングは、どうにもシングル向けというにはほど遠い過激さだったから。これがオリコン第1位ってんだから痛快すぎる。これが笑わずにはいられようかってもの。
 これまで彼らにこういうシングルがなかったわけじゃない。系列的には 『へっくしゅん』 や 『イーディーピー』 の流れを汲むナンバーだと思う。
 ただ、この2曲がシングルとして切られたのは、僕がまだ彼らを知らないメジャー・デビュー当時のことだった。で、その後のシングルはどちらかというと耳ざわりのいい曲が中心だった。去年のシングル2枚──『マニフェスト』 と 『携帯電話』――でもそういう路線を踏襲していた。
 だからこそ、ここで、ニューアルバムの発売も近いこの時期になって、こういう攻撃的なナンバーをシングルに持ってきたことには意外性があった。しかも、その攻撃性が過去最高レベルにまで高まっているのだからなおさらだ。
 『へっくしゅん』 などには、過激な中にもメロディアスなパートを忍び込ませて聴きやすくしている部分があったけれど、この 『DADA』 にはそんな配慮はこれっぽっちもない。ハードなビートに乗っけて、シリアスなメッセージをこれでもかとたたきつけてくる(しかも全編日本語で)。とにかく本気モード全開の曲。
 カップリングの 『縷々』 は一転しておだやかな曲調だけれど、その視線の見つめる先は同じようにとても真剣だ。野田洋次郎という人がまたひとつ別のステージに上がったことを感じさせる、とても重要なシングルだと思う。
 ということで、これでもすげーなと思っていたんだけれど、次の 『狭心症』 ではさらにとんでもないことに。
(Feb 25, 2011)

狭心症

RADWIMPS / 2011 / CD [Single]

狭心症

 この『狭心症』 という曲をはじめて聴いて以来、ずっと考えているんだけれども。
 僕はこの曲の素晴らしさを、どうにもうまく言葉にできない。
 でもこれは僕にとってかけがえのない曲だ。おそらく僕がずっと RADWIMPS に惹かれてきた理由{わけ}がこの一曲に凝縮されている。
 この曲で野田洋次郎は、これまでになかったくらいダイレクトに世界に対する悲しみと怒りを歌っている。バンドの演奏もその言葉を引きたてるようにシンプルで重い。そして野田くんの告白が激するのとともにノイズの奔流となる。「そりゃ色々忙しいとは思うけど」と神様に毒づく野田くんの声には、思わず胸を締めつけられる。
 いや、べつにその部分にかぎらない。この曲全体が、どうしようもない思いを、やりきれない思いをかきたてる。それでも(というかそれゆえに)僕はこの歌を聴き返さずにはいられない。それこそ何度も、何度も。
 なぜって、この曲には僕がエレカシの 『浮世の夢』 や 『生活』 を聴いて感じていたのと同じ種類のやりきれなさが充満しているから。──って要するに、僕は二十年前からちっとも成長していないらしい。困ったもんだ。
 まあ、なんにしろ 『狭心症』 は素晴らしい。関係のない人には地味でうざったいだけの曲かもしれないけれど、僕にとっては一生ものの名曲。
 このシングルはこれ一曲だけでも十分すごいんだけれど、カップリングの 『寿限夢』 がまたとんでもない。言葉遊びのレベルが神懸かり的。
 元素の周期表をおぼえるための語呂あわせ(「水兵リーベ僕の船」)やラ行五段活用(「流れ・れ・る・るる・るれ・れよ」)、はたまた球の面積を求める方程式(「身の上に心配ある3乗」)なんかをつなぎあわせて、ここまで見事な楽曲に仕立て上げる才能には、脱帽を通り越して頭を丸めたくなるくらいだ。おそるべし、野田洋次郎。
 ちなみに僕はいまあげたフレーズ、どれひとつ知りませんでした。高校時代になにをやってたんでしょうか。勉強が足りねぇなぁ……と四十を過ぎて思う。
 学校の勉強なんてなんの役にも立たないという人がいるけれど、こういう曲を聴いちゃうと、どんな知識であれ、役に立つ立たないなんてのは、使う人次第だってわかる。
 ほんと野田くんにはかなわない。
(Feb 28, 2011)