COSMONAUT
BUMP OF CHICKEN / 2010 / CD
藤原基央という人がソングライターとして独特なのは、少年のイノセンスと青年の俗物性を並列で歌えることだと思っている。
このアルバムでも 『魔法の料理』 で少年時代の記憶をせつなくも鮮やかな一編の絵として描きだす一方で、『分別奮闘記』では、わかった風な理屈をこねて夢を諦めようとしている青年の姿を、コメディ仕立てでシニカルに歌ってみせる。
これらはどちらも極端に振れた例だけど、バンプの曲には、いつでもそういう両面がなんらかの形で盛り込まれている。無垢なるものを大切にしつつも、世俗にまみれてゆく青年の苦い思いがさまざまな形で描き出されてゆく。単純にイノセンスを讃えるのではなく、そこから離れつつある、もしくは離れてしまった自分を客観的に見ている。べつにそんなもの見たくはないけれど、否応なく見えてしまう、見ないではいられないという、その感覚。
それはいわば凡人の感覚なのだと僕は思う。どう考えても凡人ではあり得ない藤原くんが、延々とそういう凡人たる僕らと同じ地平に立って歌をつくっている。そこがバンプが特別である
おそらく藤原基央という人は、社会的にみて特別な存在である自分を、なんら特別だと見なしていない。これだけの名声を手にしてなお、なんでそんなに謙虚でいられるんだろうと思う。
いや、ちがうのかな。イノセンスを大切にするからこそ、謙虚であらざるを得ないのか。イノセントであるということは、ある意味、無力だということとイコールだから。
強大な権力を持ったイノセンスなんて存在しない。無垢なるものはいつでも弱者だ。だからこそ、イノセンスを大事にしながら生きてゆくために、僕らは仲間を必要とする。いっしょに助け合いながら、ともに生きてゆく仲間を必要とする。そんな風にひとりじゃ生きていけない自分が特別なはずないじゃんと。そんな思いが彼の根幹にはあるのだと思う。……って、なんかまるで 『ONE PIECE』 の話みたいだ。
まあ、なんにしろ僕はそんな藤原くんの歌を、バンプの音楽をいつも愛聴している。
今度のアルバムは──楽曲のよさはいうまでもなく──ひさびさにスピード感のある曲が多いところがいい。とてもいい。
あと印象的なのが、バンド・アンサンブルのまとまりのよさ。
このバンド、一作ごとにどんどん結束力が上がって、音作りが一枚岩になってゆく気がする。どちらかというと僕はもっととっ散らかった音のほうが好きなのだけれど、バンプだけはこれでいいと思う。というか、これでないといけない気がする。この4ピース・バンドらしからぬ、がっしりとしたまとまりのあるアンサンブルこそが、藤原くんとその仲間たちの歌にはぴったりだ。ほんと、いいバンドだと思う。
ということでこれは、僕にとっては去年の邦楽ナンバー1をサンボマスターと争う一枚。そこにエレカシが入らない状況がさびしいところだ。
(Feb 15, 2011)