2022年5月の音楽

Index

  1. 伸び仕草懲りて暇乞い / ずっと真夜中でいいのに。

伸び仕草懲りて暇乞い

ずっと真夜中でいいのに。 / 2022

【Amazon.co.jp限定】伸び仕草懲りて暇乞い (通常盤)(特典:ミニトートバッグ(不織布) Amazon Ver.付)

 気がつけば、ずとまよを聴くようになってそろそろ三年になる。
 われながら驚くべきことに、三年たったいまでも僕は、飽きることなく日々ずとまよの音楽を聴きつづけてる。たくさんの音楽の中でたまにずとまよを聴く、というのではなく、ずとまよを聴くあいまに他のアーティストの音楽を聴く、みたいなライフスタイルになってしまっている。
 なんでこんなにずとまよだけが特別なんだろう?――という答えを無理にでも絞りだすならば、ずとまよの音楽を構成するすべての要素が僕の趣味にどんぴしゃだから、ということになるのだと思う。
 僕はよくポップミュージックの魅力を五つの要素に分解して考える。メロディー、ビート、歌詞、サウンド、そしてボーカル。ざっくりこの五つのうちのどの部分にどれだけの魅力を感じるかでその音楽の好き嫌いの度合いが決まると思っている。
 まぁ、メロディーに関しては、いいメロディーにはそれだけで抗いがたい魅力があるし、ビート(リズム)も速いもの遅いものでそれぞれに違う魅力があるから、その二要素についてはアーティストの評価そのものというより、楽曲単体に対する好き嫌いの基準というのが正しいのかもしれない。
 とはいえ、ビートに関しては全体的に速い曲(踊れる曲)のほうが好きなので、バラード中心な人よりもダンサブルな曲を主体とするアーティストのほうが贔屓になる。
 でもって、どんなにメロディーやリズムが好みでも、歌詞がつまらないと思うものは繰り返し聴けない。それにどんなことを歌うかはアーティストとしての表現姿勢に直結するものだから、歌詞が好きになれないアーティストはまず聴かない――というか聴く気になれない。
 僕が基本的に洋楽をメインで音楽を聴いてきたのは、言葉がわからないせいで、歌詞の部分での好き嫌いが判断基準からはずれるからというのが大きい気がする(身も蓋もない)。洋楽でも歌詞が好きな曲はあるけれど、それはあくまで翻訳した意味に感動しているだけであって、言葉がわかる歌の感動とは別物だ。
 ほんと、言葉がわかる邦楽の感動は、そのぶんだけ確実に洋楽を上回る。感動的な歌詞がどんぴしゃのメロディーに乗ったときの破壊力ははんぱない。これはもう経験上間違いのない事実。個人差はあるのかもしれないけれど、僕にとっては絶対にそう。日本人なのに英語で歌うアーティストに惹かれないのは、最初からそういう最上級の感動をリスナーに与えようという熱い思いが感じられないからだ。
 サウンド(アレンジ、音作り)については、打ち込みの音よりも人が演奏する生の感触や楽器の音色が好きというのが基本。打ち込みでも好きな曲はあるけれど、人が演奏するバンド・サウンドの魅力には絶対にかなわない。ジャズを聴くようになったのも、歌なしでバンドの音だけを気持ちいいと思えるようになったのが大きい。
 ちなみに「夜好性」と称される三つのバンドのうち、僕がYOASOBIだけを聴かないのは、彼らのサウンドのコアとなるのがシンセだからだ。『夜に駆ける』や『群青』はとてもいい曲だと思うんだけれど、シンセ・サウンドにいまいち魅力を感じないので、ヘビロテするには至らない。YOASOBHIがずとまよやヨルシカみたいに生音志向だったら、たぶんもっと深くコミットしていると思う。
 最後のボーカルについては、個人的にこういうボーカリストが好きってのが明確にあるわけではないけれど、ボーカルの好みってけっこう生理的なものだと思うので、どんなに上手くても魅力を感じない人の歌は本当に繰り返しては聴けないし、逆に下手でもなぜか魅力を感じてしまう人もいる。なにがよくて、なにが悪いんだかは、長いこと音楽を聴いているけれど、いまだによくわからない。
 ということで、以上の五要素にわけて考えてみたときに、それらをすべて満遍なく満たしてレーダーチャートが正五角形になるようなアーティストってほとんどない。
 大好きなアーティストにしても、最近のエレカシ宮本は歌詞が昔に比べておもしろくないし、RADWIMPSはスローバラードが多くて音もシンセ寄りだし、サザンはサウンド面でものたりない。洋楽は歌詞が度外視なので最初から五角形にならない。
 もちろん、そのうち一点だけでも突出しているアーティストは、それだけで特別だ。桑田佳祐のメロディー、ストーン・ローゼズのグルーヴ感、野田洋次郎の言語感覚、レディオヘッドの音作り、宮本浩次のボーカル――それらはそれだけでじゅうぶんに魅力的。――というか、この人たちの魅力はそれひとつだけじゃない。
 とはいえ、彼らが全方向を満たしてくれているわけでもないのも事実。
 そう考えると、メロディーは技巧的で多彩、ビートはつねにダンサブル、歌詞の個性は唯一無二で、サウンドはつねにバンド志向で多様性に富み、ボーカルはこのうえなく可愛い――。そんなずとまよは、現時点でレーダーチャートが限りなく正五角形に近い存在だ。僕の音楽生活の中心に居座っているのも至極当然に思えてくる。
 さて、ということで、すっかり前置きが長くなってしまったけど、あまりにずとまよが好きすぎて、ちゃんとしたことを書きたいと力んだあまり、なにも書けずにリリースから三ヵ月以上も放置しっぱなしになってしまったずとまよの四枚目のミニ・アルバム『伸び仕草懲りて暇乞い』について。
 このアルバムの目玉はなんといっても、すでに彼女たちのライブのクライマックスを飾る一曲となっている先行配信シングルの『あいつら全員同窓会』で、アルバムのリリース時点でその曲をすでに百回以上も再生していた僕にとっては、これまでのアルバムに比べて分が悪いと思っていたんだけれど――さすがにそれだけ聴くと新鮮さはなくなるので――やはりずとまよは別枠だった。結局今年一の再生回数を誇っている。
 イントロから歌に入る部分でいきなり曲名を回収するトリッキーな『別の曲にしようよ』で始まり、ACAねのメロディーセンスが光りまくりの『袖のキルト』、ずとまよ史上ナンバーワンのメッセージ・ソングにして最強のダンス・ナンバー『あいつら全員同窓会』、ファミコン風8ビット・サウンドをリフに使った『猫リセット』、猫目線の歌謡ラブソング『夜中のキスミ』、そして愛する人との死別をテーマにしたらしき切なすぎる『ばかじゃないのに』という全六曲。
 これだけバラエティに富んだ楽曲が――なにげに先程あげた五要素がそれぞれの曲で違った角度から追及されている――バラード抜きで六曲並んでいるのがすごい。
 こんなに一曲一曲の歌詞やメロディーやサウンドに違うアイディアを込めて曲を作っている人もそうそういないだろう――と思っていたら、このアルバムからわずか一ヵ月半後には新機軸の新曲『ミラーチューン』がドロップされるという。でもってそれが過去最高レベルのどえらくダンサブルな仕上がりだという――。
 ACAね、いったいどれだけ創作意欲に溢れているんだか。ほんと無敵すぎる。
 そして『あいつら全員同窓会』の一曲だけでも書くべきことは山のようにあると思っていたのに、それをきちんと書けずに何か月も放置したあげく、こんな文章でお茶を濁している俺はとことん駄目すぎる。しばし反省……。
(May. 29, 2022)