マイ・ロスト・シティー
スコット・フィッツジェラルド/村上春樹・訳/村上春樹翻訳ライブラリー(中央公論新社)
フィッツジェラルドという人は、僕に短編小説の文学的な価値を知らしめたという意味で、あとにも先にも唯一無二の存在だ。
僕はこの人の作品を読むまで、あまり短編集というものが好きではなかった。やはり同じページ数の本を読むのならば、50頁ごとに登場人物が変わって、新しい世界になじみ直さなくてはいけなくなる短編よりも、最初に飛び込んだ大きな流れに身を任せていればいい長編のほうが読みやすい。若い頃の僕はそう思っていたし、まあ基本的には、いまでもそう思っている。それは要するにあまり活字になじんでいないということの証拠なんだろう。活字を読むこと自体に喜びを覚えてしまうような人は、作品の長短なんて関係ないのだろうから(活字中毒の人々に幸あれ)。
現在の僕にはすでに短篇集を読むことに対しての苦手意識はなくなっている。時にはわずかなページ数でより多くの物語と出逢えることを歓迎できるようにもなっている。年をとったことの効用もあるんだろうけれど、それよりもある時、短篇小説において味わえる感動が、長編のそれを上回ることだってあるんだということを知ったのが大きかった。そして僕にそんな感動を味わわせ、変化をうながすきっかけとなった本というのが、大学四年のときに読んだフィッツジェラルドの短篇集だった。
僕がそのときに読んだ短篇集というのが、村上春樹氏が初めて翻訳を手がけたこの『マイ・ロスト・シティー』だ、と言えればよかったのだけれど、残念ながらそうじゃない。いまでは絶版になっている角川文庫の、飯島淳秀という人が訳した『雨の朝パリに死す』というタイトルのやつだった。
『雨の朝パリに死す』というのは、フィッツジェラルドの珠玉の短編、『バビロン再訪』の映画版のタイトルで、本の表紙もその映画のスチル写真を使ったものだった。正直なところ、あまり趣味がいい本だとは言えない。ところがそんなハリウッド的な装丁にもかかわらず、その本は文学的に深く僕の心を揺さぶった。それはそれまでに経験したことのないたぐいの感動だった。それがどんな種類のものだったか、残念ながらうまく説明できない。けれどその本から受けた感動の余韻は、あれから十八年が過ぎたいまもまだ、僕のなかに残っている。
その時点で僕はすでに『グレート・ギャツビー』を読んでいたけれど、あの長編からはそれほど感銘は受けなかった。この『マイ・ロスト・シティー』も── 記憶がさだかじゃないけれど、わが家にある文庫版は昭和六十二年(1987年)発行の第八版だから──その頃にはすでに読んでいたのだと思う。ただ、この本についてはフィッツジェラルドの作品そのものよりも、冒頭に収録された『フィッツジェラルド体験』というエッセイのほうが強く印象に残っているくらいだから、特に感動したでもなかったんだろう。
そんな風に僕は当初、あまりフィッツジェラルドに惹かれていなかった。だからなおさら『雨の夜パリに死す』という短編集から受けたインパクトが強烈に感じられた部分もあったのだと思う。
もっともその本に収録された『冬の夢』『金持ちの青年』『バビロン再訪』の三編は掛け値なしの傑作だ。これらはその後に春樹氏が自ら訳していることでもわかるように、やはりフィッツジェラルドの代表作だと思うし、僕自身、いまだにほかのどんな小説よりも強い愛着を抱いている短編であったりする。そういう意味ではその本が僕の心に強く響いたのも当然のことだったと思う。
この『マイ・ロスト・シティー』という短編集については、それらの珠玉の短編がすでに訳出されたあとで、翻訳がないものを中心に編纂されたという経緯もあって、やや地味な印象になってしまっている。なので、まだまだ英米文学経験の浅かった(いまだに浅いけれど)大学中期の僕が楽しめなかったのも仕方ないかなと思う。それでもいまになって読み返してみると、これがどれもとても素晴らしい。『氷の宮殿』や表題作のエッセイなんて、それまで翻訳されていなかったというのは、いったいどういうことなんだろうと不思議に思ってしまうくらいだ。
冒頭のエッセイにおける春樹氏の文章にも、初めての翻訳(しかも最愛の作家の)と言うことで、ちょっとばかり若気の至り的な気負いが感じられて、それがいま読むとなかなかおもしろかったりする。当時の僕は、春樹氏が導入部で開陳している「作家が読者を魅了する」様々なパターンというやつを自分のロック体験にあてはめて、ああなるほどと一人合点していたものだった。そんなことを思い出させる、懐かしい一冊だった。
(Jan 06, 2007)