オリュンポス
ダン・シモンズ/酒井昭伸・訳/早川書房(全2巻)
ギリシャ・ローマ神話とホメロスほかの叙事詩、はたまたそれらに材をとった各種の文学作品やシェイクスピアの戯曲を下敷きにして繰りひろげられる、破天荒な超絶SFノベル二部作の完結編。
『ハイペリオン』 二部作と『エンディミオン』ニ部作──あわせて『ハイペリオン』四部作──は、どちらも完結編のほうが一作目よりも長かったけれど、その傾向はこの作品でも同じ。いやそれどころか、前編『イリアム』が以前の二部作よりも長かった分、完結編はさらに長大になり、ついに上下巻となってしまった。上下ニ段組の単行本で一千ページを超えている。おそらく文庫本になるときには最低でも三分冊になるんだろう。僕はあまり分冊は好きではないのけれど、これだけボリュームがあると、まあそれも致し方ないかなと思う。とにかくページ数だけでなく、物語の豊穣さも相当なものなのだから。
この続編も前作同様、三つのパートで構成されている。
一つめは、とんでもないほうに脱線してしまったトロイア戦争のその後を描くライン。
訳者あとがきで紹介されているダン・シモンズ自身の言葉によると、「『イリアム』 と『オリュンポス』 が『イリアス』と『オデュッセイア』を下敷きにしたと噂されているようだが、それは違う。『イリアム』と『オリュンポス』はどちらも『イリアス』の主題に基づいている」のだそうだ。つまりホメロスの『イリアス』を下敷きにしているにもかかわらず、前作『イリアム』でトロイアが陥落することなく終わってしまったのは当然で、完結編であるこの『オリュンポス』におけるクライマックスこそが、トロイアの陥落という事件だということになる。
ただし、原典でトロイア攻略のきっかけとなる木馬を考えつくオデュッセウスも、ヘクトルを討ち果たすアキレウスも、本作品では早々にアカイア軍から離脱してしまう。この状態でいったいどのようにトロイアを陥落させるのか。
ダン・シモンズはその答えとして、まるで落語のような「墜ち」を用意してみせた。いかにしてトロイアが陥落するのか、それは読んでのお楽しみ。
ちなみにこの続編では、前作ほどトロイア戦争自体にはページを割いていない。戦争の顛末はどちらかというとサイドストーリーといった感じで、ギリシャ神話パートのメインとなるのは、わけあって戦線離脱したアキレウスの冒険を描くシーケンスとなっている。
二つめの大きな流れは、地球における古典的人類の受難の日々を描くもの。
前回の最後でポスト・ヒューマンが築きあげたシステムが崩壊したことにより、古典的人類はそれまでの安寧の日々を失い、過酷なサバイバルを強いられている。つい先日までは従順な召使いだったヴォイニックス──巨大なゴキブリ風の生体ロボット?──が、突然凶暴なハンターに変貌して、人々に襲いかかり、謎の怪物セテボス──千の触手をもつ巨大脳味噌形モンスター。シェイクスピアの『テンペスト』からの借り物をグロテスクに変容させたものらしい──が降臨して、地上の恐怖を食いあさる。このまま放っておけば、人類の滅亡は必至という状況。
そんな状況下において、プロスペローとエアリエル──これも原典は『テンペスト』で、ここでは進化して自意識を持った地球
また、この古典人類のラインにおいては、ハーマンの冒険を描くのと平行して、あとに残った彼の妻、アーダを中心としたアーディス・ホールのコミュニティが、膨大な数のヴォイニックスの襲撃を受けて全滅に追い込まれてゆく過程が描かれる。このパートは非常に映画的で、とてもスリリングだ。悲愴感いっぱいで目が離せない。
前作ではハーマンと並んでこのパートの中心人物のひとりだったディーマンは、せっかく小太り青年から、スリムで頼れるリーダー的存在へと変貌を遂げたにもかかわらず、今回は出番が少なく、やけに地味な役回りになってしまっている。
最後となる三つめのラインは、モラヴェックたちのその後を描くもの。前作で火星にたどり着き、それ以来トロイア戦争に荷担していたモラヴェックたちは、今回は量子関係のトラブルの原因究明のために、火星から地球へと向かうことになる。
マーンムートとエルフの弥次喜多珍道中みたいだった前作とくらべると、新たに合流した仲間が増えた上に、大半のシーンが地球へ向かう宇宙船の中ばかりということもあって、このパートはやや地味な印象がある。それでも他のふたつのラインが殺伐としている分、善良なモラヴェックの存在は、なごみキャラとして非常に重要だ。特にマーンムートたちが、見ず知らずの古典的人類の危機を知って、救出に駆けつけようと言い出すくだりには、ぐっとくるものがある。どうでもいいような話ながら、新キャラのなかでは、懐古的シノペッセンという名前が好きだった(意味不明だけれど)。
以上三つ(細かく分ければ五つ?)のシーケンスがスパイラルに語られてゆくのは前作と同じ。ただし、今回は完結編ということで、前作とは違って、一応のまとまりのある終わり方をみせている。あちこちに破綻があるという声もあるようだけれど、僕は、ひとりの作家が想像力だけを頼りに、これだけの世界を独力で築きあげているという事実を前にすると、ちょっとやそっとの破綻はどうでもいいような気分になる。単純にすごいなあと感心してしまう。
文学的な遊び心にあふれている一方で、やたらとエログロな描写が多いのも、この小説の特徴のひとつだ。アキレウスが神様のはらわたを引きずり出す場面など、神々をめぐるバトル・シーンはかなりスプラッターだし、眠れる森の美女的なエピソードでは、美女の目をさますのに必要なのが王子さまのキスではなくXXXだったりする。意表をついたオデュッセウスの最後の登場シーンなどにも、PTAに
とにかく古典文学の豊富な知識をベースに、破天荒な未来世界を現出せしめ、なおかつハリウッド映画なみのスリルとサスペンスや、下世話なエログロシーンを盛りこんで飾り立てた、珍妙なる一大SF絵巻だった。小説としては『ハイペリオン』シリーズのほうが好きだけれど、これはこれで規格外。ほんと、こんなものすごい小説を何本も書ける人がいるなんて、世のなか広いなあと思う。
(May 13, 2007)