ファイナル・カントリー
ジェイムズ・クラムリー/小鷹信光・訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
『酔いどれの誇り』 から26年目、これがいまだ第4作となる、私立探偵ミロ・ミロドラゴヴィッチのシリーズ最新作。
この小説の導入部分のあらすじは、チャンドラーの 『さらば愛しき女よ』 と、まったくといっていいほど一緒だ。主人公の私立探偵ミロは、人探しのために出向いたバーで、刑務所から出てきたばかりの大男イーノス・ウォーカーと出会う。昔の恋人を探しているその男は、昔馴染みのバーの経営者といざこざを起こして相手を殺害、そのまま姿をくらます。事件の参考人として警察に事情聴取を受けたミロは、担当刑事から調査への協力を依頼され、大男のゆくえを探し始めることになる。
以上、ミロをフィリップ・マーロウに、イーノス・ウォーカーを大鹿マロイに置き換えて読むと、そのまま 『さらば愛しき女よ』 のあらすじになってしまう。その後のプロットにも──探していた美女の正体とか、主人公が入院しちゃったりするところとか──、かなり共通点が多いようだし、これはクラムリーが意図的に二十一世紀版の 『さらば愛しき女よ』 を目指した作品なのだろう。
でもってこの小説、そんな試みに恥じない、とても素晴らしい出来の作品に仕上がっている。ディテールは現代風に変容しまくっていて、セックス、ドラッグ、バイオレンスという三拍子が揃っているため、やたらと下世話な印象こそ強いけれど、そんな道具仕立てにもかかわらず、ワイルドかつ哀愁ただようその物語世界には、ハードボイルドとはかくあるべしという風格が感じられる。とても感心したし、非常に楽しませてもらった。
ちなみに舞台となるのは、シュグルーと共演した前作 『明日なき二人』 から5年後のテキサス。ミロはあの作品で出会った獣医のベティと深い仲になって、そのままこの地に住みつき、退屈をまぎらわすために再び探偵を始めたという設定になっている。シュグルーも名前こそ一度も使われないけれど、何度か登場する。
この作品の終盤において、ミロは病院のベッドで還暦を迎えることになる。スペンサーが五十の坂を越えてなお、スーザンと熱々なのもすごいけれど、ここでのミロもあまたの美女と関係を持ち続けている。アメリカ人が老いても性的に衰えないのは、ばくばく肉を食っているからなのか、それとも単に作家たちの願望の反映としてのフィクション特有の現象で、一般の欧米人はやはり年をとれば普通に枯れるものなのか。はたまたそのへんは個人差のあることなので、じつは日本にだって、年をとってなお血気盛んな老人はたくさんいるものなのか──少なくても僕のまわりにはあまりいそうにないけれど──、そのへんのことはよくわからない。なんにしろ、寄る年波にへばり、殴られ蹴れてボロボロになり、なおかつコカインでヘロヘロになりながらも、複数の女性と愛をかわす、ミロのバイタリティは脱帽もの。とても真似できません。
(Jun 08, 2007)