2008年3月の本

Index

  1. 『ザ・テラー -極北の恐怖-』 ダン・シモンズ
  2. 『影に潜む』 ロバート・B・パーカー
  3. 『愛について語るときに我々の語ること』 レイモンド・チャンドラー
  4. 『アメリカン・ギャングスター』 マーク・ジェイコブスン

ザ・テラー -極北の恐怖-

ダン・シモンズ/嶋田洋一・訳/ハヤカワ文庫(上・下巻)

ザ・テラー―極北の恐怖〈上〉 (ハヤカワ文庫NV) ザ・テラー―極北の恐怖 (下) (ハヤカワ文庫 NV (1157))

 十九世紀のイギリスで、北極探検に出発した軍艦二隻がそのまま消息をたつという事件があったのだそうで。この小説はダン・シモンズがその事件を小説化してみせたもので、タイトルの 『ザ・テラー』 は恐怖という意味ではなく──まあ、邦題のサブタイトルにもついているし、当然その意味は込められているんだろうけれど──片方の軍艦の名前だったりする。
 実話に題をとるにあたってのリサーチはとても綿密だったようで、巻末に付されている参照文献のリストは膨大だ。ただし、じゃあ、それで厳密な歴史小説になっているのかというと、そんなことはない。イヌイットの精霊をモチーフにしたシロクマもどきのモンスターが出てきたりして、内容は思いきり脚色されている。シモンズお得意のエログロ趣味も健在だ(舞台が氷点下の北極だけに、さすがにエロのほうは控えめだけれど)。
 とにかく描写力に秀でたシモンズの作品だけあって、この小説で描かれる極北の地での悲劇は、強烈に悲惨。船が氷に閉じこめられて、身動きのとれなくなった氷点下ウン十度の世界で、凍傷にかかって手足を失う乗員{クルー}多数。五体無事な人たちもビタミン不足から壊血病にかかってばたばたと死んでゆく(その描写がグロいこと)。さらにはそんな極限状態のなか、全長が四メートルを超える巨大なシロクマ・モンスターが襲いくる。仲間うちにも悪魔のようにイヤなやつがいる。もう、うんざりしてしまうくらい見事に四面楚歌。あまりの悲惨さに、少しでも早く終わって欲しくて、かえって読むのがやめられなくなってしまった。
 いや、それにしても本当に寒そうな小説だった。冬のもっとも寒い時期に読んだので、なおさら寒さが身にしみた。どうせならば、真夏の暑いときに読んだならば、ちょうどいい納涼になったんじゃないかと思ったりした。まあ、たっぷりと臨場感を味わいたいならば冬、納涼を求めるならば夏に読むといいぞと。そういう小説でした。
(Mar 04, 2008)

影に潜む

ロバート・B・パーカー/菊池光・訳/ハヤカワ・ミステリ文庫

影に潜む (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 ジェッシイ・ストーン・シリーズの第四作。これを読み終えたと思ったら、すぐさまノン・シリーズの 『ダブルプレー』 が文庫化されて、それがまだ未読だというのに、来月にはサニー・ランドル・シリーズの最新刊が出るという。積読にはチャンドラー絡みの『プードル・スプリングス物語』 も控えているし、なんだかこのところ、やたらとパーカーの作品ばかり読んでいる気がする。
 今回ジェッシイが手がけるのは、快楽のために殺人をくりかえす金持ち夫婦による無差別連続殺人事件と、女子高生が同級生から集団レイプを受けた事件のふたつ。どちらもいたたまれない気分にさせられる嫌な事件で、そんなものがふたつも重なるものだから、さすがに今回はパーカーお得意のユーモアも幾分、控えめな印象だった。
 それにしても事件の陰鬱さにかかわりなく、ジェッシィのモテモテぶりは相変わらずだ。この話にはスペンサー・シリーズの女弁護士、リタ・フィオーレが登場しているのだけれど、もともとこの人は年じゅうスペンサーにモーションをかけているような奔放な女性なので、まあ当然っちゃあ当然の流れで、ジェッシイとも、いとも容易くベッドインしてしまう。
 で、ジェッシイは彼女のほかにも、前のエピソードから関係のつづく二人の女性とも寝ている。わずか一冊の中で、三人の女性とベッドをともにする元アルコール中毒の警察署長……。なんだか、スペンサーがスーザン一筋で浮気をしないものだから、その分こちらでジェッシィに浮名を流させることで、作者の尽きせぬ性欲を晴らしているんじゃないかという気がしてくる。
 理由はどうであれ、ジェッシイ・ストーンの場合、そんな風にやたらともてるくせに、いつまでも前妻ジェンとのことでうじうじしているのが、ちょっとばかりうっとうしい──そう思っているのは、おそらく僕だけじゃないだろう。別れた奥さんにはさっさと見切りをつけて、新しい人生を歩んでもらいたいもんだと思う。
(Mar 04, 2008)

愛について語るときに我々の語ること

レイモンド・カーヴァー/村上春樹・訳/村上春樹翻訳ライブラリー

愛について語るときに我々の語ること (村上春樹翻訳ライブラリー)

 僕にはレイモンド・カーヴァーという作家をどう語っていいのかわからない。前の 『頼むから静かにしてくれ』 にしても、この第二短編集にしても、読んでみて、それなりに好感はおぼえつつも、じゃあどこがいいのかと問われても、うまく答えられない。好きかと問われて好きだと答えるほど、親近感もおぼえていない。なんとなく宙ぶらりんな感じのまま、村上春樹が訳しているからということで、ただ漠然とつきあっている。
 そういう意味では、この本の最初に収録されている短編 『ダンスしないか?』 は、そんな僕の感じている感覚を、作品自体でとてもよく伝えている。
 この短編では、登場人物の女の子が、庭先で家具を売りに出している中年男性からベッドやテレビを買おうとして、その人とボーイフレンドと三人で、前庭で酒を飲んだり、ダンスをしたりして、つかの間のときを過ごすことになる。彼女はそのときの体験に妙な感銘を受けて、会う人ごとにそのことを話して聞かせるのだけれど、「しかしそこにはうまく語りきれない何か」があって、どうしてもそれを人にうまく伝えられずに、「結局あきらめるしかなかった」というフレーズで締めくくられる。これって、まさに僕がカーヴァーに感じていること、そのままだ。作品自体の持っているなんとも言えない味わいといい、僕にとってのカーヴァーという作家の在りようを象徴するような一編だと思った。
 なにはともあれ、大半の話がショートショートかというくらいの短さで、あとくされなくさくっと終わるので、読んでいてけっこう小気味よかった。いくつかの作品では、意外な残酷さが垣間見えるのも印象的だった。
(Mar 23, 2008)

アメリカン・ギャングスター

マーク・ジェイコブスン/田中俊樹・ほか訳/ハヤカワ文庫

アメリカン・ギャングスター (ハヤカワ文庫NF)

 みなさんはニューヨークの世界貿易センター(WTC)が、ツイン・タワーを含めた七つのビルから構成されていたって知ってましたか? そしてそれらがあの同時多発テロで、ひとつ残らずすべて倒壊してしまったという事実を?
 デンゼル・ワシントンとラッセル・クロウ主演の同名映画の原案となった、マンハッタンの黒人麻薬王に関するノンフィクションを中心に編纂されたニューヨーク(の主に裏社会)にまつわるルポルタージュ集であるこの本を読んで、僕が一番刺激を受けたのは、そんな9.11に関する事実に触れた記事においてだった。
 この本の筆者は、双子のビルが倒壊した直後に現場へと足を運び、それまでは煙を吐きながらもなんとか建っていた第七ビルが突然倒壊して、跡形もなくなるところを目撃したのだという。別に旅客機が衝突したでもない、となりのビルがだ。
 確かにツイン・タワーがそろってあれだけの被害を受ければ、近隣の建物にも被害が及ぶのは当然だろう。でも、それにしたって火災だけならばともかく、跡形もなく倒壊するってのは、なんなんだと。ちょっと不自然すぎやしないかと。作者はそう指摘する。
 僕もこの本を読んだあとでネットを検索して、世界貿易センターの跡地、いわゆるグラウンド・ゼロの航空写真を見て、驚いた。だって、同じ敷地内にあった六つのビルが全滅しているだけではなく、となりの敷地にあった第七ビルまでが、まるで仲間の道連れになるように倒壊しているんだから。しかも、それを挟むように建っている左右のビルはそのまま残っている。
 たしかにこの写真を見てしまうと、テロリスト以外の誰かがテロに乗じて、WTC全体を故意にこの世から葬り去ったのではないかと疑う人がいても不思議じゃなくなる。専門家のなかには、中から爆薬で破壊しないかぎり、ビルディングがあんなふうに倒壊するはずがないと語る人もいるのだそうだ。しかもWTCのオーナーは、WTCの倒壊により、何億ドルという、その資産価値の倍以上の保険料を受け取っているという。
 ということで、9.11に関しては、以上のような事実や、その他もろもろを含めて、テロの計画を知っていたにもかかわらず、政府がどなたかの利益を図って、わざと防御措置をとらなかったとする LIHOP (Let It Happen On Purpose =本書いわく“意図的にそうなるようにしむけた”説)というのと、政府がテロリストを誘導して故意に同時多発テロを起こさせたとする MIHOP (Make It Happen On Purpose =“意図的にやった”説)というのがあって、まるでジョン・F・ケネディの暗殺事件の真相をめぐる論争と同じように、政府の陰謀の存在を暴こうという局部的な社会運動が巻き起こっているのだそうだ。世の中、いろいろと知らないことがあるもんだなあと思う。いやはや、びっくりした。
 もちろん映画化されるくらいだから、表題作である黒人ギャング、フランク・ルーカスの話もおもしろいし──とくに落ちぶれて貧乏暮らしをしていた晩年のルーカスが、この本のおかげで映画化権が売れた途端、恩人のはずの作者を脅迫して「収入は全額おれがもらう」と言い出したという逸話が強烈だ──、地元っ子の案内でニューヨークの裏通りを散策している気分になれる、なかなかおもしろい本だった。
(Mar 24, 2008)