ミドルセックス
ジェフリー・ユージェニデス/佐々田雅子・訳/早川書房
これはまれにみる傑作だった。まさか 『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』 ──ソフィア・コッポラ監督の 『ヴァージン・スーサイド』 の原作──でデビューした作家が、二作目にしてここまですごい小説を書き上げてみせるなんて思ってもみなかった。読み終えるのが惜しいと思った小説なんて、ほんとひさしぶりだ。長いあいだ放置しておいたのが大まちがい。いやあ、これにはまいった。ピューリッツァー賞を受賞したのも納得の、まぎれもない傑作。二十一世紀のマスターピースと呼んでもいい作品なんじゃないかと思う。
ユージェニデスという珍しいラストネームはギリシャ系のものだとのことで、作者はこの小説の前半において、そんなみずからの出自をなぞるようにギリシャ系アメリカ移民の一家族、ステファニデス家の三代にわたる家族史をひも解いてみせる。
祖父母の代はトルコとギリシアの戦争により国を追われ、アメリカに渡ってデトロイトに住みつく。ときは禁酒法時代で、場所はアメリカの自動車製造の中心地、モータウンことデトロイト。ということで、若き日の祖父レフティーは、しばらくフォードの工場で働いたあと、職を追われて密造酒の闇取引に手を出すことになる。祖母のデズデモーナは誕生したばかりのブラック・ムスリムのモスクで仕事を得る。
二代目ミルトンとテッシーの世代のころには、第二次大戦があり、デトロイトでは全米最大規模の暴動が発生する。孫の代のチャプターイレヴン──語り手の兄──は、ベトナム戦争やヒッピー文化の真っただ中を生きる。
歴史上の出来事が起こるたびに、ステファニデス家の家族史にもなんらかの変化が巻き起こる。そんな風にこの小説の前半では、アメリカの現代史を色濃く反映した物語が、魅力たっぷりの大河小説として展開する。ユージェニデス自身がデトロイト出身のギリシア系アメリカ人であるから、物語のベースとなったのが、作者自身の出自にもとづく知識であるのはまちがいないだろう。
ただし、そうした物語の語り手は、ふつうの男性である作者とはまったく異なる、数奇な生まれつきの人物だ。カリオペ(カル)・ステファニデスは両性具有者で、誕生したときには女の子とみなされ、思春期を迎えるころになって、実は医学的には男性だったという診断を下されることになる。
両性具有、半陰陽、ふたなり、インターセックス、アンドロジニー、ヘルマプロディトス……。呼び方はいろいろあるようだけれど、とにかくこの小説の語り手は、性発達障害により生まれたときから男性器が未発達だったために、十代なかばまで女の子だとみなされていた。彼女は男性と女性、両方の機能を兼ね備えているわけではなく、どちらとしても不完全な、中途半端な存在だ。そんな彼(彼女)が思春期を迎えて、ついに自らの本当の姿を知り、その真実と向き合うまでの葛藤が、この小説の後半のメイン・テーマとなる。話の中心が彼女の家族のことから彼女自身のことへと移り変わるのにともない、作品はそれまでの大河小説然とした
ここからがまたいい。思春期を迎えて、まわりの女の子たちの胸がふくらみはじめ、初潮を迎えるなか、カリオペはひとり、そうした成長から見放されている。そんな自分への不安感がたまらなく切実だ。
やがてカリオペはある同級生と激しい恋に落ちる。といっても彼──この時点では彼女──が通っているのは女子校なので、相手の同級生というのは女の子。つまり二人の関係は同性愛ということになる。さらに言うならば、カリオペの性発達障害を促すきっかけとなるのは、彼女の祖父母が、血のつながった
両性具有、近親相姦、同性愛──そう書き並べてみると、この作品の中であつかわれるセックスは非常にアブノーマルで扇情的だ。けれど、この小説が素晴らしいのは、そうしたアブノーマルな性のあり方が、ごく普通のことに思えてしまうところ。もとから彼らが異常な性欲を有していたからそうなったわけではなく、たまたま巡りあわせでそうなってしまった──この小説を読んでいると、素直にそういう風に思える。デズデモーナとレフティーが姉弟の関係にもかかわらず、愛しあうようになってしまったことも、カリオペが男女の区別のつかない体に生まれついてしまったことも、彼女が同性を愛してしまったことも、運命のいたずらか、たまたまの巡りあわせ──そういう立場におかれれば、誰にでも起こりえる不幸だという風に思える。そしてそれぞれの不幸を抱えたまま、懸命に生きてゆく彼らの姿には、アブノーマルさをものともせず、十二分に共感できるものがある。要するにこの小説は読者に差別意識を軽々と飛び越えさせる。これが素晴らしいことでなくてなんだろう。
とにかくこの小説は、あらゆる面で破格。現代的なテーマをたっぷりと盛り込みつつ、小説としてのたたずまいはとても古典的だし、男女の相反する性を両方とも引き受けている主人公同様、作品自体にも相反する要素がごまんと詰め込まれている。あまりに内容が豊穣で、情けないことに僕にはその魅力のすべてを説明しきれない。この作品についてもっと知りたいという人は、この本の巻末に収録された柴田元幸氏のあとがきを読んでもらったほうがいい。さすがアメリカ文学の第一人者だけあって、じつに見事な解説をよせている。
なにはともあれ、これは掛け値なしの傑作。かなりボリュームのある小説だけれど、ひとりでも多くの人に読んで欲しい。
(Apr 12, 2008)