僕はマゼランと旅した
スチュアート・ダイベック/柴田元幸・訳/白水社
これはめちゃくちゃいい本だった。シカゴ出身の短編作家による通算三冊目──邦訳としては 『シカゴ育ち』 につづく二冊目──の短編集。前のもよかったけれど、今度のは、さらにいい。
この本を読み始めて僕がすぐに連想したのがジョン・アーヴィングだった。あの人の長編がもつ豊かな風味を、短編の形にぎゅっと凝縮して見せたような感じの作品がずらりと並んでいる。人と人とのつながりのなかに育まれる喜びや悲しみを、ユーモアを絶やさずに描き出すその筆致がとても見事だ。翻訳家の柴田さんが「できれば二度読み返して欲しい」と書くほど入れ込むのもよくわかる。読んでいて、こんな風に終始「ああ、豊かだなあ」と思える読書体験というのは、そうはない。まあ、僕の場合、ただ豊かだと思っているばかりで、どこがどう豊かなんだか説明できないんだから、間が抜けているけれども。
ただ思うに、この本に過剰に入れ込むのは、大多数が男性なんじゃないかなという気がする。この連作短編集──すべての作品はペリー・カツェクという少年を介して、彼の成長とともに語られてゆく──において描かれるのは、どれもこれも、あとから思い出してみて「俺たちってなんであんなにバカだったんだろうね」と苦笑いしたくなるような、恥ずかしくも愛おしい、切実なる失敗談とでもいった話ばかりだからだ。
この本は情けない僕らの過去の記憶を直撃して、この上ない共感を呼び起こす。ものによっては声をあげて笑ってしまうような話もけっこうある。同時にやるせなさや切なさもたっぷりと胸に残る。笑いも涙も悲しみも全部ひっくるめて、これらすべてが僕らの人生だって、そんな風に強い共感とともに思わせてくれる、なんとも素晴らしい短編集だった。
作者のスチュアート・ダイベックは四十二年生まれだそうだから、今年でもう六十六歳。それで作品は短編集三冊に詩集が二冊っていうのだから、かなり寡作な人だ。当然、それだけで生活してゆけるわけもなく、イリノイ州の大学でかれこれ三十年以上も教鞭をとっているとのこと。つまり本職は大学教授なんだろう。こんな素晴らしい短編を書く人の講義ならば、一度くらい受けてみたい気がする。
(Jul 08, 2008)