2008年7月の本

Index

  1. 『僕はマゼランと旅した』 スチュアート・ダイベック
  2. 『キラー・イン・ザ・レイン』 レイモンド・チャンドラー
  3. 『背信』 ロバート・B・パーカー

僕はマゼランと旅した

スチュアート・ダイベック/柴田元幸・訳/白水社

僕はマゼランと旅した

 これはめちゃくちゃいい本だった。シカゴ出身の短編作家による通算三冊目──邦訳としては 『シカゴ育ち』 につづく二冊目──の短編集。前のもよかったけれど、今度のは、さらにいい。
 この本を読み始めて僕がすぐに連想したのがジョン・アーヴィングだった。あの人の長編がもつ豊かな風味を、短編の形にぎゅっと凝縮して見せたような感じの作品がずらりと並んでいる。人と人とのつながりのなかに育まれる喜びや悲しみを、ユーモアを絶やさずに描き出すその筆致がとても見事だ。翻訳家の柴田さんが「できれば二度読み返して欲しい」と書くほど入れ込むのもよくわかる。読んでいて、こんな風に終始「ああ、豊かだなあ」と思える読書体験というのは、そうはない。まあ、僕の場合、ただ豊かだと思っているばかりで、どこがどう豊かなんだか説明できないんだから、間が抜けているけれども。
 ただ思うに、この本に過剰に入れ込むのは、大多数が男性なんじゃないかなという気がする。この連作短編集──すべての作品はペリー・カツェクという少年を介して、彼の成長とともに語られてゆく──において描かれるのは、どれもこれも、あとから思い出してみて「俺たちってなんであんなにバカだったんだろうね」と苦笑いしたくなるような、恥ずかしくも愛おしい、切実なる失敗談とでもいった話ばかりだからだ。
 この本は情けない僕らの過去の記憶を直撃して、この上ない共感を呼び起こす。ものによっては声をあげて笑ってしまうような話もけっこうある。同時にやるせなさや切なさもたっぷりと胸に残る。笑いも涙も悲しみも全部ひっくるめて、これらすべてが僕らの人生だって、そんな風に強い共感とともに思わせてくれる、なんとも素晴らしい短編集だった。
 作者のスチュアート・ダイベックは四十二年生まれだそうだから、今年でもう六十六歳。それで作品は短編集三冊に詩集が二冊っていうのだから、かなり寡作な人だ。当然、それだけで生活してゆけるわけもなく、イリノイ州の大学でかれこれ三十年以上も教鞭をとっているとのこと。つまり本職は大学教授なんだろう。こんな素晴らしい短編を書く人の講義ならば、一度くらい受けてみたい気がする。
(Jul 08, 2008)

キラー・イン・ザ・レイン〈レイモンド・チャンドラー短篇全集1〉

小鷹信光・他訳/ハヤカワ・ミステリ文庫

キラー・イン・ザ・レイン (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-7 チャンドラー短篇全集 1)

 村上春樹による 『ロング・グッドバイ』 新訳をきっかけとしたチャンドラー再評価の流れにより刊行が決まったハヤカワ文庫の新しいチャンドラー短篇全集、これはその全四巻のうちの第一巻。
 今回の全集には三つの特徴がある。一つめは全短篇が発表順に収録されること。二つめはすべて新訳であること。三つ目は翻訳家がひとりではないこと──ということで、全六作が収録されたこの第一巻には、六人の翻訳家が名前を連ねている。巻をまたいで重複する人はけっこういるけれど、一巻のなかではひとり一作という方針らしい。
 アンソロジーならばともかく、同一作家の短編集でこういう風に作品ごとに翻訳家が異なるというのは、あまり聞いたことがない。チャンドラーという超人気作家だけあって、やらせてくれと手を上げる翻訳家が多すぎて、編集部でもひとりには決めあぐねたのかもしれない。もしくは出版社側に今後、『ロング・グッドバイ』 以外の作品も順次新訳してゆくつもありがあって、そのためもっともチャンドラーにふさわしい翻訳家を見つけ出そうという、ショーケース的な意味合いがあるとか。なんにしろ、ハードボイルドやサスペンス系のミステリを読みなれている人にとってはなじみのある翻訳家がずらりと顔をそろえていて、なかなか壮観だったりする。ちなみにこの本に登場するのは、小鷹信光のほか、三川基好、田口俊樹、村上博基、真崎義博、佐藤耕士の六氏。うちの本棚には、どの人が訳した本も一冊くらいはありそうだ。
 チャンドラーの作品自体の出来は、デビュー作を含むだけあって、まだまだ手探り状態という感じ。悪人たちが相討ちになって全滅して終わり、みたいな、いかにもパルプ・マガジン向けに書きましたという作品が多かった。それでもこころなしか、一作ごとに深化していっている感じはする。だからというわけじゃないけれど、個人的に一番おもしろいと思ったのは、最後の 『スペインの血』。警察内部の腐敗を描いた、のちのジェイムズ・エルロイあたりに通じるような内容の短編で、かなり現代的な感じがしてよかった。
 ちなみに表題作の 『キラー・イン・ザ・レイン』 は処女長編 『大いなる眠り』 のプロトタイプで、主人公はマーロウではないし、依頼人も車椅子の大富豪じゃないものの、プロットはほぼあのまんまです。
(Jul 13, 2008)

背信

ロバート・B・パーカー/菊池光・訳/ハヤカワ・ミステリ文庫

背信 (ハヤカワ・ミステリ文庫 ハ 1-47 スペンサー・シリーズ)

 この作品のなかでスペンサーが依頼人から普段の報酬について聞かれて、「この前の仕事ではドーナツ四つだった」なんて風に答える場面がある。
 あれ、それってもっと前の話じゃなかったっけ、と思って調べてみれば、スペンサーがポール・ジャコミンのガールフレンドの仕事を引き受けたのは、確かにひとつ前の 『真相』。このところパーカーの作品は、ジェッシィ・ストーンとサニー・ランドルとこのスペンサー、三つのシリーズが平行して文庫化されているので──しかもそれぞれにキャラが重複していたりするので──、なんだかみんないっしょくたな印象になってしまっている。さすがの多作さに追いつけない読者もいるようで、この本に解説を寄せている福田和代という人なんて、ほかのシリーズは読んでいないらしい。そういう人に解説書かせちゃうというのもどうかと思うけれど、まあ、解説の内容自体は悪くなかった。
 なにはともあれ、そんなわけでこれはスペンサー・シリーズの第三十一作。
 今回のスペンサーは珍しく浮気調査の依頼など引き受けて、巨大電力企業の上層部で密かにくりひろげられるドロドロの人間模様を暴きたてることになる。巨大企業といいつつ、出てくる人たちのキャラの誰もかも矮小で、あまりたいした会社って気がしないのが玉にきずだけれど、それでもあきらかになる真相というのが、これでもかというくらいの泥沼状態なところが、なかなかすごかった。実話だったらば、ワイドショーが放っておきそうにない。
 それにしてもホークのガールフレンドのセシルとか、自称・世界でもっとも偉大な公認会計士マーティ・シーゲルとか、この人たちって過去に出てきましたっけと思ってしまう自分の記憶力が情けない。スペンサー・シリーズも、できれば一度、最初から読み返したいところなのだけれど、いまのところ、そんな時間の余裕はどこにもない。貧乏ひまなしとはよくぞ言った。
(Jul 21, 2008)