2008年9月の本

Index

  1. 『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』 ジョージ・クライル
  2. 『ダブルプレー』 ロバート・B・パーカー
  3. 『密林の骨』 アーロン・エルキンズ
  4. 『天使はポケットに何も持っていない』 ダン・ファンテ

チャーリー・ウィルソンズ・ウォー

ジョージ・クライル/真崎義博・訳/ハヤカワ文庫NF(上・下巻)

チャーリー・ウィルソンズ・ウォー 上 (1) (ハヤカワ文庫 NF 334) チャーリー・ウィルソンズ・ウォー 下 (3) (ハヤカワ文庫 NF 335)

 表紙がとてもポップだったので、ついついジャケット買いしてしまった同名映画の原作ノンフィクション。ただしこの表紙、映画のシーンをあしらった帯をとるとあまりおもしろくない。表紙をとったら拍子抜け──という駄じゃれはさておき本題に。
 1979年、ソ連がアフガニスタンの共産党政権を支援すべく、同国を占領するという事件が起こった。これを俗にアフガン侵攻と呼ぶ……のだそうだ。当時からロックや小説ばかりに夢中で、世界情勢にむとんちゃくな僕は、自分の学生時代にそんな事件があったことなど知りもしなかったし、思えばこの事件のことは、今年の初めに読んだカーレド・ホッセイニの 『君のためなら千回でも』 でも描かれていたけれど、そのときには気にも留めなかった。面目なし。
 さて、ともかくそれから十年にわたってソ連はアフガンに常駐しつづけ、現地の反乱軍と激しい戦闘を繰りひろげることになる。しかし時代{とき}は冷戦下。自国の共産主義者を赤狩りだといって迫害していたアメリカがそんな事態を放っておくはずがない。かといってアメリカ自身が参戦してしまったら、第三次対戦の口火を切ることにもなりかねない。うかつには手を出せないからと、CIAは表面化しないように気を配りつつ、細々とアフガンの支援をしていたらしい。
 しかし、やがてアメリカは大きな方向転換をして、何億ドルという巨額の予算をつぎ込み、前時代的だったアフガンの反政府組織をハイテク・ゲリラ化して、ソ連を撤退に追い込むことになる。そうした方向転換の立役者となったのが、本書のタイトルにもなっているチャーリー・ウィルソンという名のテキサス出身の下院議員であり、また彼の協力者としてCIAで横紙破りの活動をした、アブラコトスという変わった名前のエージェントだった──。
 ということで、原書のサブタイトルに「もっともワイルドな国会議員とはぐれ者のCIAエージェントがいかにしてわれらの時代の歴史を変えたかについての尋常ならざる物語」とあるように、この本は彼らがどのようないきさつでこの戦争にかかわりあうようになり、どのようにしてアフガンを勝利に導くことになったかを、文庫本二冊にわたって丹念に説明してゆく。事実は小説よりも奇なりという格言を地でゆくようなおもしろい本だけれど、いまの僕には、ちょっとばかりボリューム過多だった。
 それにしても、アメリカがにっくきソ連をやっつけるため、アフガンに膨大な兵器を与えて、みごと大敵にひと泡ふかせてやったはいいけれど、それからわずか二年でソ連は崩壊、それからちょうど十年後に、今度はアフガンで育ったテロリストがアメリカ国内で9.11を引き起こすという歴史の皮肉のものすごさ……。
 もしも神様が本当にいるとしたら、その人は史上最悪の皮肉屋にちがいない。
(Sep 10, 2008)

ダブルプレー

ロバート・B・パーカー/菊池光・訳/ハヤカワ・ミステリ文庫

ダブルプレー (ハヤカワ・ミステリ文庫 ハ 1-45)

 パーカーというと、やはりスペンサー・シリーズの作者としてのイメージが強いので、こういう単発の作品に対しては、あまり触手が働かないのだけれど、いざ読んでみるとおもしろくて感心させられることが多い。この作品も読むまではあまり気乗りしていなかったのに、読んでみたら非常に個性的な小説で、またもや感心させられることになった。
 物語の主人公は第二次大戦の復員兵であるジョセフ・バーク。彼は十八歳で従軍する直前に、出会ったばかりの女性と衝動的な結婚をする。ところが彼が瀕死の重症を負って退役してきてみれば、相手の女性はほかの男と駆け落ちをしたあと。心身ともに激しく傷ついた彼は、生きる意味を失った虚無的な人物として、僕らの前に登場する。そんな彼がいかにして人を愛する心を取り戻すようになるかが、この小説のサブ・テーマとなっている。
 もともとマッチョな彼は、やがてその腕っぷしと命知らずさを変われて、ボディーガードの仕事を任させるようになる。そうして彼が出会うことになるのが、メジャーリーグ初の黒人選手として注目を集めたジャッキー・ロビンソン。人種差別によるトラブルからロビンソンを守るべく雇われたバークは、ロビンソンと行動をともに幾多のトラブルをともに乗り越えてゆく過程で、この黒人選手とのあいだに人種の垣根を越えた信頼関係を築いてゆく。実在した黒人メジャーリーガーと架空の白人ボディーガードとの関係を、男の友情を主眼に描くのがこの作品のメイン・テーマだ。その点ではスペンサー・シリーズにおけるスペンサーとホークの関係を、違った形で描きなおした作品とも見ることができると思う。
 この小説ではさらに、物語の合間あいまに「ボビー」と称した一人称の文章で、メジャーリーグに関するパーカー本人の少年時代の思い出をつづったエッセイが差し込まれている。さらに物語に関係した試合のスコアカードまで挿入されていて、これぞまさに野球が大好きなハードボイルド作家、ロバート・B・パーカーの真骨頂という仕上がり。パーカー・ファンにとっては必読の一冊だと思う。
(Sep 28, 2008)

密林の骨

アーロン・エルキンズ/青木久恵・訳/ハヤカワ・ミステリ文庫

密林の骨 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 世界各地を旅してまわっては、偶然その地で出くわした白骨をもとに殺人事件の真相を究明してみせるスケルトン探偵、ギデオン・オリヴァー・シリーズの最新作。
 今回のオリヴァー教授が出かけるツアーはアマゾン河の貧乏クルージング。でもって、彼が出くわすことになる白骨は、ピラニアに食われて骨だけになった憐れな被害者のもの。なかなか興味をそそるシチュエーションではあるけれど、事件が起こるのは物語の半分以上が過ぎてからだし、そのせいかもしれないけれど、骨になったのは誰かとか、犯人とその動機なども、読んでいるうちにほとんど見当がついてしまって、ミステリとしては、あまり成功しているとは云えない。 少なくても同じような世界最大級の大河を舞台にしたクリスティの 『ナイルに死す』 には遠くおよばない──と思う。あちらを読んだのは四半世紀前の話なので、保証しきれないけれども。
 ただし、それじゃあこの本はおもしろくないかというと、そんなことはない。僕にはこの小説は十分に楽しかった。このシリーズの魅力は白骨鑑定という風変わりなアイディアの本格ミステリに、旅行記としてのおもしろみを加えた点にあると思うので、その意味で今回はアマゾン河という未開の土地を舞台にしたことにより、後者の魅力が引き立っている。
 個人的には本格ミステリを読むのがひさしぶりだったのも、かなりプラスに作用していた気がする。ミステリが持つ紋切り型な構造は、たまに読むとたまらなく魅力的だ。
(Sep 28, 2008)

天使はポケットに何も持っていない

ダン・ファンテ/中川五郎・訳/河出書房新社

天使はポケットに何も持っていない (Modern&Classic)

 犬のイラストをあしらった表紙に惹かれて、ついついジャケット買いしてしまった本。ふだんは文庫本だけでフォローしているポール・オースターの最新刊 『ティンブクトゥ』 を単行本で買ってしまったのも同じ理由だったし、どうにも僕は犬の表紙に弱いらしい。
 この小説の作者、ダン・ファンテはジョン・ファンテという作家の息子さんで、父親のジョン・ファンテという人は、生前はほとんど評価されず、ブコウスキーが敬愛する作家のひとりとして名前をあげたことから再評価されるようになったのだそうだ。
 でもってこれはその息子による自伝的小説だとのことでで、なるほど、主人公の父親の名前はジョン・ダンテだし、その代表作は 『風に訊け』 というタイトルだったりして(ジョン・ファンテの代表作は 『塵に訊け』)、「自伝的作品、ここに極まれり?」って印象だったりする。そう知っていたならば、まずは父親のほうを読んでおくべきだったかと思ったけれども、そちらはブコウスキーが出てくる時点で、僕とはあまり関係のない作家な気もする。
 で、この息子さんの小説も、読んでみるとやっぱり、という感じ。描かれるのは、アルコール中毒で療養施設を出たり入ったり、自殺未遂を繰り返したりという駄目だめな主人公が、父親の末期を見取るために、ロサンジェルスへ戻ってきてくりひろげる醜態の数々。それもこの人、物語が始まってすぐさま、離婚調停中の奥さんとともにロスに向かう飛行機のなかで、奥さんが寝ているとなりでスチュワーデスをおかずにひとりでナニしてみたりするという、強烈なだめさ加減だったりする。関係を持つ女性たちも、どもりのある十五歳の娼婦だったり、宅配デートクラブで男を探している肥満婦人だったりで、なんだかもう、最初から最後まで救いようがない。アル中だといいながら、愛飲しているのがバーボンやスコッチではなく、強化ワインだという点も、なんとなく情けない。まあ、基本的にアル中に、いいも悪いもないとは思うけれど(ちなみに強化ワインというのは、通常のワインに加工を加えたもので、僕になじみのあるところだと、シェリーもその一種だとのこと)。
 なんにしろ、こんなにしょうもない小説はひさしぶりだと思いながら読んでいたのだけれど、不思議なものでこの小説、意外と読了感が悪くない。主人公が父親に対して示す複雑な愛情や、父親の愛犬(これも死にかけている)に対して時おり見せる優しさが、救われない逸話の数々のなかで、ささやかな救いをもたらす結果なのだろう。僕自身も酔っては醜態を繰り返し続けているダメ男なので、いやおうなく共感してしまったところもあるかもしれない。
 なんにせよ、最初のころは、ああしまった、ひどい本を買ってきちゃったなあとか思っていたのに、読み終わるころには、この人のほかの作品も読んでもいいかなという気分になっていた。ただ、いまのところ、翻訳はこれだけみたいだ。
(Sep 30, 2008)