2008年10月の本

Index

  1. 『インディアナ、インディアナ』 レアード・ハント
  2. 『血と暴力の国』 コーマック・マッカーシー

インディアナ、インディアナ

レアード・ハント/柴田元幸・訳/朝日新聞社

インディアナ、インディアナ

 六十八年生まれ(僕より二歳年下)のアメリカ人作家、レアード・ハントの長編第二作。翻訳はこれが本邦初登場とのこと。
 この小説、長編小説としては短めであるにもかかわらず、断片的な回想シーンや手紙を挿しはさみつつ、時間軸をいったりきたりしながら語られてゆく上に、ときとして文章の乱れを恐れない奔放さのある文体のため、思いのほか読むのに骨が折れた。小説としての手ごわさでは、ウィリアム・フォークナーやトニ・モリソンに通じるものがあると思う(つまりノーベル文学賞系)。ただし作品が醸しだす雰囲気は、かの文豪たちと比べると、ずいぶんと優しげだ。
 この小説の主人公はノアという知的障害のある男性(この点もフォークナーを連想させる)。物語の現在において彼はすでに老人なのだけれど、その言動は知的障害者ゆえの純真さであふれていて、しかも物語の大半が、両親とともに暮らしていた若いころの回想シーンであるため、僕には青年としてのイメージのほうが強く残っている。
 ノアにはオーパルという奥さんがいて、この人も精神的に問題をかかえている(それもかなり激しく)。ただし、彼女はずっと療養所に入っていて、物語のなかには直接は出てこない。彼女の存在は彼女がノアにあてて書いた手紙という形でのみ語られてゆく。
 物語は過去と現在を行ったりきたりしながら、ノアがいかなる半生を送って孤独な老後を迎えるに至ったかを、やさしい光で照らし出すように描き出してゆく。僕はこの本を読んでいる間じゅう集中力を欠いていたので、残念ながら十分にそのよさを読みとれていないのだけれども、それでも終盤、ようやくノアとオーパルのなれそめが明かされる部分は、幸福感と悲しみのコントラストがあざやかで、とても印象に残った。心に人より重い荷を負ったものどうしの結びつきは、とても美しく、そして悲しい。
(Oct 18, 2008)

血と暴力の国

コーマック・マッカーシー/黒原敏行・訳/扶桑社ミステリ

血と暴力の国 (扶桑社ミステリー)

 コーエン兄弟のオスカー受賞作、『ノー・カントリー』 の原作。僕がコーマック・マッカーシーの作品を読むのは、『すべての美しい馬』 につづいてこれが二作目。
 この作品、純文学系の作家がクライム・ノヴェルを書いたということで話題になったらしいけれど、うろ覚えながら 『すべての美しい馬』 もヴィジュアル性に富んだエンターテイメント性の高い作品だったので(よってこれも映画化されている)、この人がこういう作品を書いたこと自体には、それほど違和感をおぼえなかった。
 それよりも、舌を巻いたのはその出来栄えのよさ。描写の迫力、ストーリーテリングの冴え、人物造形の見事さ、どこをとっても秀逸だ。なにより作品全体に満ちわたる緊迫感がはんぱじゃない。マッカーシーはこの作品で、きわめて文学的な無常観をただよわせつつ、そんじょそこらのミステリ作家の仕事を軽々と凌駕するエンターテイメント性をも発揮してみせている。最後の最後になって本筋から脱線してしまう点はやや疑問だったけれども、それでもなお、こりゃすごいやと思う。とても感心した。
 この小説、単にストーリーだけみたら、とてもシンプルだ。銃撃戦に終わった麻薬取引現場にたまたま行き当たった溶接工が、置き去りにされた二百万ドル以上の現金を持ち逃げしたために、殺し屋に追われるはめになるという話。それ自体は、ある意味ではありきたりにさえ思える。それなのにここまで読ませるのは、やはり作家の力量に負うところが大きいのだろう。とにかく描写がヴィヴィッドで、ひとつひとつのシーンがとても心に残る。なるほど、これをコーエン兄弟が映画化しようと思ったのもよくわかった。この小説がはらむ空気は、まさに彼らの映画にはうってつけだ。こりゃさっさと映画を観ないといけない。
 僕がもっとも感心したのは、金を手にしたモスが仏心を起こして犯罪現場に舞いもどったがために追われる立場になってしまう自業自得な展開と──身元がばれたことだけが追われる理由ではなかったことが、あとからわかる展開もうまい──、殺し屋のシュガーが通りすがりのドラッグ・ストアでコイントスをして、店主に裏か表か答えるよう強いる場面。後者はクライマックスにおける、ある重要なシーンのための伏線となるわけだけれども、それ単体でみても、とても素晴らしいと思う。なにげないやりとりのなかに息を飲むような緊張感をはらんでいる。
 ということでこの小説は、ほんとすごかった。いずれまた再読したい。
 いや、その前に映画を観ないと。
(Oct 21, 2008)