2008年12月の本

Index

  1. 『ティンブクトゥ』 ポール・オースター
  2. 『水と水とが出会うところ』 レイモンド・カーヴァー
  3. 『シャドー81』 ルシアン・ネイハム
  4. 『ヒストリー・オブ・ラヴ』 ニコール・クラウス

ティンブクトゥ

ポール・オースター/柴田元幸・訳/新潮社

ティンブクトゥ

 犬の表紙につられて、ついつい単行本で買ってしまったポール・オースターの長編小説。
 この小説の場合、表紙の犬は単なる飾りじゃない。そう、主人公が犬なのだった。それも二本足で立ったり、人と口をきいたりしたりしない普通の犬。この小説は全編がミスター・ボーンズという老犬の一人称によって語られてゆく。
 まあ、ミスター・ボーンズの場合、人間の云うことやること、ほとんどすべてを理解できるし、姿かたちが犬なだけで、思考回路は人のそれと変わらないので、普通の犬とは言えないかもしれない。でも、そういう意味では漱石の猫も同じだ。そう、云ってみればこの小説は、現代アメリカ文学における 『吾輩は猫である』 の犬バージョンとでもいった発想の作品なのだった。
 そう思って両者の対比してみるとおもしろい。主人公が、かたや猫、かたや犬であることにより、両者はじつに対照的な内容になっている。本邦の猫がいかにも猫らしいシニカルさでもって苦沙弥先生の平凡な日常を観察していたように、この小説の主人公の犬もまた、いかにも犬らしい従順さでもって、飼い主(余命いくばくもない変わり者の老詩人)の放浪生活につき従っている。その徹底した人のよさ──もとい、犬のよさ──がこの小説の大きな魅力だと思う。漱石の猫が猫好きな人に受けるのかどうかはわからないけれど、この小説は確実に犬好きの人に受けそうな気がする。
 ただし、ポール・オースターのほとんどの作品がそうであるように、この作品もストーリーはけっこう{いびつ}だ。ポール・オースターという人には、感動的な話が書けるのに、あえて書かないで済ませているというか、そのまま行けばとてもいい話になるところを、わざとコース・アウトさせて感動させないよう手を尽くしているようなところがある。その辺はあい変わらずで、おかげでこの作品は犬と飼い主の感動の物語といったありがちな話にはならず、甘いんだか苦いんだかわからない、なんとも微妙な味わいの作品に仕上がっている。この微妙さこそオースターの個性かなという気がする。
 僕はこれ、けっこう好きです。
(Dec 10, 2008)

水と水とが出会うところ

レイモンド・カーヴァー/村上春樹・訳/村上春樹翻訳ライブラリー

水と水とが出会うところ (村上春樹翻訳ライブラリー)

 記憶にあるかぎり、これまで僕のうちには詩集というのは一冊もなかった。うちの奥さんが持ち込んだものがあれば別だけれど、少なくても僕自身はいかなる詩集も買ったり読んだりした記憶がない。例外はコステロの翻訳歌詞集だけれど、あれはあくまで歌詞の翻訳が欲しくて買った本だから──僕は輸入盤コレクターなものでうちのCDには訳詞がついていないんです──、詩集であって詩集ではないようなものだし、そもそも通しできちんと読んだ記憶もない。そういえば漱石全集に俳句や漢詩の巻があったけれど、その手のやつも詩とはちがう気がするし、それだっていまだ未読だったりする。
 ということで、僕はこれまで詩集というやつとは無縁の人生を歩んできた。縁がないというか、まったく関心がなかった。なぜならば、僕にはロックがあるからだ。日々、メロディにのった言葉に感動しまくっている僕にとって、メロディ抜きで単独で存在する詩の存在というのは、なんだか気の抜けたものにしか思えなかった。失礼な話だけれども、基本的に僕はこれまで、詩というのはポップ・ミュージックが普及する以前だから成立しえた、旧態依然とした文学形態だと思っていたところがある。
 そんな僕が今回、このレイモンド・カーヴァーの詩集を手にとることになったのは、これが村上春樹翻訳ライブラリーのうちの一冊だったからなのはもちろんだけれども、それよりもむしろ、これが詩集であることに気づいていなかったというのが大きかった。なにも翻訳ライブラリー収録作をすべてそろえているわけではないし、もしもあらかじめ詩集だと気づいていたら、先に書いたような理由で「読まなくてもいいや」と思って、買ってなかったかもしれない。なのにカーヴァーの作品だというだけで内容も確認せずに買ってしまい、あとから「ああ、これって詩集なんだ」と思うあたり、われながら間が抜けている。
 しかしながら、いざ読んでみたらこの詩集が、思いのほかおもしろかった。おもしろい、というのはちょっと違うかもしれないけれど、少なくてもここにはカーヴァーの短編小説と同じエッセンスがしっかりとあって、好印象だった(とかいって、いつの間にか僕はカーヴァーの世界観に馴染みつつある)。ポエムという言葉から連想するファンシーさは皆無で、大半の内容はとても具体的。抽象的な言葉あそびに走っていないところがとてもいい。要するにカーヴァーが短編小説でなし遂げていることを、もっと少ない言葉で同じように表現してみせた作品集だと思う。なるほど、こういうのならば詩もわるくない。
 つい先日、柴田元幸氏の訳でスチュアート・ダイベックの詩集が刊行されたのを知ったときには、「詩集じゃあなぁ」と思って見送るつもりでいたけれど、これを読んで、その本も読んでみようかという気になった。
(Dec 11, 2008)

シャドー81

ルシアン・ネイハム/中野圭二・訳/ハヤカワ文庫

シャドー81 (ハヤカワ文庫NV)

 いずれ読もう読もうと思いつつ、読めないでいる本は数あれど、これくらい長いあいだ保留になっていた本も珍しい。なんたって僕がこの小説を初めて読みたいと思ったのは、高校時代に筒井康隆氏が 『みだれ撃ち読書ノート』 という本のなかで絶賛しているのを読んだときだから、じつに四半世紀以上も昔のことになる。
 奇抜なハイジャック事件の顛末を描くこの小説、77年に新潮文庫から刊行された当時は、その出来栄えのよさに加えて、そのころには珍しかった文庫オリジナルという出版形態も手伝って、そうとう話題になったらしい。けれど作者のルシアン・ネイハムという人はこれ一冊しか著作がない、音楽でいえばワンヒット・ワンダー(一発屋)な作家で、本国アメリカのアマゾンを検索してみても、すでにこの本は絶版になってひさしい。
 そんな本が今回、ハヤカワ文庫から新装版として刊行された。母国ではすでに誰も読まなくなっているような小説が、極東の日本において三十年以上もたってなお読み継がれていて、なおかつその小説を四半世紀も読んでみたいと思っていた僕のようなのんきな読者がいるというのは、なんとなく不思議な感じがする。
 でまあ、いざ読んでみると、物語はベトナム戦争のさなかに、最新鋭の戦闘機パイロットが、墜落をよそおって搭乗機を盗み出し、それを利用してハイジャックをもくろむという非常に映画的な内容。主人公を固定せずに群像劇として仕上げてあるため、管制塔と旅客機内での出来事を同時進行で描いていたりしている点などは、『ユナイテッド93』 や 『アポロ13』 あたりを思い出させた。
 なんにせよ、いまならば絶対に映画化されること間違いなしという作品で、そんな作風だけに最近のハリウッド映画やサスペンス・スリラーには、もっとすごいのがたくさんある気がしてしまうのが難点。やはりこういう本は十代のころにちゃんと読んでおけばよかったなあと思うような、ノスタルジックで良質なエンターテイメントだった。
(Dec 30, 2008)

ヒストリー・オブ・ラヴ

ニコール・クラウス/村松潔・訳/新潮社

ヒストリー・オブ・ラヴ

 べつに意識してそうしているわけではないけれど、僕には特別に入れ込んでいる女性作家がいない。
 過去に愛読した女性作家がいたかと考えてみても、ぱっと思い浮かぶのはアガサ・クリスティ、栗本薫、トニ・モリソンの三人くらいだ。
 それにしたって、クリスティを集中的に読んでいたのは中学高校のころだし、栗本薫にしてもそうで、いまとなるとグイン・サーガがいつまでたっても終わらないから、惰性でつきあっているみたいなところがある。トニ・モリソンに関しては、女性であるという以前に、黒人作家であることが大きな位置を占めている気がする。
 そのほかでいえば、最近になっていまさらながら 『ジェーン・エア』 に感動したけれど、あれは十九世紀の小説だし、村上春樹が翻訳しているグレイス・ペイリーはいいと思ったものの、あの人は寡作な短編作家だ。そのほかに誰かいたっけと思って考えてみても、これといった人が思い浮かばない。
 ということで、僕にはお気に入りの女性作家がいない。
 ただし、これはなにも僕個人に限った問題でもないんじゃないかと思ったりもする。世の中の風潮を考えてみたところで、ノーベル文学賞を受賞しているのはおそらく大半が男性でしょう? 文学の世界において男性上位の傾向があることは現実問題として否めないと思う。
 そんなわけで僕はニコール・クラウスという若手の女性作家の書いたこの 『ヒストリー・オブ・ラヴ』 という小説がネットのあちらこちらで絶賛されているのをみても、失礼ながらその出来栄えには半信半疑だった。女性作家というだけで、ある程度疑ってかかってしまうところにきて、そのタイトルが 『愛の歴史』 とくる。そんないかにも題名の小説が本当におもしろいんだろうかと。正直なところ、あまり期待してはいなかった。
 しかしながら。
 いやー、これが素晴らしかった。 『愛の歴史』 というタイトルの一冊の本をめぐり、大西洋を超え、半世紀にわたって繰りひろげられる数奇な人間模様に、ひとりの少女のユーモラスな探求譚を絡めてみせたその構成が見事のひとこと。筆圧の高い文章に軽やかなユーモア。これはもうケチのつけようのない傑作でしょう。まちがいなく08年に僕が読んだ本のベスト3に入る。
 この小説で僕がもっとも感心したのは、その内容が女性性をほとんど感じさせないこと。おそらく初めからそうと知らないでいたら、僕は作者が女性だとは気がつかなかったんじゃないかと思う。
 この小説は男女の垣根なんてものを軽々と超えて、万人に訴えかける力を普遍性を持っている。こういう小説が書ける人の作品ならば、これに限らずもっと読みたいと思った。
(Dec 30, 2008)