また会う日まで
ジョン・アーヴィング/小川高義・訳/新潮社(全2巻)
第十一作目にして、過去最長のボリュームを誇るという(!)、ジョン・アーヴィングの最新小説。
この作品の帯には「自伝的長篇」とある。なので、おー、そうなんだと思いながら読み始めてみてすぐに、僕はそのひとことに首をかしげることになった。
だって、この小説の主人公ジャック・バーンズは、刺青師の母親に連れられて、ヨーロッパ各地を転々としながら幼少期を過ごした美少年という設定だ。
妊娠した母親を捨てて逃げだした父親は、全身に楽譜の刺青をほどこした教会のオルガン奏者で、ジャックはその人に似て、女の子と見まごう美貌の持ち主。それゆえ学芸会などの舞台で主演の女性を演じることが多く、そうした経験が高じて、成人後は女装で有名なハリウッド俳優として大成功を収めることになる。学生時代にレスリングをするという部分以外は、とても自伝的な話とは思えない。
実際にどの辺が自伝的なのかは訳者あとがきで簡単に紹介されているけれど、なんでも実の父親を知らずに育った点や、ジャックの人格に大いに影響をあたえる幼少期のある体験などが、アーヴィング自身の実体験に基づいているとのこと。またアカデミー賞にまつわるエピソードは、 『サイダーハウス・ルール』 で自ら脚本賞を受賞した作者自身の体験を下敷きにしているそうで、ジャックが同賞にノミネートされるのは、アーヴィングが受賞したその年だとのことだ。なるほど。
これらの詳細についてはネタばれになりそうなので――というか、すでになっている――、訳者あとがきを読んでもらったほうがいい。
いずれにせよ、自伝的なのは断片的なエピソードや設定においてであって、ストーリーの大きな流れ自体はまったくの創作だと思われる。だからこの小説を読んでも、アーヴィングがどういう人生を歩んできたかはわからない。でも、それはそれでまったく問題ないというか、自伝的といいながら、あまりに自伝的らしからぬ大河ドラマになってしまうあたりが、じつにアーヴィングらしくていいと思う。
らしいといえば、アーヴィングの作品ではいつでもセックスが重要なキーワードだけれど、この作品では特にそれが顕著で、本編の三分の二を過ぎるくらいまでは、ほんとセックス絡みのエピソードのオンパレードといった感がある。
ジャック自身はセックスに対して淡白で、いつでも受け身な印象だし、露骨な性描写はそれほどないけれど(ただしペニスを握られるシーンはやたらと多い)、それでもほとんどすべてのエピソードに、なんらかの形で性的な要素が含まれている感がある。でもってそういう傾向が、主人公が小学校に入る以前から始まって中年期まで延々とつづくのだから、その点については批判があるもの致し方ないかなという気がする。
それでも終盤になるとそうした性的過剰さも収まって、家族の絆を描いたクライマックスはなかなか感動的だ。コミカルな要素が勝っていて、大泣きできるような展開ではないけれど、十分に心温まるものがある。でもって、そのくらいのさじ加減こそが僕の好み。やっぱりジョン・アーヴィングはいい。僕はこの小説も、これまでの作品と同様、とても気に入っている。
(Feb 08, 2009)