2009年4月の本

Index

  1. 『ダロウェイ夫人』 ヴァージニア・ウルフ
  2. 『猿はマンキ お金はマニ ~日本人のための英語発音ルール』 ピーター・バラカン
  3. 『大聖堂』 レイモンド・カーヴァー

ダロウェイ夫人

ヴァージニア・ウルフ/富田彬・訳/角川文庫

ダロウェイ夫人 (角川文庫)

 映画 『めぐりあう時間たち』 を近いうちに観ようと思っているので、やはりその前に元ネタとなっているこれくらいは読んでおくべきだろうという、きわめて非文学的な理由で手にとった作品。恥ずかしながら、文学部卒のくせして、ヴァージニア・ウルフを読むのはこれが初めてだった。
 なんたって不勉強な僕は、文学手法としての「意識の流れ」については、知識としては知っていても、これまでその実態について明確なイメージを持っていなかったのだけれど、これを読んで、ああ、なるほどと思った。
 この小説で作者のヴァージニア・ウルフは、主人公のダロウェイ夫人の行動を基点にしながら、自在に場面を切り替えつつ、彼女と彼女になんらかの形でかかわるさまざまな人々の内なる声を代わる代わる拾いあげてゆく。その様子はまるで、人の心を読む超能力を持った宇宙人が、巡りあうあらゆる人の頭の中を、尽きぬ好奇心をもって覗きまくっているみたいだ。まさかヴァージニア・ウルフを読んで、そんなSFチックなイメージを抱くなんて思ってもみなかった。なんだか少なからず間違っている気もする。
 なにはともあれ、物語としては地味きわまりないのだけれど、そんな風にさまざまな人の心の内側をめまぐるしく行きかってみせるその筆の奔放さには、そこはかとないスリリングさと情緒的な豊かさがあると思った。エンターテイメント好きで文学的な素養の足りない僕の趣味からはほど遠いので、好きかと問われると困るけれど、それでもこの作品に文学的な価値があるというのはよくわかった。
(Apr 19, 2009)

猿はマンキ お金はマニ ~日本人のための英語発音ルール

ピーター・バラカン/NHK出版

猿はマンキお金はマニ―日本人のための英語発音ルール

 日本在住30年以上のイギリス人音楽評論家、ピーター・バラカンによる英語の発音に関するガイド本。
 以前どこかでニルヴァーナのカート・コバーンについて、ピーター・バラカンが「英語ではコベインと発音するのに、日本ではなぜコバーンなんだ」と意義を唱えていたのがすごく印象に残っていたので、その手の話を徹底的に語っているんだったらおもしろそうだなと思って読んでみた。新書サイズでわずか120ページちょっとという薄い本だけれど、それでもこれがけっこうためになる。
 強調されない母音はいい加減な発音になりやすいとか、yやerで終わる単語のほとんどは語尾を長く伸ばさないんだとか――だからこの本の表題にもなっているように、Monkey は「モンキー」ではなく「マンキ」になる――、同じ子音を2度つづけて書くのはその前の母音が短く発音されることを表わすんだとか、その他もろもろ。
 それらの例として紹介されているカタカナ表記を実際に口にしてみると、ああ、なるほどと思う。たとえば「ヒーロー」じゃなくて「ヘアロウ」だったり、「ゼネラル」ではなくて「ジェヌルウ」だったり。確かにカタカナのまま読んでも、その方がだんぜん英語っぽい。
 要するに英単語のローマ字読みに惑わされることなく、本来の「音」をきちんと意識しさえすれば、無理に英語らいしい発音に神経質にならずとも、カタカナ英語のままでも十分に通用するということだろう。これは目からウロコだった。
 あと、へえっと思ったのが、日本語における「らりるれろ」の発音。バラカン氏に言わせると日本語のら行の発音は、RでもLでもなく、RとLとD、この三つの音を頂点とした三角形のなかのどこかにあるんだそうだ。日本人としての僕の感覚では、どうしてそこにDが混ざってくるんだか、さっぱりわからないけれど。
 まあ、なんにしろ、薄いわりにはいろいろとためになる本だった。ただ、いまさら「ポール・マッカートニー」じゃなくて「ポール・ムカートニ」が正しいと言われも、そう簡単には改められませんけどね。
(Apr 25, 2009)

大聖堂

レイモンド・カーヴァー/村上春樹・訳/村上春樹翻訳ライブラリー

大聖堂 (村上春樹翻訳ライブラリー)

 訳者の村上春樹がレイモンド・カーヴァーの最高傑作だと評する第三オリジナル短編集。
 収録されているのは、同僚の家へお呼ばれして行ったら、臭い孔雀とすごく醜い赤ん坊がいたという話とか、事故で息子を失って悲嘆にくれる夫婦がパン屋とトラブルを起こす話とか、耳が聞こえなくなるくらい耳垢が詰まった失業者が、別居中の奥さんに耳垢をとってもらう話とか、なりゆきで目の不自由な人とテレビを見ていた男が大聖堂の絵を描くことになる話とか。要するに、平凡だけれど、なんとなく変な話ばかりが並んでいる。
 でもって、春樹氏が絶賛するくらいなので、これがどれもけっこういい。あいかわらず僕にはカーヴァーのどこがどうすごいんだかはわからないままだけれど、それでも以前のように「これのどこがおもしろいんだ?」という状態から、「どこがどういいか説明できないけれど、これはこれでおもしろいかもしれない」と思うくらいになった。
 まさに継続は力なり。つづけて何冊か読んでいるうちに、すっかりその世界観に慣れてしまった僕がいる。翻訳ライブラリーに収録されているカーヴァーの作品をすべて読み終わるころには、もしかしてこの人のことをすごく好きになっていたりするかもしれない。──って、われながら、いい加減な。
 それはそうと、この本の解説で村上春樹が使っている一人称が「僕」ではなく、「私」なのには驚いた。そーかー、いまや春樹氏も場合によっては「私」を使うんすね。しみじみ。
(Apr 30, 2009)