2009年8月の本

Index

  1. 『対談集 妖怪大談義』 京極夏彦
  2. 『フェルマーの最終定理』 サイモン・シン
  3. 『蟹工船・党生活者』 小林多喜二
  4. 『沈黙』 遠藤周作

対談集 妖怪大談義

京極夏彦/角川書店

京極夏彦対談集 妖怪大談義 対談集  妖怪大談義 (角川文庫)

 気がつけば、京極関連の積読が、再読用の文庫版・京極堂シリーズを含めて、十冊以上なんて状況になってしまっていた。こりゃいかんと思って、とりあえず単行本だけでも年内ですべて読み終えようと決心した。
 手はじめは四年前に刊行されて、すでに文庫にもなっているこの対談集。文庫版には対談がひとつ追加されているそうで、いまさら単行本で読んでいると、少なからず損をしている気分に……。まあ、それはともかく。
 僕は京極夏彦の小説が大好きだけれど、妖怪にはさほど関心がないので、妖怪にまつわる対談集なんて読んで楽しめるのか疑問だったのだけれど、これが読んでみたらば、思いのほかおもしろい。京極堂シリーズが妖怪をキーワードにしながら、さまざまな話題を内包しているのと同じように、この対談集も妖怪のうんちくに終わらず、そこから現代社会の問題点を考察したり、学術的な話題をわかり易く説明してくれたりしている。唐沢なをきを相手に児童向け妖怪図鑑にまつわるバカ話でさんざん盛りあがったあと、今度は一転して民俗学の第一人者らと学術的なトークをしてみせる。この辺の硬軟とりまぜた多様性がすごい。陸軍中野学校など、京極堂シリーズにまつわるキーワードを読み解くような部分も多々あるし、門外漢の僕にも十分に楽しめる内容だった。なにより知的好奇心をやたらと刺激される。
 それにしてもすごいなあと感心したのが、専門家とのあいだで交わされる会話の濃さ。対談だから実際の会話を文章に起こしたものなのだろうけれど、まるで京極堂シリーズでの中善寺の語りに負けないような会話が、あちらこちらで平然と交わされている。こういう会話が本当にできる人たちが実際に世の中に存在しているというだけでも、僕なんかには未知の世界だった。いやぁ、世界は広い。
(Aug 07, 2009)

フェルマーの最終定理

サイモン・シン/青木薫・訳/新潮文庫

フェルマーの最終定理 (新潮文庫) フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで

 パンダ・グッズのために読む新潮文庫の100冊、第二弾は二十世紀末の数学界を揺るがした一大証明にまつわるノンフィクション。
 RADWIMPS の 『アルトコロニーの定理』 というタイトルが頭のなかにあるせいか、なんとなく読んでみようって気になり、数学の話なんて俺にわかるのかなと思いながら手にとった本なのだけれど、いやあ、これがおもしろかった。数学の知識がなくても、まったく問題なし。難解な部分には踏み込んでいかないので、中学生くらいの思考能力さえあれば十分に理解できる内容になっている。
 知らない人のために書くと──って、僕もこれまでまったく知らなかったのだけれど──、フェルマーの最終定理というのは、ピタゴラスの定理──または三平方の定理=「直角三角形の斜辺の2乗は、あとの2辺を2乗した合計値と等しい」というやつ──をアレンジしたもの。ピタゴラスの定理を方程式で書くと、

x2 + y2 = z2

となる。この2乗の部分を3以上にすると、この方程式が成り立たなくなるんだそうだ。それはなぜか?──というのを証明するのが、信じられないくらい難しいのだという。
 この問題を最初に知らしめたのがフェルマーという17世紀の数学者で、この人が数学書の余白に「私はその証明を発見したが、余白が足りないのでここには書けない」とかなんとか書き残したのが、のちの世に広まり、あまたの数学者がそれを証明しようとしたにもかかわらず、何人{なんぴと}たりとも証明し得なかったという。それをついに20世紀末になって証明してみせたのが、アンドリュー・ワイルズというひとりのイギリス人。この本はその証明に到るまでの数学界の流れを、ピタゴラスの時代までさかのぼったところから、つまびらかにしてみせる。
 この物語でもっともおもしろいのは、その証明がワイルズというたったひとりの天才の力により成し遂げられたのではなく、多くの先人たちの業績の積み重ねの上に達成されているところ(そのなかには何人かの日本人も含まれる)。この本自体もそのことをあきらかにするために書かれているのだと思う。
 なので中心となるのは、難しい数学理論よりも、数学に魅せられた人たちが織りなす、幾世紀にわたる人間のドラマ。まあ、モジュラー形式とかゲーム理論とか、「それはなに?」って言葉が説明不足のまま出てくる部分もあるけれど、わからないままでも十分に楽しめる。そんじょそこらのフィクションより、よほどスリリングでおもしろいと思う。
 僕は学生時代にきちんと勉強してこなかったために数学には苦手意識があったけれど、そんな僕にとってもこの本は掛け値なしにおもしろかった。文庫本の表紙があまりぱっとしないので、いっそ単行本を買って読み返そうかって気になってしまうくらいに。
(Aug 17, 2009)

蟹工船・党生活者

小林多喜二/新潮文庫

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

 新潮文庫の100冊、その三は文庫の裏表紙いわく「日本プロレタリア文学を代表する名作2編」。おりからの不況のあおりを受けて、いまさら若者たちの共感を呼んでいるという噂なので、どんなもんなのか、読んでみようって気になった。
 でもこれはあきらかに僕の守備範囲外。『蟹工船』 で描かれる資本家に搾取されて悲惨な労働環境をしいられる労働者たちのあり方にしろ、『党生活者』 における共産主義のためにプライベートを犠牲にして生きる主人公像にしろ、わからなくはないものの、いまひとつ共感しきれない。
 そりゃ、蟹工船の監督の非道さには、僕だって読んでいて腹がたつ。でもそれらに対して抵抗のために立ち上がる側の個人像がまったく見えない点が小説としてはもの足りない。
 たとえば、不本意ながらその船に乗りわせることになってしまった主人公の立場がきちんと描かれていて、彼が劣悪な労働環境のなかで社会主義に目覚めてゆき、ついには仲間たちと団結して立ち上がるという展開がきっちりと描かれていれば、この物語はもっと強力でドラマチックなものになっただろう。でもこの物語は特定の主人公を持たず、まるである種のドキュメンタリーのように集団を描くばかりだ。
 この本の解説によると、プロレタリア文学には、それまで日本文学の主流だった私小説に対するアンチテーゼ的な意味合いがあったようだから、それゆえにあえて個人を排しているのかもしれない。それにしても、ここまで個人が目立たないってのも、どうなんだと僕は思ってしまう。そもそも、まずはキャラが第一という感のある今のご時世に、こういう没個性な小説が若者に受けたってのが、とても不思議だ。
 結局、小説としての出来に不満があるというよりも、この素材ならばもっといい小説が書けるんじゃないかと。そう思ってしまった分、もの足りなさが否めない作品だった。
(Aug 30, 2009)

沈黙

遠藤周作/新潮文庫

沈黙 (新潮文庫)

 新潮文庫の100冊、この夏、最後の一冊は、狐狸庵{こりあん}先生こと遠藤周作の代表作。
 この方の小説を読むのもこれが初めてだったけれど、これはよかった。少なくても今回つづけて読んだ日本の小説三作のなかでは、ダントツによかった。まあ、鎖国時代に日本に密入国してきたキリスト教の宣教師の話だから、これまた僕にとってはそれなりに距離感があるのだけれど、それでもここではきちんと個人の苦悩が描かれているので、時代や立場の違いを超えて共感できる。物語も起伏に富んでいておもしろいし、やはり文学はこうじゃないといけない。
 ひとつ前に読んだ小林多喜二もこの遠藤周作も、ともに自らの主義に生きた作家なんだろうけれど――前者は共産主義者として、後者はキリスト教徒として――、両者の小説における立ち位置はかなり異なる。少なくても 『蟹工船・党生活者』 における小林多喜二は共産主義(社会主義?)を微塵も疑っていないように見える。反体制的立場にあった人にとっては当然のことなのかもしれないけれど、そこが僕にはどうにも馴染めない。
 それに対して狐狸庵先生は、この作品のなかで、信者の苦悩に対して「沈黙」を決め込む神の存在を疑ってみせる。キリスト教徒としての厚い信仰を持ちながら、その拠りどころである神への不信の念を抱くことの罪深さに悩む主人公の姿には、信仰の壁を超えて十分に語りかけてくるものがあった。僕には 『蟹工船』 よりもこちらのほうがよほど切実に感じられた。
(Aug 30, 2009)