数えずの井戸
京極夏彦/中央公論新社
京極夏彦が有名な怪談を独自の視点から語り直してみせる『嗤う伊右衛門』、『覘き小平次』 につづくシリーズ第三弾。今回の題材は、かの有名な番町皿屋敷。
まあ、有名だとは言っても、夜ごと井戸から出てきたお菊さんの幽霊が「いちま~い、にま~い」と皿を数えるという部分以外、この怪談を詳しく知っている人なんて、僕のまわりにはひとりもいないと思うし(もちろん僕自身も知らない)、だからこの話のどこからどこまでが京極夏彦によるオリジナルなのかは、てんでわからない。ウィキペディアで「皿屋敷」の解説を読んでみた限りだと、人物設定などはかなりいじってある感じがする。
いずれにせよ、このシリーズの特徴である、怪談を超常現象はいっさい抜きで、さまざまな人々の織りなす愛憎劇として語り直すというスタイルはいままで通り。
ただし、今作は 『数えずの井戸』 というタイトルをつけたことにより、いくぶん方向性が変わった気がする。「井戸」が象徴する穴があいた状態と、「数える」という行為が生み出すところの欠落感──数えるからこそ足りなくなるというパラドックス──、タイトルに掲げたこれらのキーワードにとことんこだわった心理描写のくどさは、どちらかというと京極堂シリーズでおなじみのものという気がする。
とはいえ、この作品には京極堂シリーズにおける憑き物落としのようなカタルシスはない(かなり血なまぐさいカタストロフはあるけれど)。その点は正直、もの足りない。もともとが新聞の連載小説だった弊害だろうか、クライマックスで菊の母親らが惨劇の場に駆けつけるところなど、まったくつじつまがあっていないし(菊は身分を偽って奉公しているのだから、その死の直後に親元に知らせが届くという展開は不自然すぎる)、残念なことに終盤のまとめがいまいちな気がした。
このシリーズは着想の素晴らしさで半分がところ読めてしまうけれど、この作品に関しては、願わくば、あと少し推敲を重ねて欲しかったかなと思う。
(Mar 01, 2010)