2011年2月の本

Index

  1. 『メイスン&ディクスン』 トマス・ピンチョン
  2. 『若かったころ』 レベッカ・ブラウン

メイスン&ディクスン

トマス・ピンチョン/柴田元幸・訳/新潮社(全2巻)

トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン(上) (Thomas Pynchon Complete Collection) トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン(下) (Thomas Pynchon Complete Collection)

 新潮社が(英米文学好きにとっては大事件である)トマス・ピンチョン全小説の刊行を始めてから、かれこれ半年強。ようやく今年になって第一弾の 『メイスン&ディクスン』 を読んだ。
 いやしかし、やはりピンチョンは手ごわい。
 この本、正月休みに熱を出して寝込んでいるときに読みはじめ、そのときは寝ているだけでほかにやることもなかったので、上巻は三日で読み終えた(それでも三日かかった)。なもんで、「おぉ~、これはもしや俺のピンチョン史上最短読了記録更新?」と思ったものだったけれど、下巻に入ってすぐにつまづく。熱がひいてベッドを抜け出し、仕事に出るようになってからは遅々として進まなくなり、結局下巻だけで一ヶ月以上かかってしまった。
 だいたいにして、僕はハードカバーは持ち歩かず、ベッドで読むのが習慣なのだけれど、最近は午前一時をすぎると眠くなってしまって、読書どころじゃない。それがピンチョンともなればなおさらで、一ページでうつらうつら、それどころか、本を開かずに寝てしまう夜も少なくなかった。なんか、そろそろ夜更かしができない年齢になってしまったみたいだ。だからこそ、このごろは酒も控えているのになぁ。その甲斐なくてやんなってしまう。……って、やや脱線。
 さて、そんなわけで翻訳としては十二年ぶりの新作となったトマス・ピンチョンの大長編。
 今回ひさしぶりにピンチョンの小説を読んでみて強烈に感じたのは(調べてみたところ、僕がこの人の小説を読むのはこれが八年ぶり)、その文体における情報量の多さだった。マクロで見た場合のボリューム(上下巻で千百ページ!)もさることながら、センテンス単位にまで落としてみても、そこに詰め込まれている情報量の密度の濃さがハンパじゃない。
 たとえば冒頭の部分。僕は1ページ目を読んだ時点ですでにもう、「うわ~、濃いなあぁ」とか思っていた。
 この小説はタイトルになっているメイスンとディクスンという、十八世紀に実在したイギリス人ふたり(天文学者と測量技師)によるアメリカ測量旅行の模様を描いてゆくのだけれど、物語は彼らの旅に同行した牧師が、子供や孫たちに当時の思い出を語り聞かせているという体裁をとっている。要するに本編の登場人物に加えて、その語り手と聞き手がいるわけだ(しかもそれが昔の話だから、けっこうな大家族だったりする)。
 まあ、それ自体はべつに珍しい趣向ではないのだけれど、ここでピンチョンはその端役たちにもきちんと性格づけをして、ドラマを演じさせる。メイン・ストーリーだけでも大層なボリュームがあるところへきて、枝葉末節なサブエピソードがこれでもかと盛り込まれたこの小説に──実話を下敷きにしているわりには、しゃべる犬とか狼男とかビーバー男とか、なんじゃそりゃな異形のキャラクターも多数出てくる──、さらにはその物語を聞いている子供たちの人間模様も描かれるという。しかも段落の切れ目もあいまいに、過去と現在を行き来するから、さあ大変。
 この小説を隅から隅まできちんと理解しようと思ったら、並大抵じゃない集中力が必要だと思う。そんなもの、いまの僕にはとうてい発揮できない。
 ということで、僕にはこの小説を十分に理解しきれたとはいえない。それでも、そのあまりのボリュームゆえに、自分があたかもメイスン&ディクスンのふたりとともにアメリカ横断の旅に出て、艱難辛苦をともにしているいるような気分が味わえるという。これはそういう小説。なかなか得がたい経験ではありました。
 それにしても次の 『逆光』 はこれよりさらに六百ページも多いってんだからまいる。読みきるには三ヶ月くらいかかりそうだ。
(Feb 25, 2011)

【追記】実際に三ヶ月かかってしまった……。

若かったころ

レベッカ・ブラウン/柴田元幸・訳/新潮文庫

若かった日々 (新潮文庫)

 家族との思い出や少女時代の記憶をもとにしたレベッカ・ブラウンの短編集。これまでに読んだこの人の本のなかでは、これがいちばんよかった気がする。
 この本のなかには彼女がレズビアンであるというのがはっきりとわかる短編がいくつかある。それも自分のそういう性癖に目覚めた少女時代を扱ったもの。これがどれもヴィヴィッドで素晴らしい。人とは違う自分に悩みながら、同じ境遇にある年上の女性とのふれあいにより、そんな自分を受け入れてゆく少女の姿には、ストレートな男性の僕にでも共感できるものがあった。
 この本に含まれている作品のうち、どこからどこまでがフィクションなのかわからないけれど──冒頭の斜視の女の子の話とかもいい──、どの作品もかなり自伝的要素が濃そうな感じがする。これでもしもその大半がフィクションだとしたらそれはそれですごいことだし、自伝的だったとしても、だからといってその価値が減るわけでもないしで。とにかく鮮やかな印象を残す、なかなかいい短編集だった。
(Feb 25, 2011)