宮本武蔵
吉川英治/吉川英治時代歴史文庫(講談社・全八巻)
井上雄彦の『バガボンド』の原作だというので、ずっと読みたいと思っていた吉川英治の『宮本武蔵』をようやく読んだ。
マンガ版と読み比べて意外だったのは、侍ではない脇役の登場人物に、思いのほか存在感があること。お通や又八、お杉おばばのような重要キャラはともかくとして、城太郎や朱美のような、マンガではちょい役の感のあるキャラクターたちが、小説では思いきりフィーチャーされている。
ほんと、城太郎にしろ、朱美にしろ、マンガからは想像できないほど、数奇な運命を歩んでいるのだった(とくに朱美の存在感の大きさは意外)。極端な話、最後まで読み終えてみると、武蔵よりも彼らのほうが印象に残ってしまうくらいだ。
逆に、武蔵の剣術家としての見せ場は意外と少ない。とくに吉岡一門との一乗寺下り松での死闘を過ぎたあと、中盤から先は、ほとんどチャンバラ・シーンがない。それどころか、最後のほうになると、武蔵が出てこない章もやたらと多い。主人公・武蔵を描く作者の筆は、僕にはとても淡々としているように思えた。そういう意味では、この小説は個人名をタイトルにしているくせして、じつは群像劇なのではないかとさえ思う。
なので、剣とはなんぞやと悩む武蔵の葛藤や、剣の道の非情さは、『バガボンド』のほうがよほど痛切に伝わってくる。個人の苦悩を徹底して描くという意味では、あちらのほうが文学的なのではないかとさえ思う。物語としての広がりという点では小説のほうが上だけれど、マンガではその枝葉の広がりをばっさりと切り捨てて、武蔵個人とその戦いに焦点を絞ってみせた分、彼やライバルたちの姿がよりいきいきと浮かび上がっている。
ほんと、武蔵をはじめとして、小次郎、吉岡兄弟、胤舜、梅軒ら、剣の道に生きる人たちに関しては、圧倒的にマンガ版のほうが魅力的だと僕は思う。逆に小説では、お通、お杉、城太郎に伊織(そういや、この少年の存在も意外だった)、朱美らがいい味を出している。
要するに、吉川英治が武蔵という人物にかかわって人生を左右された侍以外の人たちに共感をよせて、そうした人たちを描くことに力を注いているのに対して、井上雄彦はそうした脇役にはほとんど目もくれず、ただひたすら主人公・武蔵とそのライバルたちを描くことに徹底している、ってことなのだと思う。
結果、この小説とマンガとは、基本はおなじ物語のはずなのに、まったく異なる魅力を持つに至っている。それこそ正反対といえるくらいに。そこがとてもおもしろかった。
(Dec 30, 2011)