2012年1月の本

Index

  1. 『V.』 トマス・ピンチョン
  2. 『オジいサン』 京極夏彦
  3. 『ノーサンガー・アビー』 ジェイン・オースティン
  4. 『冬の夢』 スコット・フィッツジェラルド
  5. 『長く孤独な狙撃』 パトリック・ルエル

V.

トマス・ピンチョン/小川太一+佐藤良明・訳/新潮社(全二巻)

V.〈上〉 (Thomas Pynchon Complete Collection) V.〈下〉 (Thomas Pynchon Complete Collection)

 新訳版で読むトマス・ピンチョン再読シリーズ第二弾は、尋常ならざるデビュー長編『V.』。
 『メイスン&ディクスン』、『逆光』を読むのにさんざん苦労をしたことで、ピンチョンの作風にそれなりに慣れた気がしていたので、このデビュー作については再読でもあるし、もっと楽に読めるかと思ったら、やはりそうはいかなかった。再読にしてなお、よくわからない。
 まぁ、章ごとの話はそれなりにわかるんだけれど、それが全体としてどういう物語になっているのか、この物語がなにをいわんとしているのか、読みこぼしまくりの感あり。やはり僕にはピンチョンは手ごわすぎる。
 でも、それでいて、じゃあピンチョンなんか読まなくてもいいや、とはならないのは、この作家があまりに個性的であるがゆえ。やはりこの小説の文学なんだか、SFなんだか、スパイ小説なんだか、はたまた単なるホラ話なんだかわからない世界観は唯一無比だ。
 今回再読してみて特に印象的だったのは、あちらこちらに見られる思いがけない残酷さ。それも謎のヒロインVの末期におけるグロテスクさとか、彼女(両刀使いらしいです)の恋人のバレリーナの悲惨きわまりない死に方とか、こと女性ばかりを対象にして、思わず目をそむけたくなるような残酷な運命が待ちかまえている。
 これといった目的もなくただ世界をさまよっているだけのダメ男、プロフェインをはじめてとして、主要人物の男たちについてはこれといった悲劇が降りかからないのに対して、女性たちの大半がなんらかの悲惨な運命を背負わされている。この小説、読み方によっては、ダメな男たちが作り上げた無責任な世界に生きる女性たちの受難の物語として読めそうな気もする。
 ……ってそんな風に書くと殺伐とした物語みたいだけれど、決してそんなことはない。基本的にはユーモラスだし、ときにはぐっとくるような叙情性もある。この笑いも悲しみも残酷さもたっぷりと合わせ持った百科全書的な小説世界の濃さは、なかなかほかでは味わえない。
 いずれは再挑戦して、次こそ隅々まで味わい尽くしたい。
(Jan 22, 2012)

オジいサン

京極夏彦/中央公論新社

オジいサン

 これはタイトルのとおりの、純然たる老人小説。ひとり暮らしの独居老人の心のうちを、一日一話ずつ、計七話、一週間にわたって描いてゆく。
 ほんと、これといった事件はなにひとつ起こらない。主人公の益子徳一氏(七十二歳)は少女の媚態に溺れて身を滅ぼしたりしないし、犬猿の仲の老人とすったもんだのあげくに和解して親友になったりもしない。退職後の孤独で平凡な毎日を、自分なりの善良さをモットーに過ごしているだけだ。
 たとえば一話目は、徳一氏が「最近誰かに『オジいサン』という耳慣れないイントネーションで呼ばれたおぼえがあるけれど、はてどこで誰から呼ばれたのだったっけ?」と不思議に思い、この二、三日の記憶をあれこれたどったあげく、ようやくその答えにたどり着くというだけの話。徳一氏が記憶をたどっているだけで、ほかには誰ひとり出てこない。
 その後も、地デジってなんなんだとか、携帯電話をケータイと略して呼ぶのは間違っていやしないかとか(そもそも携帯電話ってなんなんだとか)。カセットテープはどう分別して捨てたらいいんだとか。
 徳一氏は終始そういう些細な疑問を抱くものの、生涯独身で家族も友達もいない孤独な老人なので、答えてくれる人がいない。ひとり疑問をいろんな角度から検討して、自分なりの答えを導き出すしかない。もしくは、ときたま触れあう近隣の住民から教えをあおぐか(基本的に動きのない物語のなかで、そうした人々とのつかの間のふれあいの余韻が、さざなみのように広がってゆく)。この小説はそんな孤独な老人の胸のうちを、ささやかな笑いとペーソスを持って描き出してゆく。
 これが純文学や私小説だったりすると、独居老人の胸の悲哀を前面に打ち出して胸を打ったりもするのだろうけれど、生粋のエンターテイナー京極夏彦はそっちのほうへは向かわない。時代に取り残されつつある老人の内面を、適度なユーモアとやさしいまなざしを持って描き出して見せるだけだ。いずれそこに至るだろう、僕ら市井の民すべての姿を重ねあわすようにして。
 この小説はそんなふうに平凡な老人の平凡な日常を描くだけだけれど、その平凡さゆえに、そこはかとなく心に響くものがあるのだった。
(Jan 23, 2012)

ノーサンガー・アビー

ジェイン・オースティン/中野康司・訳/ちくま文庫

ノーサンガー・アビー (ちくま文庫)

 ひとりジェイン・オースティンの読書会その五、『ノーサンガー・アビー』。ジェイン・オースティンの作品も、残すはこれを含めてあと二作だ。
 僕は最初に読んだ『高慢と偏見』は例外として、それ以降の作品を原作の刊行順に読んできたのだけれど、じつはこの『ノーサンガー・アビー』こそがオースティンの処女作なのだそうだ。当時、出版社には売れたものの、なんらかの理由で出版されずに終わり、オースティンの死後に遺族が買い戻して出版したのだとか。
 そう思って読むと、なるほど。処女作というだけあって、新人作家としての気負いが感じられる気がする。作者自身の語り手としてのボイスが少しばかり前に出すぎている感があるし、物語も序盤はゆっくりとしたペースで盛りあがりに欠ける。
 それでもいったん{はず}みがつけば、そこから先はいつも通りのオースティン・ワールド。とくに主人公キャサリンをトラブルに巻き込むソープ兄妹の徹底した厚顔無恥さには苦笑を誘われずにいられない。こういう嫌な人たちを描かせると、ほんとオースティンは天下一品だ。
 もうひとつ、この小説でさかんに笑いを誘うのが、小説の大好きな主人公(十七歳)がことあるごとに自らの境遇を小説になぞらえて、不用意な妄想をふくらませ、ひとりではらはらドキドキしてしまうという設定。そこんところがこの小説の肝。
 当時は「小説なんてものは女こどもが読む程度の低いもの」という風潮だったそうで、新人作家としての矜持にあふれる作者は、この作品でさかんにそのことに反発して、小説の価値を弁護している。でもその一方で、主人公のキャサリンには小説と現実とを混同して、何度も馬鹿をやるという役どころを与えている。
 あくまで軽妙なコメディに仕立てつつも、そうした客観的な批評性を盛り込んでみせるところが素晴らしい。
 ほかの作品に比べてボリュームも少なく、物語も直線的で、読みごたえという点では、ややもの足りない気もするけれど、短いなかにもオースティンらしさはたっぷりと出ているし、処女作であることを考えれば、十分な出来映えだと思う。
(Jan 26, 2012)

冬の夢

スコット・フィッツジェラルド/村上春樹・訳/中央公論新社

冬の夢

 村上春樹氏の選・訳によるフィッツジェラルドの作品を集めた最新短編集。これはキャリア前半の分ということで、後期の分もいずれ出るらしい。
 この本のまえがきで春樹氏が語っているように、表題作『冬の夢』に加えて、『リッチ・ボーイ』、『バビロン再訪』の三作品がフィッツジェラルドの短編の最高傑作であるというのは、誰もがうなずくところだと思う。僕も異議なし。
 で、春樹氏の場合、あとの二作品については『フィッツジェラルド・ブック』の二冊で翻訳済みなので、残った『冬の夢』についても自らの手で訳出しておきたい……ってことで、この本が出ることになったんだろうと思う(まぁ、いまだにこの作品を春樹氏が訳していなかったということの方が意外だったけれど)。フィッツジェラルド&村上春樹ファンとしては、願ったり叶ったりの一冊。
 ……のはずなのだけれど。
 フィッツジェラルドもいまとなると、マイ・フェイバリット・ライターとは言いにくいものがあるなぁと、この本を読んで思ってしまった。
 僕は大学の卒論のテーマにフィッツジェラルドを選んで以来、この人のことを特別視してきたのだけれど、それももう二十年以上昔の話だ。さすがにその後の読書体験によって趣味が変わってきているので、いまとなるとフィッツジェラルドの作風には、完全にしっくりくると言えないものを感じてしまう。
 いまの僕にはフィッツジェラルドの作風は、やや生真面目すぎる嫌いが否めない。ユーモアのセンスがまったくないとは思わないけれど(『リッツ』とか、設定がかなりぶっ飛んでいて、江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』を思い出した)、たっぷりと笑いを含んだアーヴィングやピンチョンらの現代作家と比べれば、当然ながら、その比重はほんのわずかだ。そこが──少なくても現時点の僕にとっては──いまいちしっくりとこない。
 考えてみれば、僕の場合、音楽でも、かつてはナンバーワンだったローリング・ストーンズやブルース・スプリングスティーンがほかのオルタナティヴなアーティストにその地位を譲ってひさしいわけで。そんなやつが、文学に関しては、いつまでもフィッツジェラルドが一番だって思っているほうが不自然だよなぁと。
 そこはかとないさびしさとともに、そんなことを思わされた一冊だった。
(Jan 30, 2012)

長く孤独な狙撃

パトリック・ルエル/羽田詩津子・訳/ハヤカワ・ミステリ

長く孤独な狙撃 (ハヤカワ ポケット ミステリ)

 レジナルド・ヒルがパトリック・ルエル名義で発表したサスペンス・スリラー。長いこと放置してあったのを、ようやく読んだ。
 この小説の主人公は四十三歳の天才スナイパー、ジェイスミス(偽名)。彼はジェイコブと名乗る謎の人物から依頼を受けて、世界中で見ず知らずの悪人(だと本人は思っている)を暗殺してきた。
 そんな彼が初めて仕事に失敗する、というところからこの物語は幕を開ける。
 ミスを犯したのは視力の衰えゆえ。この仕事もそろそろ潮時だと、彼はこれを機に殺し屋家業からの引退を決心する。で、これまでの稼ぎで悠々自適の第二の人生を送れるはず……と思ったのが大間違い。うしろろ暗い身の彼に、そんなのが許されるはずがない。とある女性と恋に落ちた彼には、思わぬ障害が待ちかまえていた。
 いやぁ、やっぱ上手いやレジナルド・ヒル。序盤からつかみはばっちりで、おもしろいったらない。ひさしぶりにミステリのおもしろさを堪能させてもらった。
 この手の話は結末のつけ方が難しいと思う。主人公のジェイスミスはなかなか魅力的な人なので、読んでいると幸せになって欲しいなと思えてくる。でもしょせん彼は人殺しなわけだ。最終的にハッピーエンドで終わっていいはずがない。
 さて、この魅力的な人でなしの恋の行方やいかに──。
 レジナルド・ヒルが用意してみせた落としどころは、なるほどという感じ。殺伐とした中にも一抹の清涼感があって、とてもよかった。
(Jan 30, 2012)