2013年5月の本

Index

  1. 『時の娘』 ジョセフィン・テイ
  2. 『眩談』 京極夏彦
  3. 『スローターハウス5』 カート・ヴォネガット・ジュニア
  4. 『ロスト・シンボル』 ダン・ブラウン
  5. 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 村上春樹
  6. 『スタイルズ荘の怪事件』 アガサ・クリスティー
  7. 『秘密機関』 アガサ・クリスティー

時の娘

ジョセフィン・テイ/小泉喜美子・訳/早川書店/Kindle版

時の娘 (ハヤカワ・ミステリ文庫 51-1)

 かつて文庫版で読んで大いに感心した歴史ミステリの傑作をKindle版で再読。
 僕は世界史には疎いし、シェイクスピアもほとんど読んだことがないので、この本を読むまで、リチャード三世という人がどれだけ悪名高いのか、知らなかった。みずからが王様となるために、王位継承者である甥の幼い王子ふたりをロンドン塔に閉じ込めて、人知れず暗殺したと言われていると聞いて、そういやそんな話を耳にしたこともあるかなぁ……と思うくらい。そんな僕をして十分に楽しませてくれるのだから、この小説はやはり素晴らしい。
 物語は入院中のスコットランドヤードの警部が、ひょんなことからリチャード三世の肖像画を目にして、「本当にこの男がおさない子供たちを殺すような悪辣非道なことをしたんだろうか?」と疑問を持つというところから始まる。病院のベッドを離れられない彼が、ベッドに寝たきりのまま、知人のつてを頼って、歴史書を取り寄せ、当時の資料をかき集めて、何百年も昔の事件の真相にせまってゆく……というのが大まかな筋。
 話が進むにしたがって、初めのうちは漠然とした歴史上の人物であったリチャード三世の人物像が、徐々にはっきりとしてゆく。それとともに、史実の陰に隠ぺいされていた真実があきらかになる。まぁ、あくまで昔々の話だから、どこまでが本当かはいまさら確かめようがないけれど、少なくても登場人物と読者の胸のうちでは、はっきりとする。それが大事。それこそがミステリの醍醐味。
 まぁ、僕も年をとったせいか、今回は初めて読んだときと比べると、冒頭で開陳される歴史の教科書的な説明や、次々と出てくる人名──エドワードやリチャードがたくさんいる──がすっきりと頭に入ってこなくて、きちんとすべてを理解したといい切れないところが情けないのだけれど、それでもこれが素晴らしいミステリだという思いは変わらなかった。
 できればこういう本は文庫本や電子書籍などではなく、ハードカバーでゆっくりと読みたいと思う。そんな作品。
(May 03, 2013)

眩談

京極夏彦/メディアファクトリー

眩談 (幽BOOKS)

 『幽談』『冥談』につづく「」談シリーズ(と称すことになったらしい)の第三弾。
 『幽談』を読んだときには、京極夏彦がみずからのオリジナル作品として怪談を発表したことに感心したものだけれど、こうやってシリーズ化された作品をずっとフォローしつづけていたら、このシリーズを怪談と呼ぶのは間違っている気がしてきた。なぜって、どれも恐怖感よりは不安感や不快感をあおるような不条理小説ばかりだから。
 怪談を言葉どおりに「怪しい話」と取るならば、これだって怪談には違いないけれど、かといって、幽霊だとかおばけだとか呼べるたぐいのものはほとんど出てこないし──まぁ、便所の天井に貼りついているお爺さんとかは、その手のものかもしれないけれど──、どちらかというと、わけのわからない不条理な状況に陥った人々の感じる嫌悪感をテーマにした短編集だと思う。そういう意味では、『厭な小説』や『死ねばいいのに』と同じ方向性の作品。このころの京極夏彦の作品はこういうのばっかりだ。
 かつては百鬼夜行シリーズや巷説百物語シリーズの傍らで書いていたこういう作品群が、この頃はすっかりこの人の主流みたいになってしまっている状況は、やはり淋しい。決してこの手の小説が嫌いなわけではないけれど──本作収録の『シリミズさん』とかは、かなり好きだ──、それでも本命の百鬼夜行シリーズが長いこと途絶えたままの状況で、こういう短編集ばっかり次々と読んでいると、いささか食傷気味になってしまう。
 いったい『鵼の碑』はいつになったら読ませてもらえるんでしょうか。いい加減、今年あたりの刊行を願ってやみません。
(May 12, 2013)

スローターハウス5

カート・ヴォネガット・ジュニア/伊藤典夫・訳/早川書房/Kindle版

スローターハウス5

  自他共に認めるカート・ヴォネガットの最高傑作を、Kindle版で再読した。
 いやしかし。僕はこの作品を読むのは、少なくてもこれが三度目なのだけれども。なにゆえこの作品が、それほどまでの傑作と言われるのか、その理由がいまだによくわかっていない。ヴォネガットを最愛の作家のひとりと思いながらも、その最高傑作をきちんと評価できないという、とても情けない読者だったりするのだった。
 この本は第二次大戦の従軍中に、直接的な被害者の数では広島や長崎を上回るというドレスデン空襲を被害者の立場で経験したヴォネガットが、その悲劇的体験を下敷きにした自伝的小説。――というと、普通ならば、とてつもなくシリアスな話になりそうなものだけれど、才人ヴォネガットは自ら「言葉にできない」と語るその悲惨な体験を、そのまま描いたりはしない。──というか、言葉にならない以上、そのままでは描けないということなんだろう。徹底的にユーモアでつつんで、不謹慎なほどコミカルな物語に仕立てあげてみせる。
 なんたって主人公のビリー・ピルグリムは、現在・過去・未来を(意識の上でだけで、本人の自由意思に関係なく)ランダムに行き来する時間旅行者という設定だ。さらには彼は、四次元的視野を持った宇宙人、トラルファマドール星人――そういやこの名前もいまだに覚えられない――に誘拐され、その惑星の動物園で飼育されていたりもする。
 そんな突飛でふざけた話だ。どう考えたって、真面目な一般読者は総すかん――のはずなのだけれど。
 それがそうはならず、逆に二十世紀を代表する小説のひとつとまで見なされているところがおもしろい。やはりドレスデンの爆撃という、リアルな現実を下敷きにしているのも大きいんだろうけれど。悲劇と喜劇、現実とフィクションが両極端で入り混じっているところが、この小説のポイントだと思う。悲しくもおかしい。おかしくも悲しい。そのバランスの妙が独特の味わいをもたらしている。
 そして、この小説をなにより特別なものにしているのは、終始ユーモラスを絶やさぬヴォネガットの語り口、その素晴らしさだろうと、今回再読して思った。
 小説としての完成度についていえば、やはり決して高いとは思わないんだけれど、こと語りの見事さという点については、なるほど、という感じ。無駄な文章がひとつもない、芸術的な無駄話とでもいうか。そう考えれば、これは確かに傑作に違いないって気がしてきた。
(May 22, 2013)

ロスト・シンボル

ダン・ブラウン/越前敏弥・訳/角川書店/Kindle版(全三巻)

ロスト・シンボル(上) (角川文庫)

 『ダ・ヴィンチ・コード』のラングドン教授シリーズの第三弾。
 今作のテーマはフリーメイソン。つまり舞台はアメリカ。歴史上の裏側に隠された謎をテーマとする本シリーズが、歴史が浅く、歴史的建築物などもあまり多くなさそうなアメリカを舞台にしたところに、ちょっとした意外性があった。
 でも読んでみれば、印象は過去の二作とそう変わらない。へー、そうなんだと思うような歴史ネタのオンパレード。合衆国議会議事堂の天井には、ワシントンを神格化した天井画が描かれているとかいう話を知って、なんだそりゃと思う。アメリカ人、すげぇ。
 変わらないといえば、猟奇的な導入部や、ラングドン教授が無理やり事件に巻き込まれていく展開もこれまで通り。歴史は繰り返す、じゃないけれど、三作目にしてはや、物語がパターンにはまっている感がある。
 とくに今作は話の運びが不自然に大げさだ。合衆国の保安上の危機だとCIAが大騒ぎして、平気で人権蹂躙していたりするから、どんな大事件が起こっているのかと思えば、単なる政治上のゴシップ程度のことだったりするし。フリーメイソンの謎もきちんと究明された感じがしないしで、過去二作よりも物語としては無理が目立つ気がした。
 まぁ、悪役・刺青男のキャラ設定にもあまりに説得力がないよなぁと思って読んでいたら、クライマックスにどんでん返しがあって、きちんとフォローが入ったのには感心させられたけれど、全体的には過去二作と同じく、ハリウッドのために書かれた歴史パズル小説といった印象。適度に楽しく読めはしたけれど、それ以上でも以下でもなかった。
 少なくとも文庫三分冊にするほどの読みごたえはないし、電子版となれば、なおさらだから、無駄な分冊はやめてほしい。
(May 27, 2013)

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅

村上春樹/文藝春秋

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 ある日とつぜん、高校時代の親友たちから、一方的に絶交を言い渡される。それも自分にはまったく心あたりがないまま──。
 この小説の核となるそんなプロットは、僕にはとても切実なものだ。なぜって僕自身にも、過去にそうやって親しい人たちに別れを告げてきた苦い経験があるから。
 まぁ、僕の場合は告げた側であって、告げられた側ではないので、多崎つくるくんの痛みがわかるとは言い切れない。それでもそういう一方的な別れは、別れを告げられた側のみならず、告げた側にも確実になんらかの傷を残す。相手に傷を負わせた力は、確実に自分に跳ね返ってくる。少なくても僕の心のなかには、そうやって負った傷跡がいくつか残っている。そしてそれはきっと生涯にわたって消えることがないだろうと思う。
 告げた側にしてそうなのだから、告げられた側にとって如何{いか}ばかりかは想像に難くない。
 はたして多崎くつる青年は大学時代の半年ほどを、自殺のことばかり考えて暮らすことになる。それでも彼はなんとかその人生の危機を乗り越え、無事に社会復帰を果たして、ふつうの社会人へと成長してゆく。そして三十六になった年に、恋人にうながされて、過去の事実に向き合うべく、友人たちを訪ねる巡礼の旅に出かける……というのがこの小説の大まかなあらすじ。
 基本はリアリズム小説だけれど、不可解でエッチな夢のシーンや謎の殺人事件など、超常的な雰囲気のエピソードもあるところが、やはり村上春樹らしい。『ノルウェーの森』を思い出したという人がいたけれど、僕としてはボリューム的に近いこともあって、『スプートニクの恋人』や『国境の南、太陽の西』に近い印象を受けた。エンディング近くでの電話のモチーフなども、そのへんの旧作に通じる。
 僕は村上春樹の特徴のひとつは、受動的であることだと思っている。主人公はつねに受け身であって、自分から積極的に行動を起こそうとしない(もしくは起こせない)。「物語」は彼が自ら生み出すのではなく、あくまでも外部からの強制のよってもたらされる。セックスにしたって、女性の側から一方的に与えられてばかりだ。
 この作品でも基本的にその点は変わらない。主人公は一方的に絶交を言い渡されて、はいわかりましたと無抵抗のままそれを受け入れ、自殺を考える。
 なぜ死のうと思う前に、自らの運命に{あらが}おうとしないのか。なんで自分が絶交されなければならなかったのか、その理由を知ろうともしないで、死を考えるのか。僕にはその部分は素直に受け入れられない。
 それでも彼が受けた傷の深さには切実に共感できるし、その傷を癒すために、遅まきながらも行動を起こすという物語には強く魅せられた(まぁ、それにしても恋人の後押しという外圧があってのことだけれど)。そして最終的に彼は、ぎこちなくも強く恋人を求めるようになる。そこにある変化はこれまでの村上作品になかったものだと思う。
 結末はやはり言葉を濁す感じで、どこに行き着くのかはっきりしないし、語り残されたことも嫌ってほどあるけれど、それでもこの小説に僕はとてもつよく心を揺さぶられた。とくに旧友たちとの再会のシーンには、毎回わがことのようにドキドキした。そんな思いを味わわせてくれる小説はそうそうない。それだけでも特筆ものだと思う。
(May 27, 2013)

スタイルズ荘の怪事件

アガサ・クリスティー/矢沢聖子・訳/早川書房/Kindle版

スタイルズ荘の怪事件 (クリスティー文庫)

 刊行当時から気にかかっていた早川書房のクリスティー文庫を、Kindle版で全巻制覇してみようかって気になった。
 まぁ、理由はいろいろある。
 クリスティーは学生のころに好きで、数えてみたらわが家には旧文庫版が五十二冊もあった。要するに半分以上は読んでいる。逆にいまだ半分くらい読んでいない作品がある。
 多くの作品は内容を忘れているから、どうせならば再読を含めてコンプリートしてみたい。でも本格ミステリにあまり興味がない今となると、全巻買い直すのは気が進まない。新旧の文庫は背丈が違うので、わが家の本棚に両者が混在するのも嫌だ。その点、Kindle 版ならば、場所も取らないし、金額的にも安いようだから、いいかなと思った。
 あと、Kindle Paperwhite で電子書籍を読むようになって半年近くになるけれど、いまだ僕は電子書籍では、あまり重い内容の文学作品を読もうって気になれないでいる。おそらく苦労して読んだ本には、その労力に見合う物理的な重さが欲しいという感覚があるのだと思う。その点、クリスティーの読みやすさは、電子書籍で読むにはぴったりな気がした。
 また、最近ネットでクリスティーを全巻制覇をしたという評論家がいるのをみつけて、興味をひかれていたというのもあった。なにより、Kindleではいまだ、読める本の選択肢が少ない。そんなこんなで、ここはもうクリスティーを読むしかないだろうという気になったのだった。
 しかしながら、いざ買ってみたら、クリスティー文庫のKindle版は、まるでなってなかった。表紙がちゃんとついてないというのは、早川書房の大半の作品と同じだから覚悟していたけれど(それでも一応、味もそっけもないほかの本とは違い、クリスティー女史のセピアカラーの肖像写真が使われている)、なんと解説まではしょられていた。
 仮にも「クリスティー文庫」と銘打って全集を気取るのならば、解説なしなんてあり得ないでしょう? なんたって翻訳なのだし、通常書籍ならば解説がつかないなんて、100パーセントない。内容が確認できない電子書籍ならではの、ひどい商売だなぁと思う。このところ、なんやかんやで、僕にとっての早川書房の評価は下がるばかりだ。学生のころからもっとも親しんできた出版社だけに悲しい。
 まぁ、なにはともあれ、読み始めてしまいました、Kindle版のクリスティー文庫。まずはクリスティー女史のデビュー作にしてポアロ初登場の『スタイルズ荘の怪事件』から。以降、年代順に読みつづけてゆく予定。
 この小説、初めて読んだときには、ミステリの定石の裏をいくトリックにけっこう感心したものだけれど、今回もけっこう楽しめた。まぁ、金持ちの老婦人が密室で毒殺されるって事件自体は、いまとなると地味な気はするけれど、それにしたってこれが出版にこぎつけるまでに何社もの出版社にそっぽを向かれたって話はひどいと思う。どんだけ見る目がなかったんだ、当時のイギリスのミステリ出版界。ミステリの女王を袖にした出版者の話が聞いてみたい。
 今回再読してみて意外だったのは、ヘイスティングズが警察の人間ではなかったこと(すっかり忘れている)。そして、まだあまりポアロを信用していないこと。なにかといっては、ポアロの態度に腹を立てちゃうところがおかしい。ポアロの言動もやたらとコミカルだし、ミステリの女王は、はじめからユーモアたっぷりだった。
(May 27, 2013)

秘密機関

アガサ・クリスティー/嵯峨静江・訳/早川書房/Kindle版

秘密機関 (クリスティー文庫)

 クリスティーの長編第二作はトミー&タペンス・シリーズのサスペンス・スリラー第一作。
 しかしこれはかなり若気の至りな作品だと思う。
 物語は、偶然の再会を果たした戦争帰りの幼なじみの男女ふたりが、貧乏はいやだから冒険してお金儲けしましょーとかいって、実際に政府を揺るがすほどの大事件に巻き込まれてしまうという話。
 もうスリラーとしての話の流れといい、恋愛劇としての展開といい、すべてがイージー。かつてはけっこうおもしろいと思った気がするんだけれど、こんなにお気楽な作品だったっけ?――とびっくりしてしまった。
 それでもただつまらない、では終わらせないところがミステリの女王の女王たる所以{ゆえん}。政府転覆の陰謀を陰であやつる謎のブラウン氏の正体にまつわる部分では、見事な手腕で読者を(というか僕を)煙に巻いてみせる。
 おかげで終わってみれば、読後感は決して悪くないという。まぁ、こういうお気楽なスリラーもたまにはいいやって思えるような作品。
 というかこれ、今でいうライト・ノベルのようなものだと考えれば、なかなかの出来映えかもしれない。
(May 27, 2013)