「Kindleでアガサ・クリスティーを読もう」シリーズも第四作目にして、ようやく初読の作品が登場。
とはいえこれ、内容的には、かなり『秘密機関』に近いものがあると思う。本や映画が好きな若い女の子が、平凡な生活に飽き足らず、冒険がしたいわっ!――っていって、南アフリカを舞台にした実際の犯罪事件に巻き込まれてゆくというサスペンス・スリラーで、びっくりするほど唐突な恋愛描写も含めて、『秘密機関』の姉妹編といった印象の作品。
まぁ、とはいえ、あの作品に比べると、導入部の展開などは比較的しっかりしていて、作者の成長がうかがえる。前作の反省を踏まえて、あえて同じジャンルに再挑戦してみました、みたいな作品なんじゃないだろうか。実際に出来はこちらのほうがいいと思う。安心して楽しく読めるクリスティー流サスペンス・スリラーの秀作。
この作品で出色なのは、サー・ユースタス・ペドラーという御仁のキャラクター。全編に渡るこの人のコミカルなぼやきが、じつにいい味を出している(といいつつ、情けないことに僕は、名前が似ているので、途中までこの人とナズビー卿と混同していたりした)。
あと、この作品でもっとも感心したのが、叙述ミステリとしてのトリック。その後の女史の代表作となる某作品と同じトリックが、この作品ですでに使われている。そういう意味では、意外と重要な作品なんではないかと思う。
惜しむらくは、翻訳がいまいちなことと、ジュブナイルのような表紙。
表紙のイラストを手掛けているのは、『孤独のグルメ』や『「坊っちゃん」の時代』などを描いているマンガ家の谷口ジローという人らしいけれど、この人が好き嫌い以前の問題として、僕は基本的に小説の表紙をマンガ家に依頼する風潮自体に否定的なので、その時点でNG。Kindle版でなかったら、ぜったい買ってない。名作『オリエント急行の殺人』までがこの人の表紙になってしまっているのが、なんとも残念だ(【追記】あちらはその後変更された)。
翻訳に関しては、わざわざクリスティー文庫のために新しく訳されたものとのことだけれど、最近では使わないような漢字熟語が多くて、古くさい印象だった。わざわざ新訳したのに、なんでこうなっちゃうのか、よくわからない。
翻訳でとくに気になったのは、シューザン・ブレア夫人という人物名。
「シューザン」たあ、ずいぶん耳慣れない女性名だなと思って調べたら、英語のつづりは Suzanne だった。つまり、普通ならば「スーザン」か「スザンヌ」と訳されるところを、この本では「シューザン」と訳しているわけだ。旧訳では普通に「スーザン」だったものを、今回の新訳では、わざわざ変えたらしい。
もしかしたら訳者の知人にスーザンという人がいて、その人の発音が実際には「シューザン」だから、翻訳もこれにならった、という話なのかもしれないけれど、なまじ「スーザン」という名前がすっかり女性の英語名として定着している分、やたらと違和感があった。もしも「シューザン・サランドン」なんて表記をしている映画雑誌があったら、誰だって「なにこれ?」と思うでしょう? 少なくても、僕は最後までこの名前に馴染めなかった。
表紙といい、翻訳といい、わざわざ改訂して劣化させているとしか思えない。本当に最近の早川書房はなにやってんだろうと思ってしまう。
(Jun 03, 2013)