2013年12月の本

Index

  1. 『愛の旋律』 アガサ・クリスティー
  2. 『虐殺器官』 伊藤計劃

愛の旋律

アガサ・クリスティー/中村妙子・訳/早川書房/Kindle版

愛の旋律 (クリスティー文庫)

 ジョン・ル・カレに手こずっていたため、およそ二ヵ月ぶりになってしまったクリスティー文庫Kindle版。今回の作品はクリスティーがメアリ・ウェストマコット名義で発表した初の恋愛小説。
 僕がミステリ以外のクリスティー作品を読むのは『春にして君を離れ』につづけてこれが二作目。
 後年のあの作品は、ひとりの中年女性の自己欺瞞に満ちた人生の悲哀をみごとに浮かび上がらせてみせた傑作だったけれど、この作品でのクリスティーは、ヴァーノン・デイアというひとりの天才音楽家の人生を、その幼少期よりひも解いてみせる。そのため序盤の雰囲気はディケンズっぽい。
 ただ、ディケンズを思わせたのは最初だけで、ひとたび主人公の青年期に入ってからのメインテーマはもっぱら恋愛。さらに後半、主人公が戦争に行ってからあとの展開では、一転サスペンス・スリラー的な大事件がもちあがるといった趣向になっている。
 要するに、いろいろ盛り沢山で、おもしろいっちゃぁ、おもしろかったのだけれど、文学的な完成度という点では、やや疑問。いろんな要素を詰め込みすぎた分、深みがたりない印象を受けてしまった。この内容だったら、もっとボリュームがあっていい。
 たとえば、天才音楽家を主人公に据えながら、音楽にまつわる説得力のある描写はあまりない。また、主人公より彼の恋人の女性ふたりのほうが存在感があったりするし、逆に、いかにも重要キャラ然と登場した幼馴染の女の子ジョーは、後半まったく存在感がなくなってしまったりする。
 そう、そういう意味では、主要女性キャラ三人の中で、もっとも平凡で非文学的といえるネルが、もっとも鮮明なイメージで描写されているところがおもしろい。『春にして君を離れ』もそうだけれど、こういう女性の描き方って、おそらく男性作家にはできない。ネルの人物造形がこの小説の白眉たるところではないかと思う。
 あと、個人的に気になったのは、幼い日のヴァーノンがピアノを「獣」に見立てて怯えるというくだり。ピアノが怖いって感性は、いまいちぴんとこない。それを納得させるだけの説得力ある描写もない。最終的にはそれがクライマックスへ向けての重要な伏線になっているわけで、これこそミステリ作家たるクリスティーの面目躍如ってところかもしれないけれど、僕にはその設定自体が感覚的にしっくりこなかった。そして、その部分こそがこの小説の要といえる部分であるため、作品自体の印象がすっきりしないものになってしまった感があった。そこんところは、やや残念。
(Dec 01, 2013)

虐殺器官

伊藤計劃/早川書房/Kindle版

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 数年前にわずか三十四歳という若さで夭折した日本のSF作家のデビュー作。
 『虐殺器官』というタイトルにはまったく惹かれなかったのだけれど、あまりに天才だ、傑作だという話をよく聞くので、どんなものかと思って、Kindle版がディスカウントしていたときに買ってみた。
 で、読んでみて納得。なるほど、こりゃなかなかすごい。デビュー作でここまで書ければ、そりゃ絶賛されても当然だと思う。ポスト村上春樹世代ならではの柔らかさと、SFならではの硬質さが同居している。これはコンピュータやスプラッタ・ホラーが日常生活にあたりまえにある世界で育った世代のSF文学だと思う。
 日本の小説だけれど、舞台は近未来のアメリカで、主人公もアメリカ人。ポスト911のテロ対策により、要人暗殺が公然の政策となった時代に、暗殺のスペシャリストである主人公は、とある謎の人物の暗殺を命じられる。その人のゆくあらゆる国で内戦が勃発して、虐殺が巻き起こっていた。いかにしてその人ジョン・ポールは人々を虐殺に至らしめるのか。主人公のシェパード大尉は暗殺者として彼を追いながら、その謎に迫ってゆく。
 まぁ、テーマが壮大なわりにボリュームはそこそこなので、そんなにきっちりした謎解きには至らないけれど、それでもその着想は出色。現代思想や映画のトリヴィアをちりばめながら、理屈っぽい話を理屈っぽくなく語ってみせるところは、京極夏彦に通じるものがあると思った(世界観はぜんぜん違うけど)。個人情報がすべてコンピュータ管理されている社会のあり方なども予言的でそら恐ろしい。
 いきなり虐殺された子供たちの描写などから始まって、その後も何度もそういうグロテスクな描写がしつこく繰り返されたりするので、好きかと問われるとちょっと微妙だけれど、小説としては文句なしによく書けていると思う。
(Dec 23, 2013)