神曲
ダンテ/山川丙三郎・訳/岩波文庫(全三巻)
ぐうたら読書家の僕には、興味はあるけど読んでないという古典作品が数多あり。このダンテの『神曲』もそのうちのひとつだったのですが。
このたび、『ダ・ヴィンチ・コード』のダン・ブラウン最新作『インフェルノ』がこの作品を下敷きにしているらしいというので、それならばと意を決して読んでみることにしたはいいけれど――。
思いきり選択を誤りました。
表紙に惹かれて選んだ岩波文庫版、山川丙三郎という方による翻訳は、調べてみたら、いまからちょうど百年前、一九一四年に着手されたものだとのことで、全編文語体。その文章は学生時代に古文をまともに勉強してこなかった僕には手にあまった。
文庫本全三巻で、各巻約四百ページとボリュームはあるものの、そのうち半分は注釈――しかもその部分も文語体で、かつ虫眼鏡がないと読めないくらいの微小フォントとくる――という本で、時間がないので注釈は無視したから、本文は賞味六百ページ強にすぎない。もとより詩なので改行も多いし、通常ならば一週間もかからない分量なのに、これを読み切るのに丸一ヶ月もかかってしまった。なおかつ、読み終えてなお、なにが書いてあるんだか、半分もわかっていないというていたらく。おかげで内容についてはなにも語れない。
とにかく文語体に慣れねぇこと、慣れねぇこと。
たとえば、文章が「見き」っていって終わるわけですよ。なんだよ「見き」って。そもそもなんて読むんだよ、とか思ってしまう時点で僕の負け。「き」は過去形で、「ありき」などと使う場合の「き」なんだと、辞書を引いてようやく理解した。終始この調子なんだから、もう時間がかかるのもあたりまえ。
さらには漢字が無駄に難しい。読めねぇ~って辞書を引いてみれば、声、昼、尽、余、帰、体、励、など、いまでも普通に使っている漢字の旧字だったってパターンが雨あられ。おそらく、いままでに使ったことがなくて意味がわからなかった漢字は、ひとつふたつしかなかったんじゃないだろうか。それだったら最初から漢字だけでも新字にしといてくれないかなぁ……。学校で習ってないよ、そんな難しい字。
まぁ、これが時代に名を残す文豪の作品だというのならば、その苦労も報われるのだけれど、残念ながらこれは翻訳。もともと日本語じゃない文章を日本語に訳したものなわけです。しかもこの翻訳、古いだけにすでに著作権フリーになっていて、ネットには無料で出回っている。そんなものに三千円近く払ったあげく、苦労して読んでなお、意味がわからないという……。俺はなんて酔狂なことをしているんだろうと、思わずにいられなかった。
おまけにこの『神曲』、英語の題名は『The Divine Comedy』という(海外にそんなバンドがありましたっけね)。え~っ、これってコメディなんですか?
──ってまぁ、もちろんストレートな喜劇なわけではないんだろうけれど──少なくてもこの日本語訳を読んでいる限り、笑える要素はほとんどない──、なんでも原作は、当時のフィレンツェの婦女子でも読みやすいようにと、その地方の方言を使って書かれていたんだとか。だから当時はラテン語で書かれていないってんで、非難されたこともあったんだとかなんとか。
原作者がそんな風に、なるべく誰にでも読みやすいようにって書いた作品を、格調高い日本語の文語体で苦労して読んでいたと思うと、なおさら間違いすぎている気がして仕方ない。
ということで、いまだ『神曲』を読んだことのない人で、なおかつ僕と同じように文語体は無理って人には、絶対にこの版は薦めません。角川とかから、新しくて読みやすそうな翻訳が出ているようなので、そちらを。
でもまぁ、インターネットもない時代に、これだけ未知の固有名詞であふれかえった情報量の多い作品を独力で訳した訳者の熱意と努力には、それだけで頭が下がる思いがする。僕自身はその労力にきちんと答えられていないけれど、とりあえず普段は読まないタイプの文章を苦労して読んだ、その経験だけはなんとなく貴重だったぞと。そんな情けない読書体験でした。
(Mar 04, 2014)