終わりの感覚
ジュリアン・バーンズ/土屋政雄・訳/新潮社
ひさびさに胸にどーんとくる小説だった。読み終わったあと、しばらくは胸のなかに物語の余韻が残っていた。こんな風に感じた小説はひさしぶりだ。短いながらも非常につよい感銘を与えてくれる素晴らしい作品。
どういう物語かは、やや説明しにくい。
序盤は語り手の学生時代の思い出が語られる。高校時代の四人組の親友グループのこと。大学時代にできた初めての恋人とのなれそめと破局。そして親友のひとりの不幸な死。
これらの章――およそ全体の三分の一くらいだろうか――はとても青春小説的なのだけれど、そこのところはその後につづく本編のバックボーンでしかない。
若かりし日の思い出を語り終えたあと、主人公は時計の針を一気に進める。自らの結婚と離婚をダイジェストですっとばし、一人娘が成人して、自らが頭の禿げかかった退職者になった現在へと物語はわずか二、三ページでシフトする。
そして、そこで過去からの亡霊のように立ち上がってきた、とある事件をきっかけに、彼はかつての恋人の不幸な現在と、隠されていた親友の死の真相に直面することになる。
親友の死という重いモチーフと、その原因があきらかになったあとのなんとも言えない読後感。この小説が与えてくれるカタルシスには、漱石の諸作品、とくに『こころ』に通じるものがあると思った。
おそらく今年の僕の小説ナンバーワンはこれでしょう。
(Jun 10, 2014)