2014年8月の本

Index

  1. 『オリエント急行の殺人』 アガサ・クリスティー
  2. 『オズの魔法使い』 ライマン・フランク・ボーム
  3. 『殺戮のチェスゲーム』 ダン・シモンズ
  4. 『女のいない男たち』 村上春樹

オリエント急行の殺人

アガサ・クリスティー/山本やよい・訳/早川書房/Kindle版

オリエント急行の殺人 ハヤカワ文庫―クリスティー文庫

 いわずと知れた、アガサ・クリスティーの代表作のひとつ。
 この『オリエント急行の殺人』と『そして誰もいなくなった』、『ナイルに死す』、『鏡は横にひび割れて』、『春にして君を離れ』が、中高生のころの僕にとってのクリスティーのベスト5だった(なんだかとても平凡ですね)。
 でも今回、再読してみて、この作品はややポイントが下がった感じ。事件解決の重大な手がかりとなる手紙の燃えさしが被害者の部屋に残っていたというプロットはどうにも不自然だし、さらにはそこから「アームストロング」の名前が浮かび上がるという展開にいたってはなにをいわんやだ。
 そんな手紙、普通だったら部屋から持って出てあとで処分するなり、窓から投げ捨てるかして終わりでしょう? 犯行の重要な手がかりとなる手紙を、犯人がなぜにわざわざ殺人現場で焼いたりしなきゃいけないのかわからない。
 さらには殺人の方法にも説得力がない。いかに被害者がひとでなしであろうと、報復のための殺人であろうと、殺人という行為に自ら手をくだすには、それ相応の勇気や覚悟が必要だろう。僕にはこの作品の犯人全員(ネタバレごめん)にそんなことができたとはどうにも思えない。
 おまけに、豪雪で列車が非常停止に追い込まれたために緻密な犯行計画が破たんして、なおかつその列車に偶然、天下のエルキュール・ポアロが乗り合わせていたために、真相が暴かれてしまったと。
 この小説はそんな風に最初から最後まで偶然に頼りすぎている。そこんところがどうにも感心できなかった。
 とはいえ、いまだミステリにうとかった若かりし日の僕にとって、意外なる事件の真相が絶大なるインパクトを持っていたのも確かなところ。現実のリンドバーグ事件を下敷きにして、ミステリ史上に残るトリックを生み出してみせた発想は、やはり脱帽ものだと思う。
 思ったよりも小説の語り口があっさりめだったので、なんだかひさしぶりにアルバート・フィニー主演の映画版も観なおしたくなってしまった。
(Aug 06, 2014)

オズの魔法使い

ライマン・フランク・ボーム/柴田元幸・訳/角川書店/Kindle版

オズの魔法使い (角川文庫)

 これまた言わずと知れた名作ファンタジー映画の原作。柴田元幸先生による新訳ということで、Kindle版を読んでみた。
 がしかし。僕にはこの手の児童文学を楽しむために必要な素養(それはつまり童心?)がまったくないらしく。正直いって、あまりおもしろくなかった。
 というか、僕がこの物語でどうにも納得できないのは、オズがドロシーに西の魔女を退治してこいと命じる展開。
 いってみればそれって、駄目な大人がこどもに人を殺してこいって命じるという、とても剣呑な話なわけですよ。
 悪い魔女だから退治していいって発想が僕にはどうにもしっくりこないし、そういう話を平気で子供たちに与える感覚がわからない。
 ナルニア物語の『ライオンと魔女』を読んだときにも思ったことだけれど、なぜに英米発の童話はこうもあたりまえのように戦いを描くんだろう。
 「世界に平和を」と理想を唱える大人たちが、その一方で子供たちに平気で敵を殺す物語を与えるってのは、おかしくないですか? 汝の隣人を愛せよと言ったのはイエス・キリストじゃありませんでしたっけ? ならばちゃんと愛そうよ、隣人を。戦ったりせずにさぁ。
 ……と、以上、映画で観たときにはとくに気にもならなかったことも、活字になっちゃうと妙に気になるという話でした。
 でも、こういうことを考えていると、まったくといっていいほど人が死なない(殺さない)、それでいてちゃんとハラハラドキドキさせてくれるジブリのアニメがとても素晴らしく思えてくる。
(Aug 08, 2014)

殺戮のチェスゲーム

ダン・シモンズ/柿沼瑛子・訳/早川書房/Kindle版(全三巻)

殺戮のチェスゲーム(上) 殺戮のチェスゲーム(中) 殺戮のチェスゲーム(下)

 絶版になっていたダン・シモンズの旧作がKindle版で刊行されたので、喜び勇んで入手してみたはいいけれど。
 この電子書籍はどうにも校正が甘すぎる。先日読んだ扶桑社のスティーヴン・ハンターの諸作もひどかったけれど、これも通常書籍だったらあり得ないだろうってくらいに、あちらこちらに誤字脱字がある。それも、こんなの一度だれかがちゃんと目を通せば、見つかるだろうよってレベルのものばかり。おそらく原本からOCRで取り込んだあと、ちゃんと校正していないんだと思う。仮にも出版社の仕事なんだから、校正くらいはきちんとやってもらいたい。いくらなんでもこれではプロの仕事として恥ずかしいでしょう。
 というわけで電子版の出来にはやや難があるものの、作品自体はダン・シモンズらしいパワフルなもの。本の紹介にヴァンパイアがどうしたとあるので、吸血鬼ものかと思っていたら、ちょっと違った。この作品のヴァンパイアはいわゆる吸血鬼ではなく、人を自由に操る超能力を持った超人たち。人の意志を捻じ曲げて殺人に駆り立て、そのネガティブな精神パワーを吸い取って生きる超能力者たちが、ここではざっくりマインド・ヴァンパイアという言葉で表現されている。
 物語はそんな超人たちになんらかのかかわりを持ったことから人生を狂わされた普通の人たちが、圧倒的な不利をかえりみず、その超人たちに戦いを挑んでゆくというもの。とはいっても、両者の実力差があまりにありすぎるので、読んでいても人間側に勝ち目があるようには、とてもじゃないが思えない。しかも主役のひとりだと思っていたキャラが途中でリタイアしちゃったりするし(本当に惜しい人を亡くしましたって気分になった)。その物語の予測不能さはなかなかすごかった。決して好きなタイプの小説ではないのだけれど、それでもその内容の濃さには圧倒された。
 『殺戮のチェス・ゲーム』って邦題はどうかと思うのだけれど――ダン・シモンズの作品でなかったら、絶対に手に取ろうとさえ思わない――、いまだ作者の知名度が高くない初期の作品だし、内容を的確に表していなくもない気がするので、それはまぁ仕方ないのかなと思う。
 それにしても、調べたらこれ、『ハイペリオン』と同じ年の刊行だった。これほどの大作を二作もつづけて書き上げるシモンズのパワーにびっくりだ。
(Aug 12, 2014)

女のいない男たち

村上春樹/文藝春秋

女のいない男たち

 『東京奇譚集』以来、九年ぶりとなる村上春樹の最新短編集。
 前もって雑誌に発表された収録作品名が『ドライブ・マイ・カー』、『イエスタデイ』とつづいたから、今回はビートルズ絡みの連作なのかと思ったら、ちっともそんなことはなかった。
 『イエスタデイ』こそビートルズの曲がタイトルになっているけれど、内容はビートルズにはまったくといっていいほど関係ないし、それ以降の作品はタイトルからして無関係。それでも、とりあえず連作は連作とのことで、テーマはそのものずばり、短編集のタイトル『女のいない男たち』なのだそうだ。
 「女のいない男たち」と聞いて、多くの読者はアーネスト・ヘミングウェイの素晴らしい短編集を思い出されることだろう──と春樹氏はまえがきで書いているけれど、いやいや、決してそんな人は多くはないだろう。比較的アメリカ文学にくわしくて、ヘミングウェイのその短編集(邦題は『男だけの世界』)を読んでいる僕からして、まったく思い出さなかったのだから、このタイトルを聞いて、「おっ、ヘミングウェイか」と思った日本人なんて、百人にひとり、いるかいないかじゃないだろうか。それを「多くの読者が~」なんてあたりまえのように書いてしまうところが春樹氏らしいっちゃらしい。
 内容的にもそうで、「女がいない」とはいっても、オタク的に女性にもてないから、とかいう話ではない。それどころか、登場人物のほとんどは、性生活的にまったく不自由のない暮らしを送っている。たしかに奥さんに早死にされたり、かなわぬ恋に身をやつしたりする人はあれど、それでいったら文学作品の半分はそういう話でしょう。この本がわざわざ女性の不在をタイトルにかかげるのにふさわしいようには僕には思えない。
 おそらく、愛する女性との深い理解を望みながらも叶わなかった男たち、つまり「(心の奥深いところに)いてほしい女の人がいない男たち」を端的に表しているのだろうと思うけれど、僕にはいまいちそのタイトルがしっくりこなくて、それゆえにいくぶん、もやもやした読後感が残ってしまった。
 ──とまぁ、どうでもいいようなことにけちをつけてしまって申し訳ないけれど、ひとつひとつの話は文句なしに楽しく読めた。
 心なしか、この短編集は春樹氏の過去とリンクしている感触が強いと思う。『イエスタデイ』は木樽という友人とその幼なじみのガールフレンドとの話ということで、いやおうなく『ノルウェーの森』を思い出させるし、基本リアリズム中心のこの短編集のなかで、唯一スーパーナチュラルな展開を見せる『木野』(これぞ春樹印という感じ)では『ねじまき鳥クロニクル』の第三部あたりを思い浮かべた。『シェエラザード』の主人公がなんらかの組織のメンバーとして隠れ家に潜伏しているという設定も、『1Q84』に通じるものがあると思う。
 どの短篇にも長編の一部として使えそうな余地がたっぷりあるので、今後の村上作品を占う意味でも、けっこう重要な短編集になりそうな気がする。
(Aug 23, 2014)