2014年9月の本

Index

  1. 『母なる夜』 カート・ヴォネガット・ジュニア
  2. 『遠野物語拾遺retold』 京極夏彦・柳田國男
  3. 『未完の肖像』 アガサ・クリスティー

母なる夜

カート・ヴォネガット・ジュニア/飛田茂雄・訳/早川書房/Kindle版

母なる夜

 個人的にかつてもっとも好きだったヴォネガットの長編第三作。
 主人公のハワード・W・キャンベル・ジュニアは、第二次大戦中に、アメリカ人でありながら、ナチの広報担当として大活躍したことで、A級戦犯扱いされている人物。じつは彼はアメリカの二重スパイだったのだけれど、そのことを知る人は世界中にわずか三人しかおらず、戦後は売国奴の烙印を押されたまま、人知れずニューヨークでひっそりと隠遁生活を送っている──いや、この小説は主人公が獄中で書いた手記という形式を取っているので、時制的に正しくは、送っていた。
 ところがそんな彼がいまだ国内で隠棲している事実が世間の知るところとなり、キャンベルは彼を激しく憎む似非愛国者や、反対に英雄とあがめる白人至上主義者たちに追い回される羽目に。そんな渦中で彼は死に別れたと思っていた奥さんとの感動の再会を果たすものの、しかし幸せな第二の逢瀬だと思ったものはわずか一晩しかつづかず──というか、そもそもそれ自体が間違いで……。
 というような話で、痛ましくも滑稽なヴォネガットの持ち味が十分に出た、初期の傑作のひとつ。ほかの多くの作品のようにSF仕立てではないし、『ローズウォーターさん』のように主人公が変人でもない分、もっともとっつきやすいヴォネガット作品ではないかと。
 しかし大好きだと言うわりには、情けなくもあまり語るべき言葉が出てこない。
(Sep 15, 2014)

遠野物語拾遺retold

京極夏彦/KADOKAWA

遠野物語拾遺retold

 京極夏彦が尊敬する柳田國男の代表作『遠野物語』をみずからの言葉で語り直してみせたシリーズ第二弾。
 前作『遠野物語remix』は原作が文語体だったから、現代文で語り直すという意図がわかったのだけれど、この『拾遺』はもともとが現代文。わざわざ語り直さなくても、意味はそのまま通じる。
 だから、この本が出ると知った時には、なのになぜ? と思ったものだった。
 で、その辺のことはこの本に挟まれている小冊子で京極氏みずからが答えてくれている。もとより柳田國男という人自身の手による『遠野物語』とは違い、こちらの本はその増補版の付録という位置付けの本であり、その文章自体が柳田翁が書いたものではないから、作品としての文芸作品としてみた場合の完成度も低いと。
 それでも、内容自体は『遠野物語』の世界観を補強するうえで、貴重なものも多い。これを京極夏彦というひとりの文筆家のフィルターを通して語り直す──それゆえ『retold』――ことにより、統一感のある作品世界として読者に提供するのが目的であると。そう僕は受け取った。
 まぁ、たしかに原本の『拾遺』については、おまけのくせして本編『遠野物語』の倍近いボリュームがあって、しかも文体的にはこれといった特徴もないので、読んでいていささか退屈してしまったというのが、僕個人の正直な感想なので、それをもっと娯楽性の高い文芸作品に昇華させたい、という京極氏の熱意はわからなくもない。で、実際にこれはオリジナルとはまた違った味わいのある本に仕上がっていると思う。
 とはいえ、いずれにせよ拾遺は長すぎるなと。部外者としては、元祖『遠野物語』くらいのボリュームがちょうどいいというのが正直なところ。集中力を欠いている時期だったというのもあって、読み切るのに不必要に時間がかかってしまった。
(Sep 15, 2014)

未完の肖像

アガサ・クリスティー/中村妙子・訳/早川書房/Kindle版

未完の肖像 (クリスティー文庫)

 アガサ・クリスティーがメアリ・ウェストマコット名義で発表した恋愛小説の第二弾。
 前の『愛の旋律』もそうだったけれど、どうもクリスティーの恋愛小説って、いまいち焦点が定まりきらない感がある。ミステリのときの語りの切れのよさに比べると、心理描写も風景描写もあいまいで、気分的にすっきりしないというか。
 この作品では、とくに前半。主人娘シーリアの少女時代を描いた部分で、彼女がどういう女の子なのかが、うまく伝わってこない。のちに小説家としてデビューするくらいなので、人とは異なった独特の感受性を持っているのだろうけれど、それがいったいどういうもので、それゆえどう彼女の性格に結びついているのかが、よくわからない。
 自伝的な小説とのことなので、おそらくクリスティー自身の思い出を下敷きにしたエピソードが多く織り込まれているのだろう。ただ、それらがどうも物語の中で効果的に生かされているという気がしない。つながりの希薄な単発エピソードの連続という印象が抜けず、読むスピードが上がらない。
 物語がようやくおもしろくなったのは後半、彼女が成長して、求婚者が次々と現れるようになるあたりから。それでも、彼女の恋愛観がはっきりしないので、彼女がどういう基準で結婚相手を選んだのかは、結局よくわからない。恋愛小説のわりには、肝心の恋愛の部分での熱量がほとんど上がらない。
 ──というか、いま書いてて思ったのだけれど、もしかしてこの小説を恋愛小説と呼ぶのは間違っているんじゃないだろうか。それより、カズオ・イシグロ的な「信頼できない語り手」の文芸作品として見たほうがすっきりする。で、だとするならば、これは決して悪い出来ではないようにも思えてくる。
 考えてみれば、のちの傑作『春にして君を離れ』もそのジャンルの作品だし、じつは普通小説を書くクリスティーって、イシグロ的な系統に属するイギリス人作家なんじゃないだろうか──とか思った一冊。とりあえず、次の作品からはそういう側面も心に留めて読もう。
(Sep 15, 2014)