ラリルレ論
野田洋次郎/文藝春秋
RADWIMPSの野田洋次郎による初のエッセイ集。
僕は基本、小説を第一と考えていて、ノンフィクションやエッセイを読むのはあとまわしにするのが習慣になっている。もの書きが専門ではない人の本ともなると、なおさら優先順位は低くなって、おかげで椎名林檎やCoccoなんかの本が読まないまま何年も放置されているのだけれど、この本だけは放っておけなかった。僕にとって野田洋次郎という人は、いまやそんな読書の優先順位を狂わせるくらい、別格な存在になっている。
この本は去年のツアーのあいだに書いた日記という体裁をとっている。ただし、ふつうの日記のように、その日その日の出来事について語るというよりは、思いついたこと、書きたかったことをランダムに書きつづって、足りない部分を後日に追記して補った、という形になっている。語る内容も家族の話やバンドの思い出話、自らの人生観、価値観、はたまた時事ネタに雑談と、多岐に渡っているので、やはり日記というよりはエッセイと呼んだほうがしっくりくる。いわば、日記の形を取ったことで醸し出されるツアーの臨場感を背景に語られる野田洋次郎という人の半生記といった内容の本。
彼の優れた言語センスからすると意外なことに、本人はあまり読書をしないとのことで、この本の文体も、そういう人らしく、会話やメールの延長のようなくだけた口語文だ。それでも、問題意識の高い人ならではの饒舌さで言葉を紡いでゆくそのさまは、変に格好をつけてない分、嘘がない感じがして好感が持てる。
この本の中で、野田くんは自らの生い立ちや家庭の事情をつまびらかに語っている。暴力的かつ専制君主的な父親への憎しみや、そんな父親の赴任先であるアメリカという異郷でともに苦節を過ごした兄への尊敬。野田洋次郎という特殊な才能がいかにして育まれてきたかがわかって、とても興味深かった。
その一方で意外なのが、恋愛に関する言及が思いのほか少ないこと。特別プライベートな問題だからってのはあるとは思うけれど、過去の恋愛遍歴については皆無だし、いまの恋人らしき人については、「あの人」という言葉で、たまにほのめかされる程度だ。本人は性的にはどちらかというと淡白なほうだと語っている(意外や)。
そんな彼が歌の中であからさまに性的なキーワードを使うのは、セックスという人間として当然の行為をわざわざ隠すのは偽善的だからという思いからのようだし、女性を神格化するような歌詞も、それは相手が女性だからというよりは、性別にかかわらず、自分にとってもっとも大切な人だから、というのが本当のところみたいだ。極論だとは思うけれど、彼は自分にとって大切な人が男性だったら、同性愛だって拒まないというようなことまで言っている。
僕はずっと野田くんを恋愛至上主義の人だと思ってきたけれど、この本を読むかぎり、どうやらその言葉は彼にはふさわしくないみたいだ。彼にとって大事なのは女性でも恋愛でもセックスでもなく、自分とともにいてくれる人の存在、そのものなのだろう。今後は気安く恋愛至上主義という言葉を使うのは控えなくちゃいけない。
なんにしろ、この本はこれまでに僕が読んできたミュージシャンによる本の中では、もっとも中身の濃い一冊。下手な小説よりも、よほどおもしろい(まぁ、僕が野田くんに惚れこんでいるというのはあるにしろ)。それにしても、半年のツアーの合間をぬって、主にライブのあとなんかにこれだけの文章を書くってのも、並大抵のことではないよなと。そんなことでも感心してしまいました。さすがに語るべき言葉を持った人が書くものは、本職ではなくともひと味違う。
あと、最後にワイドショー的な話になってしまって恐縮だけれど、バンプの藤原くんやYUIとの交流が語られているのにも、おぉっと思いました。やはり類は友を呼ぶんだなぁと。そんなことにもちょっぴり感心したり。
(Jul 04, 2015)